彼はトラックの運転手

白里りこ

第1話

 きみの仕事は運転手だ、と言われた。


 制服をぱりっと着こなした上官に、無造作に手渡されたキーを使い、一風変わったトラックに乗り込んだ。特殊な形をしているが、運転に支障は無い。

 これからこの運転席で、幾度となく経路を往復することになるのだ。


 トラックの後ろでは、係の者が複数名で、積み込み作業をしているらしい。何百もの荷があるのだから、上を下への大騒ぎだ。

 耳障りな、と彼は思い、聞こえないふりを決め込んだ。


 荷台のドアが閉められたら、出立である。これからが初仕事だ。


 エンジンを吹かした。


 相変わらず後ろが騒がしかったが、エンジン音がそれらを少し上回っている。


 ブオンブオンブオンブオン。


 これが特別製のトラックの音かと、彼はぼんやり思ったが、さしたる感慨は無かった。

 

 そうっと、アクセルを踏む。重い車体がぐうんと動き出す。


 あとは、走るだけ。ただそれだけ。


 焦るなよ、との指示だった。上官にしつこく注意されていた。

 焦ったら積荷のためにならない。必ず時間をかけて慎重に走れ、と。


 まだ、どこか遠くの方で、大騒ぎするような声が聞こえた。しかし運転手の彼には、関係のないことだ。しがない運び手には。

 自分は指示された通りの場所に向かうだけだ。

 前だけを見て。


 騒ぎ声は、だんだんと小さくなっていく。

 関係のないことだ。

 彼は自分に言い聞かせる。


 町を抜けて、森の中に敷かれた道路を、ゆっくりと進んだ。

 あともう少し。もう少しだけ走らせれば済む。


 目的地であるヘウムノに到着すると、そこには荷物の積み下ろし係が待ち構えていた。


 エンジンを切った。

 辺りはしんと静まりかえっている。

 それはどこか慄然とするような静謐さだった。彼はとっくに思考を放棄していた。


 荷台のドアが開き、積荷が一気にどさっと落下する音が聞こえた。


 彼は一度も後ろを振り返ろうとはしなかった。

 一度たりとも。


 ◆◆◆


 1942年1月、ヴァンゼー会議で、ユダヤ人を絶滅させるという方針が確定した。

 ドイツ国家社会主義労働者党、通称ナチスの、最大の罪悪のひとつである。


 これ以降、ユダヤ人を可能な限り速く大量に殺害することが求められ始めた。その手段の研究開発は、各地で加速していった。


 中でもヘウムノ絶滅収容所は、小規模ながら能率の良い殺害方法をとった。


 細工を施したトラックを用いるもので、エンジンから排気ガスを荷台へ送り込み、一酸化炭素中毒によって〈積載物〉を大量死させる手法である。


 これによって〈作業〉は大幅に効率化された。ガス・トラックでの移送中に虐殺し、到着地では遺体を焼却するだけで済むようになったのだ。

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彼はトラックの運転手 白里りこ @Tomaten

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