図書館ダンジョン ~Labyrinthian Library~
柳塩 礼音
図書館ダンジョン
彼、海田ミキトの目の前にはうずたかくそびえ立つ塔があった。
円柱状になった外装のほとんどはガラス張り。その全てが夏のギラギラとした太陽の光を反射し、青く輝いている。
すぐ隣には国会議事堂をおき、この東京都千代田区の街並みを見下ろしている。頂上はもはや青空と同化し、ミキトのいるところからは目視できない。
国立国会図書館東京本館。
この国で発行されるあらゆる出版物を蔵書していたというその図書館は、法改正や社会秩序の変化により世界中のあらゆる出版物を蔵書するように変容。限りなく増加していく出版物に対応する必要性に駆られることとなった。
結果、政府は国会図書館に人工知能により制御される自己改築機能の付与を決定。無限とも言える蔵書を可能としていたのである。
この巨塔も、その自己改築機能の産物である。たった10年で、当初6階建てだった東京本館は967階建てまで拡張し、その蔵書数も兆を超えているとまで言われている。
「よし、今日こそは……」
彼は小さく呟き、巨塔の正面玄関を潜っていった。ガラス張りの自動ドア。開くと同時に、冷房の効いた室内の冷気が汗に濡れた全身をひんやりと包み込んだ。少し遅れて、古い紙独特の匂いがミキトの鼻をくすぐる。
右の方にはずらりと長い図書館のカウンターが位置し、図書館の司書たちがせかせかと作業をしているのが見えた。
人間だけではなく、運搬ロボットや飛行ドローンなんかもちらちらと動き回っている。流石これだけの蔵書数を抱える図書館だ。データ管理や蔵書の整理だけでも手一杯に違いない。
「えっと、確かあの扉の場所は……?」
彼は汗をぬぐい、広大な1階フロア内を奥へ奥へと進んでいった。最近話題になった新書や往年の名著なんかが仰々しく収蔵された本棚たち。
その合間には図書館の地図などを案内する情報端末や作業中のロボットたちも垣間見える。まあ、これだけ広ければ他の人に会うことは滅多にない。
そもそもの土地面積は以前と変わっていないはずなのに図書館内の床面積は明らかにそれよりも広く感じるのだ。何か変な魔法でも使っているんじゃないだろうか。
「1-E-12ブロックの地図を」
『カシコマリマシタ』
ミキトは、近くにあった自販機にモニターが付いたような風体の情報端末の前に立ち、小さく話しかけた。すると情報端末は彼の音声を認識し、当該の地図をモニターに表示する。
彼はその地図をまじまじと眺め、ある程度目的地のめどを立てると再び歩みを進めていく。
彼の背中には弁当とペットボトルのお茶を詰めた透明なカバンが。唯の図書館に行くにしては不自然な荷物にも見えるが、これだけ広大な図書館である。
一度奥まで入ってしまえば出るのにもかなり時間がかかるのだ。それなら、所々設けられた休憩所で逐次食事を取っておいた方が効率が良い。
カバンが透明なのは図書館の利用規則に寄るものだ。そもそも図書館は休憩所外での飲食厳禁である。必要以上のそれらを持ち込まれては困るのだろう。
彼、海田ミキトは高3の夏休みのほとんどを費やし、この国会図書館に通い続けていた。というのも、その主な目的は自身の父親を探すためである。
ミキトの父、海田ソウケンが失踪してからもう数カ月が経つ。自己改築機能付与の後、この図書館自体入館したものが失踪したという噂が絶えなかった。その噂の一端に、遂にミキトの父が加わってしまったのである。
もともとはこの国会図書館を制御する人工知能『
しかし、彼は謎の手紙を残したまま、ある日突然ミキトの元から消えうせてしまったのだ。
『この国会図書館は迷宮だ。故に私はいかねばならない』
これはその謎の手紙の最後に書かれていた文章である。
手紙の大半はミキトへの愛情を綴ったものばかりであったのだが、その最後の文章だけは異常に力が入り、そして大きく殴り書きされていた。
意味はよく分からない。この図書館……国立国会図書館が迷宮? 確かに何百階にも及ぶ東京本館の床面積は広大である。だが、迷宮と呼ぶには程遠い。彼自身もここ一カ月特に迷うこともなくこの図書館に通い続けることが出来ているのだ。
なら一体この文章の意味は……?
母のいないミキトを男手一人で育ててくれた憧れの父。優秀な科学者で、自己改築機能を制御する最新型人工知能メティスの開発にも関わっていたという父。
そんな彼の影を、ミキトはずっと追い続けてきたのである。必ずや、父を見つけ出して取り戻さなければ。
しかし、彼がここにいる理由は、父の探索のみだったかと言われるとそういう訳でもない。
「ここか……」
ここは図書館1階の最奥に位置するEブロック第12区画のさらに最奥部。
彼の目の前には本棚と本棚の間に隠れるようにして設置された扉があった。数段、階段で低くなった場所についた黒い木製の扉。
彼は実はこの扉を1日目の探索で偶然見つけていた。だがまだ彼は967階層にも及ぶ図書館地上部分をほとんど探索していなかったのだ。そこで、彼は地上部分の捜索を優先すべく、この扉を潜るのを後回しにしていたのである。
彼はゆっくりと扉の前の階段を下りた。本棚と本棚の間に隠れ、よく近づかないと見えないところに設置された階段。
明らかにこの扉を隠すように作られているにしか思えない。見たところ書庫か何かに繋がっているようにも思えるが、この先には一体……?
彼は黒い扉のドアノブに手をかけ、それをゆっくりと回した。
「うわっ!?」
鍵はかかっていなかった。いやそれどころではない。彼がノブを捻った瞬間、その扉は音を立てて開き、そのまま奥に広がった空間に向かって激しい強風が吹き荒れたのだ。
突然のことに身体を取られ、ミキトは扉の中へと吸い込まれてしまう。
「うわぁぁぁぁっ!!」
倒れ伏す暇もないまま、彼の身体はどこかへと滑り落ちていった。扉の中は暗闇。しかも、つるつると滑る管状の坂を右へ左へと滑っていくのだ。
まるで暗闇の中ウォータースライダーのコースに乗せられたように、身体を動かす余地もなく、どこまでも何処までも落ちていく……
「はっ!?」
そしてしばらくすると、暗黒のスライダーは突然光に満たされた。いや、正確にはスライダーが終わり、彼の身体はそのまま空中に放り出されたのだ。
視界がぐるりと回り、薄暗い広大な空間が反転する。天井や壁は灰色、緑色の地面の方は何やら森のように塔状の何かがいくつも並んでいるのが見える。
あっという間にミキトの身体は落下していき、その塔状の何かが急激に近づいてくる。見れば、塔は何か四角い何かが集まった集合体のようだ。
「ぐはっ!!」
ミキトはその中の一つに激突した。ガラガラという音を立て、塔が崩れていく。
それも落ち着いたころ、彼は崩れた塔の中から顔を出した。それなりのスピードで激突したミキトであったが、その塔を構成する何かがクッションとなり、怪我は免れたようだ。
「げほっ……げほっ……これは……本?」
埃が舞い、せき込むミキト。そんな埃が落ち着くと、彼はすぐに周りに散らばる何かの正体を知った。
本だ。彼の身体は新旧入り混じる様々な本に包まれていたのだ。
しかし、よく見ればそれらの本は明らかにページが汚れていたり落丁していたりしたものばかり。不良品の寄せ集めと言ったところだ。
「……ん?」
そしてそんな本の間に混ざり、ミキトは何か固い物が手に触れたことに気付いた。咄嗟にそれを掘り出す彼。
「うわっ!?」
すると、現れたのは朽ち果てたしゃれこうべだった。見れば、肋骨や手足の骨までその本の中に埋まっているではないか。
『ジジ……廃棄予定物ノ散乱ヲ確認……集積コードヲ実施シマス……』
すると、周囲に本をまき散らした彼はいつのまにか古ぼけたロボットや飛行ドローンに包囲されていた。
どこへやらから集まってきた、彼の膝位の高さをした丸いロボットにアーム付きのドローンたち。
それらが回路がショートするような音を上げながら、手元に散らばった本を拾い、ひたすら積み上げていく。どれもこれもボロばかり。大分古い型のもののようだ。
「これは……?」
『ジジ……侵入者ヲ確認、排除コードヲ実施シマス』
「!?」
振り返るミキト。すると、彼の背後には一機の小型飛行ドローンがこちらにカメラを向けていた。その無機質な声に合わせ、辺りで作業していたロボットやドローンの動きが一斉に止まる。
かと思うと、ロボットアームを必死に伸ばし、ミキトに向かって飛びかかってきたのだ!
『ジジ……排除……排除……』
「うわっ!? な、何だ!?」
咄嗟のことに彼の足元の本が崩れ、運よくドローンのアームをかわす彼。しかし次の追っ手はすぐに迫ってくる。
本に埋まる死体、そして一斉に襲い掛かるロボットたち。彼はあまりの光景に物々しさを感じ、すぐにそこから逃げ出した。
どうやら緑に見えていた床は人工芝になっているようだった。崩れて散らばった本の山から抜け、すぐにその芝生の上を駆けて行く。後ろからは数体のロボットたちが追いかけてきた。
バチバチと危なっかしい音を立てて追い立てるロボットやドローン達。時には捕獲用と思われるひも付きの矢を発射し、彼を捕まえようとする。
だが機体の古さが災いしたのか、それ等の矢はすべてミキトの身体を外し、そこらの塔を突き刺している。
「はぁ……はぁ……何なんだ一体……!?」
彼は咄嗟に近くにあった本の塔から分厚い辞書を一つ抜き取った。巧妙なバランスで保たれていた塔。すぐにバランスを崩し、彼の進んできた方向に大量の本が降りかかる。
『ガガガ……ジジ……排除……ハイ……』
その本の山に、数体のロボットが見事に消えていった。更に駆けるミキト。ドローンたちも新たに発生した本の山に混乱したのか、崩れた本の山の上をうろうろと彷徨っているのが見える。
彼はそのまま、本の塔の間をすいすいと逃げ去っていった。かなり遠くまで逃げ、ロボットの面影も見えなくなった辺りでふと息を付く。
「はぁ……逃げ切ったかな?」
ようやく落ち着いた彼。ため息をつき、一度辺りを見渡した。辺りには、相変わらず等間隔にそびえ立った本の塔が森の木々のように立ち並び、その異様な姿を曝している。
本の隙間にちらりちらりと見える床は緑色の人工芝。所々にはあの図書館の内部にもあった情報端末がモニターを光らせているのも見える。
見上げれば、今度は鼠色のコンクリートやパイプなどに覆われた天井がどこまでも何処までも広がっていた。
高さも広さも相当にあるようだ。電燈のようなものは見当たらないが……この空間はそれなりに明るく保たれている。
まるで異世界に飛ばされてしまったかのような感覚。ここは一体どこなのだろうか。あの国会図書館の内部なのかどうかもよく判別がつかない。
しかし、あの情報端末は明らかに国会図書館の内部を案内していたものと同じだ。ということは……?
地上を見ると、塔の間をまばらに動き回るロボットたちが器用に本を積み上げているようであった。散らばった本を拾い、塔の最上にそっと置き、そしてまた近くに落ちた本を拾い、最上に置く……
時にはバランスを崩し、崩れる塔もあるようだった。そして再び散らばった本を集め、一から積み上げていくのだ。どういう意図があるのかは検討もつかない。
残念ながら、彼が落ちてきた場所は特定できなかった。一目散に駆けてきたのだ。そしてこの単調な景色。方角も分かったものではない。
「うーん、参ったな……?」
ミキトが途方に暮れ、その本の塔の合間を歩きだそうとした時のことだった。
彼の目の前、まだ低く積まれた本の合間から、白い人間の腕が飛び出しているではないか。
「なっ、あれは!?」
咄嗟に駆けよるミキト。すぐに本をどけ、手の根元に向かって掘り進んでいく。
するとすぐに本の中からはその手の主が顔をだした。少女だ。銀色の髪は長く、顔はまだ幼い。
肌は傷やシミ一つない純白で、白いまつげで縁取られた目は安らかに閉じられていた。耳をすませばすぅすぅと寝息を立てているのが分かる。死んではいないようだ。
彼はすぐに彼女を本の中から掘り出した。後背で、崩れた本に反応するドローンたちの気配がする。
彼はすぐにロボやドローンのいない本の陰に移動し、彼女を横たえた。見た目は純白の少女だが、着ているのは何やら男ものでぶかぶかのTシャツとズボン。
更に一冊の分厚い本を大事そうに抱えている。歳は高々中学生くらいに見えるが……どう見ても日本人ではなさそうだ。一体この娘は何者なのだろうか。
「君、大丈夫かい?」
ミキトは優しく彼女に声をかけてみた。
「……」
しかし返事は無い。大分深く眠ってしまっているようだ。こんなところでよくぞすやすやと寝ていられるものである。
「これは……何だ?」
一度ため息をつくミキト。彼は一度のその興味を彼女が持っている分厚い本へと向けた。
意味の分からない言語で題名が刻印されているようだ。模様からして、なんとなく呪術的な雰囲気を感じる。見た目も古く、そこらにある唯の本という訳ではなさそうだ。
彼は手に取ってその本を眺めてみようとした。
「!?」
しかし、その瞬間だった。本を持った彼の腕に、突然少女の左手が掴みかかったのである。
「い、いてててっ! ……なんだ!?」
「……」
そのまま体を起き上がらせ、ゆっくりと目を開ける彼女。少女とは思えない握力に、彼の腕はみしみしと悲鳴を上げる。
「緊急起動措置確認……スリープモード解除……対象の保護開始……未確認対象確認、照合中……」
ぼそぼそと何やら変なことを呟き、至近距離でミキトの目を見つめる彼女。ミキトは心臓を高鳴らせたまま、その場に固まったままだ。心なしか、彼女の瞳には何やら不思議な言語が流れていたように見えた。
「……! 海田ミキト……あなた、海田ミキト!?」
「えっ!? どうして僕の名を?」
すると、突然彼女は瞳にぱっと光を宿し、明るい声を上げた。突然の変貌にミキトは素っ頓狂な声を上げてしまう。
「私の名はサティ。ミキトの父親……海田ソウケンからあなたを守るよう命令を受けた。だから私は、あなたに仕える」
そう言ってミキトに向かって跪く彼女。何となくぶっきらぼうな口調。歳にしては落ち着いているようにも感じる。
彼は彼女の予想外の行動と発言に動揺し、何から口に出していいか分からなくなってしまった。特に引っかかったのは海田ソウケン……彼の父の名である。
「ま、待ってくれ……! 父さん? 父さんがどうしたっていうんだ!? しかも僕に仕えるって……」
「……詳しくは覚えていない……でも、私は確かにあなたの父にあなたを守るよう命令された。私はそれを守らないといけない。質問の答えは、それだけ」
彼女は少しだけしゅんとしたような表情を示した。
突然現れ、彼を守るなんて言いだした謎の少女……取りあえずは他にも知りたいことは山ほどある。
「じゃ、じゃあ……ここは一体どこなんだ? あのロボットたちは?」
「……ここは国立国会図書館の地下第一層。不良や落丁で廃棄された本が集められる場所。あのロボットたちはこの第一層の管理ロボット……それ以上はデータが欠落している」
「ここが……国会図書館だって?」
ここがまだ国会図書館の内部だっただって? それも地下の。しかしそれにしては広すぎないか?
確かに地上部分は超高層ビルになっていたが、どう考えてもその土地面積の数百倍はある。千代田区が軽くまるまる一つ入るくらいの面積はありそうである。
そして彼女の最後の言葉もよく分からなかった。データが欠落……? 何か引っかかる物言いではあるが、とりあえずは質問を続けよう。
「ここからは出るにはどうしたらいい? 父はどこにいるんだ?」
「ソウケンは、この図書館のもっと下層にいる」
「もっと下層に……?」
そうか……やはり父さんはこの国会図書館にいたのだ。しかし、もっと下層ということは地下の奥深くにいるということなのか?
しかし彼女の言葉に偽りがあるようにも見えない。ここは……納得すべきなのだろう。
「そう。下に向かうには……」
彼女はそのままとある方向を向き、指を指した。
その方角はこの広大な地下施設の中央部のほうであった。そして、見ると中央部の天井からは透明な管が施設の地上に向かって下りているではないか。
よく見ると、そのふもとにはピラミッドのような形をした建物が存在しているようだった。建材はコンクリートにも白い石のようにも見える不思議な素材。彼女はどうやらあの建物を指さしているようだ。
「あそこから、さらに下層に行けるのか?」
「データにはそう記録されている。地上への出口は分からない」
「そうか……」
ミキトはもう一度この異様な地下施設の光景を見渡した。人工芝の上に乱立した本の塔。行き交うドローンやロボットたち、そして目の前に現れた謎の少女。
まるで本の森とでも言えるような謎の空間である。まさか国立図書館の地下にこんな空間が広がっているなんて!
彼は不安よりもむしろ好奇心の方をこそより強く刺激されていた。憧れの父を探すことももちろん大事だ。しかし、この先には一体何があるのか。そして何が待ち受けているのか……
優秀な科学者である父の姿は、ミキトに強い好奇心と探求心を遺伝させるには十分だったのである。
そして、探求されつくしてしまった退屈な地上の世界では味わえない感覚をここでは味わえるに違いないのだ。
それが、彼がこの図書館に通い続けたもう一つの動機だった。『迷宮』だとか『ダンジョン』だとかという言葉は、そんな彼の好奇心を燃え滾らせるには十分だったのである。
「君は、サティだったね。どういう縁なのかよく分からないけど……よろしく頼むよ」
「……! はい、ミキト」
彼女はにっこりと笑顔を向けた。二回りは小さい身長、幼い顔立ち、白銀の髪……着ている服さえまともならば中々の美少女である。
時折見せる機械的な口調や表情が気になりはするが、取りあえずは信用してよさそうだ。
ミキト自身、そこまで女性関係が得意な方ではない。だが、彼女には何となく安心感のようなものを感じることが出来た。まるで父から突然妹をプレゼントされたかのような、そんな感覚だろうか。
さて、取りあえずはさらに下層へ向かうしか道は無い。彼らは本の塔の陰に隠れつつ、施設中央の建物に向かって歩みを進めていった。
ロボットに見つかればまたあの鉄の矢を向けられることだろう。危なっかしいったらありゃしない。
「そういや、その本は一体何の本なんだ? 見たこと無い文字だけど」
「これは私の聖典。私の心臓であり、脳。命の源なの」
「この本が?」
怪訝な顔でサティの持つ本を眺めるミキト。確かに大事そうに持ってはいるが、命の源って……そこまで大げさなものなのだろうか? もしかしてこの娘、ちょっと痛い系の娘なのかな?
そんな会話をしているうちに、彼らは例の建物の下へとやって来た。
四角錘型で段状に象られた白い建材。その中央上部にはあの天井から下がるチューブが下りている。
よく見ると、そのチューブの中では山のように積まれた本がエレベーターで上下しているようであった。
「この建物は何なんだ?」
「本の選別場。不良な本を取り除く場所。この奥に第二層に繋がる扉があるはず……」
近くの本の塔の陰で様子をうかがう二人。建物の入り口と思われる場所には扉がなく、3メートル四方ほどの穴がぽっかりと開いているだけだった。
その入り口の両脇には警備兵と思われる人型ロボットが2体。更に周りにはドローンやロボットも行きかっている。ここをこのまま通り抜けるのは難しそうだ。
「隙を見て一気に抜ける。合図をしたら急いでついて来て」
「わ、分かった」
タイミングを見計らっているのか、じっと入り口の方を見つめるサティ。そして、近くに落ちていた手ごろな本を手に取ると、右方遠くにめがけて放り投げた。
「ジジッ。ショウガイブツカクニン。チョウサシマス」
「……走って」
すると、目の前にいた警備ロボットが飛んでいった本の方に気を取られて歩んでいった。そして十分そのロボットたちが離れたのを見計らい、本の陰から飛び出す。
足音を殺し、なるべく気配を消してサティとミキトは駆けて行く。すぐに彼らはその建物の入り口の中へと飛び込んだ。
外から見たら少し暗かったが、中は思ったよりも光に満ちていた。重低音が満ち、何やら工場のようにそこら中をパイプやコードが行きかっている。
コンピューターらしき機械もそこかしこでちかちかと光を放っているようだった。辺りにロボットの姿は無い。さっきの警備ロボットも彼らの気配には気が付かなかったようだ。
あれらもそこまで新しいロボットじゃなかったのだろう。
「図書館の地下にこんな場所があったなんて……今でも信じられないよ。君はどこから来たんだい?」
「私? 私は……分からない。記憶が欠落している」
「記憶が……? じゃあ、その記録が欠落しているってのはどういう意味なんだい? まるでロボットみたいじゃ……」
「それは……!」
すると、彼女はサッと彼の前に手を宛がい、言葉を制した。そのまま、近くの物影に隠れるように指示をする。
どうやら警備ロボットが近くに現れたようだ。ミキトはサティと共に物陰に潜み、ロボットをやり過ごす。
「……急ごう。見つかったら危険」
「分かった」
彼らは雰囲気を消しながら、そそくさと施設の奥深くへと進んでいった。入り組んだ通路を抜け、人もいないのに稼働する不思議な施設の中を進んでいく。
「!」
相当奥まで進んだころ、彼らはふと広い通路に出た。その通路の両端の壁、及び天井は全てガラス張りになり、その向こう側の光景が露わになっている。
そこには無数のベルトコンベアーが縦横無尽に行き交っているのが見えた。その上を大小新旧様々な本が流れていき、ロボットアームが時々、それらの本の中から一部を取り上げている。
取り上げられた本はまた別のコンベアーに乗せられ、別の場所へと運ばれていくのだ。よく見ると、それらはどうもジャンルごとや年代ごとに分けられているかのようであった。
更にその中でも特に古い本や痛みの激しい本は別のコンベアへと乗せられ、また別の場所へとロボットによって運ばれているようだ。相当に大規模な設備である。
これがこの施設の中心部らしい。恐らくここであの天井から降りていたパイプから運ばれた本が、こうして分別されているのだろう。
しかし、人間はどこにもいない。全てロボットだけで運営されているのだ。こんな施設が図書館の地下にあったなんて……
「あの扉は?」
その通路の最奥部。ガラスの廊下も終わりを迎える頃、彼らは少し広くなった部屋のような空間に出た。相変わらず壁や天井はガラス張り。その向こうでは無数のベルトコンベアーが低い唸りを上げて本を運んでいる。
一方、目の前奥には銀色の厚い鋼鉄の扉があった。右方には下向き三角のボタンが付けられている。恐らくエレベータか何かのようだ。これに乗って下へ行けるのだろうか。
「あれが第二層への入り口……待って!」
すると、突然サティが鋭い声を上げた。ミキトを腕で制止し、周りを見まわし始める。
「高濃度のエネルギー波を確認。これは……!」
「な、なんだ!?」
ミキトの方も異様な緊張感を感じざるを得ない。するとサティはふと上方に視線を投げた。そこには一冊の本。サティが持っている本に劣らぬほど古く、そして分厚い本。
それがひとりでに宙に浮き、まるでこちらの様子をうかがうかのようにふわふわと動き回っているのである。
サティはそんな本を見つめ、鋭く睨みつけているようだった。ミキト自身も、謎の本に尋常ならざる雰囲気を感じざるを得ない。
「うわっ!?」
すると、すぐにその本は動きを見せた。彼らの背後から突然、無数の本が飛来したのだ。その本は鳥のように彼ら二人を翻弄し、目の前の部屋の中を充満していく。そしてまるで生き物のように渦を巻き、頭上に浮く本の周りへと集中していく……
「危ない!」
「!」
突然、サティはミキトの身体を突き飛ばした。彼はサティと共に数メートル飛び、ゴロゴロと鋼鉄の地面を転がる。
その刹那だった。ぐしゃりという轟音。同時に、先ほどまでミキトがいた辺りに、竜巻のように浮かぶ本たちが拳の如く集まり、振り下ろされているのが見えた。
そう、拳である。先ほどまで竜巻状に巻き上がっていた本の群れは、みるみるうちにある形へと収束していったのだ。
太い四肢、そして頭……本は人型を形作っていた。本で形成された巨人……それが彼らの前に立ちはだかったのだ!
「下がって。私が何とかする」
すると、サティは前に出て、その巨人に対峙する。年端もいかない少女と本の巨人。これではどちらに勝ち目があるか……一目瞭然である。
しかしミキトは動くことすらできなかった。元々武器など持っていない。その上、意味の分からないうちに謎の空間に入り込み、更に目の前には見たこともない本の怪物が立ちはだかっているのだ。
「オォォォォォォォン」
吠える巨人。そしてその巨大な本の腕が、サティに向かって振り下ろされる。
「……!?」
しかし、次に起こったことはミキトの理解をはるかに超えていた。サティが迫り来る拳に視線を投げたかと思うと、サッとその拳をかわし、その本の腕に取り付いたのだ。
そこから彼女は信じられない速さで腕を駆け上がり、巨人の胸のあたりまで辿り着いた。と思うと、そのまま本の巨人の中へと飛び込んだのである。
「オォォォ……!! オォォォォォォォォォン」
「サティ!」
突然苦しそうに胸の辺りをかく巨人。
しかしそう絶たないうちに、胸の中からサティが飛び出して来た。手には自分の本に加え、先ほど浮かび、巨人の核となっていた分厚い本を抱えているではないか。
サティが胸から飛び出すとともに、巨人はぎこちない動きでもがき、そしてサティの下へと腕を伸ばそうとする。
「オォ……オォォオオ……オォォォォォォン」
「サティ! 大丈夫かい?」
「この聖典の記録を我が聖典に……」
彼女は今手に入れた本を開いているようだった。そして彼女が呪文のように唱えるとその本は輝き、文字が浮き出してくるではないか。
その文字はサティの持つ本へと流れていき、白紙だったページにそれ等の文字が刻まれていく。一体彼女は何を……?
「なっ……!? サティ、何を……」
「オォォォ……オォォアアアァァァァァ!!」
「はっ、危ない!!」
彼は咄嗟にサティの下へと駆け寄った。悲鳴のような咆哮。それと共に、サティの下へと伸びていた巨人の手は拳と化し、崩れ落ちるようにミキトの頭上へと降りかかったではないか。
「うわっ!?」
サティはすぐにミキトの下へ駆け、そして彼を再び思いっきり突き飛ばした。同時に、彼女の姿が本の拳の中へと消えていく。
巨人はそのまま完全に崩れ、本の山へと帰してしまった。
「サティ!」
ミキトはすぐに起き上がり、サティがいた辺りの本をかき分けた。なんてこった、彼女に二度も助けられることになるなんて。
父の唯一の手掛かりである。こんなところで失う訳には……
「サティ……!」
「ミキト。私は無事」
すると、彼女はけろっとした顔で本の中から顔を出した。あれだけの本の塊に押し潰されたはずなのにほぼ無傷。彼女の身体はいったいどうなっているのだろうか。
「はぁ……良かった。助けてくれてありがとう。死ぬかと思ったよ」
「私は私の使命をこなしただけ。でも、そう言われると嬉しい」
言いながら、本の中から這いだすサティ。そして、ミキトにまた笑顔を向けてくる。無垢で穢れない笑顔だ。ミキトは再び頬を赤くしてしまう。
サティは一度積もった本の山へと視線をやり、再び最初から自分が持っていたあの本を開いた。
「そ、それでさっきの巨人は何だったんだ? あんなの、見たことも聞いたこともないよ」
「……記録の復元を確認……今のはリブルシリーズ。リブルフォースによって稼働する図書館の最重要機器」
「り、リブルシリーズ? リブルフォース?」
突然分からない単語が増えていくミキト。サティの方も、まるで今思いだしたかのような口調でそんな単語を述べていく。
「転写が終わった。これであのリブルシリーズの力は私の聖典に転写された」
そう言うと、彼女は手をくいと引いた。すると近くに積もっていた本がバラバラと彼女の意思に合わせて動き始めたではないか。
それ等の本は彼女の腕にまとわりつき、巨大な腕を形成する。まるでさっきの巨人の腕のようである。もしかしてさっきの巨人の力をコピーしたとでもいうのだろうか。
「君は一体?」
「私はソウケンにより作り出され、指令を受けた生体アンドロイド。記録ではそうなっている」
「生体アンドロイド?」
突然飛び出す単語に、彼は復唱で返してしまった。生体アンドロイド? ということは人間じゃないのか?
しかし、彼女はどこからどう見ても人間にしか見えない。大きな本を抱えた白髪の美少女。ロボットにしては動きがしなやかすぎる。
「そう。体の大部分は人間と同じ、だけど骨格や筋肉は機械。そして脳は……」
彼女は元から持っていた本へと視線を下ろした。パラパラとページがめくれていくが、その大部分は白紙のままだ。表紙や外見の仰々しさとは対照的である。
そしてかなり初めの方のページになってようやく文字が現れた。しかしそれらの記述はどれもこれも意味不明の文字で綴られていた。何となく彼の得意なプログラミングの言語に似ている気もするが、意味を理解するには能わない。
「これは……?」
「私の力の源であり、記録。ソウケンは『リブルフォース』と呼んでいた。さっきの巨人も、同じ力で動いていたの」
「リブルフォース……」
さっきもサティが口にしていた単語だ。フォースといえば、力という意味だろうか。じゃあリブルといえば……?
「詳しいことはまだ思いだせない……やっぱり、何らかの原因で私の記録が大きく欠落してしまったみたい」
「そうなのか」
再びしゅんとした表情を示す彼女。ロボットとは思えないほど精巧で人間そっくりの表情だ。いや、もはや人間と全く同じと言っても過言ではない。
まあ、軽い記憶喪失と言ったところなのだろうか。折角の父の有力な手がかりだが、すんなりと情報を得ることが出来るわけではなさそうだ。
「君は……やっぱり図書館の更に地下から来たのかい?」
「それは間違いない。私は更なる下層で作られ、ソウケンの命令を受けてここまで来た」
「なるほど、ということは君の記憶はここからさらに図書館の奥に進んでいけば戻って来そう?」
「それは……多分。他のリブルシリーズの聖典を転写すれば何か分かるかもしれない」
聖典といえば、彼女が持っているものやあの本の巨人の核となっていた本のことだったはずだ。それがまだ他にもあるという事なのだろうか。
しかし、彼自身このまま地上に戻る気はない。戻る方法も分からないし……父の行方もまだ不透明だ。それならこのまま進むしかないだろう。この国会図書館の地下に広がる迷宮の奥へと。
「分かった。それじゃあ一緒に進もう。僕は父を探しに、そしてこの図書館を冒険するために下へと進む。守ってくれるかい? サティ」
「……! もちろん!」
こうして、彼の図書館の探検は始まった。図書館地下に広がる広大な謎の施設。そして謎の少女。リブルフォース、そしてリブルシリーズとはいったい何なのだろうか。
彼には分らないことがまだまだ多すぎた。父の行く末もまだ詳しくはわからぬまま。ただ、この図書館のもっと地下にいることは間違いないようだ。更に深くへと下っていけば、きっとそれらの謎が解ける瞬間も来るに違いない。
彼はサティと共に、厚い鉄の扉を抜け、第二層へと、更なる図書館ダンジョンの深部へと降りていくのであった。
図書館ダンジョン ~Labyrinthian Library~ 柳塩 礼音 @ryuen2527
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