第4話 詐欺師は少年を勧誘する

 首尾よし、作戦準備完了。俺は『売却物件』という看板が掲げられた自動ドア――今は動かない――の前に立つと、ポケットに右手を突っ込んだ。隣に立つ標的がビクッと身体を震わせる。どうやらナイフを取り出すものと勘違いしたらしい。1歩後ろに引いて、戦闘体勢を取った。一陣の風が吹き、頬を刺激する。俺は薄笑いを浮かべながらポケットから右手を出し、標的の目の前で鍵束を振ってみせた。それで安心したらしい。標的はホッと溜め息を吐くと、俺の後から中に入ってきた。


「中、薄暗いな……」

「空き物件だから、まだ電気は通ってない。足元に気をつけて歩け」

「空き物件って言っても、あんたの所有物件じゃないの? 電気通せばいいのに」

「別に所有はしてない」

「え、でもさっきマスターキーを持っていたはずじゃ――」

「マスターキーを持ってるだけだ」


 正確にいえば、書類上は俺の所有物件ではないが、所有者は俺の所有物件だと思い込んでいるということだった。向こうが事実の錯誤に気付いた時に返還しなければならないが、まあ大した問題はない。もともとこの物件を騙し取ったのも、今回の作戦を実行する上で立地条件などが優れていたからで、作戦が終われば用済みだ。


 俺は1階の会議室の前に立つと、鍵を挿してドアノブを傾けた。すると透明なドーナッツ状の物体がつつつー、とゆっくり滑り落ち、俺の親指に嵌まる。それは特殊ガラスで作成された、オーダーメイドの小型チャクラムだった。反射した光と逆位相の反射光を作り出すことで打ち消し合い可視光を減らすことで、普通のガラスに比べてはるかに透度の高い特殊ガラス。それを円盤状に型取り、外周を鋭く削り、真ん中に親指大の穴を開けた小型投擲とうてき武器だ。この薄暗い中じゃ見えやしないし、俺が不自然な行動でも取らない限り気づかれやしない。それに、さっきのパフォーマンスのおかげで、少年の警戒心はポケットの中のナイフに向けられている。


 意識が逸れた一瞬が勝負だ。


 会議室に入って少年を奥に座らせると、俺はその真向かいに座って話を切り出した。


**************************************


 俺は自警団を能力者の互助組織として説明した。殺人やその他の犯罪行為などのきな臭いところは極力伏せながら。そして時には、平和を目的とした素晴らしい組織であることを強調しながら。


「……それで、僕も自警団へ入れ、と」

「そうだ。その方がお互いのためだ。自警団は、君のその《感情の実現化》とでも言うべき能力を欲している。『風』というイメージさえ捨てれば、お前の能力は非常に使い勝手がいいからな。そして、ここまでついて来たってことは、君は自分の力のことを知りたがっている。それに答えられるだけの情報量が自警団にはある。俺達は古今東西あらゆる能力の事例についての事細かな情報を保有しているし、君の名前を知っていたこともそういうわけだ。自警団に入った方が、君のためだと思うがな」


 俺は澄ました顔で嘘八百を並べる。自警団はこいつの力を欲してはいないし、そして自警団は大して能力に関する知識を持っていない。能力の運用法を考えるのが得意なやつらは多いが、メカニズムの解明に尽力する学者気質のやつは少ない。まだまだわからないことだらけだ。


「僕のためと言っておきながら、そもそも拒否権はないんだろ?」

「ああ、断ったら死んでもらう。ただ、貴重な人材は出来るだけ殺したくはないんでな」

「……別に僕自身が自分の力に興味あるわけじゃないし、あんたみたいな殺人鬼と同じ組織に居たくないけどさ……でも僕だってあんたを殺すのはごめんだ」

「誰だって自分の身が可愛いものさ。当然、殺されるのは嫌に決まってる」

「勘違いするなよ。あんたを殺したところで、次から次へと組織の人間が僕のところへ派遣されるんだろ? そしたら家族や友達がいずれ巻き添えを喰らうかもしれない。僕が手を汚して済むだけなら、その方がいい。そういうことだ」

「別になんだっていいさ、御託はな。……商談成立だな?」


 俺はチャクラムを左手にこっそり移して、それから標的と握手を交わそうとした。標的は気味悪そうに顔を顰めて、それから俺の右手を握った。程良く警戒心を解きつつある標的のその様子に俺は満足する。


 ――そろそろ、揺さぶりをかけてやるか。


「さて、自警団の一員になったということで、早速君に指令を与えよう。――ところで、君の力について他に知っている人間はいるか?」

「……知っている人がいたとすれば何なんだ?」

。それがお前への、最初の指令だ」

「……知ってるのは僕だけだ」


 標的は俺の目をじっと見据えてそう言ったが、それが嘘を隠すための動きであるのはばればれだった。眼球のぎこちない動きに、わずかに震える語尾。俺のような詐欺師がこんな嘘に騙されるはずがなかった。


詐欺師おれをあんまりからかうなよ? 君が普段から人の目を見ないで話をしているのは知っているし、それにさっきこう言ってたはずだ。『別に僕自身が自分の力に興味あるわけじゃないし』と。君自身が興味ないのであれば、誰が興味を持っているんだ? それとも、この期に及んでまだ、『知ってるのは僕だけだ』と言い張るか?」


 標的が口を閉ざす。口に出さなければ見過ごしてもらえるとでも思っているのだろうか? このまま沈黙が続いても困るので、俺は下卑た声を出して指摘してやることにした。


「ははん、さてはあのユキとかいう女だな?」


 標的がビクッと身体を震わせた。明らかに見て取れる程大きな動揺だった。俺はそれに満足しながら、あの日鷹に言われた台詞を一言一句違わず口にした。


「殺せ。大丈夫だ。死体はこちらで処理する。もし君が直接手を下せないというのなら、が仲間を呼んで殺させることもできる。2つに1つだ、どちらか選びな」


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 俺が自警団に勧誘された時も全く同じ2択を迫られたのだった。最愛の女を殺すか、それとも自警団に殺してもらうか。そして俺は――。


 ミノリは頭のいい女だった。それに美しかった。大学生の時、俺はとあるサークルを宗教団体に仕立て上げて小銭を稼いでいた。能力を使って奇蹟を演出し、持ち前の口の巧さで金を吸い上げる、今思えば詐欺のはしりのような活動だ。そんな中、1人の女が、友人を悪徳宗教団体から助けるためにサークルへやってきたのだ。それがミノリとの出会いだった。


『あなたが吐く嘘は、人を不幸にさせる嘘じゃない。それが仮初めのものであっても、人を幸せにしたり夢を与えたりする嘘だし、ちゃんと適正な額が支払われるならそこに文句はないわ。ただあなたの要求する額は1人の人間がちゃんとした生活が出来なくなってしまう程法外だし、幸福を与えてから不安で揺さぶってお金を要求するのはいただけないわ』


 感情論に流されず、善悪の固定観念にも囚われず、常に物事を客観的に捉えようとする冷めた面を持ちながらも、しかし確固たる理想を持った芯の強い女だった。だからこそ俺は惹かれたのだった。


 それから俺はミノリと『夢を与える嘘』について何度も語り合った。時には2人でそれを実行した。それは、見ようによっては立派な詐欺行為だった。俺達はそこを正当化するつもりはさらさらなかった。卑怯なことには違いないのだから。――ただ、そんな中でも信念だけは忘れなかった。人の笑顔を曇らせるような嘘は、決して吐かないという信念を。


 そしていつしか、ミノリは最も信頼できるパートナーになった。その矢先だった。鷹が俺に接触してきたのは。


 鷹は俺に2択を突きつけた。自分でミノリを殺すか、自警団に殺してもらうか。だが、どちらも選ばなかった。あの時の俺は立ち上がり、啖呵を切ってみせたものだ。


『ミノリに指一本でも触れたら殺す』


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「ユキに指一本でも触れたら殺す」


 標的はあの時の俺と同じことを言って立ち上がろうとした。


 人は椅子から立ち上がる時、大きな隙が生まれる。なぜなら、椅子が立てる音でその動きを予測することが可能だからだ。俺は最小限のスナップで手首を捻り、特製チャクラムを投げた。この瞬間のために何度も練習した投げ方だった。


 空を切り裂く鋭い音が響く。


 標的はこの期に及んでナイフのみを警戒していたらしい、回避行動を取ることができなかった。計画通りだ。しかし標的の怒りによって風が起こったのか、チャクラムは狙いを外れ標的の頸動脈すれすれ、首の皮一枚を切り裂いて通過していった。壁にぶつかり粉々に砕ける音が響く。それから標的の首が徐々に紅く染まり、血が僅かに流れ出す。


「それなら君を殺して、そのユキとやらを殺すだけだ」

「……ユキを殺す? ユキを殺すって?」


 標的は放心したように右手を、その紅い首に当てた。何が起こってるのかわからないといった様子だった。そして右手を首から離して、血のべったりついた掌を目にしたその瞬間だった。部屋全体に異変が起きたのは。


 最初は窓ガラスが小刻みに震えた。それから椅子と机がガタガタと音をたて、標的から遠ざかるように少しずつ動いていった。そして窓ガラスが割れんばかりに激しく揺れ始め、耳をつんざくような轟音がうねりを上げ始める。椅子と机の移動スピードが上がり、壁にガンガンと何度も打ちつけられる。その頃には俺の身体にも影響が出始める。最初は頬や首を刺激する程度だった風が、しっかりと踏ん張らないと身動きが取れない程の強風に変わる。


 俺はポケットに右手を慌てて突っ込み、ナイフを取り出すが、風を受ける面が大きく片手では上手く支えきれない。俺は逆手にナイフを持ち直すと、両手でがっしりと柄の部分を握った。これで多少安定するし、振り下ろす方が刺し易い。


 ――慌てるな。一瞬の隙、それをじっと待て。決して先走るな。でなければ、奴を油断させることは出来ねえ。


 風は更に勢いを増す。俺は身を屈めながら標的に向けて1歩1歩踏み出す。椅子や机が飛んでくるのを避けては、また標的のいる方に向き直る。幸いなことに、会議室には椅子と机、そしてチャクラムの破片しかない。時折ガラス片で服が破れたり肌が傷ついたりすることはあれど、致命的なダメージを負うことはない。風はまだまだ勢いを増していく。目が開くのも辛くなってきた。あと数分もすれば身体中が裂けるに違いない。


 体勢を崩さない俺にじれったくなったのか、標的は自ら握り拳を作って近づいてきた。風は標的に影響を及ぼしていない。自由に動ける標的と、もう殆ど動くこともできない俺。そこから生まれる慢心。それこそが、俺の待っていた一瞬の隙だった。


 俺がナイフを振り上げるのと、窓ガラスが割れるのは同時だった。


「ユキは、僕が護る。何としてでも」


 窓ガラスの破裂音に混じって、そんな声が聞こえたような気がした。

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