八月のおにぎり君

 広くて大きいのが海。私は「明太子ビーチ南国」に来ていました。夏のバカンスは毎年海で過ごすことにしているのです。


「青い空、光る海、焼けた砂浜、実に夏だ」


 海水浴客で賑わう明太子ビーチ。若者も家族連れも皆その肌を惜しげもなく露出しています。普段は決して見られない部分も、今ならじっくりと見られるのです。


「いや、別に肌を見たくて海に来ているのではないのだ。私はあくまで夏を感じたくて海に来ているのだ。肌を見たいだけならプールに行けばいいわけだし」


 誰に言うでもない弁解をブツブツつぶやきながら、私はビーチを歩きました。海の家にはヤキソバが売られています。近所のスーパーのお惣菜コーナーで百九十八円で売られているヤキソバが、ここでは五百円の値が付いています。さすが海の家価格。それでも買ってしまう私。完全に海の家経営者の術中に嵌ってしまったようです。


「まあいい。夏の海で食うヤキソバにはスーパーのヤキソバでは体験できない何かがあるのだからな」


 私はヤキソバを食べながら浜辺で遊ぶ若者たちを眺めました。

 若い娘が五人でビーチバレーなんぞをしています。全員ビキニです。たまに転んで足を広げたり、四つん這いになったり、尻の食い込みを直したりしています。


「ふっふっ、目の保養にちょうどいい」


 何もせずにそんな様子を見ていると変質者に間違われる恐れがあります。しかしヤキソバを食べながら眺めているので、何の不自然さもありません。このような利点があるからこそ五百円を払ってヤキソバを食おうという気にもなるのです。やはり夏は海辺で過ごすに限ります。


「ほほう、次はスイカ割りか」


 娘五人組はビーチバレーに飽きたのか、スイカを取り出してきました。なかなか大きなスイカです。


「スイカ割りは歩いて割るだけ。ビーチバレーのような心沸き立つアクションはない。つまらんな」


 私は五人娘から目を逸らすとヤキソバを食べることに集中しました。冷めてしまうと不味さが倍増するので、せめて温かいうちに食べてしまいたかったのです。


「ごちそうさまでした」


 食べ終わって一息入れた私は、スイカ割りの五人娘をぼんやりと眺めました。キャーキャー言いながら喜んでいます。どうしてスイカを割るくらいのことであんなに楽しめるんだろう、若いっていいな、などと年寄りじみた考えに耽っていると、


「おや?」


 私は目を凝らしました。スイカの形が変なのです。まん丸のはずなのに、頭頂部が妙にとがっています。何か乗っているようです。黒くて白くて三角形の何か……ま、まさか、


「おにぎり君っ!」


 そうです。先月「七夕花火祭イン西国」で、夜空に咲いた大輪の花火目指して一直線に飛んで行ったまま行方不明になっていたおにぎり君が、スイカ割りのスイカの上に乗っていたのです。


「どうして、そんな所に……はっ、そうか。スイカは見事なまでの球体。丸い物を伴侶にしたいというおにぎり君の希望にぴったりの相手。もしや君は線香花火の火玉ちゃんの次は、このスイカ割りのスイカちゃんを伴侶にしようとしているのかっ!」


 その時、おにぎり君の声が頭の中に聞こえてきました。


『やっぱりこれくらい大きくないと僕と釣り合わないよね。緑の肌に黒の縞って迷彩服ぽいっし、僕の焼き海苔も縞模様にしちゃおうかな。ペアルックだね、なんて、もうサイコー!』


 別にスイカちゃんの縞は服じゃないからペアルックはないだろうと思ったのですが、説明するのも面倒なのでそのままにしておきました。


 いや、そんなペアルックなんて話はどうでもいいのです。おにぎり君は、今、自分がどれほど危険な状態に置かれているか気付いていないようです。


「危ないっ!」


 ビキニ娘のこん棒がスイカちゃんに振り下ろされました。運よく逸れましたが、もし命中していればスイカちゃんも、そしておにぎり君もただでは済まなかったはずです。私は海の家を飛び出すと、おにぎり君目指して走りました。


「おにぎり君、スイカちゃんから離れるんだ。早く!」


 しかしおにぎり君は私の言葉など耳に入らないようです。全く動こうとしません。そうこうしている間もビキニ娘たちのスイカ割りは着々と進行しています。スイカちゃんの上にいるおにぎり君などアウトオブ眼中(死語)。情け容赦なくこん棒は振り下ろされます。


「おにぎり君、如何に頑強な君の米粒集合体も、こん棒でぶん殴られたら無事で済むとは思えないんだ。早くそこから離れるんだ!」


 と説明っぽい台詞を吐いても、おにぎり君は「今日、耳日曜(死語)」と言わんばかりに無視を決め込んでいます。


「はっ! 何という正確無比!」


 五人目のビキニ娘の足取りを見て私は愕然としました。正確にスイカへ接近していきます。まるで見えているかのような動きです。よく見たら目隠しがずれています。見えていたのでした。


「逃げろ、おにぎり君。今度こそられるっ!」


 駄目です。おにぎり君の頭の中はスイカちゃんで一杯のようです。まるで動こうとしません。このままでスイカちゃんもろともおにぎり君は叩き割られてしまいます。


「おにぎりくーん!」


 ――ぐしゃああ!


 こん棒は見事にスイカちゃんを叩き割りました。飛び散るスイカちゃんの赤い果実。そしておにぎり君の米粒……いや、おにぎり君は無傷です。確かにこん棒が当たったはずなのに、傷ひとつ付いていません。


「おにぎり君、良かった。無事だったんだね」


 私は砂浜に転がったおにぎり君を抱えると、素早く救護所の物陰に避難しました。赤い果実が飛び散ったあんな惨たらしい場所に、いつまでも放置しておけないからです。


 砂の上に置いたおにぎり君は五人のビキニ娘を見詰めていました。美味しそうに割れたスイカを食べる五人。その光景を見ているおにぎり君の胸中を考えると、なんと言って慰めてやればよいのか私には分かりませんでした。が、取り敢えず声を掛けました。


「スイカはいい スイカップなら 更にいい」


 つい本音が出てしまいました。五人のビキニ娘の中にスイカップの持ち主が一人も居ないのは実に残念と考えていたのが命取りだったようです。


 五人に食べられるスイカちゃんをじっと見詰めるおにぎり君。すっかり意気消沈しているようです。その無念の想いが私の頭に聞こえてきました。スイカちゃんは自らが割られるのを待ちながらこう言ったそうです。


「短い間だったけど、おにぎり君と暮らすことができて私は幸せでした。私はスイカ割りのスイカ。割られて食べられるのが私の運命。でもあなたがそれに付き合うことはないわ。早く逃げて。こん棒に割られてバラバラにされた私の無残な姿をあなたに見られたくないの。でも、そんな醜い私でも愛してくれると言うのなら、ひとつだけお願いがあるの。砕けた私の体から種をひとつ取り出してちょうだい。そしてそれを熱帯の砂地に埋めて欲しいの。私が望むのはそれだけ。最後にあなたに会えて本当によかった。ありがとうおにぎり君」


 と。


 彼女の最後の言葉は私の胸を打ちました。スイカ割りのスイカ……どんなに丸くても、おにぎり君と添い遂げるのは不可能な存在だったのです。


 よく見るとおにぎり君の海苔と白米の間に黒い種が挟まっています。きっと砕けた果実から取り出したのでしょう。


「おにぎり君、ご愁傷さま。でもね、世の中には丸い物は沢山ある。挫けずに頑張ろう。明日を信じて今日を生きよう、おにぎ……あっ、ど、どこへ」


 突然おにぎり君が空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。もはや追いかけるのは不可能な速さです。


 遠ざかるおにぎり君に向かって私は叫びました。


「おにぎりくーん! 負けちゃ駄目だあー! それから、念のために言っておくけど、その種を植えて育ててスイカを実らせようとか、考えない方がいいよー! 小さな実しか付かないからねえー!」


 私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君の姿が消えた、入道雲が沸き立つ青空を見詰めながら、私はもう一度おにぎり君に会う時が、きっと来るに違いないと感じていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る