第24話 誓い

 アーケロン保護ミッションのためにヤンゴーの港を出発して、三日目が過ぎた。

 道中、このダンジョンでもっとも強敵だといわれている魔獣、飛翔龍ワイバーンに遭遇したときはどうなるかと思ったが、ハリーが連れてきた四人組の戦士たちが、見事な連係プレーを見せて撃退し、さすがは現役の冒険者だと少し彼らを見る目がかわった。

 今も四人は船の四方で海中や空中からの魔獣の攻撃に備えている。


「マーク、ちょっと来てくれ」


 マストの楼で警戒にあたっていたビクターが甲板にいるおれを呼んだ。おれは縄梯子を登ってビクターの隣までいく。

「どうした?」

「水平線近くの海面に突き出た小さな岩礁がゆっくりと動いている」


 ラリーから望遠鏡を受け取り、レンズをのぞき込む。波間を漂うように移動している岩礁が船の進路を右から左に横切るように、ゆっくりと動いて見えた。

「間違いない。あれはアーケロンの甲羅についたサンゴや巨大フジツボだ」

 おれはぐっと拳を握る。ついにおれたちはアーケロンとのエンカウントに成功したのだ。


「ポール! 船をあの動く岩礁の右側から接近させてくれ」

 舵輪を握っていたポールに檣楼から大声で叫ぶ。

「了解! 主舵ぃ、いっぱぁぁい!」


 ポールは勢いよく舵輪を回転させ、船をアーケロンの進路の後方へとむける。船が大きく傾き、右舷に豪快な波しぶきが弾けた。


 アーケロンが幻獣とされている理由は、その巨大さや生息数の少なさだけではない。

 やつは、魔獣モンスターとしては珍しく、時空魔法を発動することができるのだ。その時空魔法はタイムブレスと呼ばれていて、吐き出した息が特殊な魔法空間を形成し、その亜空間にとらえられると、一定時間時を奪われる。要するに、アーケロンは亜空間内に外敵を閉じ込め一時的に止め、その間に敵の射程外まで逃げたり、逆に餌を捕食したりできるわけだ。

 クラーケンなどの他の海洋性モンスターと比べて、高い戦闘力を持たないアーケロンが、生き延びるために身につけた特殊能力だ。


 おれたちはアーケロンの後方から近付いて、左右からの捕縛弓ネットランチャーで挟み撃ちにする作戦に出た。おれがかつてアーケロンを相棒パートナーとしたときに、同じようにしたのだ。


「ハリーとタオは左舷に、朱姫さんと蓮華さんは右舷に待機。おれが合図したら、一斉に船を飛び出してハリーと朱姫さんが左右から挟み撃ちするようにアーケロンに捕縛弓ネットランチャーを発射。その際、タオと蓮華さんが空間形成魔法で、二人が海に落ちないように援護してくれ」

「わかりました」


 四人が手際よく準備をすませ、それぞれ持ち場についた。ハリーと朱姫はランチャーを構え、すぐにでも行動に移れる体勢をとる。タオと蓮華は術式を完了させ、いつでも発動できる状態だ。タオが無言でおれに頷きかける。

 おれはそれを受けて、作戦開始の合図を出そうとした。その瞬間だった。


「な、なによ、これ!」


 右舷側でランチャーを構えていた朱姫が叫んだ。

 その瞬間、まるで巨大な煮えたぎる鍋にでもぶち込まれたみたいに、船が海からぶくぶくと湧き上がる無数の泡で囲まれた。

 まさか、と船から身を乗り出して後方を見遣る。いつの間にか、おれたちの船の後方に、小さな岩礁がいくつも海面に突き出ていた。知らぬ間に、複数のアーケロンたちが、おれたちの背後から近づいていたのだ。


「ブレスだ! アーケロンのタイムブレスが来るぞ!」

「支配人っ!」


 タオがおれに向けてなにやら術を唱え、光の玉を放ったかと思った瞬間、おれたちの周囲からすべての景色が消失した。


 狭いトンネルの中みたいに、何もない闇の世界。

 おれの周囲にはまるで石像のように動かなくなった、タオとハリー、そして朱姫と蓮華。あの屈強な四人組の戦士たちも、大剣を振り上げた姿勢のまま固まっていた。船の上の仲間たちは全員、アーケロンのブレスにつかまって時間が止められてしまっていた。


 しかし、おれの時間は止まってはいなかった。

 やがて、闇の中からひときわ低く厳かな声が聞こえてきた。声というよりも、テレパス魔法でおれの思考に直接語り掛けられているような感じだ。


「ほう……わたしのブレスが利かなかった者がいるとみえるな」


 前方からゆっくりと大きな影が近づいてきていた。岩礁としか思えないそのアーケロンの影は、船の正面で止まると、海面からぬっと顔をのぞかせた。幻獣らしい威厳を放ちながらも、どこか愛嬌を感じさせる特徴的な大きな目は、まぶたが半分閉じているせいかちょっと眠そうに見える。

 その顔にはこれまで多くの戦いを潜り抜けてきたであろうことを思わせる傷が、いくつも入っていた。その歴戦の勲章ともいうべき傷を見て、おれは恐るおそるアーケロンに問いかけた。


「お前、アークか?」

「……その名で呼ばれたのは二十年ぶりだ。まさか、また会うとはな。マスター」


 そこにいたのは、おれがこのアマンデイで相棒パートナーにして、「アーク」と勝手に名付けたアーケロンだった。実に二十年ぶりの再会におれの胸の奥に思わず熱いものがこみ上げる。


「アーク、元気でやっていたんだな」

「マスターはずいぶんと歳をとったようだ」


 ケツが青いといわれていたおれが、二十年経って今度はモンスターに歳をとったと皮肉をいわれて、つい苦笑いがこぼれる。おれはやつに近寄ろうと船首まで歩いていく。亜空間にいるせいか、波さえ止まっていて、船は堅牢な建物のように安定している。

 その様子を見てアークが不思議そうにたずねる。


「なぜ、マスターはタイムブレスにとらえられなかったのだ?」

「ブレスの発動前にタオがなにか術をかけてくれた。そのおかげかもしれない。それよりも、アーク。お前にお願いがある。ここにいるアーケロンたちを、島にある龍の目という海中クレーターに集めてくれないだろうか」

「なぜだ。二十年前のあのとき、マスターは我等に自由な世界で生きよと命じてくれた。そのおかげで、我等は今もこの海で自由に生きているし、我等が人類と対立することもなくなったのだ。その命令をマスターが自ら、撤回しようというのか」

「ああ。確かに、おれはアークに自由になれと命令し、相棒パートナー契約を解除したさ。けれど今、外界そとのせかいできな臭い動きがある。一部の狩猟ギルドが、多くの幻獣レアモンスターたちを、不正に捕獲や討伐していると聞いている。だから……」

「……ならば、我等はまた人類と戦うまでのこと。これまでも、そうして我等は悠久の時の中を生きてきた。人類が我等を害がないと見做そうが、そうでなかろうが同じことだ」

「アーク。聞いてくれ。この二十年で人類の文明は驚くほどの進化を遂げている。ダンジョンから得た多くの知識は、人類をさらに発展させたんだ。おれでさえ、驚くほどのな。もしかしたら、アークのタイムブレスでさえ、無効化できるアイテムを開発しているのかもしれない」


 おれはアークに訴えかけるようにいう。しかし、アークは微塵も関心なさそうに、落ち着き払った様子でまっすぐおれを見てこたえた。


「例えそうだとしても、我等は魔獣モンスター。人類と相容れるものではないことくらい、マスターも理解しているはずだ」

「そりゃあ確かに、人類の全員がいいやつばかりじゃない。自分勝手だし、わがままをいって相手を困らせたり、平気で嘘をつくやつもいる。私利私欲で幻獣レアモンスターたちを乱獲しようとする輩だっている。でもな、アーク。おれは人類と魔獣は相容れない存在だなんて、思っちゃいない。おれは、本気でアーケロンたちを守りたいと思っている。アークたちだけじゃない。おれは、アマンデイにいる魔獣モンスターたちと人類とが共存できるようにしたい。おれがこのアマンデイに宿屋を開いたのも、アークに出会ったからだ。おれはアマンデイが好きなんだ。ここにいる、モンスターも含めた、そのすべてが」


 思わず声に熱がこもる。しかし、アークは冷静に、むしろどこか突き放したようないい方で、反論する。


「そんなものは詭弁だ。現に今、我等を捕獲しようとしているのはマスターの方ではないか。ではきくが、マスターは我等をそのクレーターに閉じ込めてどうするのだ? 自分の好きなものを保護し、都合のいいように管理することが、人類が思う我等モンスターの自由か? そのような自由を、我等が欲するとでも思うのか!?」

「参ったな……どういえば、信じてもらえる。おれは、本当にお前たちを守りたいと思っているんだ。何も、ずっとクレーターに閉じ込めたいわけじゃない。あくまで一時避難だ。その間に、おれの信頼できる方が、その悪徳ギルドを潰す。そうすれば、無用な討伐ミッションは行われなくなり、アークたちも再びもとの生活に戻れる」


 それまで、おれのいい分にことごとく反論してきたアークだったが、ほんの少しの間を置くと、その大きな目に鋭い眼光を宿して威厳たっぷりにいった。


「ならば、マスター。我と再び契約せよ」

「アークと……再契約……? けど、おれは二十年も魔獣使いモンスターテイマーとしては……」


 戸惑うおれに、アークはふっと短く笑う。


「なにも、今更マスターに使役されて戦ってやろうというのではない。魔獣使いモンスターテイマー魔獣モンスターとの契約は、すなわち信頼の証。マスターの言葉が誠の意思かどうか、我が相棒パートナーとなり自ら判断しよう。もし、マスターが契約に背くときは、我はマスターたち人類を再び敵と見做す。当然、マスターもだ」

「わかった、アーク」


 おれはうなずき、ゆっくりと前へ進み出る。アークも、砂浜にあがってきたウミガメみたいに船の真正面でじっと止まっている。アークの作り出した亜空間では、おれとアーク以外は、すべてが止まってしまっている。海の上だというのに、波でさえ飴細工みたいに固まっているのだ。

 四人組の戦士のうちの一人、テンゲンが腰に下げていたナイフを抜き、それを持っておれは舳先に静かに立つ。


「我が血の契りにより、汝の誠を示せ。我が誠を汝の信に託す。我が名は、マーカス・コーエンなり」


 誓約を唱え、同時に指先をナイフで少し切った。真っ赤な雫がアークに落ちると同時に、やつもいった。


「汝が血の契りにより、我が誠を示そう。我が名は、幻獣アーケロン」


 魔導士が術を発動するみたいに、手元が光ったりとか、そういう派手なものは一切なし。実に地味な儀式だが、おれの血をアークに預けている限り、アークはおれの相棒パートナーとして、命令に従うことになる。


「さあ、我に命令を。マスター」

「ならば、アーケロンたちを、アマンデイの龍の目まで連れてくるんだ」

「いいだろう。ところで、マスターは我等を守りたいといったが、龍の目までの移動の間も有効か?」

「もちろんだ。おれの今のパーティはなかなかツワモノ揃いだからな」


 アークはもう一度短く笑って、方向転換をする。その瞬間、まるでトンネルから抜けたみたいに、急に周囲の景色に鮮やかな色が戻った。やつのタイムブレスの効力が切れたのだ。

 ということは……


「ちょっと待ってくれ! アーク! いま急に戻されたら……」


 ざばんと波しぶきが弾ける音がして、おれの立っていた舳先が大きく揺れた。

 知っているか? 海に落ちる瞬間って、タイムブレスにかけられているわけでもないのに、時がゆっくりと過ぎていくように感じるんだぜ。

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