第23話 旅立ちのときに
その日、おれはは一日中、
しかし、おれの想いとは裏腹に、このミッションに参加しようという者はなかなか集まらなかった。気づけば、昼食も取らないまま、午後のチェックインの時間が近づいていた。
「支配人、本当にやるんですか?」
「ああ。アーケロンはこの世界の象徴的存在だ。ヤツがいなければ、この宿にやってくる冒険者も減るだろう。そうなれば、宿にとっても死活問題だ」
連絡先のリストを指でなぞりながら答えるおれに、サツキは呆れたように大きなため息をついた。
「だったら、また馴染みの客でのんびりやれば良くないですか? この冒険者ブームまではずっとそうやってきたじゃないですか?」
「そうかもしれないが、だからといってこのままアーケロンが滅んでしまうのを見過ごすわけにはいかないだろう? アーケロンはこのアマンデイにしか存在しない固有種なんだ」
「……どうして?」
悲しげな声にはっとなって振り返ると、サツキは少し目を伏せて、机の上の宿泊予定者の名簿をぼんやりと見つめていた。サツキはまるで独り言をつぶやくようにいった。
「わたしはダンジョン生活者の二世だし、このアマンデイから出たことなんてない。
「サツキ?」
「でも支配人は
「どうしたんだよ、サツキ? なにか、気に障ったのか? もしそうなら……」
「そうじゃない!」
サツキは苛立ったように声を荒げ、立ち上がると、きょとんとするおれの鼻っ面にびしっと人差し指を突きつけた。ぴっと眉が吊り上がって、明らかに怒った顔をしている。彼女は感情が顔に出やすいのだ。
「支配人が守ろうと思うのは、アーケロンなの? このアマンデイなの? それともこの宿なの?」
サツキにいわれて、おれは答えに窮する。たしかに、アーケロンはおれにとって大事な相棒だ。そのアーケロンを守りたい。それは偽らざる真実だ。だからといって、それが一番で、宿のことは二の次なんて思ってはいない。
まごつきながら、おれは拗ねた子供みたいにいった。
「そんなの、全部だ」
「それは卑怯よ!」
「どうして?」
「アーケロンが討伐されたら可哀そうだから助けるの? それとも宿にお客さんが来なくなったら困るから? 魔獣がいなくなったアマンデイには魅力がないから? 支配人は、本当はどうしたいの? それを支配人がはっきりと答えられないのに、さも大きな困難に挑んでる、みたいにしているのがずるい! そんなことじゃ、わたしが、わたしが納得できない!」
「納得って……」
「じゃあ、きくけど、どうして支配人はタオやハリーや料理長にこのミッションに参加してほしいっていわないの? みんな立派な冒険者だったじゃない。見ず知らずの相手とパーティー組むよりも、断然力になるでしょ」
「馬鹿いうな。みんながいなかったらこの宿はどうなるんだ。サツキひとりきりじゃないか!」
「それがずるいっていうの! この宿やお客さんのことが大事だ。だったら、断ればいいじゃない。宿のことがあるから、できません。そういえば、マクレーンさんはきっとほかの誰かにお願いするわ。結局、宿のことを理由にして、本気で挑もうとしていないのって、支配人の方じゃないですか? それとも、本気出さなくても成功するくらい、簡単なミッションだっていうの?」
「簡単なはずないだろう! 捕獲するだけならまだしも、龍の目まで誘導しなきゃならないんだぞ。しかも、巨大なアーケロンを!」
「だったら、この宿のことを気にしてる場合じゃないっていってるの! それとも、わたし一人を残していったら、この宿はどうにもならないって、そう思ってる? わたしって、その程度の人間?」
サツキは真っ赤な顔で、いつにもまして鋭い視線をおれにむけている。けれど、どうしてだろう。その目を見ていると、なんだか急に心がふわりと軽くなった。いつもなら、怒ったサツキにこんな安らいだ気持ちを持つことなんてないのに。
そうか。サツキは本気でこの宿を守ろうとしているんだ。たとえ、自分ひとりだけになったとしても、なんとかしてみせる。だからこそ、おれにも本気になれっていってくれているんだ。
「……サツキのいう通りだな。おれは、宿屋の主人であることを言い訳にしていたのかもしれない……サツキ。おれは、かつての
「……わかればよろしい。で、どうするの?」
サツキは腕組みをして短く息をつく。
「タオたちにも声をかけてみよう。もちろん、彼女たちが行かないといえば、それを尊重するが」
「そうね。お願いしたからって一緒に行ってくれるとは限らないもんね」
意地悪そうに目を曲げると、サツキはほんの少しだけ笑った。
タオとハリーに事のいきさつを話したところ、二人も宿のことを心配したものの、それでもサツキを信じようというおれの言葉に理解を示してくれた。一方、料理長のダンカンは、「オデがいないど、お
ミョング来訪から二日後の朝、この宿に三人の男がやってた。それはかつておれとともに旅をした三人の男たち。
「よう、マーク! またお前と旅ができるなんてな!」
「ビクター! ラリー! ポール! ありがとう、三人がいればこんなに心強いものはないよ」
ロビーの中央に立つ三人におれは心からの歓迎と感謝の言葉をかける。おれのお願いに二つ返事をしてくれたのは、この三人だった。
「でも、僕たちだけだとちょっと心配だな。僕たちも昔みたいに若くないし」
そういってポールが不安げに肩をすくめてみせたが、おれはそれを笑って受け流した。
「心配なもんか。おれ一人では絶対に正しい判断なんてできない。ダンジョンでの経験が豊富なあんたたち三人はパーティの頭脳なんだ。よろしく頼むよ」
おれたちはがっちりと固い握手をかわし、ふたたびこの四人で旅に出ることができる喜びを分かち合った。
「それに、パーティーはおれたち四人だけじゃないんだ」
そう口にするのと同時に、扉口から四人の男が勢いよく宿の中に飛び込んできて、掴みかかる勢いでおれに食ってかかってきた。
「おい! 一体どういうことだよ。あんたところのイカサマ男、いますぐ来ないと龍の金貨四十枚請求するっていいやがったぞ!」
その男たちはかつてハリーに
「やあ、すまないね。実はちょっと手伝ってほしいことがあるんだ。もちろんタダとはいわないよ。手伝ってくれたら例の契約書は破棄するし、ちゃんと報酬として龍の金貨十枚ずつを君たちに支払うよ」
「……今度は本当に払うんだな……?」
「前回だって別に払わなかったわけじゃない。君たちが負けただけだ」
「クソッ! 相変わらずいけ好かねぇ野郎だぜ。それで、ミッションの内容は?」
「アーケロン保護のために海上を移動する。君たちは船上警護をお願いしたいんだ。このアマンデイには海洋系のほかに飛翔系モンスターも多いからね」
「……わかった。ここまで来て、なにもせずに帰るのもなんだからな。ただし、この一回限りだ、いいな」
「ありがとう、恩に着るよ。この契約書はあんたたちが好きにするといい」
ハリーが男たちにむかって、先日サインさせた「宿での迷惑行為で、罰金 龍の金貨四十枚」の契約書を差し出した。
「……そいつはアンタが持ってな。勝負は勝負だ。あのとき勝ったのはアンタだ」
「わかった。なら、またいつでもここに来てくれればいい。それで僕と勝負するなら大歓迎だ」
「そいつだけはカンベンしてくれよ……」
男たちはにやりと笑いながら、ハリーと拳をぶつけ合った。どういう形であれ、勝負をした者同士、どこかに友情が芽生えることもあるのだ。
さて、一気にこの宿の中が男臭い空気に満たされたのだが、今度はその空気を切り裂くような甘ったるい声がロビーに響いた。
「こんにちわぁ!」
その声に振り返った四人の屈強な男たちの顔がだらしなく緩んだ。
相変わらず極端に生地が少ない露出度の高い装備を身にまとった若い女性が二人、宿の入り口にたっていた。
「
カウンターの中から今度はタオが飛び跳ねるように二人の元に駆け寄った。
「タオ! この間はお手紙ありがとう!」
「ええ。お二人もこの度はご良縁、おめでとうございます」
「あ、ありがとう……」
「それで、あたしたち、何を手伝ったらいい?」
「はい、アーケロンを捕獲するために特別な魔導アイテム、
「オッケー、了解だよ。タオ!」
「危険が伴うミッションですが、どうかお力添えいただけますか?」
「もちろんですよ、タオさん。あなたには本当に感謝しているんです。この程度の恩返し、させてもらわなければ神様の罰があたってしまいます」
「これで、メンバーは揃いましたね、支配人」
「ああ、そうだな」
おれはカウンターの前でこちらを眺めているサツキの正面に立った。いつもと同じで、さして愛想のいい表情ではない。けれど、この冒険の旅に出ることを、後押ししてくれた彼女にこそ、おれは一番感謝しなければならないと思っていた。おれたち三人が宿を空ける負担はすべてサツキにかかってしまうのだ。
「サツキ、しばらく留守を頼むことになる。大変だろうが……」
「別に構いやしませんよ。それに、こっちもちゃんと手伝いに来てくれる人が見つかりましたから」
「手伝いに? 誰が?」
「マチルダ様の娘さんたちが手伝いに来てくれることになりました」
「マチルダ様って、あの
「ええ。昨日、
おれは我が耳を疑った。あのわがままで高飛車なマチルダ夫人がまさかサツキのために、協力を買って出てくれるなんて。でも、これもサツキが誠心誠意、マチルダと接してきた賜物なんだと、じんと胸の奥が熱くなった。
「だから、こっちは心配しなくていいですよ。頑張ってきてください」
「ああ。ありがとう、サツキ」
「まあ、あたしも料理長もついていけませんけど、簡単にやられないでくださいよ」
茶化すようなサツキの台詞におれたちは声をそろえて大声で笑った。おれの中に確信ともいえる強い思いがこみ上げる。
大丈夫だ、おれたちにはこんなにも心強い味方がいてくれる。簡単にやられたりはしない。
「あと、もうひとつ」
サツキは両手の指を体の前で組んでせわしなく動かしていた。
「ぶ……無事に、帰ってきてくださいよ……」
彼女の視線は体の前で落ち着きなく動き回る両手の指に注がれている。おれは一歩前に踏み出すとそっとサツキの両肩を抱いて、その頬に触れるか触れないかの距離で彼女にだけ聞こえる声でいった。
「必ず無事に帰ってくる。サツキが待っていてくれるから」
彼女の肩を離すと、おれは宿のロビーに集まった勇者たちの中央に進み出る。
おれの脳裏に先日のビクターの言葉がよぎる。
『何事も始めるのに遅いということはないのさ。だから俺たちだってふたたび冒険者にだってなれるんだ』
おれは呼吸を整えると、ぐるりと取り囲むメンバーの顔を見渡して高らかに宣言した。
「さあ、行こうか。アマンデイの未来をかけた冒険の旅に!」
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