愛しき他人。

花橋 悠

ポテチ

 彼女は、少しだけ変わっていた。


 彼女は「音」が好きだった。

 森のざわめく音。川のせせらぎの音。食器を洗う音。洗濯機が回っている音。

 特に彼女が好きだったのは、僕がポテチを食べているときの音だった。

 テレビを見ながらポテチを食べる僕の横にぴったりとくっついて、

「良い音だね」

 と言うのだ。


 そんな彼女に、嫌いな音ができてしまった。


 僕が、トラックに跳ねられた音だ。


 彼女は僕がトラックに跳ねられてしまってから、部屋にひきこもってしまった。

 毛布を頭までかぶり、ずっと耳をふさいでいるのだ。

 嫌いだと認識するからこそ、その音は強く耳に残ってしまう。

 僕は何度も彼女をはげました。


 ほら、川に行こうよ。森が目の前にあるところ。君の好きな音で溢れているだろう。

 あ!食器も洗濯もたまっているじゃないか。洗いなよ。君の好きな音で部屋が満たされるだろう。


 それでも彼女は固く耳を塞いでいるのだ。

 そりゃそうだ。僕は幽霊だ。おばけなのだ。


 僕の声は届かないのだ。


 彼女はこの1ヶ月、ろくに食べていない。

 両親が心配して彼女のアパートへ足を運ぶも、彼女は部屋から出ない。

 両親に合鍵を渡していないからもちろん両親は部屋に入れない。大家さんに頼めばマスターキーで開けられるけど、彼女の心情を察して帰ってしまう。


 彼女はとても痩せてしまった。

 このままだと、死んでしまうんじゃないかと思った。


 幽霊になって、僕にはある特殊な能力が使えることに気づいた。

「心を読む」能力だ。

 正直、こんな能力使えなければいいのにと思った。

 彼女の心を読むたびに、僕は悲しくて辛くて死にそうになるのだ。


 死んでいるけど。


 僕よりも、悲しく辛くて死にそうになるのは彼女の方だ。

 だから、ぐっと涙を堪えようとするけど、出てくるものは仕様がない。

 それから、もうひとつ能力が使えるようになった。

「物に触れる」能力だ。

 大体のものは触れるが、彼女に触れることはできなかった。

 少し、いや、だいぶこの能力を呪った。


 彼女はびっくりするかもしれないが、彼女が寝静まったときに、食器を洗ったり、洗濯機を回したりした。

 夢の中でこの好きな音が聞こえていますように、とお願いした。

 彼女は綺麗に洗われた食器と、綺麗に畳まれた洗濯物を見て首をかしげただけで、騒ぎにしようとはしなかった。


 やっぱり彼女は変わっている。でも、そこが愛しかった。


 そんな生活が3ヶ月経とうとしていた。

 彼女は未だ固く耳を塞いでいる。

 僕は君のすぐ隣にいるのに、君は心の中でまた悲しく辛い思いを吐き出しているのだ。

 健康には悪いが、彼女が大量に買いためてあったお菓子を僕はり気無く、彼女に気づくように床に落とすようになった。

 少しでも口に何かをいれさせようと思ったからだ。

 気づいた彼女は、お菓子を拾い上げてちびちびと食べ始めるのだった。


 ある日、袋の奥にポテチがあるのを見つけた。

 僕はすかさずそれを落とした。

 気づいた。

 彼女はそれを拾い上げた。


「どうして…ッ」


 彼女は悲痛な叫びを上げて膝から崩れ落ちた。

 逆効果だった。

 ポテチは僕の足元に転がっている。

 僕は彼女とポテチを見つめることしかできなかった。

 ごめんね。元気になってほしかったんだ。ごめんね。

 彼女を抱きしめようとしたけど、やっぱり触れることはできなかった。

 つくづく嫌な能力だ。

 はっ、と僕はひらめいた。

 僕は足元のポテチを拾い上げた。

 彼女から見たらポテチが浮いているように見えるがどうでもいい。

 僕は袋を開け、ポテチを口のなかに入れるだけ入れてそれを頬張った。

 残念ながら味はしなかったが、感触はある。

 部屋にバリボリとポテチを食べる音が響いた。

 彼女がゆっくりと顔をあげた。

 浮いているポテチ、こぼれ落ちるポテチの欠片。

 ポカンと口を開け、彼女はそれを、僕を見つめている。


 彼女は僕が見えている。


「……君なの?」

 僕は首を強く縦に振った。その拍子にボタボタとポテチの欠片が落ちる。

 彼女は僕に抱きついた。

 本当に抱きついた。

 僕からは触れることができなかったのにな。と苦笑した。

「もしかしてずっといたの?」

 そうだよ。

「食器も洗濯物もお菓子を落としていたのは君?」

 そうだよ。

「なんでもっと早くに言ってくれないの」

 僕はおばけだから。

 彼女はぎゅうっと力強く抱き締めてきた。


 ああ、温かいなぁ。


「でしょう?これからも温めてあげるからね」

 それは嬉しいなぁ。


 それから、僕たちの奇妙な生活が続いていった。


 めでたしめでたし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る