第5話 ウルフパックの退職 「チーリンね、やだ!」

「かくして財布が一つここに残ったのであります」

 リサーが仰々しく言った。


「小銭が少々お札はゼロ枚、しかしクレジットカードは全てブラックカードなのです」

 チーリンが続いた。


「持ち主に返すぞ」

「えー! 」

 女たちが表情を曇らせた。


「奴の言う通りだ。これに手をつけちまったら、俺たちはケチな泥棒に成り下がる。ほら、二人とも良い子だから言うことをきけ」


「チーリンね、やだ! 」

 ウルフパックは財布にかじりついたチーリンを無理やり引っぺがすと、それを内ポケットにしまった。


「俺が返してくるからお前たちは山猫とシパシクルを呼んでくれ」

「どうするの? 」

 リサーが尋ねた。

「これからのことについて話し合いたい」

 コクリと頷く二人を尻目に、ウルフパックはホテルへと戻っていった。


 ◇ ◇ ◇


 財布の持ち主の部屋は直ぐに分かった。クレジットカードの裏面には名前が書いてあったし、そもそもカジノのディーラーたちの間では鼻持ちならぬ客として有名だったからだ。


 部屋の戸をノックすると、先ず始めに女がドアの前に立った。

「なんかホテルの人がターさんに用があるって! 」

 女は濡れた髪をタオルで拭きながら叫んだ。

「今ちょっと手が離せないから代わりに聞いといてくれ」

 奥から男の声が聞こえた。

「財布がどうたら言ってるわよ」

「財布? 財布がどうしたって? 」

「本人に渡したいって」

「何をだい? 」

「だから財布をよ」

「財布なら上着の中に入ってるだろ」

「こっちにあるわよ」

「そんな訳ない。財布はいつも上着の内ポケットに入れてあるんだ」

「でもこっちにあるわよ。見たことあるターさんの財布よ」

「そうか。どこかで落としたのかな? 」

「どこで落としたの? 」

「もう結構だ」

 ウルフパックは女に財布を押し付けると、本当にウンザリしたようにその場を後にした。


 そういう訳でしばらくしてターさんと呼ばれていた男が追いかけてきて、彼を呼び止めようと叫んでいたが、最初はそれを無視した。


「君、ちょっと待ちたまえ! 」

 男が諦めないので仕方なく足を止めると、彼の前に数枚の紙幣が差し出された。

「なんだこれは? 」

 ウルフパックは顔を顰めた。


「チップを知らんのかね? お駄賃だ」

「チップは知っている。だがそんなもの俺には必要ない」


「なんとまあ、君は見上げた奴だね。本物のプロだよ。世の中には大したことしてないのにしつこくチップを要求する輩がいる一方で、君は僕のためにこんなにも働いてくれたというのに頑として受け取らない。いやいや、自分を安く見積もっちゃダメだよ。君はこれを受け取る権利があるんだ。遠慮なんかいらんよ」


 次の瞬間、男の口を大きな手のひらが包んだ。ウルフパックの手だった。彼はそのまま男を壁に叩きつけると、両目を覗き込むようにして言った。


「なめてんのか? 俺を使いっ走りの小僧扱いするんじゃねえ。俺は金が欲しいと思ったらこの手で盗み取る。掠め取る。奪い取る。俺の名はウルフパック。盗賊だったしこれからだってそうだ。分かったか? 」

「分かった……覚えておく」

 男が震えながら答えると、ウルフパックは懐からカードを一枚取り出した。


「いや、忘れていい。『忘我』の実装」

 そしてカードで男の鼻の頭を撫でると、ちょうど来たエレベーターの中に消えた。


 後に残された男の表情が、ポカンと間の抜けたものになるまでそう時間はかからなかった。


 ◇ ◇ ◇


 上昇するエレベーターの中で、全てを総括するようにウルフパックはボヤいた。


「最後まであんな連中の相手をさせられるなんてな。つくづくこのホテルとは相性が悪いぜ。それもこれも安定なんて野蛮なものを求めちまった結果だ。てめえの心を殺しルールと制服で雁字搦めにして、闘争するのを恐れた罰なんだ。あらゆるものに反逆する。それこそが唯一無二のこの胸のむかつきの処方箋なんだ」


 チン、とチャイムが鳴りエレベーターの扉が開くと、そこは最上階だった。

 秘書の女が立ち上がるも手で制し、

「直ぐに終わる」

 とだけ言うと社長室に入った。


「カンビュセス、話がある」

「カンビュセス? おいおいウルフパック、いつから礼儀を忘れた。ボスと呼べボスと。お前に賃金を払っているのは誰でもないこの私なんだぞ」

 カンビュセスがデスクの向こうで眉を顰めた。


「もうお前は俺のボスじゃない」

「なんだって? 」

「お、一本貰うぞ」

 ウルフパックは勝手にシガーボックスを開けると、葉巻を一本口に咥えた。


「辞めるって言ってるんだよ。俺と俺の部下全員がな。飽き飽きしたんだ。お前に指図されることにな」

「金か? 給料を増やして欲しいのか? 」

「そういう交渉は決断する前に言って欲しかったな。でももう全てが遅い。『予見』で俺の先々を見てみろよ。決してお前に頭をさげる未来は見えないはずだぜ」


 ウルフパックは葉巻の端を噛み切り吐き飛ばすと、慌てて手で顔を庇うカンビュセスを可笑しそうに眺めながら葉巻に火をつけた。


「そりゃ困るぞウルフパック。土地のマフィアも使ってみたが、お前たちほど器用には動いてくれないんだ。金なら払う。幾ら欲しいか言ってみろ。マシュマロだって食べ放題だぞ! 」


「馬鹿、いらねえよ」

「今直ぐにでもやってもらいたいことが幾つかあるんだ。なあ、辞めるなんて言わんでくれよ」


「部下ならたくさんいるだろ。こんな巨大ホテルを運営してるんだ。人材不足ってことはないはずだ」

「だが彼らでは表の仕事は出来ても裏の仕事は出来まい。度胸とか肝っ玉とかそんなのとは無縁の世界で生きてるからな」


「あの春秋堂の社員のふりをした奴はどうだ? 見たことない顔だが随分堂々と演じきったじゃないか」

「そりゃ役者だからな。役を演じるのは慣れてるはずだ。で、次は強面の役をオファーするのか? おいおいウルフパック、あんまり私を困らせないでくれ。一体何が不満なんだよ」


「全てさ。誰かに仕えること、いやそれどころか誰かに頭を下げている俺の姿を見ること自体、俺には我慢がならないんだ。月々の給料とか福利厚生とか、そういうものに絡みとられて危うく自分が何者か忘れるところだった。だがそれも今日でお終いさ。お前には借りはないはずで、給料以上の働きはしてみせたし『再生』だって手に入れてやった。こっちこそ訊きたいね。一体何が不満なんだってさ」


「お前が私を裏切ることが不満だ。私の手の中から逃げてしまうことが許せんのだ。お前は私を助ける義務があるんだ! 」


「所有欲の強い奴だな。俺はカードじゃない。大きすぎてお前のポケットには収まりきれんよ。さて、言いたいことは言ったしそろそろお暇するとしようか。スケジュールが押して秘書が困ってるじゃないか。どれどれ、スケジュール表を見せて見ろよ」


 ウルフパックは困惑気味の秘書の手から手帳を奪った。

「この後の予定は……地元の政治家と三階レストラン『饗宴』にて会食、今月の定例会議と続いて売上金を大金庫に収める午後十時の臨検まで休みなしじゃないか。ハハ、このまま働きづめだとお前さん死んじまうぜ。最後の臨検くらい人に任せろよ」


「そうはいかん。他は任せられてもそればかりは私がやる必要がある」

「人の忠告は素直に聞くべきだぞ。でないと金庫室の中で心臓発作を起こしてポックリいく日も近いぜ」

 ウルフパックは可笑しそうに笑い、カンビュセスは不愉快そうに顔を顰めた。

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