十一月のおにぎり君
今日はボジョレー・ヌーボの解禁日。
ささやかながら私もワイングラスを傾け、真昼間からカマンベールチーズなどを楽しんでおりました。
季節はすっかり晩秋。冬の足音がひたひたと聞こえてきます。
――バルルル、カタン、バルルル……
聞こえて来たのは冬の足音ではなく郵便バイクの音でした。何か投函していったようです。私はグラスを置いて外に出ました。ポストを覗くと葉書が一枚入っています。
「こ、これは!」
葉書の文面を見て、私は腰を抜かさんばかりに驚きました。大きく丸っこい字でこう書かれていたのです。
「わたしたち、結婚しました(はあと)」
そしてその下には幸せいっぱいの若い男女の写真。男はおにぎり君、そして女の方は……
「何だろう、これは」
今度の相手はおにぎりちゃんではありませんでした。丸っこく、モフモフとして、ぬいぐるみのような物体がおにぎり君に寄り添っています。
「結局、丸い伴侶を選んでしまったのか」
私は部屋に戻るとワイングラスを呷りました。相手の正体は謎ですが、丸い物であることだけは間違いないようです。私の忠告は何の役にも立たなかったのでした。私は自分の無力を感じ、深いため息をつきました。
これでもうおにぎり君の伴侶探しの旅は終わってしまったのです。私がおにぎり君と出会うことは恐らく二度とないでしょう。しかし、それで私は納得できるでしょうか。
「会いに行こう!」
このままおにぎり君と会えなくなれは、心に残ったしこりはいつまで経っても消えはしないでしょう。私はグラスを置きました。思い立ったが吉日、今すぐ出発です。
おにぎり君の住まいは先月と同じでした。私は門の前に立ち、インターフォンの呼び鈴を押しました。しばらく後、何の返事もなしに門が開きました。
「おにぎり君っ!」
門の内側にはおにぎり君が立っていました。幸せそうでした。これほどの喜びに満ちた顔をしているおにぎり君を見たのは初めてでした。
「良かった。すっかり元気になっているし、今が人生絶好調の時なんだね」
おにぎり君は恥ずかしそうに頷くと、日当たりの良い南の庭に案内してくれました。庭の隅にはデパ地下おにぎりちゃんの墓標が立てられています。そしてその前に、写真で見た、丸くてモフモフしていた謎の存在が立っていました。
「あ、あれは……」
私は絶句しました。おにぎり君が選んだ丸っこい伴侶、それはハムスターだったのです。写真に写っていたのは丸くなった背中だったのです。
「どうして、よりによってハムちゃんなんかを……」
立ち尽くす私の頭におにぎり君の声が聞こえてきました。
『このモフモフした触感が米粒をざわざわさせてくれるんだよね。頼めばいつでも丸まってくれるし、ハムちゃん可愛いし、もうサイコー!』
私は疑心暗鬼でした。本当にこのハムちゃんはおにぎり君を愛しているのだろうか。そんな疑念が拭いきれなかったのです。それと言うのも、ハムちゃんの目付きが妙に怪しかったからです。
「あれは、間違いなく野獣の目」
そうです。ハムちゃんがおにぎり君へ向ける瞳に、愛情なんぞはひと
「じゅるっ……」
ハムちゃんの口元からよだれが滴りおちました。もはや疑う余地はありません。私はおにぎり君の肩を掴んで言いました。
「おにぎり君、騙されちゃ駄目だ。ハムちゃんは君を愛してなどいない。餌としてしか見ていないんだ。悪いことは言わない。今すぐ別れるんだ。こんな外道と一緒になっても、おにぎり君は不幸になるだけ……ぐはっ!」
私は地面に崩れ落ちました。おにぎり君が私の腹に体当たりを食らわせたからです。
『騙したのはどっちだよ。僕をおにぎりちゃんと一緒にさせて、離別の苦しみを味わわせたのは君じゃないか。そんな奴の忠告なんか誰が聞くもんか』
頭の中に響くおにぎり君の声。忘れていました。私は既におにぎり君の信頼を完全に失っていたのでした。
「……そうだな、すまなかった……」
私は言葉少なに立ち上がりました。もう何を言っても無駄なのです。私にできることは何もありません。
「おにぎり君、幸せに暮らしてくれ」
それだけを言って私はおにぎり君の家を後にしました。もう二度とおにぎり君に会うことはないのかもしれない、そんな予感を抱きながら……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます