彼から。

「君と付き合ってもう3年目かな」

「何言ってんのよ。プラス1年の4年目よ」

「そうか、もうそんなに君と一緒に居るんだな」

 確かに、中学3年の頃から付き合っているから、もう4年目になる。部屋のカレンダーを見ると、もっと正確には4年と丁度2週間が経っている。時が経つのは速いものだ。

「ね」

 彼女は軽く腕を広げ、僕の顔を上目遣いで見た。ほんのり頬が紅く染まっている。自分の行動が照れくさいのだろう。


 そんなところが可愛い。世界で一番。


 僕は無言で彼女を抱き締めた。彼女も僕の背中に手を回し抱き締める。

 僕よりも頭ひとつ小さい彼女はとても華奢で、抱き締めるとき力加減がたまに分からなくなる。


 毎回ハグをするときは彼女からだ。僕は照れくさくて、相手がそんな気分じゃなかったらどうしようとか、もし自分からやって嫌がられたらどうしようとか、余計なことを考えてしまってどうも自分からハグができない。

 それでもこういうのは男の方から、という概念が頭の中にあって、手を繋ぐときはいつも僕からするようにしている。もちろん、ハグと同様いろんなことを考えてしまうが、手を差し出すと「やった!」と笑顔でそれも嬉しそうに僕の手に重ねて握るのだ。

 それなら、ハグだって彼女からするんだから、僕からしても彼女なら手を繋ぐのと同様笑顔で抱き締めてくれるのではないか、と思うのだが、それが不思議と出来ないのだ。


 腰抜けめ。


 カチコチと掛け時計の音と二人の呼吸だけが部屋に響く。

 とくん、とくん、と彼女の心音が聴こえているようで、温かくてとても落ち着く。


 ***


「はあ!? まだ彼氏とキスしてないの!?」

 友達の手からポロリと食べていた蜜柑が落ちた。

「うん。手を繋いだり、ハグしたりはするんだけどね」

「なんで? なんでキスしてないのよ?」

 私は眉根を寄せることしかできない。私も分からない。

「高校生のときに『大学生になるまで君には手を出さない』って言ってくれているからね」

「でも今大学生じゃん?」

「そうね」

「おかしくない?」

「さあ?」

「さあって、アンタねぇ……」

 呆れたように友達の口から大袈裟な溜め息が洩れた。頭を抱えるジェスチャー付きで。

「アンタはキスしたくないの?」

「そりゃしたいわよ」

 即答した。したいに決まっている。好きな人とだったらしたいに決まっているじゃあないですか。

「だったらすればいいじゃん、アンタから」

「嫌だ」

「なんでよ」

「とにかくよ。キスは別物なのよ」

 彼は、ものすごく奥手なのだ。

 手を繋ぐようになったのも、ハグをするようになったのも、全て私からなのだ。手は彼から繋ぐようになってくれて嬉しいものの、ハグは私からしないと彼はしてくれない。何故かは分からないが。

 しかも、手は繋ぐようになったのは付き合って1年経ってから、そしてハグに至っては去年のことである。

 全て私から行動しているからこそ、キスまで自分からすれば「THE肉食」と思われるに違いないと思っているのだ。そうは思われたくない。

 しかし理由はこれだけではない。「大学生になるまで君には手を出さない」と言った彼だ。ということは、「大学生になれば手を出してくれる」ということになるのだ。だから私は待つ。

「アンタ、すごいわね。アンタの彼氏もだけど。私の彼氏なんて付き合って3日目でキスからベッドインだったわよ? ちょっと彼、過保護すぎるんじゃない?」

 キスからベッドインという友達の発言に驚いたが、それはさておき、

「私は彼のそういうところもひっくるめて愛しいのよ」

「ふん。幸せなれよこのヤロウ」


 ***


 ザーーッ、とか、バタタタッ、とかそんな音が窓の外で溢れている。

「雨、強いね」

「そうだね」

 彼女は僕の肩に頭を乗せ、窓の外を見ている。

 僕はといえば、緊張して手元にあった枕をずっと握り締めている。

 彼女が僕の肩に頭を乗せるのはどのくらい久しぶりだろうか。彼女と少し遠くまでデートに行ったバスの帰りで、寝ている彼女がスコーンと僕の肩に頭を乗せたのが最後だった。

 可愛かった。顔のすぐ横に彼女の頭があるのだ。意外と軽くて、フワフワとした髪が頬に触れてくすぐったかった。僕に全てゆだねているように無防備で、寝ているのを良いことに僕は彼女の頭や頬をでたのだ。

 そうだ。緊張しているのは、あのときのように彼女が寝ている訳ではないからだ。目を覚ましているのだ。起きているのだ。

「あのねー」

「ん、ん?」

「昨日の夜さ、私たちが高校三年生のときを思い出してさ。高校はバラバラだったけど、こうしてあなたの家に来て喋ってさ、お互いの将来を尊重しましょうって言って、大学バラバラになっても会おうね話そうねって言ってたなぁって」

「大学のことは何も話し合わずに一緒の大学に現役合格したからすごいよね」

「学科学部は違うけど、毎日のように会えるのが嬉しくてさぁ。もう何回もあなたの顔見ているのに、飽きないんだよねぇ」

「僕も飽きたことない。見飽きないね」

 僕と違って、君は表情豊かだからね。

「ね」

 スッと肩が軽くなったと思ったら、彼女はまたこの前のように軽く両手を広げた。上目遣い。ほんのり紅い頬。


 うーん。可愛い。


 ぎゅっ、と抱き締める。温かくてやわらかい。

「んふ、強い」

「あ、ごめん」

「いいよ、このままで」

 やっぱり彼女は華奢で、力加減が分からなくなる訳で、それでも彼女はそれでもいいと言う。


 愛しいなぁ。


「……」

「……」


 今、僕は、彼女に何をしているのだろう。


 ***


 今、彼は、私に何をしているのだろう。


 彼と唇が重なっていることに気付いたのは1秒後か、あるいはたっぷり30秒後だろうか。どちらにせよ、彼の唇が離れてから気付いた。

 唇が重なっていた、柔らかな感触がまだ残っている。

 しばし、とろんと見つめあっていた。なにも考えず、なにも思わず。「ほうけていた」という方があっているかもしれない。

「……ッ!」


 キスだ!!キスだこれ!!


 急に顔が熱くなった。顔だけではない、全身が燃えるように熱い。

 彼が、彼からキスをしたのか。私のそういう不満がいつの間にか溜まっていて私から行動してしまったのか。どちらなのか分からなくなりプチパニックに陥った。

 と、彼のとろんとしていた目が徐々に見開き、彼もだこのようにみるみる赤くなっていった。

「あ、え、ご、ごめん!突然、あ、そんなつもりじゃ、ごめん!」

 彼のこのあわてっぷりだと、彼からキスしたのだろう。何故か謝罪の言葉を何回も述べている。彼のその様子を見て私は余裕になり、少し意地悪してみようと思った。

「そんなつもりじゃないってどういう意味?」

「えぇ!? だから、その、決して邪な気持ちがあったわけでき、」

「き?」

 彼の茹で蛸のように赤い顔が更に赤くなった。爆発でもするんじゃないか。

「き、キスをしたわけでは……」

 最後の方は声が小さくなりうつむいて聞き取りづらかったが、大体は聞こえている。ニヤリと端の口角が上がった。

「じゃあ、どんな気があってキスしたの?」

「な、なんで質問攻めするんだよォ…。からかってるだろ…」

「あ、バレた?でも、答えてほしいなぁ」

 彼は更に俯く。鼻先が己の腹に付きそうなほどに。そんな体勢をとってキツくないのだろうか。


 ***


 なんでこんなにも恥ずかしい質問攻めをされなければならないのか。顔から火が出そうだ。

「ね、答えて答えて顔上げてホラホラ」

 彼女は楽しげににんまり笑っている。と思う。俯いているのでどんな表情かは正確には分からないが多分そうだ。言わないと彼女は退かないだろう。

 僕は意を決して、奥歯を噛み締め顔を上げた。

「お?」

「……君がその、愛しくて、その、……ついキスしちゃいましたッ!」

 最後はヤケクソになって叫んだ。ふと、彼女の表情を見る。

「……!」

 茹で蛸だ。まさに茹で蛸のように真っ赤だ。

「……な、何ガン見してんのよ」

 ニヤリと端の口角が上がった。

「いや、可愛いなって思って」


 ぎゅっ。


 いつの間にか彼女は僕の胸に顔を埋めていた。そしてガバリと顔を離し、

「仕返し」

 そして、唇が重なった。


 やっぱり彼女は、


 ***


 愛しいなぁ。

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