三月のおにぎり君

 暑さ寒さも彼岸まで。春の彼岸の中日、私は「だちょうランド東国」に来ていました。まだ三月だと言うのに南国の日差しは明るく、吹く風は生温く、暑さ寒さも彼岸までなどという諺が、ここでは白々しく聞こえるほどでした。なにしろ一年中暖かいんですからね。


「さりとてここにも彼岸はあるのか。ふむ、美味そうな牡丹餅だ」


 だちょうランド南国のレストランにはだちょうの刺身やだちょうのステーキと並んで「お彼岸特別メニュー牡丹餅ダブル」なるものが売られていたのです。


「牡丹餅……これも丸い物。おにぎり君と牡丹餅ちゃんならばお似合いではないか」


 ふとそんな考えが浮かんでしまいました。まだ二回しか会ったことのないおにぎり君。その二回もほんの短い時間での邂逅でしかありませんでした。なのに私は丸い物を見るたびにおにぎり君を思い出すようになっていたのです。


「まさか……これは恋?」


 少女漫画のヒロインの台詞を真似ても虚しいだけです。冗談はそれくらいにしておいて、私は何も食べずにレストランを出ました。おにぎり君を思い出しているうちに、胃袋はすっかりおにぎり色に染まってしまい、レストランのメニューには食指がピクリとも動かなくなっていたからです。


 園内をそぞろ歩きする私。やがてだちょう放し飼いコーナーにやって来ました。


「ほっほお~、卵を抱いているだちょうか」


 コーナーの柵に「現在、卵孵化中、要注意」の札が掲げられています。ぼんやりと柵の中を見ていると、一羽だけ座ったままじっと動かないだちょうがいます。


「ふむふむ。恐らくあのだちょうが卵を抱いているのだな」


 私はそのだちょうに注目しました。もし何かの拍子に立ち上がれば、世界最大と言われるだちょうの卵を見られるかもしれないと思ったからです。


「おっ、立った!」


 私のまなこから発せられていた「早く立ち上がれ思念」を敏感に察知したのでしょう。だちょうが立ち上がりました。その下にはとんでもなく大きな卵が転がっています。


「あれがだちょうの卵か。でかいな。実にでかい……あれっ?」


 私は目を凝らしました。卵の他にも何か転がっているのです。黒くて所々白い、三角形の物……ま、まさか、


「おにぎり君っ!」


 そうです。先月、溶けた雪だるまちゃんの水跡に転がっていたあのおにぎり君が、だちょうの卵に寄り添うように転がっていたのです。


「そ、そうか。だちょうの卵も丸い。まさか君は、雪だるまちゃんの次はこのだちょうの卵ちゃんを伴侶にしようとしているのか!」


 その時おにぎり君の声が頭の中に聞こえてきました。


『暖かい南の国でようやく伴侶を見つけた。球体でも楕円体でもない、このいびつな形がサイコー!』


 なるほど、言われてみれば卵の形って不思議ですね。何か理由があるのでしょうか。などと考えているうちに卵に変化が表れ始めました。


「こ、これは、もしや……」


 ピキッ、ピキッ、という何かが割れるような音。卵の表面に亀裂が生じています。

 転がっていたおにぎり君が身を起こしました。卵から距離を取ってじっと観察しています。亀裂は穴となり、嘴が見え始め、穴は広がり、そして、


「う、産まれたあっ!」


 卵の半分は見事なまでに粉々に砕かれ、残った半分の殻を尻にくっ付けてだちょうの雛が誕生しました。でかいです。さすがはだちょう、雛とは思えぬ図体の大きさ。鳴き声を聞き付けて駆け付ける親だちょう。母と子の感動の御対面。そこにおにぎり君の入り込む隙間などありません。


「お、おにぎり君……」


 粉々になった殻の破片と、今は尻から取れた殻の半分を悲しそうに見詰めるおにぎり君。なんと言って慰めてやればよいのか私には分かりませんでした。が、取り敢えず声を掛けました。


「ま、まあ、卵は割れちゃったけど、ほら、半分残ってるし、丸い部分もあるし、半球ハンキューだけでも残ってサンキューとか、はは、あははは」


 くだらない駄洒落しか出て来ない私の無能がこれほど恨めしく思えたことはありません。しかもそんな駄洒落を言っているうちに、残った半分の殻も母だちょうが踏み潰してしまったのです。


 完全に粉々になった卵の殻の前でおにぎり君は力なく立ち尽くしていました。すっかり意気消沈してしまっているようです。その無念の想いが私の頭に聞こえてきました。だちょうの卵ちゃんは最後にこう言ったそうです。


「短い間だったけど、おにぎり君と暮らすことができて私は幸せでした。あなたの親鳥のような温かさに触れて、硬かった私の殻は打ち砕かれたのです。でも産まれた雛のことは忘れてください。卵の殻は雌でも雛は雄なのですから。こんな私を愛してくれてありがとう」


 と。


 彼女の最後の言葉は私の胸を打ちました。だちょうの卵……どんなに丸くても、おにぎり君と添い遂げるのは不可能な存在だったのです。


「おにぎり君、ご愁傷さま。でもね、世の中には丸い物は沢山ある。挫けずに頑張ろう。明日を信じて今日を生きよう、おにぎ……あっ、ど、どこへ」


 突然おにぎり君が空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。もはや追いかけるのは不可能な速さです。


 遠ざかるおにぎり君に向かって私は叫びました。


「おにぎりくーん! 負けちゃ駄目だあー! それから、念のために言っておくけど、世界最大の魚ジンベイザメの卵の方がもっと大きいんじゃないかなあ、なんて考えちゃ駄目だからねえー! あいつら卵胎生で卵を産まない魚だからねえー!」


 私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君の姿が消えた雲量二十%の青空を見詰めながら、私はもう一度おにぎり君に会う時がきっと来るに違いないと感じていました。

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