その4(最終話)

 ブォン、と低音の弦楽器を弾いたような、それでいてどこか電子的な音が響き、南郷の左腕を覆う装甲から、一条の光が飛び出した。伊織はそれを辛くも避ける。


 隙を見て懐に飛び込んだところを、近接戦用の光学兵器、レーザーエッジで迎え撃たれたのだ。


「そんなものまで隠し持ってたのかよ」

「当然だ」


 とは言え、南郷はこれをあまり使いたくなかった。


 光学兵器の多くは、架空科学と呼ばれる分野に携わる6人の科学者から技術供与されたものだ。技術供与と言えば聞こえはいいが、その実、突出した才能を持つ彼らにしてみれば、まるで猿に道具を与えて観察しているようなものだった。そして実際に、現代の科学ではその高度すぎる技術をほとんど理解できず、再現できないでいる。このレーザーエッジはどうにか実用にこぎつけた数少ない例だったが、これほど屈辱的なことはない。


 伊織は南郷の腹を蹴り、バランスを崩すと同時、距離を開けた。さらには転進して駆け出す。無論、南郷もそれを追ってきた。


 こうして追われる身になって、改めて伊織はタクティカル・トルーパーの脅威を実感していた。


 兎に角、走破性能が高いのだ。

 先ほど階段を駆け下りたが、向こうは段差に関係なく平地と同じように滑走してくる。しかも、学校の校舎は構造上、方向転換は直角ばかりだが、そこも難なく曲がってくる。小回りも効くようだ。市街地戦を想定した仕様は伊達ではないということか。


 駆ける伊織の目の前、廊下の突き当たりに扉が見えてきた。防火扉のような壁一面の扉だ。彼はそこに飛びつき、どうにか開かないか試してみるが無駄のようだった。


「だろうな」


 伊織は苦笑する。


「まさに袋の鼠だな、小僧」


 そこに南郷の声。


 不意に伊織の膝が崩れそうになった。


「ずいぶん疲労しているようじゃないか」

「ああ、燃料切れが近いらしい」


 少し調子に乗りすぎたか、と伊織は後悔する。確かに普段ではできないこと可能にしてしまう万能感に気をよくしていた部分もあったが、それらを駆使しなければここまで張り合えなかったのも事実だ。


 だが、それももう枯渇しかかっている。おかげで弾道予測や対処対応が遅れ、少しずつかすり傷が増えてきていた。腕や足など、制服のいたるところが擦り切れ、血が滲んでいる。


 一方の南郷にも不安要素はあった。擬似魔力を核としたエーテルコンバータの稼働時間に限界が近づきつつあるのだ。案外後がない状況は似たり寄ったりなのかもしれない。ここで決着をつけるべきだと南郷は判断した。


「さあ、これで終わりだ」


 南郷がライフルを向け、伊織が身構える――が、銃口は沈黙したままだ。


「ちっ、弾切れか」


 舌打ちする南郷。


(今だ! もてよ……)


 即座に伊織は覚悟を決めた。もしかしたら予備兵装サイドアームがあるかもしれない。だが、それがあろうがなかろうが関係はない。今ここで一気にたたみかける。ゴールはすぐそこなのだ。


 床を蹴り、踏み出す一歩。


 驚いたことに伊織はその一歩で、滑るように南郷の眼前へと迫ったのだ。――活歩と呼ばれる歩法だ。こんな愚直な突進は銃が弾切れを起こしていなければできるものではない。


 南郷が左腕を振るい、レーザーエッジで迎撃しようとしているのが見えた。身が竦む。あのレーザー光線にはどれほどの切れ味が備わっているのだろうか。人体などあっさり両断してしまうのかもしれない。―― 一度下がってやり過ごすべきか?


(思い出せ!)


 だが、伊織は自分を奮い立たせる。


 自分はなぜ強くなろうと思った? 明日の平穏を脅かす敵を、今日討つためではなかったか。「明日も平和だといいね」と何気なく言った少女の言葉が、この上なく大切なものに思えたからではなかったか。


(ならば怯えるな!)


 まずは拳で相手を突き上げて打つ、揚砲。その一撃は敵を打つと同時に己が恐怖心をも打ち砕いた。


 南郷がよろける。


「しめた!」


 伊織はその隙を突き、南郷の横をすり抜ける。


「逃がすか、小僧!」

「逃げるつもりはない!」


 何とか踏みとどまり、伊織を追おうとする南郷。

 だが、伊織は振り返ったすぐそこにいた。


 震脚で踏み込み、背中でもたれるようにして体当たりを喰らわせる。至近距離で放った必殺の鉄山靠は爆発的な破壊力を生み、南郷の体を鉄扉まで吹き飛ばした。鉄扉の各部が軋み、悲鳴を上げる。


「ぐ、お……」


 鉄山靠の直撃に加え、背中から鉄扉に叩きつけられ、そうとうのダメージを負ったであろうが、南郷はそれでも動こうとする。


 伊織は道場の師範の言葉を思い出していた。曰く「相手を吹き飛ばせば、それだけ力が分散する」。つまり技は敵を吹き飛ばさないように放てというのだが、さすがにそれは達人の領域。伊織には土台むりな話だ。


(だったら!)


 そうならない状況で喰らわせればいい。伊織はそう考えたのだ。


 再び南郷へと迫る。


「おおっ!」


 裂帛の気合いとともに、渾身の靠撃が炸裂した。

 二度目の鉄山靠は鉄扉との挟撃。南郷を磔刑に処する。


 そして、ついに鉄扉の耐久度が限界を超え、壊れた。ふたりはもつれるようにしてその向こうへと転げ出る。




 そこに巻島まりあとアンナ=バルバラ・ローゼンハインの姿があった。




 校舎から体育館へとつながるこの扉は、普段からほとんど使われていない。入学式や卒業式などの重要な式典や、各界の大物を迎えての講演会などのときに利用されるのみだ。故にまりあもアンナも、ここを開けるという発想が抜け落ちていたのだろう。


「りっくん!」

「久瀬!」


 ふたりが同時に発音する。満身創痍、傷だらけの伊織を見て、その声はほとんど悲鳴に近い。


「よう、ふたりとも。悪い。さすがにもうむりだ。後は、頼む……」


 伊織はそれだけを言うと、自分の仕事は終わったとばかりに倒れ込んだ。


 南郷がよろよろと立ち上がる。状況を確認しようとあたりを見て、そこでふたりの女の姿を認めた。


 ひとりはこの学院の生徒らしき少女。そして、もうひとりの顔を見て驚愕する。――アンナ=バルバラ・ローゼンハイン。ドイツの連邦魔術省公認の『魔術師』だ。今回の任務で最も出会ってはならない危険人物だった。


「貴方が学院に入り込んだというテロリストですか」


 問う彼女の声には、隠しきれない怒りが含まれていた。そして、その隣の少女は目に見えて激怒していた。


 南郷は、今度は自分自身を確認する。まだ戦えるかどうか。この状況から逃げ出せるかどうか。


(エーテルコンバータがやられたか……)


 だが、先ほどさんざん扉に叩きつけられたためか、動力源であるエーテルコンバータが機能していなかった。自身へのダメージも大きい。これでは戦闘能力は皆無だ。おそらく逃げることも叶うまい。


「悪いが、捕まるわけにはいかんのだよ」


 生きた情報源として捕虜になるのはもちろんのこと、保有する技術の一端とは言えタクティカル・トルーパーやエーテルコンバータといった超科学をまだ知られるわけにはいかないのだ。


 南郷は量子変換して格納していたそれを取り出した。


 それが小型化された高性能ナパーム弾であることは、まりあもアンナもすぐにはわからなかった。だが、男がそれを抱え込んでうずくまったことで、自爆することだけはわかった。


 アンナが両の掌を男へと向ける。

 魔術で男の四方に半透明の壁が築かれるのと、爆発とともに男が炎に包まれるが同時だった。


 他方、まりあもただ黙ってそれを見ていたわけではなかった。男の意図に気づいたときにはもう、彼女は走り出していた。男のそばで気を失っている伊織を抱え、そこから離れる。


 四面を壁に囲まれた中で炎が吹き上がる様はさながらキャンプファイヤーだったが、そう表現するにはあまりにも不吉すぎた。


 ふたりは黙ってそれを見つめる。


 やがて炎が消えると、そこには黒く焼け焦げた跡しか残っていなかった。男の体は完全に焼き尽くされたようだ。


「……」

「……」


 言葉はなかった。


 せっかく伊織が体を張ってテロリストをここまでおびき寄せたというのに、それを捕らえることもできず、情報を得ることすらできないまま死なせてしまったのだ。後味の悪さにふたりは押し黙る。




 と、そのとき、何ものかが体育館の扉を破壊して飛び込んできた。




 それは白銀のタクティカル・トルーパーだった。南郷のもののような戦車を思わせるような無骨なデザインではなく、もっと曲線の多い芸術性をも求めた意匠をしていた。


 そして、何よりも違うのは、それが空中に滞空していたことだ。背部にはフライトシステムのウィングが展開し、各部の姿勢制御用のバーニアからは光の粒子が絶えず飛び散っていた。さらにそばには湾曲した鏡のようなものが、従者のようにつき従って飛んでいる。


 目を覆うバイザーはミラーシェードになっているため、その相貌は窺えない。ただ、長い髪から女であろうと想像でき、桜色の唇の下の艶ぼくろが目を惹いた。


 彼女――冬部は、空中からあたりを見下ろす。


 この学院が擁するドイツの国家魔術師アンナ=バルバラ・ローゼンハインに、その隣にはうつ伏せに倒れた少年と、それを身を挺して守ろうとする少女。少年のほうは顔が見えないが、どちらもこの学院の生徒だろう。そして、そこから離れた床には激しく焼け焦げた跡……。きっと南郷だ。当初決めていた通りに自決したのだ。


 冬部は抱えていた長砲身のランチャーを構えた。


 と、同時にアンナも行動を起こしていた。彼女の周りに無数の波紋が現れ、そこから硝子の短剣が撃ち出される。


 だが、白銀のタクティカル・トルーパーを狙った硝子の短剣は、すべて湾曲した鏡状の飛翔体に防がれてしまった。短剣が砕け散り、破片は床に落ちるまでに霧と溶けて消えた。


 この随伴兵器は、高性能タクティカル・トルーパー"ハイペリオン"の固有兵装だった。作戦内容によって遠隔攻撃ユニットや広域バリアの発生装置などに換装できる。今は対魔術用鏡面加工を施したディフェンダーだ。


 冬部は改めてランチャーでアンナに狙いをつけ――やめた。


 ここでことを構えても南郷の敵討ち以上のものにはならないだろう。それにこの"ハイペリオン"が戦うべき相手は魔術師ではなく、あの6人の科学者なのだから。


 冬部はもう一度黒い焼け跡を見やり、目礼してからこの場から飛び去った。


 残されたまりあとアンナは、何もわからないままではあるが、ようやくすべて終わったのだと思った。






 数日後のこと。


 冬部莉音ふゆべ・りおんは未だ深い後悔に囚われたままだった。


 有用な情報を収集して任務はいちおうの成功を収めたものの、部下を失い、その仇もとれないままに帰還した。もっとどうにかできたのではないか。たとえ無意味でも仇を討つべきだったのではないか。そんな思いが彼女を捕らえて離さない。


 傷心の莉音は今、無性にひとりの少年に会いたいと思っていた。


 かつて一度だけ気まぐれにコースを変えた朝のロードワークで出会った少年だ。あのときからずっと彼のことが忘れられず、今その思いは振り切れかけている。無力感に打ちひしがれた心がそうさせるのかもしれない。だからなのか、今朝は気がつけば無意識のうちに、あのときと同じコースを辿っていた。


 またここで会えるかもしれない。

 彼に会いたい。


 覚えてくれていなくてもいい。

 彼とすれ違い、その姿だけでも見たい……。




 かくして、その淡い期待は天に届いた。




 前から走ってくるのは、確かにあの少年だった。それはまさにあのときと同じ場所。あの日の再現だった。


 一方、少年――久瀬伊織もまた、少女の姿を認めていた。

 伊織は前に一度ここで彼女と会い、以来、わけもなく彼女のことを思い出しては、気もそぞろに授業を聞くことが何度かあった。


 これで二度目の邂逅。


 自分はまた彼女に会いたかったのだと、今、初めてわかった。不思議なほど惹かれる。


 ふたりは次第に走るのをやめて、目に見えない何かに引かれ合うように歩きながら近づいていった。

 やがて手を伸ばせば届く距離で足を止め、黙って見つめ合う。


 ふと、伊織は少女の艶ぼくろに気づき、そういえばこの前はゆっくり顔を見る余裕もなかったなと思った。


「あ、あのさ」

「は、はい……」


 莉音は少年の発音を機に、自分が彼の顔をじっと見つめていたことに気づき、慌てて目を伏せた。顔が赤くなるのが自分でも感じられる。


「今日の夕方、会えないかな?」

「あ、はい。実はわたしも、そう思っていました……」


 それでわかった。相手も自分と同じ思いでいたことを。


 互いの想いに触れたふたりは、はにかみながらも笑顔を交わした。






 かくして運命の輪は廻り出し、

 ミスキャストのまま物語は紡がれていく――。

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