談話室サロンには、外で見かけなかった面々がそろっていた。

 だが、K-2とE-5はやはりいない。この二ヶ月、何度か接触を試みようとしたが、完璧なまでにすれ違っていた。避けられているが、理由が判別できない。いや、K-2はなんとなくわかるのだが、E-5は見当がつかない。手詰まりだった。


 どうやらN-7とY-2のアジア老人組(これは本人たちの自称だ)が囲碁を指しているようで、集まった他のメンツはそれを観戦しているらしい。唸る声は聞こえるが、こちらはスケートリンクで見かけた方と違い、囃し立てるようなことはなかった。


 そこから離れた位置の、一人がけのソファがふたつ、対面においてある卓が空いていたのでそこに座った。

 給仕のロボットが来て、注文をとっていく。わたしは練乳入りのコーヒーを、オイゲン女史はブランデー入りの紅茶を頼んだ。茶請けに、と出されたビスケットは焼き立てでバターの香りが強い。あたたかいうちに食べてしまおうと、ふたりで食した。おいしい。


「そうだ、君はたしか、連合王国ブリテンの出身だったな。コーデリアと仲がいいようだが、なぜ?彼女はたしか、合衆国アメリカの出身ではなかったか」


 彼女はソーサーとカップを手にしたまま首を傾げた。

 わたしは新たに入れられたデミタスカップのエスプレッソを飲み干し、沈んだ砂糖をつついていた。


「ああ、あなたから見て20年後、連合王国と合衆国は併合するんだ。わたしとコーデリアは同僚になる。サマースキルもそうだ。彼ももとは合衆国出身」

「む、そうか。君とコーデリアは私より40歳年下だったな。忘れていた。そうか、サマースキルもか」


 こうしてレプリカント同士で話すと時々発生するのだが、たまにお互いの認識がずれている。

 生きた年代が違うので仕方のないことだが、同年代の年頃であつまってもジェネレーション・ギャップが激しいのだ。オイゲン女史であれば今向かい合っている彼女より、E-5のマダムの方が共通の時代なぶん話が通じるかもしれない。


「それでいくと、君はよくイサークと仲良くなれたな。わたしもだが、敵対関係にあった国じゃないか」

「わたしは40年後のあなたに語学指導を受けているので……それに、連邦領土での潜入生活が長かったのもあって、敵対心はあまり持ち合わせてない。敵国に悪感情を持ちすぎると任務に支障が出るだろう、その土地にいれば」


 そう、わたしもそれは意外だった。アルベリヒは連邦に悪感情はもっていない。おそろしいことに、悪意はなくても必要であれば一瞬前までの友人を殺せる。スイッチが切りかわるんじゃないかと思うくらい、彼はシビアだった。

 彼女はアルベリヒが諜報員として動いていたのをまず知らなかったらしく、すこし目を開いた。


「間諜だったのか?」

「ああ。長期間潜伏し、諜報任務をこなすことが多かった」

「ほう、たしかに君は容姿が優れているから、女性から情報を抜くのはうまかっただろうな」


 否定も肯定もしない。というか、下手するとセクシャル・ハラスメントだ。まあアルベリヒの容姿だし、半分は事実なので、悪い気はしないが。

 口元だけで笑みをつくり、運ばれてきた三杯目のコーヒーですぐに隠した。


「あなたも、連邦の所属なら連合王国や合衆国に隔意はあるだろう」

「私か?祖国ドイツのためであれば敵対でもなんでもするが、連邦ロシアに忠誠を誓ったわけではなかったし」

だな」

「本国が戦場になるまえに決着するだろうと思っていたんだ。ひどい話だが、前線がどんなに劣悪な戦場でも、そこに人が生きていたことなんて全く考えなかった。心が痛まないでいられる……きっと、無意識のうちに見下していたんだろう」


 穏やかな声音だった。

 予想はできたが、何でもないことのようにサラリと言われたので反応ができなかった。反応しなくて正解だったかもしれない。

 わたしも人のことは言えない。人の命を軽く見ているからだ。人には価値というものがある。命の重さは立場で変わるのだ。


「今はもう関係ないだろう?過程はどうあれ、ヒト同士で戦い合わなくてよくなったというのはいいことだな。代償がいささか大きかったが」

「北半球焦土化……必要な犠牲というには殺しすぎた」

「ああ」


 飲み干したカップをテーブルに置くと、囲碁の勝負がついたらしい。N-7の「負けました」という声が聞こえた。どうやらそのまま検討を始めるらしく、そこからああでもないこうでもないと俄かに騒がしさが増した。

 外で遊んでいた子どもたちも戻ってきたようで、年少者たちが連れ立ってきゃらきゃらと笑い声をあげるのが聞こえた。平和だ。


 廊下に向けていた視線を戻す。


「さて、おかわりはどうする?」

「そうだな……なかなか腹に溜まった」

「君は甘いものを好むのか?」

「いや、そういうわけではないんだが。煮詰まったまずいコーヒーを練乳で割って飲む癖がついていたんだ」


 これはアルベリヒの好みがわからないために、かつて諜報任務で連邦領土を転々と暮らしていたときに良く飲んだ飲み方を真似している。アルベリヒの舌に合わせて色々試してもいいかもしれないが、そこまで勇気を持ち合わせなかった。

 わたし個人の好みでいえば、酸味を抑えたブレンドを、砂糖をスプーン二杯ほど、混ぜずに落としたものが好きだ。それをエスプレッソのように、カップに残った砂糖をすくって食べる。特殊な飲み方なのは理解しているので、人の前でやることはない。


「紅茶は?」

「特権階級の飲み物というイメージだな。上を見たらキリがない飲み物だろう」

「今は完全に嗜好品だからな。なにせ産地がほとんど焼かれた」

「コーヒー農園はそれなりに無事だったからな……ダージリンやヌワラエリアは全滅だろう」

「資源搾取のために戦地にされたらしいな。どうせもう大して残っていなかっただろうに」


 ユーラシア大陸南部、特に赤道帯に近い位置は「血の帯ブラッド・ベルト」と揶揄されたほど、東西に広がったひどい戦地になった。戦場に選ばれた理由は様々あるが、大体は石油やガスなどのエネルギー資源や金属採掘などの利権争いが発端となっていた。


「2100年頃までに取り付くしたんだろう?我々のときはもう、エネルギーといえば核が主流だった」

「私の頃は希少金属レアメタルの採掘が盛んだったな」

「あのあたりで?」

「2000年あたりはバングラデシュやタイのあたりは廃船の解体が盛んだったろう、あのせいだ」


 それは“わたし”の頃の話だな。


第二次ザ・セカンドが終わって半世紀すぎたあたりからじゃなかったか?東南アジアは人的資源にあふれていたから、危険な作業を押し付けやすかったとか、そんなことを言っていたが」

「なんとひどい……誰だそんなことを言ったのは」

「初等教育の教諭」


 初等教育の教諭!?よくもまあ、そのような……いや、確かに貧困層が使われていた。言い方は悪いが、事実であるのは間違いない。

 肩をすくめる。


「歴史の話をするなら、欧州連合EUが連合王国の脱退から瓦解しはじめたあたり……いや、その前だな、ギリシャでの金融破綻。そこから派生したヨーロッパの経済混乱はひどくてね、ドイツはかなり負担がかかった」


 ギリシャの財政危機は2010年から始まって2018年に終息宣言をした。だが、この世界ではEUは支援のための条件に緊縮政策を打診したが当時のギリシャ国民が拒否、そのまま負債は膨れ上がり、金融破綻に至った。

 EU加盟国だったギリシャは単一通貨ユーロを使用していたため、為替に影響を出し、株価やギリシャの国債は暴落した。

 それから連合王国の脱退、ドイツやイタリアの経済負担が上昇、フランスではエネルギーの増税による暴動が頻発。要因は様々だったが、ヨーロッパ各国で経済格差が深刻化していった。

 そこを突く形でロシア、合衆国、中国が経済進出。連合王国は英連邦を持って対抗し、かつての自治領だったアラブ首長国連邦を抱える。カナダは合衆国に併合され、ロシアはかつてのソビエト連邦の所属国と欧州の東側を、中国は南方を。そうして勢力図は四分化された。

 それから半世紀ほどかけて合衆国と連合王国が手を組み、競うようにロシアと中国が合併して連邦と名を改める。


「東西冷戦さえ終わっていればな」

「終わっただろう、表側は」

「ふ、どうせ変わらんのさ、世界は。争いが終わることなんてない。だから私たちがいる」


 そう、変わらない。変わらなかったから、こんなことになったのだ。

 核で汚染されきった、荒廃した大地。撃って、撃たれて、出来上がったこの地獄。


「せめて、わたしたちがいる間は、ヒトが血を流すことがなければいいな」


 

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Hangover from The Last Order すぎざき涼子 @szk-sgzk

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