第6話 叔母さんからお金を借りる方法

「また来た」って顔に書いてある。

 2週間も経っていないから、感動の再会にならないのは当然だけど、それにしたって…ってくらい迷惑そうな顔で、叔母さんは私をちらりと見た。

「やっぱり、看病は身内が良いかな〜って思って」

 そう言った笑顔がひきつる。

「要らない」

 身も蓋も無い返事を返され、そっぽを向かれた。

「それにほら、叔母さんのそばで書き進めたいと思って…」

 道中考えて来た、戻って来た理由一と二を既に使った。

「それにさ、家の方も放置はよく無いんじゃ無い?たまには人が入らないと痛むって言うし。身内の方が良いでしょ?」

 遠慮がちに聞いてみる。叔母さんに可愛い姪っ子攻撃は通用しないし。

「あんたを知らない」

 叔母さんはそう言った。そりゃそうだよね、つい先日初めて会ったんだし、私の存在も知らなかったんだし。

「あら〜戻って来てくれたの?香夜ちゃん」

 対照的に親しげに名前を呼びながらヘルパーの川崎さんが部屋に入って来た。人懐っこい人だ。

「良かったわね〜泉さん。昨日ちょっと発作起こしてね、大変だったの。やっぱり身内がいてくれた方が安心よね。替えのパジャマとか、家から持って来て貰ったら?」

 楽しそうに話しながら持って来た洗濯物を手早く片付けて行く。ヘルパーとしても有能なんだろうけど、この強靭な精神は彼女の最強の武器かもしれない。

「行ってくる?それともまた叔母さんの本読もうか?」

 どちらもご免と言う顔をされた。

「おとなしく自分のを書いてなさいよ」

 そう言ってそっぽを向いた。

 川崎さんと2人肩をすくめ、ベットの脇の椅子を壁に移動し、そこに膝を抱えるようにして座ってノーパソを取り出した。

「叔母さん、ハッピーエンドとバッドエンドってどっちが難しい?」

 そう聞くと、

「だまれ!」

 と言いたげに睨まれた。

「悲恋物はやっぱりハードル高いかな…」

「物語のラストなんて、どんどん変わるのよ」

 叔母さんは呆れたように言った。

「登場人物が勝手に動いて行くんだから」

 あ…やっぱり?私も時々そう思った。叔母さんもそうなんだ…

「やっぱり、叔母さんの側で書くの正解♪」

 そう言うと、やっぱり迷惑そうな顔をした。


 四角く切り取られた少年の姿は、幻影だ。過去の姿。そこにいたのは、大人になったその少年。ヒロインは、彼の少年時代も大人時代も知っているんだ…情景が浮かぶ。物語が動き出した。邪魔したくなくて、動き出した彼らに任せて、それを文字で追って行く。

 叔母さんは窓の外を見つめたまま、私がノーパソに打ち込む音に耳を傾けている。

 数日前に別れたのに、なんだかやつれたみたい。もっと色々話したいのに、もどかしい。

 虚しい音を響かせながら、時間だけが過ぎて行く。何文字書き進んだかな…?打つ手を止めた私を、物語の登場人物たちが、不意を突かれて振り返り困惑した目で見上げている気分。

 ふと目を上げると、叔母さんがそんな私を見ていた。睨んでいるわけじゃ無いけど、勿論愛おしげでも無い。感情が読めない目で。

 いつも憎しみのこもった目だったから、これはこれで面食らう。

「あ。ごめんね。叔母さん。何か手伝うことある?」

 私が言うと、まるで目の前の絵が動き出したのを目撃したかのように動転して、慌てて目を逸らした。

 それから大きくため息をつき、ベット脇のキャビネットをゴソゴソいじってから、私に右手を差し出した。

「?」

 何だか分からず両手でそれを受ける。まさか子供じみたイタズラはしないだろうと思うけど、冷やっとした感触に一瞬ビクッとなった。

「あ。鍵…?」

 銀色に光る鍵。良くある形の。キーホルダーも何も付いていない。

 暫し眺め、叔母さんに目を向けると、顔を背けたまま、

「必要な書類が家に届いている筈だから、ダイレクトメール以外の郵便物を持って来て」

「え…?」

「そのために来たんでしょ」

 苛だたしそうな声を出したけど、そんなにイラついていないことが分かる。

 私の頬が綻ぶのも。

「うん。頑張る!」

「何を頑張るのよ…」

 とブツブツ言いながら

「届けるのは明日で良い。私の部屋には入らないで、2階とリビングを使って良い」

 私を見ないでぶっきらぼうに言う。

「それって…」

 泊まって良いってことだよね…わぉ、コレは大進歩だ。

 私はこの時点で 、大事な目的を忘れて単純に喜んでいたんだな。


 乗り馴れたバスで最寄りまで移動して、まず佐田さんに声をかけると

「香夜ちゃん!お帰りなさい〜」

 と、おばさん。実の叔母より親戚のおばちゃんみたいだ。

「ちょっとお手伝いに戻って来ました。今回は、家の鍵、貸して貰えました!色々ありがとうございます。また宜しくお願いします」

 そう言ってお土産のお菓子を差し出す。

「お茶入れるわ。寄って行くでしょ?」

 そう言って、結局叔母さんの家に行くより先に、佐田さんの家に落ち着く。

 ここの家は本当に居心地が良い。帰って来たおじさんも、

「ああ、来てたのか」

 と言う反応。一応、縁もゆかりもない他人ですからね?

 結局早めの夕食までご馳走になって、お暇した。

 玄関を出て、道路を渡った先が叔母さんの家。簡単なブロック塀で囲まれ、簡単な門と庭と言うにはささやかなスペースがあって、3メートルほど先に玄関のドアがある。預かった鍵を差し込むとカチッと音がした。

「お邪魔します」

 一応声を掛け、ドアを開けた。

 どのくらい無人だったんだろう。閉め切った乾いて淀んだ埃っぽい空気。バサバサ…と音を立てて、ドアの郵便受けに差し込まれていた郵便物がこぼれ落ちた。

 佐田さんの家は知らない家なのに懐かしさを感じたけど、ここは…なんだか凄く寂しい。冷たい。家具や小物が少ないと言うだけじゃなくて、愛着が無い。ただ、有るだけ。家族の思い出や、友達との思い出や、自分の思い入れ。そう言うものが皆無。叔母さんの一人の生活を思って、胸がキュッと痛んだ。

 電気はついたし、水道も使える。

 ひとまず窓を開けて空気を入れ替え、簡単に掃除機をかけて埃っぽさを軽減した。

 冷蔵庫の中をチェックしたけど、生物はほとんどない。ダメそうなものはゴミ袋に投げ込んだ。

 パンとかペットボトルとか買って来ておいて良かった。

 リビングのソファーに座り、ノーパソで音楽を流す。勿論oZの。郵便物を仕分ける。一応それが言いつかった仕事だからね。ラックに突っ込まれていた紙袋にまとめて突っ込み、要らない方はゴミ袋に突っ込んで口を閉めた。それですることが無くなった。あまりいじったら怒るだろうなぁ。

 一階はリビングとダイニングキッチンとバストイレと、玄関脇の閉め切った部屋が開けちゃいけない叔母さんの部屋だな。使って良いと言われた2階には二部屋。和室と洋室があって、洋室にはベッドがあった。使っている様子がなく、空気を抜いたままの布団が一式乗っていたので、それを使わせてもらおう。写真も絵もない。クローゼットも空っぽ。和室の方も同じで、押入れに同じような空気を抜いた布団一式と、座布団が入っていた。ここも全く使った様子がない。

 コレは、寂しい。私はoZの曲と一緒だから寂しくないけど、一人でいたら病気になりそうに寂しい。

 だから叔母さんが病気になったとは言わないけど、どうして、こんな生活をしていたんだろう。お金があってもこれじゃぁ…ん…?お金…?

「あ⁉︎」

 思い出した!肝心な事。お金貸してって言うんだった。

 とりあえず、翔也にLINEを入れる。

「無事着いて、今夜は叔母さんの家に泊まります。明日、ゆっくり話すね」

 それから、小太郎に書き足した分を送ろうと、もう一回読み直してみた。どこか懐かしい感じのするヒロインの物語は、始まったばかりだ。ハッピーエンドかバッドエンドかはまだ分からない。幸せになれると良いね…そう思いながら送信した。


 翌朝、郵便物を入れた紙袋に、洗面所に畳んであったパジャマやタオルを突っ込んで病院に向かった。

 そう言えば、初めて会った時に、私に、洗濯物を触らせないで!って言われたっけ。それが家の鍵を預かるまでになった。すごい進歩じゃない?

 今日こそ、お金の話をしないといけない。せっかく少しは信頼して貰えたっぽいのに、がっかりさせてしまうだろうか…どう話したら良いのか…

 一瞬他の方法がないか頭を巡らし、頑張っている翔也たちと、入院中の貴くんを思い浮かべ、頭を横に振った。

「私は、私で頑張る!」

 それで、おばさんに嫌われても仕方がない…そう自分に言い聞かせながら、胸が痛んだ。


「あのね…叔母さん」

 手渡した紙袋の中身を自分の白い掛け布団の上に広げ、1つ1つチェックしていた叔母さんは、黙れ!と言う視線を一瞬だけ寄越し作業に戻ってしまった。

 何でこんな物を…と言う時だけ大袈裟にため息をついてこれ見よがしにゴミ箱に投げ捨てる。

 はいはい、すみません。大事な手紙捨てちゃうよりマシだと思ったんだもん。

 結局3通の封筒と2枚のハガキを残し、叔母さんの掛け布団は身軽になった。

 いっぱいになったゴミ箱と、こぼれたゴミを集めてゴミ袋の口を縛りながら、手紙の中身に目を走らせる叔母さんを盗み見た。まだ、話しかけちゃマズイかな…イヤなことは早く終わらせたいんだけど…

「崎田 小太郎」

 突然叔母さんが小太郎の名前を口にした。

「え⁉︎」

 何で?と思ったら、1通の手紙をひらひらとさせた。

「え?小太郎から?何で?」

 マジで驚いた。何してるんだ?小太郎。叔母さんから手紙を受け取ると、小太郎が勤務する出版社の封筒で、叔母さんの担当らしい人からの紹介で、小太郎からの伝言が挟み込まれていた。

「ウチの作家の卵がお世話になっています。一度ご挨拶とお見舞いに伺わせて頂いて宜しいでしょうか?」

 …といった内容の、あの男から出たとは思えない礼儀正しい文面。

 更に、締め切りが近いので私の進行具合も確認したい…と。見え透いたことを…

「随分面倒見のいい担当ね」

 素人に毛が生えた程度なくせに…と言う、見えない本音が突き刺さる。

「ちょっと事情があって、色々仕事回して貰ってるから…」

 そう言いながら、これはチャンスかも…と思う。

「あのね…仲間が怪我して入院して。皆でその入院費を稼がなくちゃいけなくて…私も、皆も、親を頼れなくて、困っているの…」

 叔母さんの反応はない。怖い…でも言わないと…

「私、親と進路のことで揉めて、高校卒業してすぐに家を出ちゃって。だから、ずっと帰ってなくて、頼れなくて…」

 叔母さんを傷つけたくはない。そう思う事自体がおこがましいかな…?

「叔母さん、お金、貸して貰えないかな?」

 そこまで言って、やっと勇気を出しておばさんを見た。

 いつもの様に不機嫌そうだけど、感情が読めない。

「ちゃんと、作家になって返すから!」

 どうなんだろう…どう感じているんだろう…

 クラクラする。緊張して貧血を起こしそう。頭がぐゎんぐゎんして冷静に考えられない。沈黙の時間がすごく長く感じる。

「はっ」

 叔母さんは突然短く吐き出す様に笑った。

「出てって」

 あぁ…やっぱり傷つけた…?

「他に頼る人がいないの」

「私に頼られる義理がある?」

「親戚だよ…?」

 ダメだ、泣きそうだ。そんなのズルイから、何とか耐えろ!私。

「図々しい…」

「そうだけど、今助けてくれたら、この先ずっと叔母さんの世話をしたって良い。大切な仲間なの。助けたいの」

「私はゴメンだけど?」

「きっと、役に立つ。何でもする…初めて出来た仲間なの。唯一の場所なの。失いたくないの」

「どうでも良い」

「叔母さんは、無いの?大切な人、大切な場所、無いから、分かってくれないの?」

 そう言いながら、ヒカルの姿が浮かんだ。彼を見つめるイズミも…叔母さんにも居たはずだ。大切な人。大事な場所が、あったはずだ。あの物語の中に。

「私の…を助けたいの」

 ズルイかな?ズルイよね…でも、翔也を、oZを失うわけにはいかないの。

 叔母さんは黙って私を睨んでいる。逃げ出したいけど、私は必死で踏ん張った。

 叔母さんは毛嫌いしているけど、叔母さんと父は威圧感が似ている。

 私の進路を勝手に決めようとして居た父の頑固さに似ている。自分が小さくて弱くて情けない存在に思えてきて、動けなくなる。このままじゃ、何も出来ない…と家を飛び出して逃げ出した。叔母さんのこと言えない。私も逃げたんだ。

 あの感覚を、久し振りに味わっている。自業自得だけど…

「あなたのね…」

 鼻で笑ってそう言った叔母さんの目が、笑ってない。

 叔母さんはもう、私を許してくれないかもしれない…そう思った時

「良いわ。私の遺産を相続させても」

 とんでもない言葉を吐いた。

「え?」

「どうせ長くない。他に身寄りもいない。自分が最適だって思っているんでしょ」

 そう思っていた訳じゃ無い。貸して貰えたら…と思っていただけで。作家になって返すし…

「出世払いなんて、踏み倒す時のセリフでしょ」

 それは、そうかも…

が今どこでどうしているか。探して調べて来てちょうだい。そしたら、私の遺産をあなたに相続させるわ」

 叔母さんはそう言って意地悪く笑った。とても、初恋の相手の消息を知りたがっている恋する乙女のする表情じゃ無いよ!

「叔母さんの遺産じゃ無いよ。今お金が必要なの。いつか死んでからのお金なんて…」

 そんな悲しいこと言わないでよ。

 叔母さんは最後まで聞かずにベッド脇のキャビネットを開けると、アンティークな缶を引っ張り出して、カチリと音を立てて開けると、ちらりと私を見上げ、クリップで留めた一万円札を、そのまま私の前に投げて寄越した。

 目の前のベットの掛け布団の上に落ちたお札は、恐らく10枚は有りそう。

「とりあえずの軍資金。狭い街よ。愚鈍なあなたでも、消息くらい探せるでしょ」

 軍資金…やっぱり叔母さんはお金持ちだ。それを拾い上げて叔母さんを見つめる。

「ヒカルは探すわ」

「私が生きている間によ」

 なんて不確かな期限。

「ヒカルは、本名?」

「自分で調べなさい」

 そう言って叔母さんは疲れたように布団に沈み込んだ。疲れたのだ。私が怒らせ、疲れさせた。叔母さんは、本当に具合が良くなさそうだ。

「生きて待っててよ」

 そう言い捨てて、病室を出た。

 叔母さんの初恋の相手を探す…つまり、帰郷しなくてはならない。

 ちょっと考えてうんざりしたけど、仕方がない。軍資金の半分は、とりあえず翔也に渡そう。そしてヒカルを探し当てて、叔母さんから貴君の病院代を借りよう。皆がバンドに集中できるように、私が頑張らないと…

 よし!と気合を入れた。

「香夜ちゃん?」

 廊下の先から歩いてくる川崎さんに

「叔母の用事で、ちょっと帰郷します。すみません、叔母のこと、よろしくお願いします」

 その言って頭を下げたら、驚いた顔をしていた。

 ナースセンターでも、同じように声をかけ、バスに飛び乗った。

「もう行っちゃうの?」

 佐田のおばさんはそう言いながらお菓子を勧めてくる。

「叔母の用事で一旦帰郷するだけなので、すぐ戻って来ます。また留守にしますので、よろしくお願いします」

 そう頭を下げた。

 叔母さんの家に戻り、広げていた自分の荷物をまとめた。きっかり1時間。バスの時間はもう心得ている。

 しっかり戸締りして、また人気のない空間に戻る家を見渡した。叔母さんと、この家に戻って来よう…いつか。

 だから、急ごう。

 帰郷する、勇気を振り絞って歩き出した。

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