第7話 「信じられない。なんてずさんな警備なの!」

 ハイドラたちはこの地に来て以来ずっとホテル・トランスオクシアナを定宿にしていた。


 自分たちが盗みに入る先に部屋を取るというのは一見無謀とも思えたが、彼女に言わせれば三千室もあるホテルでそのようなことを気にするのは自意識過剰らしい。


「堂々と胸を張ってりゃ大概のことはなんとかなるもんよ」

 それがハイドラの口癖だった。


「ビクビクするから逆に怪しまれるの。自分はこそ泥なんかじゃない。もっと偉大な大盗賊だと思えば、ほら、ホテルの警備員風情なんてどうってことないわよ」


「まさか金庫室への道程もそのやり方で突破するつもりじゃないだろうな」

 メガロマニアがルームサービスのメニューを読みながら言った。

「決まった? 」

「まだ」


 朝七時、三人はハイドラの部屋に集まって朝食がてら会議をしようとしていた。


 ハイドラの部屋は他の三人よりも少しばかり豪華で、寝室の他に広い居間が付いていて中央の丸いダイニングテーブルには椅子が五脚ほど備え付けられていた。


「とにかくそういう精神でことに臨みましょうってことよ。変に回り道しても面倒臭くなるだけ。シンプルに中央突破が一番いいわ」


「じゃあ『幻惑』で化けるか? 」

 ジャボが受話器を取りながら言った。

「ジャボの旦那、まさか注文する気じゃないだろうな? 」

「ああ、注文するよ。お前を待ってたんじゃ朝飯が昼飯になっちまうからな」

「ほら、ジャボが受話器を置く前に食べたいもん選びなさい」

 メガロマニアは慌ててメニューを食い入るように見た。


「化けるとしたら第一候補はやはりカンビュセスじゃろうな。奴なら少々無茶なことをやっても不審に思われまい。元々が無茶な人間じゃからな」

 先生が椅子に腰を下ろして言った。


「じゃあそれでエレベーターに乗るとして、防犯装置のパスワードは『走査』で事前にカンビュセスの心を読み取っておく必要があるわね」


「そもそもカンビュセスが二人いると困る。実行前には奴を拉致しておく必要があるじゃろうな」


「そこが難問ね。あいつってあんまりこのホテルから外に出ないのよね。よっぽどここが気に入ってるみたいね」


「全てがここで事足りるからな。レストラン、ショッピングモール、病院、娯楽施設にスポーツジム。夜はもちろん最上階の自分専用の部屋に泊まるとくれば、外に出る必要なんてほとんどないじゃろうからな」


「実際この殺人的な直射日光の中じゃ、あまり表を歩く気にはならないからな。観光客もなるべくホテル内で用事を済ませるようだし」

 ジャボが受話器を置きながら言った。


「酷えな、待ってくれてもいいのに」

「追加で頼め。とにかくカンビュセスを浚い、警報装置を外してカードをポケットに入れ、何食わぬ顔でここまで帰ってくる。まとめてみれば案外簡単そうじゃないか」


「ところが一つ問題がある」

 メガロマニがふくれっ面で言った。


「何よ」

「何だと思う? 」

「何焦らしてんのよ。さっさと言いなさいよ」

「……実はな、あのエレベーターの中には『幻惑』が一枚逆さまの状態で、つまり逆位置で収められているらしい。分かるか? 要するにこっちの『幻惑』に対しキャンセルの力が働くという寸法だ」


「あー、考えたわね」

「まあ、冷静に考えてみればそうでなければ身元確認にはならないからな」


「ではこういうのはどうじゃろ。『幻惑』をもう一枚用意して、監視カメラで見ている管制官に幻を見せてやるというのは? 」


「その為にはその時カメラを見るであろう管制官を特定し、更にはその本名を調べる必要があるわね。ああいう仕事をしているんだもの。当然、私たちみたいに偽名を名乗っていると考えるのが普通だからね」


 ハイドラの言葉にジャボも頷いた。

「もしくは誰かが管制室に行って管制官に直に触れ『幻惑』を実装するかだな。後、解けた『幻惑』を掛け直すためにもう一枚『幻惑』が必要だぞ。帰ってきたエレベーターに別人が乗っていたら、それこそアウトだからな」


「おいおい、それだけで三枚も『幻惑』が必要になるじゃん」

「どんどんシンプルじゃなくなって来たわね」


 四人が喧々諤々話し合いを続けていると、しばらくしてドアを叩く音が聞こえた。


 それを合図に皆が一斉に話を止め、一番近いジャボがドアを開けると可愛らしいメイドがワゴンキャリーに朝食を乗せて入ってきた。


「お、来た来た。結構旨そうだな」

「結局なんでもいいんじゃない」

「来ちまったもんにケチつけても空気が悪くなるだけだろ。俺だって朝からお前と喧嘩したくないしな。それに飯と金にうるさい大人にはなるなってのが親父の口癖だったからな」

「食事は文化じゃなかったのかよ」

「いいから食おうぜ」


「これはなんじゃ? 」

 先生がスープを指して訊いた。

「ガボチャのスープです」

 メイドが食事の用意をしながら答えた。

「旨そうじゃな」

「はい、美味しいですよ」


「それで、結局どうすんだよ」

 メガロマニアがパンを千切って尋ねると、皆食事に手をつけながら盛んにこのパズルの解を探し求めた。


「考え方を変えましょ。侵入できないのなら物を外へ運ばせればいいのよ」


「奴らが紙牌を金庫から出す理由を作り出すってことか。なるほど。いい手かもしれんな」


「もう一度記者会見でもさせるか? 俺たちが記者のふりをしてもいいな」

「あのー」

 メイドが何か言いたげにモジモジした。


「すまんが水をもう一杯くれんか? 保険屋に化けるという手もあるぞ。恐らくは紙牌に盗難保険をかけるはずじゃからな」

 メイドは慌てて先生のグラスに水を注いだ。


「そうだ。あの春秋堂の社員に化けて近づくってのはどう? 『再生』のカードに不具合があるから取り替えさせてくれとか言ってさ」


「あのー、皆さんちょっといいですか? 」

「なんだよ。用が済んだらさっさと帰れよ」

 メガロマニアが手で追い払う仕草をすると、メイドがサッと手を伸ばして彼の頬を抓った。


「何すんだよ。メイドの分際で! 」

「御免遊ばせ。ちょっと話をしてもよろしいでしょうか、お客様? 」


「お前、俺にだけはいつも強気だな」

 メガロマニアが頬を膨らませメイドは手を離した。


「どうしたんじゃココ嬢。何か情報かね? 」

「その紙牌のことなんですけど、従業員に聞いた話ではどうやら昨晩何者かに盗まれたらしいですよ」


「確かかね? 」

「確かです。朝からオーナーも機嫌が悪いし、警察の事情聴取も始まっているみたいですからね」


「もう、信じられない。なんてずさんな警備なの! 」

「お前が言うかね」

 ジャボが苦笑いした。


「だってー、普通はもっと厳重だと思うじゃない。こんなことなら早めに決行しておけばよかった」


「どうやって盗まれたかは分かっているのか? 」

 メガロマニアが尋ねた。


「それが皆目見当もつかないみたいよ。とにかく気づいた時にはカードが消えていて、全てのカメラをチェックしたけど怪しい人物は映ってないってさ」


「『幻惑』で従業員に化けたという可能性はないのか? 」

「それはないみたい。あの日、金庫室に降りた全ての人物の照合は済んでるからね」


「なら『電影』を使ったのかもな。あれで監視カメラに空の映像を見せて、その隙に盗んだとか」


「カメラの前に映画みたいに偽の映像を映し出したってこと? それだとエレベーターと金庫前、金庫の中の三つのカメラに対し、都合三枚の『電影』が必要になるわよ。随分大盤振る舞いね」


 ハイドラの言葉にジャボも頷いた。

「そもそもカメラは騙せたとして、どうやってエレベーターを動かしたんだ? 管制官を買収でもしない限りは無理だろ」


「だからそれは『幻惑』でしょ」

「『幻惑』で誑かしても記憶は残るわよ」


「それは……『忘我』で」

「『忘我』で記憶を消したとしても、今度は記憶の空白が残るはずじゃが……」


「そういう不審な出来事もなかったみたいですよ」

 ココがあっけらかんとした顔で言い四人は頭を抱えた。突然の出来事に皆混乱しているようであった。


「あ、それともう一つ。不思議なことに近くにあった現金には全く手がつけられていませんでした。面白いですよね。あそこまで侵入しておきながら、現金には目もくれないなんて」


「本当かよ。ここまで証拠一つ残さず完璧にやるには相当カードを消費したはずだぜ。欲張りなのか遠慮深いのか分からん盗賊だな」


「なんか理由があったんでしょうね」

「どんなだよ」

「例えば……そうね。内部犯の仕業だったら金を運搬すると目立つじゃない? だからカードだけで満足したとか」


「そう言えばオーナーもそれを疑っている感じでしたね」

「よく分かったな」

「あの人顔に出やすいから。ついでに口にも出やすいけどね」


「となると……」

 ハイドラが何かを思いついたようにパソコンの電源を入れた。


「何するんですか? 」

「ビザール・バザールのサイトを見るのよ。春秋堂があの調子だし、事実上紙牌の取引はこの裏オークションでしか行われていない。表のサイトは紛い物ばかりだからね。内部の人間の犯行なら証拠になる紙牌を早めに換金したいと思うのが人の常じゃない? オーナーがその調子なら自分たちが疑われているのは分かっているはずだからね。だから昨晩から今朝にかけて、大量にカードが出品されていればそいつが怪しいってこと。流石に『再生』は出さないでしょうけど、他のカードなら足はつかないからね」


 皆しばらく無言でハイドラの行動が終わるのを待った。

「どうだ? 」

 しばらくしてジャボが代表して尋ねるとハイドラは首を振った。


「特にそれらしき物は出品されてないわね」

「考え方としては間違ってないと思うが、まだ盗まれてから時間が経ってない。流石にそんなに急には出品しないかもな」

「そうかもね。まあしばらくは監視しておきましょう」


「ネット以外でも捌く手はあるぞハイドラ君。至って原始的な方法がな。そちらの方はどうするつもりじゃ? 」

「そうねえ」

 ハイドラはチラリと窓の外を見た。

 今日も暑い日になりそうだった。

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