源平鵺騒動

虎尾伴内

第一話 清盛相続

 仁平三(1153)年、長きにわたり平家を率いてきた、刑部卿平忠盛が死んだ。享年五十八。


 既に父と入れ替わるように政治の表舞台に立ち始めていた清盛は、これより名実ともに平家の棟梁として、大きく飛躍していくことになるが、当時の彼はまだ正四位下安芸守であり、一介の殿上人に過ぎない。

 しかし、相次ぐ内紛で精彩を欠く源氏に対して、平氏の中でも忠盛、清盛らの伊勢平氏は、強い経済力を背景に白河、鳥羽の両院に巧みに取り入り、朝廷でも急速に発言力を増しつつあった。

 彼らの力の源泉は、何といっても忠盛が若い頃から推し進めた日宋貿易である。彼は主な西国の国司を歴任し、家人を増やして勢力を蓄え、貿易の規模を拡大させていった。

 清盛の任国が肥後守、次いで安芸守と、いずれも西国であったことからも、忠盛の勢力拡大の方針が一貫していることがわかる。


 宋との貿易では、多くの品が平家のものへ運び込まれた。陶磁器や、織物、書物……珍品、名品とみれば、忠盛は即座にこれを白河院、後に鳥羽院に寄進した。それこそ寄進しすぎるほど、した。

「おい盛国、何かほかに院に寄進できる逸品はないのか?」

「恐れながら殿、もはや既に種は尽きつつあり……」

 清盛は棟梁代替わりの挨拶として、院に寄進する逸品を探していた。日宋貿易の拠点である九州から六波羅には、宋からの品々がこれでもかと送られてくる。しかしどれもこれも、清盛に言わせれば「決め手に欠け」ており「面白くない」。


 そんな中、盛国と品定めをしていた清盛の目に留まったのは、籠に入れられた不思議な獣であった。

「何じゃ、これは?」

 その生き物はまるで狸のような体に、蛇のような長い尾、愛らしい眼とは不釣り合いな、まるで虎のような鋭い爪をしていた。そして何より不思議なのは、猿のように二本足ですっくと立ちあがっているその姿であった。

「何なのじゃ、この生き物は?」

 清盛は思わず二度も盛国に問うた。

「私も初めて見たのですが、宋の者によれば、『しゃおしゅんまお』とか申す獣でして……」

「何?しゃお……?」

「小さな熊の猫と書いて『小熊猫しゃおしゅんまお』にございます。少し前に宋から連れてきたのですが、扱いに困っておりまして……」


 「小熊猫」とは、今でいうレッサーパンダである。この当時は宋国の山間地帯あたりに生息しており、不思議な珍獣ということで日本まで連れてきたものである。しかし、珍しすぎて世話の仕方がよく分からず、盛国ら家人には持てあまし気味の様子であった。

「ほう……面白い!これなら院もご覧になられたことはなかろう」

「え?もしやこれを院の寄進品になさるおつもりで?」

「いかんか?以前親父殿が院に鸚鵡おうむを差し上げたことがあったろう。それと同じじゃ」

 久安三(1147)年ころ、清盛の父忠盛が、鳥羽院に鸚鵡を贈ったことがある。大変珍しい贈り物を、院ははじめたいそう喜んだが、徐々にあの「鸚鵡返し」が煩わしくなったらしく、ほどなく前関白藤原忠実さきのかんぱくふじわらのただざねに下げ渡し、その後忠実の子、左大臣頼長さだいじんよりながが引き取って育てたとも言われる。


 籠に入れられた小熊猫は、清盛に向かって声を上げて鳴いた。

「まるで鳥のような鳴き声じゃな……」

 清盛が立ち去ろうとすると、まるで彼と盛国を見送るかのように、すっくと小熊猫が立ちあがって、「ヒョー……」と再び鳴いた。


 ところが、よほど世話の仕方が気に食わなかったのであろうか、ご丁寧に「小狸丸こだぬきまる」と名前まで付けられた小熊猫は、院へ寄進される寸前になって、突如六波羅の清盛邸から逃げ出してしまった。

 せっかくの寄進の品を失った清盛はたいそう怒り、世話をしていた女房を呼んで怒鳴りつけようとしたが、彼女の顔や手についていた無数の引っ掻き傷を見て哀れになり、怒鳴るどころか「慣れぬことをさせて済まぬ」と労いの言葉までかけて、下がらせたのだった。


 仁平三年の春先、忠盛逝去の悲しみもまだ深い中での出来事であった。

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