四月のおにぎり君

 春は桜の季節です。そして新しく物事が動き始める季節でもあります。


 気持ちいいくらいに晴れ渡った四月の空の下、私は街を歩いていました。活気づいた街。希望に胸を膨らませて通りを歩く若者たち。何もかもが新鮮です。

 もう新人と呼ばれるには歳を取りすぎてしまった私ですが、新たな気持ちで頑張ろうという意欲が湧いてきます。これが四月なのですね。


「それではただ今より入社式を開催いたします」


 通りを歩く私の耳に聞こえて来たのは、大手企業の入社式開催のアナウンス。理由は分かりませんが屋外で挙行されています。近所迷惑なんじゃないかと心配になりましたが、広大な敷地を所有しているので大丈夫みたいです。さすが大手企業。


「……でありますから、……でありますので、……であるのです」


 居並ぶ新入社員の前で、凄く偉そうな人が凄く偉そうな訓示を垂れています。どこの入社式でも同じですね。偉そうな人は偉そうにするのが仕事なのですから仕方ありません。私は会社の敷地の外からぼへ~と入社式を眺めていました。


「さあ、それでは最後にくす玉割りですっ!」


 社屋の玄関にはゴテゴテに飾り付けられたくす玉がぶら下がっています。あのくす玉を割って入社式は終了となるのでしょう。せっかくなので割る所も見ておこうと、私はでっかくて丸々としたくす玉を見詰めました。


「おや……?」


 くす玉の上に変なモノが乗っかっています。焼海苔のように黒くて米粒のように白くて三角形の物……ま、まさか、


「おにぎり君っ!」


 そうです。先月「だちょうランド南国」でだちょうの卵ちゃんと一緒に母だちょうに抱かれていたおにぎり君が、あろう事か大手企業の入社式のくす玉の上に乗っかっていたのです。


「どうして、そんな所に……はっ、そうか。くす玉は見事なまでの球体。丸い物を伴侶にしたいというおにぎり君の希望にぴったりの相手。もしや君はだちょうの卵ちゃんの次は、このくす玉ちゃんを伴侶にしようとしているのかっ!」


 その時、おにぎり君の声が頭の中に聞こえてきました。


『大手企業の入社式で遂に理想の伴侶を見つけた。豪華絢爛に飾り立てられたこの球体、まるで金襴緞子の花嫁衣裳だ。もうサイコー!』


 さすがは大手企業。くす玉ひとつに相当な額の予算をつぎ込んでいるようです。そんな銭があるのなら、新入社員の福利厚生に回してあげればいいのに、などと考えているうちに、さっき偉そうな話をしていた偉そうな人が、くす玉ちゃんからぶらさがった紐を握っています。


「それでは、紐を引っ張ってください。どうぞ!」

「おにぎり君、そこから離れるんだあー!」


 私が叫ぶのと司会のお姉さんが合図をするのはほぼ同時でした。紐を引っ張る偉そうな人。見事に真っ二つに割れるくす玉ちゃん。舞い散る紙吹雪。呆然として宙に浮かぶおにぎり君。


「以上で大手企業の入社式を終わります」


 盛大な拍手。新入社員たちは建屋へ入り、残っているのは後片付けのおじさんたちだけになりました。


「あ、そのくす玉、倉庫に入れといて。来年も使うから」


 真っ二つになったくす玉ちゃんは台車に乗せられ倉庫へ運ばれていきます。私は警備員の目を盗んでこっそり敷地内へ入ると、その台車の後を追いました。おにぎり君も上空をふらふら飛びながら台車を追ってきます。


「よいしょっと」


 くす玉ちゃんは他の備品と共に無造作に倉庫へ投げ入れられました。倉庫の鍵をかけ、後片付けのおじさんは歩いて去って行きます。


 おにぎり君が空から降りてきました。二つに割れたくす玉ちゃんが閉じ込められている倉庫の壁に、じっと身を寄せています。なんと言って慰めてやればよいのか私には分かりませんでした。取り敢えず何か言おうと思ったのですが、下手な駄洒落なんか言っても仕方がないので、今回は何も言いませんでした。


 おにぎり君は力なく立ち尽くしていました。すっかり意気消沈しているようです。その無念の想いが私の頭に聞こえてきました。倉庫の中のくす玉ちゃんは壁越しにこう言ったそうです。


「短い間だったけど、おにぎり君と暮らすことができて私は幸せでした。私が倉庫の外に出られるのは入社式のこの日だけ。それ以外の日は二つに割れたまま、この暗い倉庫で過ごすの。たった一日しか顔を会わせられない私のことなんかもう忘れて。おにぎり君には私なんかよりもっと相応しい相手がいるはずだから。ああ、意識が遠のき始めている。二つに割られた私は活動を停止して眠るように設計されているの。さようなら、おやすみなさい。こんな私を愛してくれてありがとう」


と。


 彼女の最後の言葉は私の胸を打ちました。入社式のくす玉……どんなに丸くても、おにぎり君と添い遂げるのは不可能な存在だったのです。


「おにぎり君、ご愁傷さま。でもね、世の中には丸い物は沢山ある。挫けずに頑張ろう。明日を信じて今日を生きよう、おにぎ……あっ、ど、どこへ」


 突然おにぎり君が空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。もはや追いかけるのは不可能な速さです。


 遠ざかるおにぎり君に向かって私は叫びました。


「おにぎりくーん! 負けちゃ駄目だあー! それから、念のために言っておくけど、運動会のくす玉割りには近づかない方がいいよおー。あれは紐を引っ張るんじゃなくて玉を当てて玉を割るから、飛んでくる玉に当たって痛い思いをするだけだからねえー!」


 私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君の姿が消えた桜の花が舞う青空を見詰めながら、私はもう一度おにぎり君に会う時が、きっと来るに違いないと感じていました。

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