元気になるおまじない
朝、ベッドから身体を起こした。
顔を洗って、寝癖を直した。
コーンフレークで朝食を済ませた。
歯を磨いた。
部屋着から最近買ったワンピースに着替えた。
化粧をして、髪をワックスで整えた。
バッグに手帳や教材を詰めた。
玄関にワンピースと一緒に買った靴を出した。
ドアノブに手を掛けた。
「・・・・・・」
部屋に戻ってベッドに腰掛けた。
「・・・・・・」
大粒の涙が目から次々に溢れ出してきた。
『学校には行きたいんでしょ?』
「うん」
『だけど、いざ参ろう! ってなってもそこから先が進めないの?』
「・・・・・・うん」
『これは難しい問題だなぁ』
彼は電話越しにポリポリと頭を掻いた。
こんな症状が出てきたのは夏期休暇が終わって直ぐだった。夏期休暇前はこんなこと無かったのに、自分が面倒くさがっているとしか思えず、ベッドの中で動けずに罪悪感と虚無感に襲われていた。
大学の友達とはうまくやってるし、授業も楽しくて毎日わくわくしていた。それなのにどうして玄関の扉を開けることが出来ないのか、自分でも分からない。
『僕は朝目覚まし鳴って、あと五分、って目ぇ覚ましたら正午過ぎててぬぉーッ!ってなったときあったけど、まあ諦めたよね。インターンシップ中だったから後で先生にすげえ怒られたけど』
「当たり前でしょ。怠けたんだから自業自得よ」
『ごめんごめん。怒らないでよ』
彼は専門学校でパティシエの勉強をしている。たまに写真で送られてくるスイーツは、どれも宝石のようにキラキラとしていてとても綺麗だった。寝坊及びサボりの件はインターンシップ先の店長は笑って許してくれたらしいが、私なら焦って頭が真っ白になってしまうし、どんな顔して会えばいいのかも分からなくなる。彼は楽観的なのだ。
「楽観的だから、私みたいな悩みを持ったことすらないんでしょうね」
『・・・・・・お前なぁ』
ハッと口を押さえたがもう遅い。胸の中で呟いたつもりの言葉は音となって彼に伝わっていた。悩みを聞いてくれている彼に対して失礼極まりない言い草だろう。また目頭が熱くなってきた。
「・・・・・・私も怠けてんのかなぁ」
『・・・・・・』
語尾が震えてしまった。余計に気まずい雰囲気になってしまったかもしれない。マイクをオフにしてティッシュで涙を拭いて洟をかむ。再びマイクをオンにしたとき、黙っていた彼が一言呟いた。
『これから学校に行く?』
「・・・・・・行かないよ、行けないし」
『分かった。それなら大丈夫だね。そこで待ってて』
「え?」
理由を訊こうとしたが、既に電話は切られていた。
電話から一時間が経って私が住むアパートに小さな包み箱を携えた彼が来た。
「それなに?」
「緑茶があるなら教えてやってもいいよ」
「ほうじ茶しかない」
「ん~。日本茶ならいいや」
玄関を開けると肌寒かったので、温かいお茶を出す。お茶に手を着ける前に、彼は箱を開けた。そこにはまるっとした白いフォルムが鎮座していた。
「・・・・・・大福?」
「ただの大福じゃないぞ。幸福大福だ」
「胡散臭い名前だなぁ」
「失礼だな。まあ食べてみなよ」
ふんわりふにふにした大福を手に取る。見た目は何の変哲も無いただの大福だ。
「わ・・・・・・」
一口だ。一口囓っただけで、身体の芯がじわじわと熱くなりその熱は目頭へと移動した。
「千と千尋の神隠しで、千尋がハクのおにぎり食べたみたいになってるよ」
涙を流しながら、大福を食べる自分を客観的に見たら面白いのだろうが、そう考えたとしても涙は止まらなかった。
市販の甘ったるいだけの餡子でもなく、弾力がありすぎて直ぐにちぎれる餅でもない。小豆の素朴な甘さと程よい弾力で伸びのいい柔らかい餅だ。温かく包み込むような、そんな味だ。
「美味しい?」
涙をボタボタと落としながら頷くと、彼は笑った。
「君が元気になる様おまじないをかけて作ったんだ」
ハクの名言を言った彼に今度は私が笑う。
「ね、幸福大福。ネーミングいいでしょ?」
「うん。すごく良い」
翌日、彼のおまじないが効いたのか、私は軽やかに玄関の扉を開けることが出来た。
大きな幸福を彼が運んできたからだ、と確信した。
愛しき他人。 花橋 悠 @h3-K25yk
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