第4話 自己紹介 「せいぜい用心するんだな。一本首のハイドラ(ヒドラ) さん」

 ヤシの木に囲まれたカフェにはたくさんのパラソルが立ち並び、青空から降り注ぐ日差しを遮り人々に一時の安らぎを提供していた。


 先生もまたその恩恵に預かる内の一人、その時の彼は中央の席に座り優雅に読書を楽しんでいた。


「体が冷えるからアイスは食べないんじゃなかったの? 先生」

 ハイドラが白い歯を見せると、負けじと老人も理屈を述べた。


「物事は時と場合で千変万化するもんじゃよハイドラ君。私の発言は全てそれを念頭に置いて聞いて欲しいな。こちらもいちいちそれを断るのは億劫じゃからな。見なさい、今日の日差しを。十万ルクスは優に超えている。熱量も相当なもんじゃ。日射病や熱射病にかかるくらいなら体を冷やした方がマシってもんじゃ」


「じゃあ私も体を冷やそうかしら。ギャルソン、アイスティーを三つ」

「おい、勝手に頼むなよ」

 メガロマニアが眼鏡を上げた。


「あんたに任せると注文一つで日が暮れちゃうからね」

 ハイドラはギャルソンにアイスティーの数を一つ減らして告げた。


「一回一回の飲食を大切にしてると言ってくれ。食事を餌だと割り切るお前と違って、俺の家では食事は文化だと教え込まれたんだ」

「ハイハイ、そういうのいいから、あんたは何頼むの? 」

「待て待て。ここは慎重に行かないとな」


 メガロマニアがメニューとにらめっこする横で、ハイドラは魚のように口を開けて先生のアイスをねだった。


「それで、首尾はどうじゃった? 」

 先生がハイドラの口にアイスを入れながら尋ねた。


「情報通りだったわよ。新カードは『再生』で、これを含めた全ての紙牌が再来週から公開される」

「保管は例の地下かな? 」

 ジャボが早速来たアイスティーに口をつけながら言った。


「恐らくそうじゃろう。たった一つのエレベーターで繋がった地下三階の大金庫室。一日のカジノの売り上げを収める為に使われているが、先ずはこのエレベーターに乗る方法を考える必要があるな」


「ここが第一の関門なのよね。バックヤードには常時沢山の従業員がいるからね。彼らの目を盗んでいかにしてそこまでたどり着くか。さあさあ、遠慮せずに知恵を出してちょうだいな」


「まずは手札を数えよう。これで何が出来るか考えるんだ」

 ジャボが手を出すと、ハイドラはポケットから紙牌の束を取り出してその上に乗せた。これこそが世界の悪党たちの切り札だった。


「俺たちが持っている紙牌は『加熱』『光明』『暗転』『電影』『旋回』……おい、どうしたハイドラ? 」

 見るとハイドラが立ち上がり、あらぬ方向を凝視していた。


「何かあったのか? 」

 釣られてジャボも振り返ると、奥のテーブルに三人の男女の影が見えた。


「知り合いか? 」

「ちょっと待ってて」

 そう言ってハイドラはその場を離れると、グラス片手に奥のテーブルへと向かった。


「ここ座っていいかしら? 」

「見て分からんのか? 」

 ウルフパックは両手を広げた。

「女なら足りている。他をあたれよお嬢さん」

 両脇に座っていたチーリンとリサーがわざとらしくウルフパックに抱きついた。


 ハイドラはそれを無視して椅子に座ると足を組みながら言った。

「あんた、さっきホテル・トランスオクシアナのカジノにいたでしょ」

「そうかもな」

「それでずっと私たちをつけてきた」

 ウルフパックは何も答えなかった。


「もしかして警備の人? それともホテル探偵か何かかしら」

 話しながらもハイドラがゆっくりと懐に手を入れると、鏡のようにウルフパックも同じ動作を行った。


「待って。別におかしな真似しようってんじゃないの。あなたが素直に言ってくれたら、私も素直になろうって思っているだけ」

 ウルフパックの手が止まった。


「どうしたの? ホテルに雇われてるんじゃないの? 」

「まあ……そういう契約は結んでいるかもな」


 ハイドラは財布をテーブルの上に放り投げた。

「あの金持ちに返しといて。ちょっと使っちゃったけど、そこは目を瞑ってくれると嬉しいな」


 ウルフパックは財布を手に取ると一通り中身を確認してからそれを放り返した。

「財布は持ってけ」

 ハイドラが不審そうに首を捻ると、サングラスの隙間から見えるウルフパックの目が可笑しそうに笑っていた。


「実は今日で仕事を辞めようと思っている。この後そういうつもりだ。だから今の俺は非常に機嫌がいい。飛びっきりのクソと手が切れるんだ。誰だってこの日ばかりは聖人君子になれるってもんだ」


「私だっていらないわよ。ちょっとばかし嫌味っぽい奴だったからお仕置き代わりに奴の財布で散財してやっただけ。はなから財布は返すつもりだったし、このまま持って行ったらケチなスリと思われるじゃない。そんなの真っ平御免よ。最後の仕事だと思って返しといてよ」


 意外な申し出にウルフパックの表情が再び真剣になった。

「分かったよ」

 ウルフパックが頷くと、女たちが財布に飛びついて奪い合いを始めた。


「名前、尋ねていいかしら? 喋れる方でいいわよ」

 ハイドラは席を立つとふと思いついたように言った。


「ウルフパック」

「それあなた個人の名前? お仲間たちとの名前じゃなくて? 」

「そうだ。俺がウルフパックでこいつらは違う」

「ふふ、変なの。一人なのにウルフパック狼の一団 だなんて」

「そうだな、よく言われる。それでお前の名前はなんというんだ? 人の名前を訊いたんだ。もちろんお前個人の名前も教えてくれるよな」


「ハイドラ」

「親につけてもらった名か? 」

「もちろん違うわよ。だって私泥棒ですもの。そこは用心しとかないとね」


「そうか。それじゃあせいぜい用心するんだな。一本首のハイドラヒドラ さん」


 ハイドラは一度鼻で笑うと振り向いて叫んだ。

「みんな行くわよ! 」

「ちょっと待ってくれよ。まだ注文すらしてないのに」

 メガロマニアがメニューを振りながらボヤいた。

「帰りにヤシの実拾ってあげるからそれで我慢しなさい! 」

 メガロマニアの文句もハイドラの耳には入らなかった。

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