第2話 崩壊

 次の日、俺は病床の佳緒里を一度母親に任せ、いつも通り学校に向かうことにした。


 どうやら朝になっても佳緒里の両親とは連絡が取れなかったらしく、母も佳緒里を病院に連れて行くなり、上賀茂家を見舞するなりしに行くそうだ。俺の方もセンター試験が約1か月後に迫った時分、休むわけにもいかない。


 学校に行くと、朝から教室の半分以上の席が空いたままだった。先生曰く、全てらしい。昨日までそんなことは無かったのだが……ここにきて急に大感染でも広がったらしいな。


 で、なぜここで『出席停止』じゃなくて『欠席』なのかというと……今流行っているこの風邪、実はインフルエンザではないらしいのだ。


 症状も感染力もインフルエンザに酷似しているのだが、どうやら検査をしてもインフルエンザウイルスが検出されないんだという。


 新手の新型ウイルスか!? などともテレビではもてはやされていたが、この現代に大流行するようなウイルスなんてインフルエンザかノロくらいしか思いつかない。専門家たちも目を回しているということだった。


 ま、そんなことは俺には関係ないことだ。むしろ大学受験のライバルを良いように絞ってくれるならむしろ良いことじゃないか。


 俺はそんな自分勝手なことを考えながら、午前の授業を過ごしていくのだった。


「ねぇ三倉くん! 佳緒里がどうなってるか知らない?」

「ん? なんだ野市か」


 昼休みになり、俺は1人で購買のパンを食べていた。いつもは母親お手製の弁当なのだが、今日に限っては無理ということで購買まで買いに行ったのだ。


 いつもならここで数人の数少ない友達と昼食を食べているものなのだが、あいにくそいつらもこの例の流行り風邪で全滅。結局一人寂しく食べることとなった。


 まあ、もともと1人は嫌いじゃない。受験勉強は個人戦だし、元来人は皆一人だって言うだろう?


 で、そんな俺の前に現れたのは同じクラスの女子、野市小春のいち こはるだった。高い身長に発育の良い胸元、そして頭はポニーテールで括り、力のある眼力で俺を見下してくる。


 こいつは佳緒里と同じバスケ部に所属し、それでもって俺と同じ『特進クラス』に所属する秀才だった。


 この俺と1位争いをしたことも幾度かある。どちらかと言うと勉強が得意でない佳緒里も、テスト前にはいつも野市に勉強を教えてもらっていたらしい。所謂いわゆる親友ってやつだ。


「何でそんなこと俺に聞くんだよ。直接聞けばいいじゃないか」

「な、何なのよその態度! それは貴方が佳緒里の彼氏だし幼馴染だからじゃないの。しかも昨日から佳緒里、RINEすら既読つかないし……何か知らないの?」

「知らないってもなぁ……」


 俺はそう言いながら、昨日の情景を思い出していた。高熱のまま転がり込んできた佳緒里。それを結局一晩中看病させられた俺……隠してもしょうがないことだ。俺はそれらを簡単に野市に伝えた。


「貴方の家に佳緒里が……? 分かった。放課後に見舞いに行くわね」

「おいおいこんな受験前にそんな油売ってて大丈夫なのか?」

「ふん、自分のことしか頭にない貴方には分からないでしょうね! それに先週のセンター模擬試験、自己採点なら私の方が上だったみたいじゃない」

「うっ……」


 挑発的な顔で俺のことを見下してくる野市。良い訳ばかりが次々と頭に浮かんでくるが、どれもこれも負け惜しみばかり。俺のプライドはそれらを口に出すことを許しはしない。


「じゃ。まあ、貴方じゃやっぱり頼りないから、そのまま佳緒里は私の家に連れていくことにするわね」

「な、何でだよ!」

「あら? 貴方が声を荒げるなんて珍しいわね」


 再びくすりと嘲笑を投げる野市。俺も思わず持ちあがった体を抑え、そのまま席に戻る。


「ふふ、じゃあ、また後でね」


 俺が何も言わないのを見計らって、そのまま野市は自分の席へと戻っていった。


 自分でも少し驚いたものだ。佳緒里を連れて行くとまで言われ、反射的に声を荒げてしまった。これはプライド云々の話だけではない。


 俺はふと教室の外へと視線をやった。そこはちょうどこの県立洛葉高校の裏庭になっていて、中央には巨大なクスノキが植えられていた。


 この学校の校章にもなっているシンボル。ただ俺達生徒の間ではもっと別の意味でシンボルとなっている。


 なんでも、『あの木の下で告白をすると必ず成功する』という噂があるらしいのだ。何かあのクスノキに神的な言い伝えでもあるのか知らないが、女子の間ではまことしやかに囁かれているらしい。


 で、俺があの佳緒里に告白されたのもあの木の下だった。確か、そうだ。もうすぐちょうど二年になる。当時高1の俺と佳緒里は偶然同じクラスだった。確かに幼馴染で中学校も同じだった俺達はそれなりに仲が良かったものだが、そもそも佳緒里はそこまで勉強が得意な方ではなかった。


 しかしふたを開けてみると彼女はこの京都府内一、二を争う進学校に合格していて、しかも同じクラスになっていたのだ。俺もまさかと思ってそこまで聞かないでいたから、驚いたものである。


 それで、そこからも以前と変わらずに佳緒里とは仲が良かった。家が近いこともあり、時々一緒に帰ったりもしていたが、俺の方はずっと腐れ縁の友達程度だと思い続けていたものだ。しかも佳緒里は男子に大人気というじゃないか。じゃあ俺の出る幕は無いだろうと。


 しかしその12月。俺は突然、佳緒里にあの木の下へと呼ばれた。雪の降る日だった。


 その時ちょうどテスト期間で部活が休みになり、俺が日直で珍しく佳緒里よりも帰るのが遅くなってしまった日だった。


 彼女は次の日のテストの分野を教えて欲しいということで、その日も彼女と一緒に帰ることになっていたのだ。そしてその集合場所がクスノキだった。


 今思えば読み取れる機会はいくつもあったと思う。俺を誘うとき、彼女は不自然に俺から目を反らしていたし、クスノキの下にいる時も何だかもじもじと髪を弄っていた。


 だが俺は不覚にも不意打ちを食らい、そのまま彼女の問いかけにこう答えたのだ。『よろしくお願いします』と。


「よーし、席付けー。皆いるか?」


 すると、教室に突然担任の教師が入ってきた。次の教科は国語、しかし担任の教師の教科は数学。違和感が教室中を駆け巡る。


「せんせー次国語ですよ? 間違えてるんじゃないですか?」

「いやそうじゃない。今日はもう授業中止だ。このままHRホームルームをする。この謎の新型インフルエンザのせいで欠席率が学校全体で半分を超えてな、職員会議で休校が決まったんだ」


 途端、歓喜の声が充満する教室。大方推薦でもう進路が決まった奴らだろう。俺としては迷惑な話でしかないが……まあ自宅でゆっくり勉強できる時間が増えたと思えば悪い話ではないか。


「じゃあ皆も手洗いうがいは忘れずにな。学校からの連絡があるまでくれぐれも自宅待機するように。じゃあ解散」


 その言葉と共に、俺は真っすぐに自宅へと戻るのであった。


 ――――――


「で、佳緒里の様子はどうなんだ? 母さん」


 俺は家に帰ると、キッチンでおかゆを作っていた母親にでくわした。佳緒里用のものだろう。


 彼女の名は三倉恵理子。エプロンをして、髪を結っている。年齢はもう40代も中ごろだが、痩せているのもあってか見た目はそこまで老けてはいない。


 服は完全に家用の普段着。どうやら、外に出た様子はなさそうだ。


「あらおかえりなさい。早かったわね」

「ああ、例のインフルエンザで休校になってさ……」

「お母さん! お腹すいた! 昼ご飯は?」


 すると、そこに妹の志乃が二階から降りてきた。服装は志乃の通う高校の制服のまま。どうやら志乃も休校になったらしいな。


「あれ、お兄ちゃんじゃん? そっちもやっぱり休みになったの?」

「そうだよ」


 言いながら、俺はダイニングにおかれたテーブルに座る。志乃も母親も、それに合わせてかどうかは知らないが、一度テーブルについた。


「志乃の学校も休校なのか?」

「うん! 今日はゆっくり家で絵をかくんだ~」

「そうかい」


 志乃は相変わらず少しおちゃらけた態度で嬉しそうにしている。まあ普通の高校生だったら当然の反応か。


「母さん、佳緒里の様子はどうなんだ?」

「それがねぇ……」


 曰く、彼女の病状は良くなるどころか悪くなる一方だという。しかも病院もどこも満員で、予約なんてとれたもんじゃない。あまりの患者の多さにパンクしてしまっているらしい。


 しかも相手は未知の新型インフルエンザ。当然有効なワクチンも薬も無く、応急的にリレンザやタミフルなんかの通常インフルエンザ用の薬を処方しているものの、効果は皆無なんだとか。それなら家においておいた方がましかと、今に至るのだという。


「まあ確かに、下手に連れ出すよりかはいいかもしれないな……ありがとう、母さん」

「いいのよ。祐一の大事な彼女さんじゃない。しかも、いづれは私の義娘ぎじょうになるかもしれないんだから、今のうちに優しくしておかないとね」


 ふふふと俺に微笑みを漏らす母親。俺はその言外の意味を敏感に汲み取って、少し複雑な心境にさせられる。


「でも、これならお父さんももしかしたら帰って来るかも知れないね」


 と、妹。


「うーん、今のところは連絡は無いわねぇ……もしかしたら対応薬の開発で忙しいんじゃないかしら」


 我が家の父親、三倉将太郎さくら しょうたろうは大阪の方へと単身赴任していた。職業は製薬会社所属の研究員。


 日夜ワクチンやら特効薬を開発するために邁進する研究者だ。その中でも父親はかなり優秀だったらしく、今では国際製薬企業『パラソル社』の日本支部研究所の副所長にまで抜擢されているらしい。


 そんな父の面影は俺の中に強く残されている。小さいころから俺は父親の姿を見て育ち、父親のように聡明で博識な科学者になりたいと願ったものである。


 今ももちろんその夢は変わってはいない。俺が進学校に進んだのも、難関大学への進学を目指すのも、その夢を叶えるためだ。


「まあしょうがないな。佳緒里はしばらく家で様子を見てあげるしか……」


 そう言いかけた瞬間だった。ガンッという衝撃音。何か固い物が床にぶつかったかのような鋭い音がダイニングに響いたのだ。


 しかも、それは一度や二度ではない。衝撃音だけでなく、まるで何かが暴れているかのような、ドタドタという足音のような音も数度聞こえてきたのである。


 音源は明らかに二階。俺の部屋の方だ。3人の間に、突然の緊張が蔓延する。


「何だ……?」


 俺達は母親を先頭にして、俺の部屋へと向かうことにした。階段を上り、左手に伸びる小さな廊下を進んだ突き当りが俺の部屋である。


 まさか、空き巣か? いや、だがあの部屋には佳緒里がいる。いくら病人とはいえ人のいる部屋に忍び込む空き巣なんて聞いたことが無い。


 じゃあなんだ? 佳緒里が暴れているとでもいうのか? しかし佳緒里はあの容態だ。いくら熱で参ってしまったとはいえあそこまで激しく暴れるほど体力があるとは思えない。


「……」


 今はあの音は止んでいる。母親がゆっくりと俺の部屋の扉を開ける。徐々に明らかになっていく俺の部屋の光景。


 見ると、俺の部屋は散々に荒らされていた。棚に入っていた参考書は床に散らばり、椅子はひっくり返り、ベッドもぐちゃぐちゃに荒らされている。


 そしてそんな散らかった床の真ん中に、佳緒里は仰向けで転がっていた。息を荒げ、目を閉じたまま顔を俺達から見て向こう側に向けている。


「佳緒里ちゃん!?」

「佳緒里!」


 俺達はそれを見て一目散に佳緒里の下へと駆け寄った。母親が真っ先に佳緒里を抱き上げ、意識を確認する。


「佳緒里ちゃん、どうしたの? 佳緒里ちゃん? あれ、熱が引いてる……?」


 母親がそう言い終えた時だった。佳緒里が突然目を開けたのだ。光の無い空虚の目。まるで佳緒里の皮を被った何かがそこにいるかのような底なしの闇。


 俺が声を出す間もなく、は目の前の母親へと視線を合わせた。そして……笑った。


 今まで俺ですら見たこともないような、佳緒里の不気味な表情。恍惚と悦びに満ちたかのような、それでもって人間離れした笑み。まるでテレビで見た呪われた日本人形の微笑みを想起させる。


 そんな表情のまま、彼女は言った。


「お兄ちゃん……みーつけた」


 そして、母親の首筋へと噛み付いた。

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全人類総妹化計画 柳塩 礼音 @ryuen2527

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