二月のおにぎり君
寒い朝でした。寒いはずです。雪が降っていたのです。私は早朝の街を歩きながら両手に息を吹きかけました。
雪の少ないこの街に雪が降るのは珍しいことです。珍しいことが起きたのですから、街の人も珍しいことをしたくなったのでしょう。あちこちに雪だるまが作られています。
「雪だるまか。大きさの違う丸い雪玉を二個重ねただけの造形。それがなぜこうも人の心を動かすのか」
早朝から雪を丸めてだるまを作った人々の意欲に感動しながら、私は通りを歩きました。遥か前方にも雪だるまが作られています。
「ほう、あれは大きいな。あんな大きさの物を作るとなると百メートル四方の雪をかき集めたに違いない」
降ったと言っても降雪が珍しい街のこと、積もった雪などたかが知れています。あんなものを作るために百メートル四方に渡って雪玉を転がして駆けずり回るとは……
「えっ?」
歩くにつれてその姿形がはっきりし始めた雪だるまを私は凝視しました。木炭で作った目、人参で作った鼻、木の枝で作った口。そう、そこまではよく見かける有り触れた雪だるまでした。しかし頭の上に乗った帽子、普通ならバケツなどが使われる帽子が、何故か妙に三角なのです。黒く、一部が白い、その三角形の帽子……ま、まさか、
「おにぎり君っ!」
そう、それは先月左義長の神社で別れたまま行方不明になっていた、あの空飛ぶおにぎり君だったのです。
「どうして、こんな所に、しかも雪だるまの帽子なんかになって……」
そこまで言い掛けて私は気が付きました。おにぎり君は伴侶を探している。丸い形の伴侶を。そしてこの雪だるまは丸い……
「まさか君は、注連縄飾りちゃんの次に、この雪だるまちゃんを伴侶にしようとしているのかっ!」
その時、おにぎり君の声が頭の中に聞こえてきました。
『長い旅を続けてようやく伴侶を見付けた。この雪だるまちゃんの雪のように白い肌、雪のように冷たい肌、雪のようにさらさらの肌、全てがサイコー!』
雪だから当たり前だろうとツッコミたくなったのですが、やめました。数時間後、彼に訪れるであろう過酷な運命。それを考えると、そんな冷淡な言葉を吐くことは、とてもじゃないができなかったからです。私は無言でその場を立ち去りました。昼になったらもう一度来てみようと思いながら。
昼になったので雪だるまを発見した場所へ行ってみました。案の定です。雪だるまは昇って来たお日様の光と熱によって跡形もなく溶けてしまっていました。かつて雪だるまがあった場所には、木炭と人参と木の枝とおにぎり君が落ちていました。
なんと言って慰めてやればよいのか私には分かりませんでした。が、取り敢えず声を掛けました。
「ゆ、雪は豊年の
気の利いた言葉が出て来ない私の無粋がこれほど恨めしく思えたことはありません。おにぎり君は力なく横たわっていました。すっかり意気消沈してしまったようです。その無念の想いが私の頭に聞こえてきました。雪だるまちゃんは最後にこう言ったそうです。
「短い間だったけど、おにぎり君と暮らすことができて私は幸せでした。私を溶かしたのは太陽ではなくあなたの温かい心。大地を濡らしているのは悲しみの涙ではなく喜びの涙。こんな私を愛してくれてありがとう」
と。
彼女の最後の言葉は私の胸を打ちました。雪だるま……どんなに丸くても、おにぎり君と添い遂げるのは不可能な存在だったのです。
「おにぎり君、ご愁傷さま。でもね、世の中には丸い物は沢山ある。挫けずに頑張ろう。明日を信じて今日を生きよう、おにぎ……あっ、ど、どこへ」
突然おにぎり君が空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。もはや追いかけるのは不可能な速さです。
遠ざかるおにぎり君に向かって私は叫びました。
「おにぎりくーん! 負けちゃ駄目だあー! それから、念のために言っておくけど、北国の雪だるまなら大丈夫とか、そんなことを考えちゃ駄目だからねえー! いくら北国でも春になったら溶けちゃうんだからねえー!」
私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君の姿が消えた日本晴れの青空を見詰めながら、私はもう一度おにぎり君に会う時がきっと来るに違いないと感じていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます