ミスキャストでも show must go on.
九曜
覚醒不能の優等生
前編
20世紀初頭に確立された現代の魔術を、選ばれたひと握りの才能あるものたちに教える学校である。
その高等部の職員室に、ひとりの男子生徒が呼び出されていた。
「相変わらずのようですね」
物憂げな調子で発音するのはアンナ=バルバラ・ローゼンハイン。魔術学科のドイツ人教師だ。
彼女は机に片肘を突き、女性ピアニストの衣装のようなロングスカートに包まれた足を組んでいる。足もとは編み上げブーツのようだ。
その向かいに立っているのが、呼び出された生徒――
「そのようですね」
彼は緊張感のない調子で、まるで他人事のように答える。
伊織は背も高く、なかなかに整った相貌をした生徒だった。ただし、魔術学科に在籍しながら、2年生になった今でもまったく魔術が使えないという致命的な欠点を抱えていた、自他ともに認めるダメ生徒だった。
今日行われた月に一度の大演習場での実技でも、彼の構築した構文はウンともスンとも言わなかった。
「素質がないわけではないことは数値が示しています」
アンナは片手でノートパソコンを操作しながら述べる。途中、「あなたは見ないように」と、画面を覗き込もうとした伊織を言葉で制した。
「むしろ数値だけなら将来有望です。巻島まりあに匹敵するくらいの」
「……」
(嫌な名前を聞いたな……)
そう思いつつ、伊織は目だけで天井を見る。
「単にこの数値が間違いなのか。それとも……」
彼女は意味深長で、すべてを見透かすような視線を伊織に向けた。
対する伊織はそれを受け流すように、冗談とも本気ともつかない台詞を返す。
「じゃあ、きっと覚醒イベント待ちですね。クラスメイトのピンチにって感じで」
「この書籍館学院を目の仇にしている輩は少なくありません。旧時代の魔術の秘密結社や過激な科学の徒、兵器メーカーなどの企業……。いくらでも挙げられます。確かにそんな状況を引き起こすテロが発生してもおかしくはありませんが」
しかし、残念ながら魔術は学問なので、その言葉の響きほど万能ではない。多くは種も仕掛けもない手品程度のことができるだけか、一芸に秀でた特技を持っているくらいだ。お伽噺やファンタジー小説の魔法使いのようになるのは、ひと握りの突出した才能をもつものだけである。
「見込みがないならないで、俺としては国際教養科に回してもらえたら助かります。普通科でもいいですが」
体系的に統一され標準化されたとは言え、大半の人間は魔術とは一生縁がない。そんな普通の高校生を受け入れるのが、5年ほど前になって創設された普通科と国際教養科である。尤も、設立の陰には経済的理由という、夢も希望もない理由があるようだが。
「確かに魔術の才能があるものは、総じて知能が高い。一般科目の成績だけを見れば、あなたなら国際教養科でも十分やっていけるでしょう」
「では?」
「ですが、魔術学科としてはあなたを手放したくないというのが正直なところです」
才能が開花する可能性はまだ否定し切れないのだ。しかも、潜在能力なら文句なく優等生。学校側としては希望を捨てず、根気よく育てていきたいというのが本音だった。
そんな期待の込められたアンナの言葉に、庵は肩を落とす。
「……そうですか」
「どうしました? やはり周りの目が冷たいですか?」
アンナは心配そうに問う。
魔術学科はある意味選ばれた人間の集団であり、精神的に未熟な少年少女たちはエリート意識が強くなりがちだ。落ちこぼれには容赦なく冷ややな目を向ける。担任教師としてはそこが心配だった。
「いえ、単なる卑しい下心です」
伊織が残念そうな素振りを見せたのもわずかのこと、またすぐに気楽な調子を取り戻す。
「ま、このままだったらそのときは将来研究者にでもなりますよ」
「実践が伴わない研究者というのもどうかと思いますが?」
「では、アンナ先生のような理論科目の教師にでも」
とは言え、この担任教師が類稀なる魔術の使い手であることを、伊織はよく知っていた。何せドイツの連邦魔術省が認定した『魔術師』なのだから。教師などをやっているのが不思議なくらいである。
「あなたはやる気がなさそうに見えて前向きですね」
アンナはくすりと笑う。
「今日はもう帰ってよろしい。久瀬、期待してますよ」
伊織はそんな温かい言葉に肩をすくめて応え、職員室を辞した。
「お疲れさん、久瀬君」
伊織が職員室を出ると、それを待っていたかのように声をかけられた。
誰かは声だけでわかる。
そこに立っていたのは細く長い栗色のポニーテールをなびかせた、凛々しき美貌の上級生にして魔術学科の生徒会長、
「今日の呼び出しはお説教かな?」
「それどころか心配されてますよ。なにせ魔術科のくせに初歩の初歩もできませんからね」
自嘲気味に答える伊織。
「で、俺みたいな落ちこぼれに何か用ですか?」
「私は誰にでも平等に話しかける主義だよ」
そういう点ではまりあは珍しい部類に入る。学校の期待を一身に背負う優等生でありながらエリート意識が希薄で、落ちこぼれにも一般学科の生徒にも対等に話す。生徒会長だからだろうか、それとも彼女の人となりがそうさせるのか。
「それ以前に、私は君を落ちこぼれだとは思っていない。久瀬君、君には才能がある。まだ発揮されていないか、もしくは……」
「……」
「……」
しばらく視線をぶつけ合った後、伊織は小さくため息を吐いた。どいつもこいつも好き勝手無闇やたらと高く評価してくれる。なまじ入学前の適性試験の結果がよかったのが悪かったか。当時は目の前にいるこの巻島まりあに肩を並べるとまで言われたらしいが、あけてみればこの通りである。学校側もさぞかし幻滅したことだろう。
「ま、別にいいですけどね。平等を掲げるなら、学校ではもう卒業まで声をかけないでください。それで平均値に戻ります」
確かにまりあは成績や学科に関わらず誰とでも話す点では平等なのだが、その頻度まで平等かというと必ずしもそうではない。伊織に対してはかまいすぎるくらいかまうのだ。尤も、そこにはむりからぬ事情があるわけだが。
「そーゆーつれないこと言わない」
「はいはい」
テキトーな調子であしらい、伊織はまりあに背を向ける。
と、
「あ、いた。巻島せんぱーい」
そこに背中方向からの声。振り返れば仔犬のように黒目がちな瞳が愛らしい少女が駆けてくるところだった。
「あ、久瀬くんも。すごーい」
「お、おう」
伊織はぎこちなく応じる。
その女子生徒は、国際教養科に籍を置く
魔術学科の生徒がエリート意識から落ちこぼれや一般科の生徒に見向きもしないように、一般科の生徒も魔術学科にあまり積極的に関わろうとしない。苦手意識というのもあるだろうが、それ以上に住む世界が違う人間だと認識しているのだ。
もちろん、優花もそのひとり。でも、彼女にとっての例外がまりあと伊織だった。先ほどのはそのふたりがそろっていることの「すごーい」だったのだろう。
「どうした、優花」
と、下級生に接するまりあ。
(尊大なお姉様だな……)
それをを横目に見ながら伊織は呆れた。
「あ、はい。直近のいくつかの合同行事のことなんですが――」
そのままふたりは伊織の入り込めない話をはじめた。
そう言えば前に優花から、一般科の生徒会で書記をやっていると聞いたことがある。書籍館学院では魔術学科と一般科であまりにも性質が違いすぎるため、それぞれ独立して生徒会を置いているのだ。彼女は、今日は今後の学校行事についての打ち合わせに、向こうの生徒会を代表してやってきたようだ。
これでこちらの生徒会長がまりあではなかったり、まりあがほかの大方の生徒と同じようにエリート意識の塊だったりしたら大変だっただろう。果たして優花にその橋渡しが務まるかどうか。
「それじゃあそんな感じに」
「うん。ひとまずそれでいこうか。細かいことは追々詰めていけばいいだろう」
「わかりました」
話は思いのほか早く終わった。立ち話ですませてしまえる程度なのだから、そんなものか。
「久瀬くん、今日は仕事中だから。またゆっくりね」
「ああ、また」
伊織は軽く手を上げて応え、ぱたぱたと走り去っていく優花を見送った。
「鼻の下、伸びてるよ」
「……うるせーな」
言い返しながらも、しかし、どきりとしたのも確かだ。
「君が優花と知り合いだったとはね」
「たまたまですよ」
「しかも――」
と、まりあは勿体つけてから、
「気になってるんだ?」
「……」
図星だった。
このまま黙って黙秘権を行使するか、それともどうにか誤魔化すか――と考えたところで、相手がまりあでは絶対にむりだと早々に悟ってしまった。第一、どちらも消極的な肯定にしかならない。
伊織は頭を掻いた。
「……そうですよ。悪いですか」
不貞腐れ気味に認める。
「別に。いいんじゃない、平和でさ。それに優花だってなかなか脈がありそうじゃない?」
「ですかね?」
そうだろうか。
そうだといいなと思う。
「上手くいくように応援してあげようか?」
「はぁ?」
何を言ってるんだ、この人は。伊織はまりあを見る。
「さっそくお姉さんからのアドバイスだ」
「……お姉さん言うな」
「切り込むのならいい雰囲気のときにしなさい。女の子相手に雰囲気は大事だよ」
しかしながら、まりあは本気の様子。「おーけい?」と目で問うてくる。
(やれやれ……)
伊織は嘆息した。
「雰囲気ねぇ。……ま、話半分に聞いておきますよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます