第3話 少年は詐欺師に遭遇する

 僕とユキは市立図書館に来ていた。2人の間で未だに交わされる、1カ月に1回の約束だった。


 あのすべり台での事故の後、について一緒に調べようとユキが言い始めたのが最初だった。あの頃の僕らは純粋だった。市立の広い図書館にはあらゆる本が揃っていて、必要な情報が記された本があると信じていたのだ。だから月に1度2人で図書館に行って、端から順番に本を開いていったのだ。時には難しい漢字ばかりの本や英語で書かれた本も読もうとした。当然、読めるはずもなかったんだけれど。そうやって図書館の端から端まで制覇していき、そして4年経つ頃にはもう地下書庫まで制覇していた。でも、何の情報も得られなかった。古来の魔女や怪現象、超能力者に対する知識が多少増えても、については何もわからないままだった。


 それでも僕らは諦めなかった。開き直って、今度は古来の魔女や怪現象、超能力者に焦点を当てて図書館の端から端を制覇していった。形は違えど、僕もその中の1種なのかもしれないと思ったからだった。そして同時に、物理や化学、生物、地学といった、いわゆる理科と総称される分野について学習をし始めた。


 あの頃は毎日が楽しかった。同じようなことの繰り返しのように思えて、でもユキと一緒にいれば何でも新鮮に感じられた。だからユキと毎日のように遊んでいたはずなのに、今となっては月に1度のこれが残っているだけだった。


 いつからこうなっちゃったんだろう――そう思いながら横に歩くユキの様子を窺う。するとユキもこちらを窺っていたのか、目がばったりと合った。


「な、なに?」

「いや……」


 僕は何をどう言ったらいいのかわからなかった。だからいつも、結局1番言いたくないことを言ってしまうのだった。


「こうしてるとユキの笑顔が見えたりしないかな、なんてさ」

「ご、ごめん」

「あ、いや別にそういう意味じゃなくて……」


 じゃあどういう意味なんだと心の中でツッコミをいれる。そして僕はそれに答えることができなくて、言葉に詰まる。ユキもどういう反応を取ったらいいかわからないようで、2人の間に気まずい沈黙が流れる。


 ――本当に、どうしてこうなっちゃったんだろう。


 そんな問いかけが喉元までせり上がってきては、いつものように虚空へ消えるのだった。


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 僕らは談話ができる自習室で流体力学の入門書を一緒に読んでいた。空気力学の項が、不思議な風に関係ありそうだったからだ。しかし書かれてある理論を理解しようにも、中学生の僕らには全く意味の掴めない数式が並ぶばかりで、にっちもさっちもいかなかった。いつものようにわからないところに対して意見を出し合おうとするが、前に勉強した高校物理に紐をつけた程度の妄想を語り合うしかなかった。それでも、不思議と徒労は感じなかった。ユキも自分のことを真剣に考えてくれている。それがとても嬉しかったのだ。


「あのに関わりがありそうかもって思ったけど、わからないところだらけだな」


 僕が笑いながらそう言うと、ユキはこくりと頷いた。そして、小さく喉を鳴らした。僕はそれを聞き逃さなかった。


「もしかして、喉渇いた? 僕もお茶なくなったし、コンビニで飲み物買ってこよっか?」

「ううん、いいよいいよ、自分で買ってくる」

「いいっていいて、ユキはここに居ときな。外は滅茶苦茶暑いし、僕はいざとなれば風があるし。何がいい?」

「……えっと、何でもいいかな?」

「うーん、何でもって言われても、ちょっと困るかな」

「……じゃあ、ケンジが今1番飲みたいやつ」

「なるほど、わかった。買ってくる」


 僕は鞄から財布を取り出して、自習室の席を立った。するとユキがこちらの方を見上げながら小さく呟いた。


「……色々気を遣わせちゃってごめんね」


 いつもの、ユキのよくわからない謝罪だった。二言目には「ごめん」と言ってしまうユキの悪い癖だった。


「ユキは謝るの禁止! わかった?」

「……うん」


 僕は煮え切らない気持ちで図書館を出た。そして不愉快なことに、暑いはずの外はちょっとだけ涼しかった。


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 コンビニは歩いて10分ぐらいのところにある。大手チェーン店で、近くにスポーツセンターがあるからか飲み物の品ぞろえは悪くない。


「今1番飲みたいのって実はお茶なんだよな。お茶でいいのかな」


 そんなことを思いながらペットボトル棚の前で選んでいると、すぐ後ろから「おい、日比谷ケンジ」と突然声を掛けられた。くぐもった様な、聞き慣れない低い声だった。


 ――いったい、誰なんだ?


 僕は身体を緊張させながら、恐る恐る振り返った。すると真後ろに、やはり見慣れない男が立っていた。スーツを着た一見どこにでもいるビジネスマン風の男だ。だが、目にも口にも作り物の微笑を浮かべておきながら、柔和なところが全く見受けられなかった。まるで相手を出し抜いてやろうと虎視眈々と狙う、詐欺師のような男だった。


「君に大事な話がある。ついて来な」

「知り合い……だったら申し訳ないが、あんたは誰だ? そしてどうして僕の名前を?」

「それも来れば話す」


 僕はスーツ男の言う通りに従い、何も買わずにコンビニから外へ出た。いざとなればあの不思議な風がある。そういう思いもあり、見知らぬ男に対する警戒心よりも名前を知られていることへの好奇心が勝ったのだった。


 僕とスーツ男はそれからしばらく住宅街を歩いて行った後、人通りの少ない路地に入って行った。


 その狭い路地には場末の飲み屋が立ち並んでいた。とは言っても、まだ真昼間だ。営業している店は1つもない。シャッターが降りてる店も少なくない。必然、路地には僕とスーツ男の2人しかいなかった。


「お、おい、僕はまだ未成年だぞ」

「知ってるし、知らなかったとしても見ればわかることだ」

「じゃあ、僕らは一体どこへ向かっているんだ?」

「――君の力の秘密、知りたいか?」

「……!? ……ち、力って?」

「別にとぼける必要はない。不自然に吹く、あの風のことだ」

「……なんで、そのことを!?」

「俺が今向かっているのは、1軒の空き物件だ。そこなら誰にも話を聞かれる心配もないし、そこに着いたら答えられるだけ答えよう。だが、誰かが来るかもしれない今は、まだ答えられない。……ほらな、1人ジョギングに来なすった」


 スーツ男がそう言うのと同時に、右後方からタッタッタと小気味よい足音が聞こえてきた。中肉中背の中年男性が首に巻きつけたタオルで汗を拭きながら、僕に軽く会釈をした。それから、2人の傍を通り抜けようとした。


 その時だった。スーツ男はスーツのポケットに手を忍び込ませると、振り返りもせずに右腕を後ろへ振るった。正確無比な早業で、その様子は空を切り裂くようだった。スーツ男の手にはナイフが逆手に握られており――その刃は中年男性の左胸を正確に貫いていた。


 中年男性は声を上げる間もなく地面に倒れ、ランニングシャツに血を滲ませた。僕は慌てて駆け寄った。しかし中年男性はすでに死んでいた。


 スーツ男はナイフの血をハンカチで拭い、ナイフをポケットに戻すと、死体に一瞥をせず歩き始めた。そして、振り返ることなく僕に告げた。


「そうそう、今これだけは言っておいてやろう。君の力は風動かすだとか、そんな小規模なものじゃない。もっと根本的な――そうだな、君自身の意のままに現実を変えてしまうような、そういう能力だ。今は君が『風』というイメージに囚われ過ぎているだけでな。肝に銘じておくがいい」

「こ、殺しやがった.……」

「ああ、今の台詞を聞かれると困るのでな。言う前に、念のため殺しておいた」

「向こうに着いてからじゃダメだったのか? それとも、今僕が逃げたら、こんな風に殺すぞと言いたいのか?」

「いや、別に。まあ、そう解釈してもらっても構わないがな」

「力づくで逃げると言ったら?」

「まあまあ、そう早まるな。無用なイザコザは避けた方がお互いのためだし、君は力について何らかの情報を得ることができる。君には悪くない提案だと思うが、どうかな?」


 僕は死体の前で手を合わせて冥福を祈った後、先を行くスーツ男に走って追いつくと、前に回り込んで向き合った。


「逃げるつもりはないけど。……でも、あの死体どうするの?」

「どういうことだ?」

「いや、このままここに放置しておくの? そんなわけにはいかないと思うんだけど」

「ああ、そのことか。放置しても特に問題はない。逮捕歴ないのが俺の1番の取り柄なんでな」


 スーツ男はそう言うと、ニヤリと口元を歪ませ、それからまた歩き出した。

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