第五話 信西謀略

 五位蔵人頼政が自らを愚弄する朝廷への怒りに燃えていた頃、信西と安芸守清盛は、六波羅にある清盛の邸でひそかに談合していた。

「しかし信西どのの博識にはこの清盛、恐れ入りました……まさか寛治の頃の先例までご存じとは!さすがは……」

「作り話じゃ」

「何と?」

「安芸守よ、作り話じゃ、作り話」

 感心しきりだった清盛に思い切り水をぶっかけるかのような冷たい信西の一言が、その場の空気を凍り付かせた。さしもの清盛も二の句が継げない。


「そもそもたかが獣の一頭が逃げ出したぐらい、本来であればさっさと安芸守が片づけるべきところ!」

「面目次第もござらぬ」

 清盛は信西の話を神妙に聞いている。

「それがよりにもよって、『あれ』があの左府の邸がある東三条殿に逃げ込みおったから話がややこしうなったのじゃ!」

 信西のいう「あれ」、つまりは宋から連れてきた「小狸丸」が六波羅を逃げ出したのが春先。それに相前後して左大臣頼長邸のある東三条殿から「鵺」の鳴き声が聞こえるようになり、帝はその鳴き声にひどく悩まれた挙句、俄にご発病された。


「その鵺が『ヒョー……』と鳥のように鳴くというので、わしは嫌な予感がしたのだ」

「殿に命じられ、私が密かに東三条殿近くへ馳せ忍びましたが……まさにあの声は邸で飼っておりました小狸丸そのものでございました……!」

 平家第一の家人を以て任ずる盛国もりくにも、帝を苦しめる「鵺」の鳴き声が、ついこの間まで六波羅の邸にいた小狸丸の声だと気づいたときは、さすがに肝を冷やしたようである。

 盛国は当初気づかれぬように東三条殿へ配下の家人を忍び込ませ、小狸丸を連れ帰ろうとしたが、そもそも頼長の邸のある東三条殿に平家の武士が忍びこむことなど不可能に近い。

 そこで盛国が清盛に事の次第を報告し、対処に困った清盛が信西に相談したのだった。


「もし鵺の鳴き声がそなたらの邸から逃げ出した獣のものだと帝や左府らに露見したら、そなたは今頃大罪人ぞ!?」

 清盛がどう弁解しようと、結果として帝は、平家が逃がした「鵺」の鳴き声のために病となられた。このことは揺るぎようもない事実だ。

 この事件に対する処分は、朝廷、つまりは実質的に左大臣頼長が決することになる。元々武士をさげすんでいる彼のこと、清盛は帝を呪詛じゅそしたとがで、解官げかん流罪るざいも覚悟しなければならない。そうなれば父忠盛がここまで築いた一門の繁栄は、全てが無に帰する。


「それをわしが作り話までして、左府めをだまし、退治も源氏の武者ばらに押し付けてやったのじゃ」

 信西はさも骨を折ってやった、というような顔で清盛らに語っている。

 確かに、頼長ら摂関家は源氏との繋がりが強く、平氏をどちらかといえば疎んじている。いくら勅命による鵺退治とはいえ、自らの邸がある東三条殿に平氏の武士が入りこむのは、頼長にすればいい気持ちではない。

 そこで信西はありもしない前例をでっち上げ、「鵺」退治を源氏の武者にさせるという手を思いついたのである。


「此度は信西どのにはいらぬご苦労をさせてしまい、棟梁として詫びを申す」

 清盛は信西に対してはどうしても頭が上がらない。武士の力を認めない頼長がこのままのさばっていては、平氏のこれ以上の台頭は望めない。父忠盛の夢であった公卿の座など、夢の夢だ。

 そんな厄介な存在に唯一対抗できるのは、今のところ信西だけなのだ。清盛は、頼長という男がこの世にいる限り、彼を頼って生きていなければならないのである。


「ま、よい。安芸守はこの国にとって『使える』男故、守らねばならぬと思うたまでのこと、別に此度のことで礼など必要ないぞ。ハハハ……」

 「この国にとって」などではなく、「自分自身にとって」だろう、と清盛は心の中で舌を出しながら、垂れていた頭を上げた。清盛の中で、本当に厄介なのは頼長よりも、この信西なのではないかという疑念が、このところ頭を離れない。

 結局信西は、自らの三男である藤原是憲ふじわらのこれのりに、平家の娘をめとらせることを約束させ、上機嫌で帰っていった。


「全く、左府といい、信西といい、頭の良い男というのはどうしてこうも皆不遜ふそんなのかのう……」

 清盛は盛国に聞かせるでもなく一人呟いたが、盛国には聞かれていたようだ。

「おそれながら、殿も先年、神輿しんよに矢を射かけられるなど、なかなかに不遜なお方とお見受けしますが……」

「また昔のことを……。それではわしも賢い男の仲間入りではないか……ご免蒙りたいわ」

 清盛は軽口を叩きながら、どこから出してきたのか、酒を一口あおって、盛国に差し出した。

「そちも飲め飲め!平家安泰の祝い酒じゃ!」

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