第18話 二転三転 「やっぱ逃げた方が正解だったんじゃねえのかな」
ウルフパックは静かにドアを閉めると服装の乱れを直した。
その手には納める鞘を持たない千子村正が握られていて、嗅ぐとまだほんのり血の香りがした。
三人の仲間たちもまた冷静に銃の確認をしていた。
ウルフパックは微笑んだ。
嘗ての同僚たちを殺しておきながら誰も微塵も罪悪感を感じていない。それがウルフパックには堪らなく嬉しかった。
——頼もしい奴らだ。
「その調子で頼むぞ」
静かに1933号室を目指した。
1933号室に着くとまず『走査』を使って室内を確認することにした。
「どうだ? 」
ドアに手を当て内部をスキャンするウルフパックに山猫が尋ねると、ウルフパックは苦笑いして言った。
「……いない」
「やっぱ逃げちまったか」
この事態は彼らも多少予想していた。エレベーターが止まり警備員が駆けつけた時点で、どこかに密告者がいるのは明らかだったからだ。
「で、どうするの? 」
周りを見張っていたチーリンが尋ねた。
「まだ近くにいるかもしれないし探してみる? 」
「外にいるなら『俯瞰』で見つけられるかもな」
「相手が巨人でもない限り無理よ。せめて『観察』も使わないと。どうするウルフ? 」
「それもいいけどその前に部屋の中を調べておこうぜ。奴らも逃げるだけで精一杯だったはず。何かしら残っていてもおかしくないからな」
ウルフパックは罠を警戒しながら慎重にドアを開けた。
予想通り部屋の中は人がいた痕跡に満ち溢れていた。乱れたベッドに飲みかけのペットボドル、カーテンは開けられクローゼットには服が何着か残っていた。
「ドレッサーに化粧品が入ってる! 」
チーリンが引き出しを開けて言った。
「メモに何か書いてあるわ! 」
リサーが必死に謎の文字の解読に挑んだ。
「おいおい、スーツケースが丸ごと残ってるじゃねえか。順調すぎて怖いくらいだ。そっちはどうだ山猫? 」
「読みかけの本がある。これは何語だ? 見たこともない文字だ」
「こりゃ着の身着のままって奴だな。あちらこちらに物があり過ぎて、罠なんじゃないかと思うくらいだ」
「……罠よ」
ハイドラはほくそ笑んだ。
「私がそんなポカする訳ないじゃない」
ジャボが部屋にライフルを向けスコープを覗き込んだ。
ハイドラたちはホテルの向かいのビルの屋上にいた。ココの電話で事態を知り時間稼ぎの甲斐もあってここまで逃げてこれたのだ。
打ちっ放しの床に伏せ、1933号室の窓にウルフパックたちの姿が映るのを待つこと五分、漸く彼らは現れたのだ。
「ここで逃す訳にはいかないのよ」
隣でジャボがゆっくりと引き金を絞った。
「行くぞ……」
銃声とともにスコープの中で女が吹っ飛んだ。
チーリンだった。
「おい、チーリン! 」
ウルフパックが叫んだ。
「大丈夫か! 」
ダメそうだった。
脳天から血を流し表情がもう死んでいた。
「伏せろ! 」
山猫が叫んだ瞬間、雨あられのように弾丸が注ぎ込み物という物が壊されていった。窓ガラスについた弾痕のヒビが伸びて繋がれ蜘蛛の巣のように広がった。
慌てて三人は床に臥せると頭を抑えた。
「どこから撃ってんだ! 」
「向かいにでっかいビルがあるから、そこでしょ! 」
「畜生! ぶっ殺してやる! 」
「殺されそうなのはこっちの方よ! ウルフ、なんとかなんないの! 」
「なんとかってどうやって——」
「紙牌よ馬鹿! 便利なもん持ってんだから、なんとかしなさいよ! 」
ウルフパックはカードの束を床に撒くと、ああでもないこうでもないと考え始めた。
「早く! 」
「五月蝿え! 今やってる! 」
「『凍結』しろ! 」
ウルフパックは言われるがままに『凍結』のカードを掴んだ。
「実装! 銃弾を『凍結』しろ! 」
瞬間、部屋に静寂が戻った。
三人が顔を上げると宙に銃弾が固定されていた。
「やったか? 」
と思ったのもつかの間、直ぐさま銃撃が再開された。
「単に弾切れしてただけかよ! もう勘弁してくれ! 」
降り注ぐ銃弾の中山猫が叫んだ。
「銃弾じゃなくこの部屋自体を『凍結』するのよ! 」
「もうなんでもいいからさっさとやってくれ! 」
ウルフパックがもう一枚『凍結』を実装した。
「部屋を『凍結』しろ! 」
再び襲撃が止んだ。
但し先ほどとは違い今度はガラスに当たる弾の音が聞こえた。
「どうやら……上手くいったようだな」
ウルフパックが頭を上げて辺りを見回した。
「本当に大丈夫だろうな」
「大丈夫よ。『凍結』した場合、外から中に侵入することは不可能なんだから、銃弾だって同じはず」
「まあ『凍結』の逆位置か『解放』で解けるから、不可能って代物でもないけどな。その代わり『透過』も『没入』も受け付けないから、銃弾にその効果を付加しても通用しないのは助かるよ」
「それでこの後どうするの? 今夜はもう止めとく? 」
リサーはチーリンの顔にタオルをかけると言った。
「いや、続けよう」
ウルフパックはチーリンの体に手を置いて目を閉じた。
「マジかよ。やっぱ逃げた方が正解だったんじゃねえのかな」
「言っただろう? 逃げ回るのはごめんだってな」
ウルフパックは一度窓から外を見た。暗くてハイドラたちの姿は確認できなかったが、向かいのビルにいることだけは分かった。
「それにこっちはチーリンやシパシクルを殺されてるんだぞ。ムカつかないのか? 」
「でもさ、これ自体罠だったのよ。きっと何も残されてないわよ」
「それはどうかな。いくら入念に正体を隠したところで、そこに人間が存在した以上痕跡ってもんは残るはずだ。それに人はミスをする生き物だ。お仲間の部屋もあるんだろ? チャンスは十二分にあると思うぜ」
ウルフパックは自信ありげに笑った。
ジャボはスコープ越しに一連のやり取りを見ていた。
「奴ら家探しを続ける気だぜ」
「しつこい連中ね」
「何か見つけられると思ってるんじゃろう」
先生が髭を撫でながら呟いた。
「無駄な努力じゃが、こちらも好都合だから良しとするかのう。とにかくこれで奴らもこちらを狙っているということが分かった。これは大収穫じゃぞ。この二日間、足取りが掴めず困っていたが、あちらさんもその気なら大分無駄を省けるからな」
「一体どういう風の吹き回しかしら」
「恐らくお前が挑発したせいだろう。プライドの高そうな奴だからな」
「我慢できなかったという訳か。なるほどなるほど。今夜の奇襲も殆ど無計画のようじゃし、その短絡さに二度も助けられたのう」
「それでこれからどうする? このまま一旦引くか。それとも攻めるか? 」
「このまま奴らが撤退するまで待ち、その後、尾行してアジトを特定するってのはどう? 」
「ほう、いいかもな。じゃあ俺も一案、部屋の外で待ち奴らが出てきた瞬間、ズドンってのはどうだ? 」
「え、俺の銃が火を噴くぜって? キャー頼もしー、格好いー」
「そうは言ってないけどな」
「先生はどう。何かいい知恵浮かんだ? 」
先生は無言で何かを考えているようであった。
ハイドラは含み笑いをした。
「あらあら、この顔は名案を期待できそうね」
「一つ、気づいてしまったことがある」
先生の表情には動揺の色が浮かんでいた。
「確かに我々は正体に繋がるなんらの証拠も残していない。日頃から気をつけて習慣付けてきたからそこには自信を持っていいじゃろう。但しそれは物だけで、物以外の痕跡は残っているかもしれん」
「何? 」
「……過去じゃ」
ハイドラとジャボが顔を見合わせた。
「『回視』か! 」
「その通り。カンビュセスのコレクションを盗んだということは、奴ら『回視』を一枚持ってるはずなんじゃ。もしあの部屋でそれを使われたとしたら、これはとても厄介なことになるぞ。何故なら滞在中の我々の全会話を聞くことができるんじゃからな。二人は自信あるか? 何気ないちょっとした会話にまで気をつけて正体を隠してきたかな? 」
「正直……自信ないわね」
「こっちもだ。ココがよく昔のことを聞いてくるもんで、場合によっちゃあ喋ったことがあるかもしれん。もうよく覚えてないがな」
「一つ一つは何気ない会話でも、それを集め組み立て推測で繋ぎ合わせられたら、いつかは我々の本名にたどり着かれるかもしれんのう」
「まずったわね。まさかこんなことになるとは思ってもみなかったから」
「まあ想定するのは不可能じゃろうな。『回視』なんて持ってる奴の方が珍しいからな」
「とにかく奴らがそこに気付く前に、殺らなければならないようね」
「つまり今すぐってことか」
「そういうこと。どうやら計画を練っている暇はないようね」
ハイドラは勢いよく身を起こした。
「先ほどまでの余裕から一転、なんだか嫌な予感がするな」
ジャボはライフルを下ろしてため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます