第2話 詐欺師のとまどい

「ったく、ガセネタ掴ませやがって」

「え、なになに? なにって?」


 俺が会議室に戻るなりそう吐き捨てると、カップを片手に優雅なコーヒーブレイクと洒落込んでいた鷹がとぼけた声を上げた。


 会議室と言っても、とあるマンションの1室。1LDKの大して広くない部屋だ。ビルを所持しろとまでは言わないが、拠点としてもうちょっと適した場所はなかったのかといつもながらに思う。


標的ターゲットの情報が1部間違ってたってことだ」

「それってわたしに言ってるの?」

「他に誰が居るんだよ」

「それってわたしが間違ったこと言ったってこと?」

「さっきからそう言ってるだろ」


 日本語がおかしいわけでもないのに、こいつとコミュニケーションを取ろうとすると平行線をたどるような徒労感に襲われる。


 こいつ、と言っても立場は向こうが上だ。つまり忌々しい上司と、それに振り回され殺意を募らせる部下というわけだ。もっとも、忌々しい上司と言ってもただの無能ではない。それどころか、とんでもない無能なのだ。


「昨日の話だと、標的が起こす風は標的の身体に影響しないという話だったよな?」

「そうね、確かに言ったと思うわ。もっとも、わたしとあなたの記憶が改変されていなければの話だけど」

「おかしいと思ったんだ。何のリスクもなしに風速を上げれるなんて、あまりにもたちが悪すぎるだろ」

「なにもおかしなことはないよ? 少年に起こっている現象は、たぶん至近距離の窒素分子の操作。これまでに確認された能力と同じく意識的な操作は行えないけれど、脳が示した反応のパターンがそのままシグナルとして空間に伝播し、窒素分子に働く力場を変容させ独立させた状態で方向付けを行ってると考えられるの。そしてその方向づけと少年の意識により発せられたシグナルは概ね一致しているわ。自己防衛意識とも一致していると考えれば窒素分子を自分の身体と接触させないことはありえるし、つまり自分が起こした風では傷つかないという現象も十分にありえると思うけどね。――事実、その証拠が3年前に発見されているじゃない。誰の目にも明らかな形で。だから暗殺対象になったわけで」


 鷹の言っていることは殆ど理解できなかったが、最後の所だけは理解できた。3年前の児童誘拐事件、標的と幼馴染の女の子が無傷で帰ってきたあの事件のことだった。


 だが――、と俺は尾行中に目にしたものを思い出す。スニーカーを手にしたまま、目を瞑って木に凭れかかった標的。局所的に起こる強風。そして、逆立つ体毛。

 

「あいつの腕の毛が逆立っていたんだ。風に合わせて」

「ん? それはどういうこと?」

「風に合わせて毛が逆立つってことは、風が身体に接触しているってことだろ」

「ふむふむ、なるほどねぃー」


 鷹はビジネス用の伊達眼鏡をくいっと押し上げると、馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「少年が操作できるのは窒素分子だけって聞いてなかった? つまり君が見たのは大気に含まれる窒素分子以外の分子が毛を揺らしているところ。他の分子は窒素分子の操作に影響されず、偏在しているからねー。だから標的が窒息するようなことはないし、逆に窒息させられることもない。窒素だけにー」

「ふうん、なるほど、そういうものなのか」


 鷹のその説明に一瞬納得しかけたが、だが俺はとある事実を思い出した。その説を否定する、1つの事実を。


「ちょっと待て、今なんて?」

「窒素だけに」

「そこじゃない」俺はまどろっこしくなって自分から言及することにした。「……他の分子は窒素分子の操作に影響されないと言ったな?」

「確かに言ったわ」

「つまり、標的の毛を逆立たせた風は、能力とは関係なく自然現象として発生した風だと」

「うーん、そう言うことになるね。多分」

「だが、1?」


 鷹は顎に手を添え、小首を傾げながらしばらくの間考えを巡らせた。


「まあ、確かに一考の余地があるかもね。――でも、それが大切なの?」

「今までの話を総合すると、恐らく。そして、


**************************************

 

 そもそも、この話が俺のもとに舞い込んできたのは寝耳に水のことだった。


 俺が所属している組織、自称『自警団』は人ならざる能力を手にした者たちによる互助会的意味合いを持って設立された集団だ。社会不適合者――いや、人間不適合者の集まりなのだ。それもあらゆる意味で。人ならざる能力を手にした人間と言うのは得てして迫害されやすい傾向があるため、それを未然に防ごうという目的を持った組織なのだった。そのために『自警団』が行っていることは3つ。それは、能力保持者の発見と勧誘、あるいは暗殺である。能力が暴発して世間に能力者の存在を知られる前に自分達で対処し生き方を教える。能力が極めて危険であり、手綱を取れそうにない場合は始末する。と、そういうことである。


「あまりに大きすぎる力は、本人の意志に関わらず存在そのものが悪意なんだよ。君もいずれわかるようになる」


 かつて鷹は、組織に入ったばかりの俺に向かってそう言った。


 そういうわけで、組織は能力使用の証拠を得次第、構成員を派遣し勧誘や暗殺を行うわけである。そして今回俺に回ってきた案件は、暗殺の方であった。


 しかし、


 理由は2つある。俺は組織に入る前に詐欺を飯の種にしていたから、口が多少なりとも達者であるというのが1つだ。そして、構成員の中で戦闘向きでない能力だからというのがもう1つ。誰かとタッグを組んでサポートに回ることはできても、俺1人で暗殺を遂行するのは不可能だ。それは、鷹も知ってるはずのことだった。なのになぜ俺1人で暗殺を?


**************************************


「なんでこの仕事を俺に回したんだ? ダボとかに任せておけばいいじゃねえか」


 俺は鷹に疑問を投げかけながら、自分のカップにコーヒーを淹れる。インスタントのコーヒーなんてまずくて飲めたもんじゃないが、ある液体を入れるのがミソだ。隠し味に――いや、味隠しにはもってこいなのだ。


 ダボというのは児童性愛殺人鬼として世に名を馳せた犯罪者だ。この組織には俺のように犯罪者も多くいる。多くは能力を利用して軽犯罪を繰り返した奴だが、超ド級の犯罪者も所属している。そういう奴は大抵暗殺要員だ。


「ん? もしかして少年を殺すのに躊躇いがあったりするの?」

「別にそういうわけじゃないが、納得できなくてな」


 殺しに慣れていないというわけではなかった。むしろ、殺しは十八番おはこだ。誰にも言ったことはないが、そこらのぽっと出の連続殺人鬼よりは殺しの経験がある。ただ、戦闘向きの能力でないというだけで。


「上からの命令でねー共犯者意識を植え付けるために、君にも1度暗殺をさせるべきだって前々から言われててさ。それで今回の案件が君にピッタリだからやらせてみろというお達しが出たので、命令したわけなの」

「どういう意味でぴったりかって聞かなかったのか?」

「自分で調べたらわかると思ってたからねー、調べてみてあらびっくり、こりゃどう考えても君を始末するための口実だなって。よほど悪いことしたんだねー」

「してねえよ」

「あら、そう」


 空のカップを物惜しげに見つめながら、鷹は興味なさそうにそう言った。それから「ちょっとコーヒー淹れてきてくれない?」などとほざくので俺はまだ口をつけてないコーヒーを渡した。


 鷹の話を総合すると、つまり俺は鷹のいい加減な情報に殺されかけたというわけだ。


 俺はポケットから小瓶を取り出した。この小瓶は、毒の容れ物だった。組織から支給されたもので、中身はアコニチン濃縮溶液、かの有名なトリカブト毒だ。戦闘用にと鷹から渡され、その殆どをナイフへ念入りに染み込ませたのだったが、人間1人を即死させれるぐらいの量は小瓶に残しておいたのだ。それもこれも念のための護身用だったのだが、今は鷹の飲むあのコーヒーに入れてやりたい気持ちでいっぱいだった。


 ――というか、


 鷹は目を大きく見開くと、口に含んでいたコーヒーを吹きだし、床に倒れ込んだ。それから陸に揚げられた魚のように激しく痙攣した。それでも、目だけは俺の方を向けていた。


 俺は鷹に向かって小瓶を振ってみせた。だが、鷹の瞳はもう何も映してはいなかった。


 部屋に訪れた静寂。あるべき部屋の姿に満足しながら鷹の座っていた椅子に腰を落ちつけたが、それも長くは続かないことを俺は知っていた。


「5分経った。そろそろか」


 まるで止まっていた時計が突然動き出したかのように、鷹はむくりと立ち上がった。そして顔についた涎とコーヒーを袖で拭うと、俺の方を見て怒ったような表情を見せた。


「ちょっと、どいてよ! そこ、わたしの椅子!」


 そう言って鷹は俺をどかすと、満足そうにお気に入りの椅子に座った。そして、感慨深そうに呟いた。


「いつも思うけれど、やっぱり死ぬっていい気がしないものね。身体が自分のものじゃなくなるような、変な感覚」


 そうだ。これも毎度お馴染みの殺り取りなのだ。無駄だとわかっていながらも俺は鷹を殺そうとするし、その度に鷹は生き返る。そして鷹は懲りもせずに俺をおちょくるのだった。俺の殺意などお構いなしに。


 ――まったくもって、厄介で最悪な能力だ。


 俺の溜め息に合わせて、小瓶の中で光が揺れる。

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