その3

 巻島まりあとアンナ=バルバラ・ローゼンハインは早足で学院の廊下を歩いていた。その顔はともに険しい。


「校内にテロリストが入り込んでいるというのは本当でしょうか?」


 まりあは先を行くアンナに問いかける。


 電話をかけてきた幼馴染の指示に従いながらも、どこか懐疑的なのは不安によるものだろう。彼の言によると、今そのテロリストを追っているのだという。にわかには信じがたく、実際信じたくない話だった。


「きっと本当でしょう。嘘を言う理由がありません。これが嘘なら悪質です。明日の特訓はいつもの二倍ですね」


 それに――とアンナは思う。このところ科学の秘密結社によるテロ活動が活発になってきているのは確かだ。まさかついこの間久瀬伊織とその話をしたばかりで、その標的にされるとは夢にも思わなかったが。


「今日は学校見学に来客の予定があったようです。私には直接関係ないので詳しくは聞いていませんが、後で確かめて見ましょう」


 アンナは早口でそう言い加えた。


「ところでアンナ先生」

「何ですか、巻島」

「先生のその格好はいったい……」


 まりあは改めてアンナの後ろ姿を眺める。


 桜色の小袖に朱色の袴。薄茶色の髪にも赤いリボンがついている。雰囲気は大正浪漫か女子大の卒業式だ。


「変ですか?」

「いえ、でも……」


 変ではない。むしろ似合っているのだが、ドイツ人のアンナがなぜにと思わなくはない。


「私がなぜ日本で教師をしていると思っているのですか?」

「日本が魔術先進国だからでは?」

「違います。ドイツも日本に勝るとも劣らない魔術大国です」


 ドイツはかつての指導者がオカルトに傾倒していたため、いち早く魔術を取り入れた歴史がある。おかげで今では魔術大国の一角として名を連ねているのだ。ただ単に教鞭をとる傍ら、研究し、知識を深めるだけなら、母国ドイツも最適の環境だ。


「私が書籍館学院への招聘を引き受けたのは、日本が好きだからです」

「……」


 日本オタクだったらしい。


「因みに、久瀬は似合うと言ってくれましたよ」

「……」


 りっくんめ……――まりあは思わず握り拳を固めた。





                  §§§





 伊織は歩きながら自分の中で整理する。


(勝利条件は何だ……?)


 必要なのは相手を倒すことではない。逃がさないことだ。

 何が目的かは知らない。だが、この学院で好き勝手し、簡単に銃口を人に向けるような輩を、そのまま黙って帰すつもりはない。


 そのための手は打ってある。


「……」


 が、まだ充分ではない。


 相手は、今はまだ躍起になってこちらを狙ってきてくれているが、どこかで見切りをつけて逃げの一手に出られたら、きっと追い詰め切れない。

 その可能性を潰したいところだ。


 突如、伊織の前方にタクティカル・トルーパーを身にまとった南郷が滑り出してきた。階段部で待ち伏せしていたようだ。


 南郷はリニアライフルをフルオートで撃ち出す。


「うおっ」


 それを咄嗟に身を屈めて避ける伊織。そして、低い姿勢のまま、バーストするライフルの弾を掻い潜り、獣のように南郷へと迫る。


 一定数の弾を吐き出してライフルが沈黙すると、床を蹴って跳び上がった。


 空中から強襲。

 側頭部を狙って蹴り上げるが、それは男の腕に防がれてしまう。


 着地すると同時、今度は上段回し蹴りを繰り出す。

 だが、南郷は上体を反らせてそれをスウェー。その瞬間、まるで耳元で青龍刀でも振られたかのような重い風切り音が耳朶を打ち、ぞっとした。


 伊織は続けて逆足での中段後ろ回し蹴りを連携で放つが、南郷は反重力装置による滑走で逃げ、空を切らせた。


 再び間合いが開き、一瞬の攻防の後の静寂の中、ふたりは対峙する。


「あんた――」


 伊織は油断なく構えながら口を開く。


「科学アカデミーって秘密結社のメンバーだろ?」

「! 小僧、なぜそれを……」


 南郷の顔色が変わる。


 どうやら正解だったようだ。アンナとの無駄話がこんなところで役に立とうとは。伊織はあえて不敵に笑ってみせる。


「さてね」

「やはりお前はここで消しておかねばならんようだな」


 その言葉に伊織は心の中でほくそ笑む。


 逃がしたくないのなら、こちらから追うよりも自分を追わせればいい。

 そのほうが確実だ。





                  §§§





「ひとつ仮説があります」


 体育館の鍵を開け――これにどういう意味があるのか、さてこれからどうするべきか、とアンナが思案しているときだった。巻島まりあが口を開いたのは。


「久瀬君のことです」

「久瀬の?」


 アンナ=バルバラ・ローゼンハインは問い返す。


「高い素養をもつとされながら魔術をいっさい使えないその理由です」

「……聞きましょう」


 広い体育館の中で、まりあとアンナは向かい合う。


「魔力はちゃんとある。構文の構築は正確。にも拘らず魔術は効果を現さない。それなら答えはひとつです。魔力をもってエーテルに構文を記述するというシークェンスに欠陥があるに違いありません」

「……なるほど」


 アンナは静かにうなずく。


 確かにそれなら納得できる。魔術を発動させるまでには大雑把に、セカイの知覚と把握、構文の構築、エーテルへの記述、という工程を経て行われる。最終工程に欠陥があるなら、それまでの過程がどれほど正確に行われようとも、魔術が発動することはない。


「でも、先日の一件はどうします? 巻島が見たという異常な瞬発力をどう説明するつもりですか?」


 その通りだ。まりあは先日の事件で、伊織が尋常ならざる速さで動いたのを見た。魔術にはそれを可能にするものがいくつかあるが、彼に魔術が使えないというならそれはあまりにも不可解だ。説明がつかない。


「簡単です」


 まりあはさらりと言ってのける。


「エーテルを介さず魔術を使えばいいのです」

「エーテルを利用せずに?」


 首を傾げて繰り返すアンナ。


「はい。自分の内部に魔力を走らせて、同様の効果を得れば可能です」

「待ちなさい、巻島。それではまるで――」


 現代の魔術はエーテルを利用して行使される。それは見方によっては科学と構図が似ているのだ。科学技術は誰でも同じ結果が得られることを目的としている。車を使えば誰でも短時間で遠くまで移動ができる。計算機を使えば誰でも複雑な計算が間違うことなくできる。


 現代の魔術もそれと同じだ。まだまだ素養によって人を選ぶところはあるが、かつてはひと握りの人間にしか使えなかった魔術が、エーテルを利用することでその裾野を広げた。今では科学と共存するまでになっている。


 だが、久瀬伊織がエーテルを介さず魔術を使っているというのなら――、


「それではまるで古い時代の魔術師ではありませんか」


 そう。それは多くのオカルティストや神秘学者が追い求め、そのほとんどが手にするに至らなかったもの。空想や物語の中にだけ存在した"本物の魔術"だ。


「いえ、たぶんそんなにいいものではないと思います」


 まりあは複雑な表情で否定する。


「現代の魔術においてエーテルへの記述ができないということは、魔力が体の外に出ないということでしょう。ならば古い魔術においても、自分の内部で完結するようなもの――身体能力の強化や治癒といったものしか使えないはずです」


 つまり自分の外に効力を発揮する魔術は使えないということだ。


「く、久瀬……」


 アンナは思わず脱力した。


 落ちこぼれが一転して稀代の大魔術師になるかと思ったら、まさかこのような致命的な欠陥があるとは。


「そして、もうひとつ。このことは先日の一件を見てもわかるように、彼自身とっくに気づいているものと思われます」

「そのようですね」


 まりあから聞いた話でしか知らないが、もし伊織が咄嗟と無意識によって魔術を使ったのでなければ、自分の能力を熟知していることになる。それに折に触れ彼自身が言っていたではないか。学院の望むかたちで期待に応えることはなさそうだ、と。裏を返せばそれは、望まないかたちでなら期待に応えられるということではないだろうか。


「しかし巻島、久瀬はなぜそれを黙っているのでしょう?」

「彼は昔から平穏を望む子でしたから」


 まりあは幼いころを思い出し、やわらかく苦笑する。


 アンナはそんな彼女をいろんな感情の入り混じった思いで見つつ、先日の事件で伊織が「一緒のクラスのやつが脱落なんてつまんないだろ?」と言っていたのを思い出した。あれも変わらぬ日常を望むが故の発言だったのかもしれない。


 しかし――と彼女たちは思う。


(私には言ってくれてもいいのに……)


 まりあとアンナは、小さな怒りに口の端を歪めた。


 そして、黙り込んだお互いを同時に見――目が合うと、誤魔化すようにして慌てて顔を逸らした。


「あれ?」


 そう発音したのはまりあのほう。


 ふと疑問が湧いたのだ。あの平穏を望む伊織が、なぜ道場になど通っているのだろう? いつごろから格闘技を習いはじめたのだろう、と。


 記憶の糸を手繰り寄せ、思い出そうとするまりあ。




 しかし、そのとき、彼女の思考を邪魔するように轟音が鳴り響いた――。

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