第12幕 鳴り止まない弔鐘
「おい、エリオ! ただの画家のくせに、プロの版画家と並んで仕事をする気分はどうだ?」
「ははっ、光栄すぎて実感がわきませんね。先輩方にはかないませんよー」
エリオと呼ばれた男性は人懐こい笑顔を浮かべ、また黙々とツゲの木に版画を彫り出す。
長机の上にむさ苦しい男たちが密集して版画を彫る作業に、なんら芸術性がない。エリオは心のなかで舌打ちをする。
「イタリア野郎がまーた愛想笑いしてやがるぜ! そうやって編集長におもねってこのアトリエに入らせてもらったんだろ? お前は版画を彫るより、安っぽい恋愛小説でも書いて掲載してもらえば?」
「今なら記事一本で五フラン、しかも掲載されればどんな記事でも一行一〇サンチームだとよ!」
「しかも経理部長に頼んだら、もう一,二フラン上乗せしてもらえるんじゃね!?」
ぎゃはははっと嫉妬心丸出しの下品な笑い声がアトリエに響く。
それも無理はない。かの有名な『イリュストラシオン』の版画家になる人は、大抵中年からその上で、二三歳のエリオはそれこそひよっ子も同然なのだ。
「……っせぇな」
「ぎゃっはははは……って、え?」
「いや、なーんでもないですよー あははー」
エリオが小さく呟いた本音に思わず聞き返す版画家一同。しかしエリオは顔面神経痛でひくつく頬を吊り上げ、あどけない笑顔を浮かべた。
(そこらの道にいる大道絵師より下手なくせに)
そんな毒を内に秘めつついると、アトリエの窓の外からコンコンと音が響く。黒猫の姿を見て、それがオズウェルだとすぐ気づいた。
そろそろ、現地へ行かなければならない。エリオはノルマの版画がちょうど終えたところで、荷物をまとめて足早に去る。ちなみに版画家の先輩たちは、無駄話に花を咲かせてノルマがまだできていなかったようで、顔を真っ青にさせた。
「先輩方、お先に失礼しまーす! 恐縮ですが、口より手を動かされたほうが良いと思いますよ」
「え、エリオ! 貴様、なんて無礼な……!」
「俺、こう見えて先輩方のこと尊敬していますから!」
多分、という言葉は飲み込んで眩しいほどの笑顔を浮かべるエリオに、先輩一同はうっと居心地悪そうに視線をそらした。
エリオはうまい具合に嫌味を中和させると、今にもスキップしだしそうな爽快な様子で部屋を後にした。
パタン。
扉が閉まると、急変。カンバスや持ち運び用のペン一式を持ち直し、オズウェルの背中を全力疾走で追いかける。
「おいおい頼むよ、オズウェル! 職場にまで来ないでもらえるか?」
そう言うと、オズウェルはチリンと鈴の音を立て、人間の姿に変化させる。猫の姿だと分からなかったオズウェルの表情は、困惑一色であった。
「緊急事態なんだよ。話していたお嬢さんのお友だちが
「げぇ、嫌な予感がする。つーかさ、俺はそのお嬢さんとやらはどうでもいいし。モデル用の美人しか興味ねーよ」
「(磨けば)美人だよ」
「そうかそうか、早く先を急ごう」
単純だなぁとオズウェルは苦笑いをする。なにはともあれ、多忙かつ気分屋なエリオが来てくれるだけでも有り難いから、物申したい気持ちはあったが黙っておいた。
すると刹那――「エリオさん!」と声がかかる。「え?」とエリオとオズウェルが同じタイミングで振り返ると、そこにはカフェの前で佇む女性がいた。しかも、美人である。
「えっと……お嬢さん、失礼ながらどなたです?」
「お忘れになったのですか? 私です、この前絵のモデルになったクリスティーヌです」
「あっ」
エリオがやっちまったという顔をし、オズウェルもなるほどと察す。
エリオにはよくある話なのだが、どうやらこのモデルの女性はエリオに恋をしたみたいなのだ。真っ赤な顔、着飾った姿、待ち伏せ。今までに数えきれないほどあったエリオは、自意識過剰ではなくその先のことが分かっていた。
「エリオさん。貴方に『綺麗だ』と言われて嬉しかったんです。しかも貴方、いつもはチャラいのに絵を描く時だけ真剣で……あの日から貴方のことが忘れられなくて」
「そうか、ごめん! 忘れてくれ!」
「だから、好……え」
軽く謝罪をしたエリオは、既に街角を曲がって一四区を目指していた。もちろん、罪悪感はこれっぽっちもないエリオにオズウェルは呆れ果てる。
今にも泣き出しそうな女性に、オズウェルは丁寧に弁解と謝罪をすると、すぐにエリオに追いついた。
「おい、エリオ。女性には優しくしろって再三言ってるだろう?」
「え、してるよ。モデルとして彼女は十分魅力的だったし親切にしたが、こちらはそれ以上のことは求めてない」
「…………」
きっぱりしてるなぁ、女泣かせめ。オズウェルの言葉は夜のしじまに消えていった。
「それよりさ、エリオ。飛んでいったほうが早くないかな」
「もう肋骨を折るのは勘弁」
女性の分の仕返しと言わんばかりにオズウェルは飛行装置の瓶を勧めるが、かつてそれで上手く飛べずに肋骨を折ったエリオにとっては最高の嫌がらせであった。
月虹の光輪の中を漂い、ようやくモンパルナス墓地に到着した。
瓶の蓋を開けると、次第に降下していき、地に足をついてほっと胸を撫で下ろした。ユートピア文学に浸っていたような気持ちから、今度は妙に冷静な思考に切り替わる。
「あ、あの赤い閃光の先にいるのね」
広すぎる墓地なので、小道が多い。黒い木の看板には、ご丁寧に通りの名前が書いてあった。年限五年※の区域の先にある年限一五年区域に入ると、ついに見覚えのある後ろ姿がぼんやりと見えてきた。
「ニナ! 大じょ……う、ぶ?……」
明らかにおかしい。ニナはとある墓石の前で膝をつき、ケタケタと笑いながら墓石の前の土を掘り返しているのだ。泥と血に塗れた指先が痛々しくて見ていられない。
既に、浅く埋められていたモミの木の棺桶の角が少し土から姿を現していて、もう少しといったところであった。
「あははは……は、は……あ、アリシア、だ……」
振り返ったニナの顔は不自然な笑顔を浮かべ、それなのにも関わらず涙の痕があった。操られて必死に藻掻いた痕跡なのだと思うと、心臓が圧迫される。
「おい、怨霊。夜はまだ長いんだから、一回そいつから出て話をしようぜ」
「いや、いやいやいや! 邪魔をするな! 俺はなにがなんでもこの墓をあばかないといけない。この墓に埋まってるやつらは、最低な人間なんだ。俺が死んだと思われてから一週間も経たないうちに男をつくったあばずれと、その男の墓なんだ」
悲嘆に暮れた表情で言うと、それを皮切りにぼそぼそと語り出す。
「俺はただ強硬症(カタレプシー)で、検死医に死んだと勘違いされ、棺に無理矢理入れられたんだ。
棺桶の中でやっと体が動けるようになった時、必死に棺桶から這い出た。
爪の剥がれなんてお構いなしに愛しの彼女へ会いにいったら、ちょうど彼女の家から見知らぬ男が出てきたんだ。男は彼女に口づけをして、また来るよと言っていた……。ああ、一度死にかけて恐怖の無の世界を棺桶の中で味わったのに、俺は二度目の死を迎えた。絶対にあいつを許さない、そう誓いながらまた墓地で死に至ったんだ」
怒りで震える怨霊――いや違う、ニナの体。そしてニナは再び笑いながら涙を流していた。必死に首を横に降っているが、なにを意味しているかは分からない。
「俺はニナ、こいつがあまりにも無欲で、昔の愛していた彼女に似たことを言うものだから気になったんだよ。そしたら、俺の予感は当たってた――こいつは、彼女と間男の子どもだったんだ。なんたる運命の皮肉! この忌々しい彼女と男の眠る墓の前で、お母さん、お父さんと呟くんだ。だから俺はこう決めた。この裏切り者の墓をあばいて、死体をひき出して侮辱し、大切な子であるニナを生き埋めにして俺が魂を束縛してやろうと」
だが、それは悲しみを紛らわすための怒りのように見え、その怨霊の心痛が伝わってくる。
一度棺桶の厚い土の中に閉じ込めれらただけでも怖かっただろうに、ボロボロの姿で必死に彼女へ会うために駆けつけただろうに、一縷(いちる)の希望が絶たれた瞬間の絶望は果てしないものだろう。
「た、確かにそれは計り知れないほど辛かったでしょうに。け、けども、ニナは関係ないじゃない! 恨むなら、その愛しの彼女と男だけにすれば――」
「いないんだよ」
「え?」
「もう、二人の魂は手の届かないところにいったんだ。そう、天国にな。酷いと思わないか? 俺は罪もなく散々二度の死を味わうほど苦しめられておいて、苦しめた張本人らは幸せに神様の元へ行ったんだ。俺は、誰を恨めばいいんだよ! そしたらもう、あいつらの墓を荒らして、やつらの宝物だったニナを苦しめるしかないじゃないか!」
狂気じみた悲痛の声を振り絞り、ニナを操る怨霊は再び棺桶を引き出そうと掘り出す。止めようと、ニナの背中を抑えるがものすごい力で跳ね返された。
「いたっ」
盛大に尻もちをつき、涙目になる。するとニナの背中はびくっと上下し、動きを一瞬止めて、
「おとうさんとおかあさんのおはか、ほりたくない……みたくない。ごめんなさい、ごめんなさい……」
と言いながら、また掘り出す。その言葉はニナの心の声だと分かり、こちらまでその生き地獄のような気持ちが伝わってきた。
怨霊からすれば、ニナの両親は憎悪の的かもしれない。
しかしニナにとっては愛すべき肉親であるのに。この中で一番可哀想なのは怨霊ではなく、ニナではないか。
ふつふつと血液が沸騰したように熱くなる。これってなんだろう。怒り、なのかしら。
「おい怨霊。お前の気持ち、すごくわかるぜ」
今まで黙って聞いていたアベルが愉しげにそう言った。いつの間にか罰当たりにも墓石に座るアベルは、怨霊を見下ろして口角を上げている。
「永遠の愛を誓っても、人間の気持ちなんて振り子のようにすぐ変わっちまうもんだ。その彼女とやらを恨む気持ち、そりゃわかるぜ。しかも愛の反動の憎しみは強烈だもんな」
「わかるなら、邪魔するな」
「いいや、邪魔する。お前の勝手な憎悪と復讐は大いに結構だが、当事者以外の罪のない人間を死に巻き込むな。お前だけがこの広い世界で一番不幸だと思ってんのか?……思い上がるなよ」
今まで、これほど凍り付きそうなアベルの声を聞いた試しがなかった。
アベル、貴方はどこまで悲しい想いをしてきたのか。
先ほどの言葉はそれこそ氷山の一角だろう。だからこそ、説得力のある響きを内包しているのだ。
「いや、俺は不幸なんだ! 世界で一番不幸なんだ! だから、だから……」
「や、やめて!」
死者を眠りから覚まさせるわけにも、腐敗しているだろう親の遺骸をニナに見せるわけにもいかない。
怨霊にもう少しで触れるといったちょうどその時に、棺の扉は開かれた。
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