十二月のおにぎり君
街はすっかりクリスマス一色。
イブの夜、私は一人で駅前の繁華街を歩いていました。サンタのコスプレをしてケーキを売っているお姉さんが明るい声で呼び掛けています。
「クリスマスケーキ、いかがですかあ~」
「ケーキか。ひとりで食べても虚しいだけだからな」
「お一人様専用のケーキもございますよ~」
「更に虚しいだけじゃないか」
「クリスマスケーキ、いかがですかあ~」
これは完全に私の独り言だったのですが、お姉さんの宣伝文句と見事なまでに呼応してしまいました。
寂しい心を抱いたまま私は通りを歩きました。通りはカップルで溢れかえっています。イブの夜に一人で繁華街を歩くなど自殺行為と言ってもよいでしょう。それでも私は歩きたかったのです。もしかしておにぎり君に会えるのではないか、そんな虫の良い希望がまだ私の中に残っていたからでした。
「おや、あれは何だろう」
そこは風の吹き溜まりなのでしょう。街路樹の枯葉やチラシや空き袋などが雑然と重なり合っています。その中に奇妙な物が横たわっていました。黒くて一部白くて三角な何か……ま、まさか、
「おにぎり君っ!」
私は駆け寄りました。おにぎり君の体を覆っているゴミを取り除いて、その姿を見た時、私は息を飲みました。
「ああ、何てことだ……」
おにぎり君の体はもう三角形ではありませんでした。欠けていたのです。何者かによって齧られたようにごっそりと欠けていたのです。よく見ると歯形も付いています。
危惧していたことが本当に起きてしまいました。あのハムちゃんに襲われたに違いありません。命からがら逃げだしたものの、ここまで飛んで来て遂に力尽きたのでしょう。
「しっかりしろ、おにぎり君、傷は浅いぞ」
私はおにぎり君を抱きかかえると通りを走りました。家に帰って早く手当をしなければ、そればかりを考えて走り続けました。
家に帰ると私はテーブルの上におにぎり君を横たえました。
おにぎり君は生きていました。もはや三角形とは言えない痛々しい姿、大きくえぐり取られた白いご飯、その奥に見える赤い丸い物。私ははおにぎり君を見下ろすと、ゆっくりと話し始めました。
「気の毒に。こんな姿になっても息絶えたりはしないんだね。思った通りだよ。その生命力、おにぎりの癖に決して腐らない不老不死の体、驚異的飛行能力、全てが私の予想通りだ」
おにぎり君は眠ってはいませんでした。私の言葉は全て聞こえているようです。
「色々と苦労したんだよ、これでもね。私の狙いがばれてしまっては元も子もないからね」
その時、誰かが部屋のドアをノックしました。「どうぞ」と答えるとドアが開き、モフモフした生き物が入って来ました。その姿を見たおにぎり君の体が震えました。入って来たのはハムちゃんだったのです。
「驚いているようだね。そうだよ。私とハムちゃんは最初からグルだったのさ。君の体を齧るようにハムちゃんをけしかけたのはこの私。君の白飯の硬さは尋常じゃなかった。スイカ割りのこん棒で叩かれても無傷だったんだからね。しかし、有力な情報を手に入れたんだ。伴侶となって心を許した者にだけは、胡桃の殻のような白飯も、落花生の殻程度の硬さにまで軟化するってね。これで計画は一気に進んだよ。ああ、分かっている、ハムちゃん、ちょっと待って」
ハムちゃんがしきりに私をカリカリします。待ち遠しいのでしょう。私はテーブルに置いた紙袋をハムちゃんに差し出しました。
「報酬のアーモンドだ。よく味わって食べるといい……おいおい、ここで食べるのかい。相変わらず食いしん坊だな」
ハムちゃんは紙袋に頭を突っ込んでアーモンドを食べています。おにぎり君は見ていました。聞いていました。しかし動けませんでした。まだ動けるほどには回復していないのです。
「ふふふ、どうして私がこんな事をしたか、知りたいのだろう。いいさ、冥途の土産に教えてやろう。全ては君が飛んでいるのを見た時から始まったのだ。私がわざわざこんな東の果ての国にやって来た理由。それは伝説の梅干しを手に入れるため。今から千年以上昔のこと、時の右大臣菅原道真は讒訴によって大宰府へ左遷された。その時、道真が愛でていた梅の木が、主人を慕って都から大宰府まで空を飛んでやって来た。この飛梅伝説は本当だった。飛梅の木から収穫された梅の実で作られた梅干し、これもまた空を飛び、腐敗を防ぐ特別の能力を有していたのだ。千年の時を経てもこの梅干しはまだ七個残っていると言われている。私はこの梅干しを手に入れるべく、この国にやって来た。そして君と出会った。一目で悟ったよ。君の腹の中にはこの飛梅干しが隠されているに違いないとね。君を騙すために随分苦労した。『五月で最終回を迎えそう』とか『おにぎり君と会うことは二度とないだろう』とか、君が聞いていない独白まで嘘臭い台詞をつぶやいて、自分自身をも騙していたんだからね。人を騙すにはまず自分から。善人ぶるのも苦労したよ。おにぎりちゃんの件もそうさ。いきなりハムちゃんをぶつけたのでは、君も用心すると思ってね。おにぎりちゃんの死によって不幸のどん底に突き落とされた後なら、ハムちゃんの誘惑にも簡単に引っ掛かると踏んだのさ。まんまと計略に嵌ってくれたね、はっはっは」
おにぎり君は震えていました。それは怒りと後悔による震えに違いありません。しかし今となっては全てが手遅れなのです。
「さてと、長話をしているうちに君が回復しては困るからね。そろそろ元気の源、飛梅干しをいただくとするか。うりゃああ!」
私は欠けたおにぎり君の腹から赤い梅干しを引き摺り出しました。
「おおっ! こ、これが……」
素晴らしい梅干しでした。それ自体が生きているかのように脈打ち、淡く赤い光を放ち、清々しい香りを発散させています。
「やっと手に入れた。伝説の飛梅干し。遂に私の物になったのだ!」
私は飛梅干しをパンの間に挟み込みました。途端に私の体は変貌しました。体中に湧き上がる生命力、みなぎる力、私に不可能なことなどあるはずがない、そんな気にさえなります。
「はははは、いいぞ、いいぞ。これだけの力を伴侶探しだけに使っていたとは、君は大馬鹿者だな。これからは私がもっと有意義に使ってやろう、おや、ハムちゃん、息絶えたか」
見ればテーブルの下にはハムちゃんが転がっています。
「ふっ、食い意地が張っているから、アーモンドに青酸ソーダを振りかけられても気付けないんだよ、愚かなハムちゃん。これで私の悪事を知る者は居なくなったわけだ」
私は窓を開けました。今宵はクリスマス・イブ。旅立ちに相応しい夜です。
「飛梅干しを抜かれた君も間もなく息絶えるだろう。あの世でハムちゃんと仲良く暮らすんだな」
私は開いた窓から飛び出そうとして、しかし、もう一度おにぎり君を振り返りました。
「最後にひとつだけ教えておいてやろう。私はサンドウィッチ伯爵。イングランドの貴族だ。飛梅干しの持ち主に相応しい男だろう。ああ、心配しなくてもいい。この家の賃貸契約は今年いっぱいで終了する。年末には清掃業者が来て、ハムスターもおにぎりも綺麗に片付けてくれるはずだ」
私のパンに元から挟まれているチーズとハムは、既に飛梅干しにすっかり馴染んでしまったようです。パンに塗られている不老不死の妙薬マジックマスタードも、飛び梅干しとの相性は抜群のようでした。
「さらばだ、おにぎり君っ!」
私は窓から身を踊らせ空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。この速さならどんな生き物も私を追いかけることは不可能でしょう。
私の家も窓もテーブルの上のおにぎり君も、どんどん遠ざかっていきます。私は叫びました
「おにぎりくーん! 君の負けだあー! それから、念のために言っておくけど、飛梅干しを取り返そうなんて思っても無駄だからねえー!」
私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君も私の家も見えなくなってしまった地上を眺めながら、私はおにぎり君に会う時はもう二度と来ないだろうと感じていました。
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