七月のおにぎり君

 今宵は七夕。雨は降っていませんが星は見えません。夜空一面、雲に覆われているからです。


「天の川は見えないけど、雨が降らなくて一安心だな」


 何が一安心なのかと言うと花火です。今日の私は「七夕花火祭イン西国」の会場に来ていたのです。


 雨が降れば順延ではなく中止になってしまうこの祭。去年も一昨年もその前も中止でした。三年連続で中止に追い込まれていたため、地元民の不平不満は積もりに積もり、今年開催されなければ暴動発生の懸念さえあったのです。しかしどうやら今年は無事開催されそうです。ほっと安堵した私なのでした。


「さて、何をして時間を潰すかな」


 花火の打ち上げ開始時刻までまだ結構な時間があります。祭会場の七夕飾りや豪華な笹竹などはもう見てしまっていました。広場で行われている流しそうめんも食べる気にはなれません。


「ふむ、これで遊んでみるか」


 私が取り出したのは線香花火です。会場の入り口で入場者全員に無料配布されていたものでした。三本貰ったのでそれなりに時間は潰せそうです。


「待てよ、火を点けるものがないな」


 私は煙草を吸いません。ライターなど持ち合わせていないのです。煙草を吸っている見知らぬ人に「火を貸してください」と言って、線香花火を差し出すのもちょっと気が引けます。


「夜店に売ってないかな」


 広場にある夜店通りを私は歩きました。ありました。百均に売っていそうな安っぽいライターです。お値段は三百円。さすが祭の夜店。海の家のヤキソバと同じく特別価格になっています。


「うぐぐ、花火大会で花火を配るなんて妙だと思っていたら、高いライターを買わせるための罠だったのだな」


 と思ってはみたものの、気分は既に線香花火だったので購入してしまいました。完全に主催者の術中に嵌ってしまったようです。


 私は人の少ない場所へ行くと三百円のライターで線香花火に火を点けました。全体が紙でできた「長手」と呼ばれる線香花火です。最初にできる火玉。チリチリと火花が散り、その数も輝きも次第に多く強くなっていきます。地味ながら奥行きのある美しさを、私はうっとりと眺めていました。


「はっ!」


 急に何かの気配を感じました。居る、私の近くに何かが居る。私は顔を上げました。その何かはすぐに分かりました。


「おにぎり君っ!」


 まったく気が付きませんでした。おにぎり君が私の横で、私の手に持った線香花火をじっと眺めていたのです。


「どうして、そんな所に……はっ、そうか。線香花火のこの火玉。別名、牡丹と呼ばれているこの火玉は見事なまでの球体。丸い物を伴侶にしたいというおにぎり君の希望にぴったりの相手。もしや君は黄色い雨傘ちゃんの次は、この線香花火の火玉ちゃんを伴侶にしようとしているのかっ!」


 その時、おにぎり君の声が頭の中に聞こえてきました。


『こんなに心をたぎらせてくれる丸い物は生まれて初めてさ。さあ、その灼熱のマグマで僕のハートを焼き尽しておくれ。真っ赤に燃えた線香花火の火玉ちゃん、もうサイコー!』


 私の手は震えました。おにぎり君は完全に線香花火の火玉に心を奪われているようです。

 しかし私は知っていました。火玉ちゃんの命はそう長くはないと。先程まで松葉のように散っていた火花、それが今はもう風に吹かれる柳のように勢いを弱めています。やがて菊花のような散り際を見せて、火玉ちゃんは地に落ちるでしょう。そうなれば火玉ちゃんはただの燃えカスちゃんとなり絶命するのです。


「なんとしてでも火玉が地に落ちないようにしなくては」


 そう考えれば考えるほど私の手は震えてきます。もう火玉ちゃんからは火花が出なくなっています。少しの揺れでも落ちてしまいそうです。


「はっ、そうだっ!」


 思い出しました。私は線香花火を三本もらっていたのです。すぐにもう一本を取り出して重ね合わせました。新しい花火に火が点き、火玉ちゃんからは再び勢いよく火花が飛び始めました。


「よし、これでしばらくは大丈夫だ」


 そう、それは本当にしばらくでしかありませんでした。二本目の効果はすぐに衰え、私は三本目を取り出しました。が、それも結局は同じことです。やがて火玉ちゃんは最初と同じようにその元気をすっかり失くしてしまいました。もう落ちるのは時間の問題です。


「頼む、落ちないでくれ。おにぎり君のために頑張ってくれっ!」



 ポトリ……



 私の願いも虚しく、火玉ちゃんは地に落ちました。おにぎり君の顔が一気に蒼ざめたのが、会場の薄暗い灯りの下でも分かりました。


「おにぎり君……」


 なんと言って慰めてやればよいのか私には分かりませんでした。が、取り敢えず声を掛けました。


「玉が落ち玉が消えたよ我が手から 花火のことは夢のまた夢」


 先日読んだ太閤記の影響でしょう。こんな所でヒデヨシ君の辞世をパロってしまいました。


 おにぎり君は自分の海苔が焦げるのも厭わず、火玉ちゃんの近くに身を寄せていました。徐々に弱くなっていく火玉ちゃんの命の灯。やがて玉の火は消え、後にはただの燃えカスちゃんだけが残りました。


 すっかり意気消沈してしまったおにぎり君。その無念の想いが私の頭に聞こえてきました。地に落ちた火玉ちゃんは最後にこう言ったそうです。


「短い間だったけど、おにぎり君と暮らすことができて私は幸せでした。私は火。どれほど情熱的であろうといつかは消える運命。太陽のようにいつまでも燃えていられるわけではないのです。でも私は満足です。寿命を全うできたのですから。世の中には水を掛けられたり、酸素を奪われたりして、道半ばにして無念の退場を強いられる火が大勢居ます。でも私は燃え尽きました。今生を燃やし尽くすことができました。たとえ真っ白な灰になっても一片の悔いもないのです。そんな私を最期まで見守ってくれたおにぎり君、ありがとう。私はお空のお星さまになってこれからずっと燃え続けます」


 と。


 彼女の最後の言葉は私の胸を打ちました。線香花火の火玉……どんなに丸くても、おにぎり君と添い遂げるのは不可能な存在だったのです。


 空から大きな音が聞こえてきました。花火大会が始まったようです。夜空には打ちあがった花火が大輪の花を咲かせています。


「おにぎり君、ご愁傷さま。でもね、世の中には丸い物は沢山ある。挫けずに頑張ろう。明日を信じて今日を生きよう、おにぎ……あっ、ど、どこへ」


 突然おにぎり君が空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。もはや追いかけるのは不可能な速さです。


 遠ざかるおにぎり君に向かって私は叫びました。


「おにぎりくーん! 負けちゃ駄目だあー! それから、念のために言っておくけど、今、打ち上がっている花火は線香花火よりも寿命が短いんだからねえー! 大きさに惑わされちゃ駄目だよー! あと、近付きすぎると焼きおにぎりになるから気を付けてねー!」


 私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君の姿が消えた、花火で彩られた夜空を見詰めながら、私はもう一度おにぎり君に会う時が、きっと来るに違いないと感じていました。

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