第11話:猫は下着なんて穿きません!

 夏梅がベッドの上で目を覚ますと、隣で白猫と美少女が眠っていた。


 元気を取り戻した猫は、健やかな様子で寝息を立てている。


 そして、白猫を抱きしめている少女が目を覚ました。


 裸だった。体を起こすと同時に掛かっていたタオルケットがずり落ちて、白い肌が露わになる。


 少女は、クリーム色の髪を揺らしながら大きく欠伸をし、小さな体を大きく伸ばしていた。


 夏梅は、これが夢なのだと悟った。なぜなら、昨日のうちに青いパジャマを買い与えたはずだからである。


「あ、おはようございます……お兄さん」

「おはよう、スーちゃん」


 眠たそうにあいさつをする少女の足元に、パジャマの残骸があるのを確認。夏梅は、これが夢でないと悟った。


 夏梅は体を起こしてから問いかける。


「えっと、スーちゃん? どうしてパジャマを脱いじゃってるのかな?」

「だって……気持ちよかったから、です」

「ベッドの肌触りがか! 恥じらいを持ちなさい!」

「てへ」


 赤面して突っ込む夏梅に、スーはちろりと舌を出して誤魔化す。


 そこに猫の耳と尻尾は、もうない。



◆■◆



 先に支度を終えた夏梅がマンションから出て、高校の制服に日の光を吸いこませながら大きく背伸びをしていると、


「初日はどうだった?」

「あ、女神様」


 朝日を神々しく纏いながら、セーラー服を着た少女が、からかうような笑みを浮かべて現れた。


「まだ教えなきゃいけないことはたくさんありますけど、それでも問題なく過ごせると思いますよ」

「服を脱ぐ癖を早急に解決する必要があるんじゃないかい?」

「どこで見てたんですか!?」


 驚く夏梅に、女神はくつくつと笑う。


「やっぱり夏梅くんは面白いね。君を選んでよかったよ」

「ほんと、まさか女神様の手のひらで踊らされていたとはね」


 夏梅が大きくため息を吐く。


「最初から全部『』に仕組まれていただなんて」

「なかなか素敵だろ?」

「にしたって、あんな舞台まで用意して、やりすぎですよ」


 夏梅が巻き込まれた猫の闘いは、間違いなく神が仕組んだものである。


 ただそれは、どの猫でも受けられるものではなく――そのすべてがスーのためのものであった。


「言っただろ? 可能な限り幸せにするって」

「可能の範囲がぶっとんでますよ」

「彼女にはその必要があった。それだけさ」

「『ほんとの勝者は君だ』なんて言い出して、スーちゃんを人間にしちゃうなんて……」

「彼女の本当の願い、愛されたいという気持ちの結果だよ」

「それなら猫でもよかったと思うけど」

「猫としての彼女は、闘いのまえに死んでいるからね、九生なんて所詮迷信さ」


 女神がそれを言うか、とまでは口にせず、夏梅は青空を眺める。


「それにしても、夏梅くんは本当にいい仕事をしてくれた」


 女神が、突然両手を大きく広げ、


「僕が! 愛してあげるから! ずっと傍にいるから!」

「やめてえええええ!」


 演技染みた叫びに、夏梅が悶えた悲鳴を上げる。


「くふふ、想像以上のシーンだったよ」

「僕だって必死だったんですよ! スーちゃんがやられちゃう前にって」


 最後の闘いの中、夏梅が女神に問いかけたのは『変化した猫は人を殺せるのか』ということだった。


 スーが本当に人間を憎んでいるのなら、異能によって抹殺することもできたはず。実際モールではペットショップを破壊していたのだから、現実でも力を使えることは分かっていた。それでも人を殺さない理由として、制限を受けているという可能性があった。


 しかし、女神はその可能性を否定した。それが、夏梅のもう一つの可能性を確信へと変えたのだった。


「スーちゃんの話を聞いて思ったんだ。彼女の生きていた世界はあまりにも短く、狭いなって。そうなってしまったのが人間のせいなら、それを広げてあげるのもまた、人間の義務だと思う」

「女神としては、そこまで重苦しく考えないでほしいけどね」

「余興だから?」

「神の間では大好評だったよ」


 そう言ってまた笑う女神に、夏梅は呆れたような表情を浮かべた。


「対価は十分に支払われていた。あとは相応の努力だけだったと」

「スーは憎しみで本音を隠していたからね。それを引き出すのには人間の力が必要だった。だから夏梅くんを巻き込ませてもらったんだよ」


 そうした話をしていると、マンションの入り口が開き、カッターシャツとプリーツスカート姿のスーが出てきた。その背中には赤いランドセルが背負われている。


 スーは女神に気付くと、行儀よく頭を下げる。


「あ、女神様、おはようございます」

「おはよう、元気そうで何よりだ」

「はい、お兄さんが優しくしてくれましたから」

「おやおや、一体何を優しくされたんだろうねえ」

「語弊があるね!?」


 スーの言葉に女神がにやつきだしたので、これはまずいと夏梅が話題を早々に切り替える。


「そういえば、ルナはどうなったの?」

『ここにいるわよ』


 夏梅が疑問を口にすると、その足元から声が聞こえてきた。見下ろせば、そこには一匹の黒猫。


「ルナは猫のままなんだね」

『ルナは人間に愛してもらえるなら、姿かたちに拘りはないわ』


 ルナが、ちらりとスーを見て答える。


『最初の目的が果たされたようで何よりだわ』

「え、まさかルナちゃんも知ってて?」

『当たり前じゃない。でなきゃ夏梅を探して、見つかるように倒れてるわけないでしょ』


 衝撃の真実を聞いて、夏梅が頬を引きつらせる。


「ルナさん」


 スーがルナに真剣な表情を向ける。


 そして、


「ありがとうございました」


 頭を下げた。


『……幸せになりなさいよ』


 ルナは一言だけそう返した。


 本気で殺し合った二人だからこそ、この言葉だけで十分なのかもしれない。


「それじゃあ、私とルナはそろそろお暇しようか」


 女神がルナを抱き上げたところで、


「不躾な質問だけど、ルナちゃんは、やっぱり人間になりたかったの?」


 夏梅が問いかける。


 ルナの願いである『人間になること』を聞いた時、夏梅はそれを嘘であるとは思わなかった。


 いまでもルナは人間になりたがっているのでは、と考えてしまう。


『そうね、人間の姿もなかなか悪くなかったわ。そこらへんは女神様にでもお願いしましょうか』


 金色の瞳が女神の方へと向けられる。


「そうだね……夏梅くん、黒髪で猫目な美少女転校生とか、興味ないかい?」

「え、なんですか急に」

「ルナ、細かい設定はこれから詰めようか」

『そうしましょう』

「え、なに、ちょっとまって!?」

「それじゃあ、二人とも」

『さようなら』


 夏梅たちが瞬きする間もないうちに、女神とルナの姿がその場から消えた。


 きっとまだ近くを歩いているのかもしれない。が、もう二人には見えない。


「ふふふ」

「ど、どうしたの、スーちゃん」


 急に笑い出したスーに、夏梅が首を傾げる。


「いえ、昨日まで闘ってたのが嘘みたいで……ほんと、全部夢みたいです」

「……ほい」

「ふにぃ」


 夏梅がスーの頬を優しく引っ張る。


「夢じゃないでしょ?」

「もう、古すぎますよ、お兄さん」


 そう言いながらまた笑い出すスーをみて、夏梅もまた顔をほころばせる。


「さて、それじゃあ小学校まで送っていくよ」

「はい、行きましょう、お兄さん」


 スーが、今朝おろした新しい靴の音を鳴らす。


「こらこら、走ると転んじゃう――」



 ――その時、強い風が二人を横切っていった。



 夏梅の視界に入り込んできたのは、ひらりと舞うスカートと。


 スーが咄嗟にスカート押さえて、それから、ちらりと夏梅の方をみた。


 夏梅が声を震わせる。


「えっと……スーちゃん? 下着は?」


 スーは赤くなった頬を隠すように、猫の手の形にした両腕を顔に重ねた。


「ね、猫は下着なんて穿きません!」

「もう猫じゃないでしょ!」


 一匹の物語は、ここまで。


 二人の物語は、ここから――。

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猫は下着なんて穿きません! 沙漠みらい @sabakumirai

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