独特な緊張感と力強い筆力による冒頭から、
すくった手から光の粒や清らかな水が零れ落ちていくような青春絵巻に。
主人公は決して力強いわけでも特別な才があるわけでもないですが、作品を通して芯の確かさを持ち、折れることなくヒロインをささえ、最後には『特別』を探す少女に光明をもたらす。
まるでムービを見ているかのようなボーイミーツ魔法少女の物語でした。
字数制限がなければ話し的にもう一波乱あるかなという感じでもうちょっと続きを読んでみたいという気がしました。
あと蛇足ながらサービスシーンの位置が絶妙でした。これも構成のうまさゆえでしょうね(笑。
魔法少女とはプラスする物語だとどこかで聞いたことがあります。
マイナスからプラスを足してゼロに還っていく物語だとも。
ネガティブ思考の魔法少女ネガティブフラワー(山潟花紗里)、その目撃者としての主人公「南ヶ川由」。
そんなボーイミーツガールから物語ははじまります。
邪道魔法少女もすっかり定着しましたが、そう言ってしまうには素直過ぎるほど素直、王道過ぎて少しだけ脇道に逸れて転んでしまった、そういった趣があります。
戦い自体に情熱はなく、無機質にシステマティックに組み上げられた魔法少女と敵(バッド)との戦いも舞台装置のように営まれるだけのように。
舞台で舞い踊るバレリーナと見守り続けることしか出来ない観客、無力でした。劇的な悲劇はなく、ただ物語を続けるために物語は続く。
感情の閾値がプラスにぶれても、ゼロ未満に戻してしまう。悲観的=ネガティブと言うのは彼女の心そのもの、力の源でした。
どうしてだろう、花紗里ちゃんを抱きしめてあげてほしいと思います。
だけど、そこから先を読みたくないと思うのも読者のエゴであり、ある登場人物のエゴでもあります。
生まれた瞬間に人間はゼロしか持ちません。
プラスはもちろん、マイナスもまた獲得して生きていくのです。
だから、負債としか思えない思い出も、それ以外も立派な財産であり手放したいと願ってしまうこと、そんなネガティブな思考を責めたくはない。
物語はゼロに還り、そこからプラスに踏み出すところで終わっています。それだけなのに、喪失感を感じて、泣きたくなってしまうのですよ。
痛みを感じさせる、喪失なき喪失感、そんな物語を今まで読んだことがありませんでした。
劇的さがないゆえに少年少女は泣きたくなる。少年少女、すべての人々にこの綺麗な喪失感とかすかな希望は届くのだと信じています。
完結、おめでとうございます!
日常を蹂躙する異形と、それらを狩る魔法少女。
非日常の一端に触れたなら、手を伸ばさない少年はいないでしょう。
けれどそこにあるのは、いかにも魔法少女的な華やかで煌びやかな活躍とは、到底かけ離れた世界。
魔法少女ネガティブフラワーこと花紗里ちゃんの世界は、強固な壁に塞がれています。
人知れず強大な敵と戦う日々、今なお己を縛る過去の出来事。
どちらも、単なる一般人でしかない主人公・由くんには、覆しがたい難題です。
でも。
たとえ超上の力を持つ魔法少女であっても、その素顔は一人の女の子なんだと知ってしまったら。
輝きも届かない遠い遠い場所にあるのだとしても、それでも、救いの光があってほしいと願わずにはいられません。
そして、どうか、その光を見つけ出してほしいと、願わずにはいられません。
共に、茨の道に心を締め付けられながら、少年少女の行く末を見守りたいです。
青春は、元来ネガティブなものだと思います。膨れ上がる全能感と、それに比例しない現実とのギャップに苦しむ世代。自分の力ではどうにもならないものの存在に、膝を折ることこそが青春と言えるのではないでしょうか。
主人公の由は、どうにもならない非現実のような現実と、それを打ち崩す魔法少女を同時に目にします。男の子なら、ワクワクしないわけがない。でも、その魔法少女が、自分と同じように、どうにもならない現実を目の当たりにし、それに抗おうとしている、ただの女の子だとしたら。そこに由君は、どのように関わっていくのでしょうか。
重苦しくも静かに、情緒溢れる表現力で美しい世界を描く本作。この先、二人がどのような青春を繰り広げるのか、楽しみでしかたありません。
完結後感想(ネタバレあり)
この物語は、花紗里ちゃんが「赦される」ための物語だったのかな、という感じがします。
花紗里ちゃんは凡人です。それは、エンディングにも如実に現れていて、もともとの願いを叶えたらあっさり魔法の力を手放して、それを後でちょっと後悔するなんて、いかにも凡人の思考ではないかと思います。
そもそも、花紗里ちゃんが魔法少女をするための根本的な原動力こそが、「死んだ人を生き返らせる」という、愚かなまでに後ろ向きな、しかし誰にとっても叶えたい願いだったことが、花紗里ちゃんの凡人性を象徴していると思います。
自分の責任でもなんでもない、単なる事故死をなかったことにする。花紗里ちゃんは、ある意味とてつもなくわがままで、容易く禁忌に踏み込んでいるように思います。きっと、深い思索をする賢人であれば、己の行いを省みて、悩んでしまうのではないでしょうか。
けど、花紗里ちゃんは生命倫理については悩まない。悩むのは、生き返らせたその人と自分がどう相対するかという、ミニマムなもの。いろんな意味で、彼女は主人公に向いていない人材な気がします。
ある意味、そんな花紗里ちゃんだからこそ、過ぎた力を持ち、自分の願いが叶えられるということにも、「自分のような小さな人間が、願いを叶えてしまって良いのか」というネガティブな思いがあり、許されないという意識があるのではないでしょうか。
花紗里ちゃんが戦いで傷つくことにあまり頓着がないのは、そのような許されない自分に対する、自傷行為のような面もあるのではないかな、と思います。
しかし、花紗里ちゃんは後ろ向きであっても、前に進んでいます。それが、傷つくための行いであったとしても、自分の願いを叶えるために、努力し、苦難に耐えます。
そして、その後ろ向きな努力のおかげで、由君は助けられました。
由君は、ネガティブな努力をする花紗里ちゃんを受け入れ、赦した。この瞬間、本来主人公になるべきではない、後ろ向きで凡人な、たまたま魔法少女になってしまっただけの花紗里ちゃんは、由君の物語の主人公になれたのではないでしょうか。
ヒーローになれないただの凡人にも、そこには願いがあり、そのための行動がある。行動するということはなにかを得ることであり、なにかを失うことです。嬉しいときもあれば、悲しいときもある。ネガティブになることだって、もちろんあります。
けど、それを誰かに赦してもらえるならば、それだけで人は生きていけるのではないかとおもいます。
後ろを向いていたとしても、前には進める。そして、それを赦してくれる誰かがいる。それは、何よりも幸福なことであると、この物語を読むと、そう思えるのです。