最終話 これからの話

「え? 結婚ですか?」


 タオが驚いて声をあげる。が、どこか嬉しそうに声が弾んでいる。

 おれは小さく「そうだ」とつぶやいた。顔が火を吹くんじゃないかってくらい熱い。タオは目をキラキラと輝かせて、胸の前でぱちんと手を合わせた。


「ようやく支配人にも決心がついたということですね!」

「いや、あの……相手はその……」

「サツキさん、ですよね?」


 タオが首をかしげる。違うんですか? といわんばかりだ。おれはさらに体を縮こませて微かにうなずいた。


「もう、驚かせないでくださいよ! 違う人だったらびっくりです」

「そ、そうなのか?」

「だって、支配人の奥さんにふさわしい方なんて他に誰がいるっていうんです? サツキさんほど、しっかりもので、元冒険者の支配人の手綱を引けるような素晴らしい方はいらっしゃいません!」


 待て。それではおれが完璧にサツキの尻に敷かれている前提ではないか! おれは決してサツキのいいなりになって結婚するんじゃないぞ、と抗議したい。


「と、とにかく。おれとサツキの結婚式についてなんだが、おれはできれば外界そとのせかいではなく、このアマンデイで式を挙げたいと思っている。それで、マクレーン様が『龍の目』のほとりに作ったドラゴンアイという会合所ロッジがあって、そこで式を挙げたいと思っていて……」

「まあ! 素敵ですね。支配人らしくて。もしかしたら、アーケロンが龍の目から顔をのぞかせるかもしれませんね」


 タオは両手を合わたまま、遠くを眺めるようにうっとりとして目を輝かせていた。


 遡ること二年前、おれはマクレーン氏の依頼により、仲間たちとともにアーケロンの保護のために港町ヤンゴーから船に乗り、海洋ダンジョンアマンデイの大海原へと旅立った。

 そこで、かつての相棒パートナーであったアーケロンの「アーク」と遭遇したおれたちは、やつのタイムブレスに閉じ込められたものの、タオの咄嗟の機転でおれだけなんとか時間停止能力から免れた。

 結局、おれはアークと再びパートナー契約を結ぶことで、アークが率いていたアーケロンの群れを海中クレーター『龍の目』まで誘導することに成功したのだった。


 おれたちがアーケロンを保護している間、マクレーン氏は数々の証拠書類を積み上げ、不正な金の流れをつかんで、件の悪徳ギルドBAWMを告発し、悪事が明るみになったことでBAWM幹部は次々と逮捕され、程なくBAWMは瓦解した。やつらが作った私設ダンジョン内に閉じ込められていた魔獣たちも、アナコムの手によって無事保護されて、本来彼らが棲むべきダンジョンへと戻された。


「これでようやく、アークたちも龍の目から外洋に戻せるようになったな」

 おれがアークにいうと、やつは小馬鹿にしたように、「何をいっている。まだ誓約の半分も達成していないではないか」といいやがった。

 半分? とおれが首をひねる。

「忘れたのか? マスターは魔獣と人とが共生できる世界を作りたい、そういっていただろう? その実現を見届けるまで、我はしばらくここに留まることにする。忘れてはならぬぞ、マスター。汝が誓約に背くのならば、我等はすぐにでも人類を敵と見做すということを」


 アークはそういったが、おれたちが敵でないことくらい、知能の高いやつには理解できているだろう。おれが誓約に背こうがそうでなかろうが、きっとおれたち人類と対立しようという気はさらさらないはずだ。

 つまり、やつは単純にここの棲み心地が良いのだ。温暖で波がなく餌も豊富。深さもある龍の目はアーケロンにとっても格好の住処になる。

 けれど、やつがここに留まってくれること自体は、おれにとっても悪いことではなかった、


 頻繁にアーケロンの目撃情報が寄せられるようになったおかげで、龍の目から近いこの宿は、以前にもまして冒険者、もとい、アーケロンを一目見ようという旅行者たちが押し寄せ、すっかりアマンデイの人気宿になった。


 現在では宿のスタッフも増え、サツキにはこの宿の女主人として、宿の管理・運営をすべてまかせ、タオには宿泊マネージャーとして、接客全般と新人スタッフへの指導、育成をしてもらっている。一方、ハリーは手狭になった食堂を補うために、宿の隣につくった冒険酒場の主人マスターをまかせ、暇があればヤツお得意のマジックも披露してもらっている。

 それで時々、困った客がやってきたときには、ハリーに例の勝負でやりこめてもらったりしてな。おっと、それについては、大きな声でいっちゃいけないんだった。



「これで、支配人……あ、でしたね。元支配人もしっかりと腰を据えて、このアマンデイのために活動ができますね」

「ま、まあな」


 タオの笑顔におれは、頬を掻いた。

 あの冒険の後、おれはアークとの約束を果たすには、つまり人と魔獣モンスターとが共生できる世界にするには、どうすればいいかをずっと考えていた。このアマンデイには、アーケロン以外にも固有種とよばれるここにしかいない魔獣が数多く生息している。

 今回はアーケロンを保護できたが、いつまた、そうした固有種を狙った密猟が起こるかわからない。相手が組織力にモノをいわせれば、おれたちだけですべての魔獣を守るなんて無理だ。最初から密猟ができない環境を作らなければならない。

 そこで、おれはアーケロン以外のこの固有種の魔獣モンスターたちを、自然な状態で保護しつつ、これ以上の無駄な討伐がされないようにするために、独自にモンスター保護組織ギルドを立ち上げることにしたのだ。


 とはいえ、魔獣モンスターの中には飛翔龍ワイバーンやクラーケンのように、人々に危害を加えようとするものも少なくない。

 幸いにも、おれはかつて魔獣使いモンスターテイマーとして様々なモンスターたちと行動をともにしてきた。魔獣モンスターと波長が合わせることができれば、アークのように意思疎通することができる。


 あの冒険の後、おれは宿屋の主人として働きながら、時間を見つけてはビクターたちとアマンデイ各地を巡り、二年間をかけてモンスターたちに人間との「共存関係」を築いて欲しいと説いて回っていたのだ。


 もちろん、彼ら魔獣モンスターばかりにお願いするだけではダメで、共存する人間も魔獣を理解し、彼らの棲息域を侵すことがないようにしなければならない。

 おれはこの地に訪れる多くの冒険者に、保護ギルドとしてモンスターとの無益な争いをしない、お互いの命を尊重し、無駄に棲息域を侵さないようにと啓発活動を続けた。さらに、外界そとのせかいから冒険者が到着する魔導関ゲートのすぐそばに冒険案内所を作り、アマンデイ固有種魔獣モンスターについてのガイドを始めたのだ。


 この活動については、マクレーン氏も大いに賛同をしてくれ、アナコムの全面的バックアップを得ることができ、このアマンデイはいまや「レアモンスターの楽園」として、高い知名度を得ることができ、多くの冒険者が訪れる人気ダンジョンとなった。


「二年かけてようやく、人類とモンスターとの信頼関係が少しずつ築け始めたところだ。今はまだ困った冒険者たちも多いが、それでもおれはそんな人たちともしっかりコミュニケーションをとりたいと思っている。この宿で出会った多くの困った客が、今ではこの宿を支えてくれているように、きっと彼らの中にもこのアマンデイの為に力を貸してくれる人がいるはずだからな」


 タオは「頑張ってくださいね」と日だまりのように暖かな笑みをおれにむけた。


「それはそうと、お話の途中でしたね。私に何かご用があったのではありませんか?」

「ああ、そうだった。タオにお願いしたいことというのは……」


 おれは周りを気にするように、無意識に視線を巡らせて、声のトーンを少し落とした。おれのお願いをきいたタオは、今まで以上に声を弾ませて「もちろんですよ!」とおれの手をとって、勢いよく上下に振った。



 そして、三か月ほどのあわただしい時が過ぎていった。

 龍の目にある会合所ロッジ「ドラゴンアイ」の控室で、おれは極限まで高まった緊張感で胸が張り裂けそうになりながら、そばにいたハリーに震える声でいった。


「お、お、おれ、ほ、本当に大丈夫か? なんか、おかしくないか?」

「おかしいっちゃあ、支配人の様子が一番おかしいですけどね」

「ほ、本当に今日結婚式するんだよな?」

「逃げるつもりじゃないですよね?」

「そ、そ、そんなことあるわけないだろうが!」


 精一杯の虚勢もなんだか滑稽で、ハリーはめずらしくヘラッと薄い笑いをこぼした。


「さあ、もうすぐ式ですから、準備をしましょう」


 そういって、おれを鏡の前に立たせる。この日のために用意した仕立てのいい礼装服モーニングコートだ。しかし、まったく似合っていない。鏡のなかのおれが盛大にため息をついた。

 そのとき、扉がノックされたかと思うと、一人の女性が喜びに声を弾ませながら入ってきた。


「叔父さま!」

「ジェシカ! 久しぶりだなぁ!」


 二年半ぶりに再会した姪っ子のジェシカは、淡いピンクのパイル生地にくるまれた小さな赤ん坊を抱いて、おれのもとに駆け寄った。


「三ヶ月前に授かった私の娘のノラです。ほら、ノラちゃん、おじちゃまですよぉ」


 赤ん坊のノラはジェシカの腕の中ですやすやと穏やかに眠っていた。まるで出来立てのお菓子のように柔らかでまん丸な頬が、うっすらとピンクに染まっている。


「ふふ、かわいいなぁ。すっかり眠ってしまっているな」

「長旅でしたから。けれど、叔父さまには私の結婚式にお越しいただいていたのに、私が来ないわけにはいきませんもの」


 そういって笑うジェシカは、おれの半分の年齢なのに、結婚生活じゃ先輩なんだな。それに、もうすっかり母親の顔だ。そう思えば、まだ式すら挙げてないおれが、ガチガチに緊張してどうするんだ、という気になって緊張感がすこしだけ和らいでいく。

 ふたたび扉がノックされ、扉を開けた若い男性のスタッフが「お時間です。式場へどうぞ」といって、おれに控室を出るように促した。


「それじゃあ、叔父さま。また後ほど」

「ああ、来てくれてありがとう。今日は楽しんでいってくれ」


 ジェシカが手を振ってこの控室をでていくと、おれはこの結婚式の立会人を務めてくれるハリーとともに式場になっている大広間へとむかった。


 式場の正面は龍の目が一望できる大きな窓になっていて、晴れ渡った鮮やかなスカイブルーの空と、深いコバルトブルーの海のコントラストが、まるで巨大な絵のように美しく描き出されていた。

 参列者たちはすでに左右の椅子に座っていて、中央に敷かれた赤い絨毯の先、正面の一段高くなった場所に、この結婚式の司祭を務めるタオが、荘厳な祭礼衣装に身を包んで、おれを待っていた。あのとき、タオにおれたちの結婚式の司祭をして欲しいと頼んだのだ。


「新郎、マーカス・コーエンさんは、どうぞ祭壇の前までお進みください。立会人、ハリー・コルトレーンさんは立会人席までどうぞ」


 タオの進行によっておれは赤い絨毯の上を進み、ハリーは脇の通路を通って最前列の立会人席に座った。

 ふたたびおれの心臓がいままでにないくらいに大きな音を立てて鼓動を刻み始めた。


「それでは皆様。新婦、サツキ・ナカムラさんの入場です。おおきな拍手でお迎えください!」


 木製の大きな観音開きの扉が、重厚な軋みを響かせて開き、その瞬間人々の感嘆のため息が式場いっぱいに広がった。

 無垢な輝きを放つパールホワイトの柔らかなサテンを何枚も重ね合わせ、それを覆う柔らかなチュールレースのドレスに身を包んだ、花のように美しい女性が、ゆっくりとおれにむけて歩みを進めている。

 一歩、また一歩。

 おれと彼女との距離が縮まるにつれ、鼓動が高まる。

 やがて、彼女が体ひとつの距離に立ったとき、おれは自然と彼女にむけて左手を差しのべていた。彼女もまた、ごく自然にその手をとって、あと一歩おれの元へと近寄った。

 おれは、たぶん彼女以外の誰にもきこえない程の小さな声でいった。


「本当にサツキ、だよな?」

「……ぶん殴りますよ……」


 いつものサツキだ。

 それが妙に嬉しくて、自分でも驚くほどやさしい気持ちになった。きっと、おれは変な顔をしていたんだろうな。サツキの表情が、とろけるような柔らかさで輝いている。


「マーカスさん、サツキさん。どうぞ正面をむいてください」


 タオの美しい声が式場に響き、おれとサツキは腕を組んで正面の祭壇にむき直った。窓から差し込む外光のおかげで、タオ自身が光り輝いているように見える。おれはこの場所を式場に選んで本当に良かったと思った。


「これから共に夫婦として歩んでいかれるお二人に、神様の言葉をお伝えしたいと思います」


 そういってタオがゆっくりと話し始めた矢先だった。

 静寂を打ち破って、割れんばかりの泣き声が式場に響き渡った。とっさに振りむくと、式場の後方でジェシカが腕の中で泣き喚くノラを必死にあやしていた。

 彼女に注目していたのはおれだけじゃなかった。参列していた多くの人たちが、何事かと彼女のほうを見つめていた。

 皆の視線を一身に受けたジェシカは、式を滞らせていることへの焦燥感で泣きそうな顔をしながら、皆がむけたその視線に耐えられなくなったのか、おろおろとしながら席を立って、式場後方の扉口にむかった。

 そのときだった。

 おれの背後から、慈愛に満ちた柔らかな声が響き渡ったのは。


「みなさん、今日はなんという素晴らしい日でしょうか。神様の教えにはこうあるのです。『生まれたばかりの子供は無垢で穢れを知らない。すなわち、彼らの声は、天使の声にほかならない』と。どうですか? みなさんには、きこえますか? マーカスさんとサツキさんの、この神聖なる結婚を祝福する天使の声が」


 次の瞬間、おれの視界がまるで水中に放り込まれたときのように、急にグラグラと歪み始め、おれの頬を一筋の涙が伝ったのがわかった。ジェシカも、立ち止まり別の意味で泣きそうな顔をして祭壇のほうを眺めていた。ジェシカだけではない。彼女に注目していた誰もが、タオのその言葉に息を呑み、今度は彼女に視線をむけていたのだ。

 ゆっくりと振り返ると、そこにはいつも通りのきらきらとした笑顔のタオ。そして、すこし横に目をむけたら、サツキも目に涙を浮かべながら「なに泣いてるんですか?」なんていいやがる。


 おれはこの地で宿屋をやっていて本当に良かったと、心からそう思った。

 素晴らしい仲間たちに囲まれて、こんな奇跡のような一日をむかえることができたんだからな。

 普段はポーカーフェイスを貫いているくせに、感動して号泣しているハリーのぐちゃぐちゃに歪んだ署名の入った結婚証明書をおれとサツキの胸の前に掲げ、おれたちが結婚の誓いを読み上げたときだった。

 おおぉ! というどよめきが式場を満たした。

 今度は何事かと思ったが、何のことはなかった。


 窓のむこうに広がる海、龍の目からアーケロンが顔をだして、おれたちを祝福してくれていた。


 式が終わるや否や、参列者たちは新郎新婦をそっちのけでアーケロンの撮影会を始めていた。おれも海の上にせり出すように作られたテラスの柵にもたれて、彼らの様子を眺めていると、隣にやってきたサツキが静かにいった。


「支配人、ありがとうございます」


 その言葉におれは首を振る。


「お礼ならおれじゃなくてタオやハリー、みんなにいってやってくれよ。みんなの力でこの式を行えたんだから」

「そうじゃなくて、ですね」


 サツキは腰の高さに持っていたブーケに視線を落とした。アマンデイに咲く、赤い大輪の花をベースにしたラウンドタイプのブーケだった。


「あたしとの約束、守ってくれて」

「約束?」

「まさか、忘れたんですか!」

「いや、ほら……いろいろとあるだろ、おれとサツキの付き合いは長いんだから……」


 まったく、と呆れて息をつくサツキが小さく一言だけ呟いた。


「あの日、無事に帰ってくるって、いってくれたでしょ……」


 そうか、そうだったな。思えば、あの旅で心からサツキのことを真剣に想ったのかもしれない。この冒険からは絶対に帰ってこなければならないって。ずっと一緒にいるとわからない気持ちに、すこし離れただけで気付くんだから、人ってのは単純にできているよな。

 けれど、一度離れて気づいたこの想いはもう二度と手放すことはないだろう。だから、おれは今ははっきりといえる。


「これからは、ずっと一緒だ。いつもサツキとともにいる。この約束は、必ず守るよ」


 おれの言葉にサツキは目を見開いた。

 まわりの喧騒が全て消えたような二人の間の空気を豪快にぶち壊したのは、意外にもサツキの馬鹿笑いだった。

 まわりでアーケロンの撮影会をしていた参列者までもびっくりした顔でサツキのほうを凝視していた。


「なんで笑ってるんだよ!」

「だって、支配人にそんな台詞が似合うわけないじゃないですか!」


 サツキがバシンと豪快におれの肩をたたく。そのあまりの勢いにおれはバランスを崩し……


 その後、テラスから落下して龍の目の中で溺れそうになりながら必死にもがいていたおれを助けてくれたのは、他でもないアーケロンのアークだった。まったく、持つべきものはよき相棒パートナーだよな。ダンジョン生活でも、結婚生活でも。


            ~FIN~

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宿屋の主人だが最近の勇者はマナーが悪い 麓清 @6shin

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