第三話 早太困惑

 左大臣頼長は、もはや鵺退治になりふりを構っていられる状態ではなかった。かつての学問の師である信西に頭まで下げて、教えを乞わなければならなかった。

「そもそも此度の鵺退治、高僧、名僧など物の役には立ちませぬ。武士の力をお使いなされ!」

「何、武士……?あのような下賤げせんな者共など……」

「しかし左府様、『寛治の先例』で帝をお救い参らせたのは、その武士でございますぞ!」


 信西が語った先例によれば、寛治年間(1087~1094年)、時の堀河ほりかわ帝も今上きんじょうの帝同様に、夜ごとの得体の知れない鳴き声に苦しんでおられた。

 そこで、鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐん、前陸奥守の源義家みなもとのよしいえをして、弓をはじかせながら「我は前陸奥守、源義家である!」と三度叫ばせたところ、謎の鳴き声は消え去り、堀河帝の病も癒えたという。


「左府様、かつての師として言わせていただきますが、これからは武士の力と正しく向き合わねば、左府様といえど時勢を読み誤りますぞ!」

 頼長は不満げな顔で、ふん……と鼻を鳴らした。彼にとっては武士など、犬畜生のようなものだとしか思えない。しかし先例がある以上、従わねばならない。

 彼は全く得心しないまま、武士を使うことにした。


 早速翌日、頼長は鵺退治を任せる武士の選定に乗りだした。堀河帝の先例もあり、特に源氏の武者から選ぶこととした。

 当初は源義家の直系ということで左衛門大尉さえもんのだいじょう源為義みなもとのためよしが候補に挙がったが、狼藉の振る舞い多く、この前年には恐懼(謹慎)処分を受けていることもあり、見送られた。

 代わって事務方が頼長に推挙してきたのが、為義と別流の摂津源氏の長、五位蔵人ごいのくらんど頼政である。


「それで、源氏から頼政を推挙する理由は?」

 頼長の下問に対して、治部大輔じぶのたゆう源雅頼みなもとのまさよりの回答は頼りなかった。

「いえその……頼政は変化へんげの者の退治に強いと聞いておりますので」

「何か過去にその変化の者とやらを捕えたことがあるのか?」

「いや、特には聞いておりません。聞いてはおりませんが……その……他に適任者もおりませんし。それに武士など皆同じ……」

 雅頼のあいまいな返答に、頼長は持っていた扇を投げつけんばかりの剣幕で怒鳴ったが、しかし雅頼の言う通り、今の源氏においては、頼政より他に人はいないのだ。

 為義は前述の通り謹慎中の身、その長子義朝よしともも弟の義賢よしかたと関東で一触即発の状態であり、とても化物退治どころではない。


 こうして五位蔵人源頼政は、「得体のしれない物に強そうだ」という何ともあやふやな根拠と、河内源氏の不甲斐ない現状のために、都に巣くう化物退治の大将を仰せつかったのである。

 打診を受けた頼政は、配下の猪早太いのはやたに書状を見せつつ、困惑顔だ。

「おい早太、なんでわしが化物退治なんぞせにゃならん……」

「さあ、それがしにはとんと見当がつきませぬ」

 頼政の困惑顔は早太にも伝染してしまった。

「大体そなたが『猪早太』などという、獣じみた名前などしておるから、わしまで化物退治を推し付けられるのじゃ……改名せい!改名を!」

 猪早太は、本名を猪鼻高直いのはなたかなおと称するが、その高直を猪早太と呼びはじめたのは、頼政自身だ。

 早太の困惑は、深まるばかりである。


「此度の化物退治、わしは断る!大体化物相手では恩賞が出んではないか。そうなれば、そなたらには褒美もやれん、それではあまりに哀れじゃからな」

 頼政はさっそく、断りの書状をしたため始めた。無論恩賞が出ないから、などと書くつもりはない。

 建前上の理由ならいくらでもある。そもそも自分は陸奥守義家の子孫ではないのだから、先例にならうならば、あくまで義家の子孫たちから選ぶべきこと。武士は逆賊討伐のために存在しているのであって、たかが化物退治で自分たちを遣わすのは大げさであるから止めるべきだ……など、滔々とうとうと書き連ねた。

 

 翌日、頼政は治部大輔雅頼の元を訪ねた。頼政は前夜必死に書いた書類を雅頼につきつけ、化物退治の辞退を申し入れたのだった。

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