第13幕 真鍮琴のような声

 一歩遅かった。ぎぃっと不気味な音をたてて棺の扉は開かれる。すると――。


「ざぁんねんでしたぁ!」

「え」

「は?」


 見るも無残な遺体が出てくるかと思いきや、そこから出てきたのはなんとスケル・トーンさんだったのだ。意表を突かれたわたしは、怨霊に飛びかかろうとした体制のまま地面に転げ落ちる。

 一体、なにが起こったのか。顎についた土を払いながら、スケル・トーンさんをしげしげと見つめる。


「おい、骨野郎。遅すぎなんだよ」


 面憎そうにアベルがスケル・トーンさんにつっかかると、間髪入れずスケル・トーンさんは答える。


「っせぇな! 現地集合って言ってたから、棺の中で骨を磨いて待ってたのによー」

「な、なにが、どうなって?」


 流石の怨霊も度肝を抜かれ、その場で尻もちをついていた。スケル・トーンは意気揚々と胸骨を張り、棺から躍り出た。


「怨霊さんよ、二,三日前から娘さんの体に入ったままこの墓に来てたろ? 憎悪と愛のこもった視線、流石の骨な俺でも分かっちまうさ。復活祭ともなれば、満ち溢れる霊気で完全にニナの体に乗り移れる。そうなると、することは読めてらぁ」

「つまり、骨野郎はこの墓の中身と入れ替わって待機してたってことか?」


 少し感心したようにアベルが事実確認をする。


「そういうことさ、お人形ちゃん。オズウェルがすごく嬉しそうに埋めてくれるものだから、ちょっと戸惑ったのは秘密な……。ああ、本物の棺は違う墓地に移してるから安心したまえ」


 ああ、良かった。ニナのご両親の棺は無事のようだ。

 転げた状態のままほっとしていると、スケル・トーンさんが凄い勢いでこちらへ駆けつけてきてくれた。


「あ、アリシアー! 大丈夫か!? 怪我してないか! 

ああ、膝を擦りむいてるじゃないか!」

「あ、えと、このくらい大丈夫です。それより、あの、」


 急に押し黙った怨霊に警戒心を抱いていると、怨霊はいきなり頭を抱えて癇癪を起こした。禍々しい狂気の気に触れて身震いをする。


「セリーヌ! 俺はただ、お前と結婚して幸せになりたかっただけなんだ。お前は今、天国からあの男と寄り添って嘲笑ってるんだろ!」


 セリーヌ? どこかで聞いた覚えのある名前に、首を傾げる。記憶の中でその名前を探っていると、斜め後ろの並木道のある方角から軽快な口笛が聴こえてきた。

 こんな状況で口笛なんて似つかわしくない。その場にいる全員がそちらへ視線を向ける。するとそこには、はっきりとした顔立ちの若い男性がいた。少し高めの墓石に座り、大きなカンバスにペンを走らせている。


「こんなもんかな。いや、ちょっと違うかなー」


 そんな独り言を言い、数拍おいてから満足そうに頷いた。そして、こちらへ歩み寄る。


「お前まで、俺のことを邪魔するのか。するなら容赦しな――」

「いやいやとんでもない! 俺はね、お前の心の反射鏡なんだ。ほらよ」


 何枚かの紙のうち、一枚目を怨霊めがけて投げる。怨霊の眼の前の地面に落ちた絵。一枚目は、身も凍えるような抽象画で、ぐにゃぐにゃになった男のような塊が、自分で自分を喰らっている絵だった。


「いいだろう? お前が復讐のために腐心して、報われず自分を傷つけている姿さ。ふふん、これぞ先鋭さあふれる絵画的な美ピトレスク! そんで、次が――」

 投げられた二枚目は、一枚目の絵と正反対だった。男が大輪の花を抱えて、女性に微笑みかけている絵だった。

 女性もまた、柔らかい笑顔を浮かべている。


「それが本来のお前と、今天国にいる彼女の気持ちだ。天国の彼女、泣いてるぞ。俺の右耳から彼女の声が聞こえたんだ」

「嘘だ。そんなの、まやかしだ」

「へえへえ、そう思いたいなら思えばいいさ。――が、彼女はどうやらお前が死んだと思われた後、男との交換条件を飲んだらしいぜ。どんな条件だったと思う? 『結婚するかわりに、彼のお墓を未来永劫守る』と」


 怨霊の目が見開かれる。三枚目の絵を投げながら、更に続けた。


「彼女、貧乏な出稼ぎの花売り娘だったらしいな? 彼女からしたら、年限五年のお墓ですら経済的に難しかっただろうに。お前、死んでから自分の墓を見たことがあるか? 彼女は死ぬまで、お前の墓に花を手向けてたんだぜ。これがなにを意味するか、分かるよな?」


 三枚目の絵に、ポタポタとニナに乗り移った怨霊の涙がこぼれ落ちる。三枚目の絵は、男と女が寄り添って、時計のようなネックレスを包み込んでいる絵だった。そしてそのネックレスを見た瞬間、わたしは今までの全ての疑問が晴れた。


「あ、も、もしかして!」


 肌身離さず持ち歩いていた、あるものを取り出した。

 そう、コルマールの花売りのおばさんからもらった花時計だ。これは、おばさんが娘の形見だと言っていたものだ。そして、セリーヌという名前も、昔おばさんが存命のとき寂しそうに囁いた名前だったはず。

 怨霊はわなわなと震えながら、わたしの手から花時計を大切そうに受け取った。


「これは――俺がセリーヌのためにあげたものだ。なぜ、君が持ってるんだ?」


 怨霊の目に宿っていた憎悪の炎は鎮火していた。目からあふれる悲嘆の雨がその炎を消したのだろう。


「えっと、その――セリーヌさんの母親にあたる人としり合いだったんです。不思議な御縁、ですよね……母親の方もセリーヌさんの後を追うように亡くなってしまった。けど、その直前にセリーヌさんの形見だと言ってわたしに渡してくれたんです」


 わたしは今までこの花時計に救われてきた。何物にも代えがたい大切な宝物だし、できることなら誰にも渡したくない。けれども――。


「きっと……きっとですが、この花時計はあなたと再会するべくして再会したのだと思います。わたしを媒介として――。貴方が持っておくべきだと思います」


 名残惜しいけども。辛い時、いつもそばにいてくれた花時計を一瞥し、ぎゅっと握る。そして意を決して差し出す。すると、怨霊は何度もありがとうと言いながら受け取り、その場で泣き伏した。


「セリーヌ、恨んだりして悪かった……! ずっと捨てず、大切にしてくれてたんだな。セリーヌ、ずっと愛してる。多くは望まない、お前と結ばれたかった。ただそれだけなんだ! あの時に戻れたら、何度もそう言うのに」


 もう、なにもかもが遅すぎた。怨霊の哀哭は、果たして空の彼方にいるセリーヌさんに届くのだろうか。怨霊がしようとしたことは決して許されることではないが、怨霊のセリーヌさんに対する愛は本物だったのにと胸がきしむ。

 声をかけられずにいると、オズウェルさんはわたしの肩に手をおき、小さな紙片を渡してきた。そこには、短い詩のような言葉が書かれてある。


「さあさあ怨霊のために一曲したためてあげたよ。さあ、アリシア。鎮魂歌の練習の成果を発揮したまえ」

「え? わたしが、こ、これを、歌うんです?」


 そんな無茶な! 首を横に振るものの、オズウェルさんは否定を許さないような無言の圧力をかけてくる。助けを求めてアベルへ視線をやると、ある異変に気づいた。


「あ、アベル……?」


 墓石の上でぐったりとうなだれるように座ったアベル。それにブツブツと何かをつぶやいている。どこか不気味なその雰囲気に気圧されながらも、心配で顔をのぞいてみた。

 刹那――いきなり顔を上げたアベル。そして、今まで見たことのない笑みを浮かべる。驚愕のあまり言葉を失っていると、アベルはわたしの手を優しく両手で包み込み、囁いた。


「お嬢さん。歌ってみてください、彼のために」

「あ、アベル、どうしちゃったの?」


 あの口汚いアベルが敬語を使うなんて、前代未聞の事態だ。慌てふためくわたしに、オズウェルさんは説明した。


「ああ、アベルは今、セリーヌさんに器を提供してあげてるんだ。つまり、セリーヌさんがアベルに憑依しているから、今のアベルはアベルじゃないんだよ」


 なるほど。いいや、なるほどじゃない! にわかに信じられないこの状況に、足がガクガクと震えてくる。


「エリオは、インスピレーションと絵の才で除霊を。僕は作詞と言葉選びで、そしてアベルは――対象者の縁ある霊を呼び寄せ、降霊によって諭す。各人が自分にできる方法で、救われぬ魂を鎮める。それが『セレナーデの図書館』の裏の仕事なんだ」


 セレナーデのメンバーの仕事が、そういうものだったと誰が想像しただろう。オズウェルさんの説明を受け、純粋にこの人たち(人ではないけれども)は凄いと尊敬の念を抱く。


「シモン」


 アベルの口から、おそらく男の名前だろうものが紡がれる。

 ハラハラとした気持ちで中身はセリーヌさんのアベルを見守っていると、泣き伏している怨霊の元へ歩み寄り、肩を撫でる。


「謝っても赦されないことは分かってる。けど、貴方のことを本当に愛してたわ。いえ、夫へ向ける愛とは違う愛だけども、今も愛しているわ。貧乏な私には、貴方の遺体をきちんと葬ることすらできなかったの。貴方を共同墓穴で身寄りのない遺体と一緒に葬りたくなかったのよ……ごめんなさい」


 アベルの体なのに、やはりアベルとは別人の物言いと振る舞い。セリーヌさんの言葉は、一言一句選ぶように、大切そうに紡がれていく。

 怨霊――否、シモンさんはニナの体からすぅっと出て、月光の下に佇んだ。シルクハットをとり、隠れていた顔がやっと現れる。潤んだグレーの瞳が、今にも壊れそうな結晶のように輝いていた。


「俺のほうこそ、悪かった。君が俺の墓に花を手向けてくれていたと知らず、事実を知ろうともせず、ただただ恨んで大切な君の娘を奪おうとした」


 気を失っているニナを抱え、シモンさんは肩を震わせて涙を流しつづける。

 死後になってやっと分かり合えたシモンさんに、やっと胸の内を語ることができたセリーヌさん。そんな二人にできることが、この手元と喉元に潜んでいる。

 わたしは少し後ずさり、足のつま先に力を入れた。こんなにも力強く、精力あふれる大地に足を踏みしめたのは生まれて初めてのような気がする。いつもは末端から中枢にいたるまで、どこか脱力したような感覚で生きてきた。

 生きることは、強く根を張って花を咲かすこと。サクラのように、儚くも美しく散るそのときまで――。わたしは肺いっぱいに空気と感情を飲み込んだ。


涙の日、その日は

心救われぬ者が慈雨を受けるために

地下の袋小路からよみがえる日です

神よ、この者をお許しください

慈悲深き主、イエスよ

彼らに安息をお与えください。アーメン


 涙の日 (Lacrimosa)を、シモンさんにあうよう変えられた歌詞に心をのせて口ずさむ。

 彼らの会話を邪魔しないよう、少し小さめの声で歌ってみた。それでも、彼らへの想いはすり減っていない。

 こんなにも心から歌をつむいだのは初めてで、歌い終わった瞬間、体にほとばしる熱にうなされそうになる。


「なんて透明で、神秘的な声なのかしら。まるで、真鍮琴のようね」

「本当だ。全てが洗い流されるようだ……ありがとう、アリシア。そして、皆さん」


 小さい声でも、きちんと彼らの胸の奥まで響いていたようだ。わたしの声で、歌で、だれかを助けることができた……? とぎれとぎれの声で、「い、いえ」と応える。胸の鼓動がまだ速い。

 アベルの体からセリーヌさんも出たようで、ガクンとアベルの体が墓石にもたれかかる。慌てて駆け寄り、そこから倒れないように抱え込んだ。


「もう、彼が迷わないように私が天へ導くわ。本当にありがとう、皆さん。特にアリシア、貴方の歌のお陰で、不思議と体が軽いわ」


 二人は指をからめ、幸せそうに微笑みながら月光の道を登っていく。彼らの姿が夜霧に消えるまで、どこか悲劇と喜劇を見終わった余韻を宿した心境で見守っていた。

 今度こそ幸せになって、と祈りながらセレナーデの鍵を右手で握りしめる。もう手元に花時計はないけども、この鍵がわたしに寄り添ってくれているようだった。

 パチリ。

 セレナーデの鍵の時計盤を見ようと視線を落とすと、いつの間にか意識を取り戻していたアベルの大きな瞳とかち合う。先ほどアベルを抱え込んだため、自然と膝枕をしているような状況である。


「あ、アベル、なの?」

「ったりめーだろ。ちっ、降霊の力でしばらく力が入らねぇ」

「しばらく、この状態でも。それにしても、よ、良かった。アベルがアベルで。やっぱり、アベルが一番だわ」


 どこか面映ゆくてもじもじしながら直情を吐露する。

するとアベルは不必要なほどにまばたきを繰り返し、ケラケラと笑い出した。


「いっつもあんなひでぇこと言う奴が、一番だって? 全くお前は笑わせてくれるな」

「う、うるさいうるさいうるさい!」


 目をギュッとつむって声を張り上げる。すると今度こそアベルは驚きを隠しきれず、ポカンと口をあけたままこちらを穴があくほど見上げてきた。


「あ、あなたが、サディストだって構わない……わたし、気づいてしまったの。あなたは、根から悪いんじゃない。た、ただの、露悪家(ろあくか)なのよ。そんな、悪びれなくたって、いいじゃない」


 あ、言ってしまった。その後、やっと冷静な感情が蓋をしようとしたらしく、「あ、あ……」と後悔と動揺の吐息が漏れる。

 アベルは、ただただ物珍しげにわたしを見てくる。沈黙が痛々しい。そんな時、助け舟を出してくれたのは、画家の男性であった。


「オズウェルー! 俺、腹減ったー。どっかで飲み食いしようぜ! ポトフ食いたい」

「全く、君は空気が読めないね。まあ、その案には賛成だ。お嬢さんが正式にセレナーデのメンバーになったようなものだから、歓迎会にもなりそうだ。あ、お嬢さん。こっちの画家がエリオだよ」

「やぁやぁ、よろしく! アリシア、だっけ? お前、磨けば良い感じになりそうだな……全身隅々まで描いてみたいなー」

「!?」

「こらこらエリオ、ナンパしない。

ほら、そこの骨――スケル・トーンもいじけずに。君は図書館に戻っておいてくれて構わないよ」

「は、はぁ!? 俺もポトフ食いたい! 連れて行け!」

「やだよ。君がいると目立って、気を失う人まで出るからね。お嬢さんもアベルも、ほら」


 わたしたちはぎこちなく立ちあがる。アベルはようやく体が動かせるようになったらしく、わたしの数歩先をずんずんと歩き出した。

 少し寂しい気持ちで背中を見つめる。近くにいるようで、遠い存在。手を伸ばそうとしかけたその時、オズウェルさんがクスクスと笑い出す。


「お嬢さんのお陰で、良いものが見れたよ。アベルが動揺する姿なんて、全くいつ以来だろうね」

「え、え……あれ、動揺、してたんですか?」

「ああ、どう見てもしていたさ。アベルは大抵、真顔か見下すような笑みを浮かべてるからね。あんなきょとんとした顔は珍しいのさ」


 そう、だったんだ。なんとなく、胸のあたりがじんわりと温かくなる。わたしが、アベルの感情を少しでも動かすことができたんだ。

 神父様、わたしは気づきの後、なにかできることがありそうです。


 ほくそ笑んで、アベルの背中へ伸ばそうとした手を引っ込めた。今は、無理に伸ばそうとしなくてもいいじゃないか。少しずつ、彼の背中を追いかけて、いつかは対面ではなく背中合わせでもいいから、語り合える日が来ますように――。

 ニナを抱えて泣く泣く去るスケル・トーンさんと別れ、わたしたちは暗い路地を抜け、わいわいと賑わう光の都市を練り歩く。


 ここは、光の都市『パリ』。死者がむせび泣く中でも、生者もそれに負けじと喜色の歌を紡いでいる。

意気揚々とステップを踏むように歩いてみようかな。――そう思った、その時であった。


「あ、あ……あなた、たち……」


 か細い声が、わたしたちにかけられる。振り返ると、そこには札束を握りしめた男と、その男に肩を抱かれた女性がいた。

女性は露出の激しい服を着ており、すぐに娼婦だと分かる。はだけた胸元に、赤いキスマークのようなものが残っていた。

 この容姿と声、見覚えがある。わたしは戦慄した。なんで、貴方が……こんなところにいるのですか。


「うそ、あなた、もしかして――『金のプリマ』?」


 そこには、頬がこけて変わり果てた「あの人」がいたのだ。そう、わたしがパリへ来て生きる希望を与えてくれた、オペラ女優だ。あの時、オペラ=コミック座で艶然と踊って歌っていた美しい姿は見る影もなく。

 しかし、彼女はわたしに驚いているようではなかった。

視線は、他のセレナーデのメンバーに。いや、違う。アベルに向けられていた。


「久しぶりだな、セレスティーヌ。まあまあ、本当にカルメンみたいにジプシー女になって」


 アベルは軽蔑しきった瞳で彼女を見やる。そして、力強くこう吐き捨てた。


「いい気味だ」

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空繰のイヴ -夢遊病患者と謳われたオペラ女優の真相- 聖花(※星羅堂) @seira1015

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