第二話 頼長煩悶

 左大臣藤原頼長さだいじんふじわらのよりなが。この男は「日本一の大学生だいがくしょう」と自ら名乗って譲らぬ知識人である。しかしそんな彼にはこのところ、眠れぬ夜が続いている。

 彼の住む東三条殿ひがしさんじょうでんでは、春先ごろから毎夜うしの刻になると必ず「ヒョーヒョー」と、鳥のようなか細い、気味の悪い鳴き声がするようになった。

 しんと寝静まった夜の都に響く声に、繊細な頼長はすっかり参っている。


「もしや、ぬえではなかろうな……」

 鵺、とは当時の都人たちが恐れた正体不明の化物である。一説によればその顔は猿、胴は狸で、虎のような手足を持ち、古来からその鳴き声は「凶事の兆しあり」と言われている。

「何としてもその姿を突き止め、退治せねば!」

 自負心の強い頼長は、不退転の決意で鵺退治に臨むこととなったが、とにかく細かく、厳しい仕事ぶりで知られた彼が動き出すこと自体、朝廷の役人にとっては十分「凶事」といってよいだろう。

 

 頼長は左大臣としての多忙な政務の合間を縫って、書物を次々に紐解いては、鵺の正体を突き止めようと躍起になっていた。ただでさえ鵺の鳴き声に悩まされている上、そんな日々が続いたせいで、彼はますます眠ることができなくなった。

 しまいに彼は従者を東三条殿の周りを囲むように配して夜通し見張らせるようなった。上手くいかないと見ればご自慢の兵法知識を駆使し、何刻もかけて配置を考え、真夜中だろうが何度も変えさせた。

 しかし何日経っても鵺を捕まえるどころか、姿を見ることさえできなかった。


 頼長が毎夜鵺に煩悶はんもんするうちに、帝も同じく鵺の声に夜も眠れずお苦しみで、近頃は病にもかかられているという話が内裏から伝わってきた。

「やはり鵺の声は凶兆であったか!」

 早速頼長は、知りうる限りの名僧、高僧を呼び、帝のために加持祈祷をさせた。しかし、そもそも鵺の鳴き声が毎夜聞こえ続ける以上、何らの効き目もなく、帝のご容態は悪化する一方であった。


 頼長は僧たちを呼びつけ、怒鳴りつけた。

「そなたたちがあれだけ祈祷しておきながら、帝がご本復せぬなどありえぬ!これより昼夜を問わず祈祷を行え!そなたらの命と引き換えじゃ!」

 頼長は焦った。彼は養女である多子たしを帝の元へ入内させている。同様の経緯で養女呈子しめこを入内させた兄・忠通ただみちとの激しい争いの末、多子は皇后の座を得た。彼は兄に勝ったのだ。しかし、多子との間に男子を挙げぬうちに帝に崩御ほうぎょされては、その勝利は水の泡となる。


 彼は朝廷の上級貴族による会議、「公卿僉議くぎょうせんぎ」を臨時に開いて、対応を検討することにした。帝のご容態はかなり悪化している。とにかく彼には時間がなかった。

 鵺の正体は何なのか、どうすれば帝をお救いできるのか……。頼長の疲労は、もはや化粧で隠しきれない程になっていた。それでも寝る間を惜しんで調べ続けたが、僉議の前夜ともなるとさすがに疲れたか、ばったりと倒れこんでしまった。しかし、鵺の鳴き声はやまない。

「ええいうるさい!」

 頼長はついに怒り心頭に発し、がらにも無く大きな声を出していた。


 結局、頼長は鵺の正体とその対処法が何なのかわからぬまま、僉議の場を取り仕切らざるを得なくなった。

「帝は夜ごと鵺にお苦しみである。そこで此度臨時の僉議を開き、皆の考えを聞きたいと思う」

 しかしどの公卿も皆、帝を案ずるだけで、策は何も出てこない。無為な時間だけが過ぎていく。所詮彼ら公卿にできることなど、歌を詠むこと、前例通りに儀式を執り行うこと、そして人を蹴落とすことだけなのだ。

 結局、「今後も状況を注視し、各々が所管する役所に対策を命ぜよ」というあいまいな結論を出しただけで、成果なく終了してしまった。

 

 無為に終わった僉議に苛立ちながら、自邸へと引き返そうとする頼長だったが、「左府さふ様……」という声に引き留められた。

 声の主は、このところ鳥羽院の近臣として活躍著しい信西しんざいであった。

「そなた公卿でもないのになぜこの場におる!?」

 頼長の口調は、必要以上に強い。この二人、当初は信西が師として頼長に学問を教授していたが、人に教えを乞うことを良しとしない頼長が早々に師弟関係を解消してしまった経緯もあり、決して仲がよいとは言えなかった。

 

「いえ、不思議なこともあるものだと思いましてな」

 信西は大げさに首をかしげて見せる。

「私、僉議の様子を外でずっと伺っておりましたが、知識では人後に落ちぬ左府さまが、まさかあの『寛治かんじの先例』をご存じないとは……」

 頼長は自分の学識に絶対の自信を持っている。それだけに、自分の知らない物事を話題にされること自体、屈辱的であった。

 「寛治の先例」とは何だ?頼長はそのすぐれた脳を全速で回転させたが、全く思い当たらない。

 頼長は苦悶に満ちた表情で、かつての師に教えを乞うことにした。何しろ帝の命がかかっているのだ。過去の遺恨がどうのなどと言っている場合ではない。

「信西よ教えてくれ!寛治の先例とはどのようなものじゃ!?」

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