12. 結婚させてください

 連れて来た幽霊達にベッドを運ばせ、地獄に持ち込んだ閻魔大王であったが、其の置き場所を考えるに、ハタと困ってしまった。

 旱魃姫の庵は狭く、中にベッドが入らない。猛と瑠衣が方々の中古屋を巡って探し当てた特大キングサイズのベッドである。

 庵の外に置く手も有ったが、愛を深める神聖な儀式をするに当たり、屋根の無い場所でも構わないのか?、と悩んでしまった。

 悩んだ結果、地獄の監獄にベッドを運び込む事にした。

 監獄の所在地は、魔山を挟んで、三途の川とは反対側であった。此れだけ三途の川と離れていれば、旱魃姫の水を干上がらせる能力も及ばないだろうと期待したのだ。

 監獄がスウィートルームと言うのは風情が無いが、住めば都。閻魔大王と旱魃姫にすれば、屋内にベッドが有りさえすれば良かった。

 例に依って、地獄に戻った閻魔大王は、

黄泉よみを干上がらせては地獄の役務が滞るので、旱魃姫は魔山に長居が出来んのじゃ。そうかと言って、地獄に慣れておらぬ旱魃姫を監獄で独り切りにしては可哀想だからな。

 判じ場での汝らの働きには満足しておるぞ。引き続き、頼む」

 と、釈明とも懐柔とも思える台詞せりふを赤鬼と黒鬼に吐き、玉座に座りもしない。いそいそと監獄に向かう。思わず目尻が下がり、頬が緩んでしまう。

 初めて見る閻魔大王の威厳を欠いた表情に、好奇心を掻き立てられた怠鬼が、

「ワシの役務は閻魔様の側にお仕えする事じゃからな」

 と、此処ぞとばかり特権をひけらかせて、随行して行った。

 監獄で、初めて怠鬼は旱魃姫に謁見した。

(此の方が天女様か。

 衣装の胸の辺りが膨らんでおる。瑠衣に比べると小さいようじゃが、天女様の乳房も萎んではいないようじゃ。

 あの天女様も赤児を産むんじゃろうか?)

 そんな疑問を怠鬼が抱いているとは知らず、旱魃姫は親しげに怠鬼と初対面の挨拶をした。愛する閻魔大王に仕える鬼なのだから当然である。ベッドの上に腰掛け、怠鬼としばらく談笑する。

 だが、流石さすがに怠鬼の目に自分の裸体を晒す事ははばかられた。それに、愛を深める神聖な儀式は二人切りの状態でるべきだと、瑠衣に教えられてもいた。

 だから、丁重に魔山に帰って貰った。

 門前払いを食らった怠鬼であったが、そんな怠鬼でも学鬼は羨ましく思った。何故ならば、こんな一幕が有ったのだ。

 閻魔大王と旱魃姫が三途の川を渡って来た際に、最初に出迎えたのは役務場が近い学鬼である。

「閻魔様。お帰りなさいませ。現世は如何いかがでしたか?」

「ウム。此の度の訪問、成果も多く、ワシは大いに満足したぞ。旱魃姫も、そうでしょう?」

「はい。本当に行って良かったと思います」

「それでは、もう、現世には赴かれないのですか?」

「いや、行く。但し、7年後の現世じゃ」

「7年後ですか・・・・・・。それでは、それまでの間、私が猛君に憑依して来ても宜しいでしょうか?」

 怠鬼が精気を失ったので止む無く地獄に戻って来たが、未だ未だ現世に未練の残る学鬼であった。

「ならん!」

 学鬼の願いを、閻魔大王は大声を上げて却下した。一瞬、雷鳴が轟く。

「申し訳ありません。閻魔様の逆鱗に触れるとは、予想もしておりませんでした。しかし、何故?」

「誰であろうと、猛と瑠衣が愛を育む邪魔をしてはならん」

「愛? ・・・・・・ですが、もう猛君は瑠衣さんの事を好きなのでは?」

「そうだ。だが、瑠衣の方が未だ、猛の事を十分には好いておらんらしい」

 瑠衣に憑依した事が無い学鬼としては、そう断言されれば、そう納得するしかない。

「ところで、あのベッドは、何故なにゆえに地獄に持ち込まれたのですか?」

「ウム。愛を深める儀式の練習をする為だ」

「愛を深める儀式?」

「そうだ。其の儀式に精通すべく、ワシと旱魃姫は今から練習するのだ」

 実は、幽体離脱して現世の夜を彷徨さまよった学鬼は、何度も他人のSEX現場を覗き見していた。ところが、男女が抱き合う行為の目的を知らずに眺めただけなので、SEXと認識する事は無く、学鬼は素通りしていたのだ。

 だから、閻魔大王の言う“愛を深める儀式”の練習風景を見てみたいと言う探究心を抑え切れず、「監獄での練習風景を見学させて欲しい」と申し出たのだが、閻魔大王に却下されたのだ。

――自分は此処で見送りせざるを得なかったが、怠鬼は監獄の寝室に入る事が出来たのだ。一体、どんな感じだったのだろう?

 完全に出歯亀的な勘繰りなのだが、学鬼としては純粋な探究心の発露であった。

 さて、本題の“愛を深める儀式”の練習に話を戻すと、

「閻魔大王。さあ、始めましょう」

 SEXの目的を履き違えている旱魃姫は、非常に積極的である。

 羽衣はごろもを脱いで宙に浮かせる。舞台の緞帳どんちょうを上げる様にネグリジェ衣装を手繰り上げ、産まれたままの姿をさらけ出す。ネグリジェ衣装を床にハラリと脱ぎ捨てる。

 櫛を外し、結っていた黒髪をほどくと、長い黒髪は腰の辺りまでサラリと落ちた。すだれの様に前にも落ちた黒髪の一部が、旱魃姫の乳房を部分的に隠した。

「さあ、お脱ぎになって!」

 旱魃姫に催促され、閻魔大王も黒く四角い烏帽子を脱いで床に置いた。

 腰元で結った紐を解くと、赤い生地に様々な模様を刺繍で織り込んだ装束を、バサリと脱ぎ捨てた。閻魔大王もまた、産まれた時のままの姿になって、旱魃姫の前に立つ。閻魔大王のダビデ像の如く筋骨隆々の逞しい肉体を眺めた旱魃姫は、自らの手で厚い胸板を優しく撫でた。

「さあ、閻魔大王。ベッドに上がりましょう」

 ベッドの上で膝立ちになって向き合う2人。リードするのは旱魃姫である。

「まずは、キスです」

 旱魃姫の合図で、2人は目を閉じ、顔を近付けて唇を重ねる。

 舌を絡ませる事を知らない2人が辿り着いた結論は、閻魔大王が息を吹く時は旱魃姫が吸い、旱魃姫が息を吹く時には閻魔大王が吸うと言う仕草だった。こうして2人が息を合わせさせすれば、2人の頬は膨らんだりすぼんだりする。少し滑稽である。

「此の儘、私が閻魔大王の身体に跨りますよ」

「ウム」

 閻魔大王はゆっくりと背中を落し、旱魃姫は片足を上げて閻魔大王の腹の上に跨る。閻魔大王の硬い腹筋の上に、旱魃姫の柔らかい尻が密着する。

 そして、映画のベッドシーンを必死に思い出し、映画と同じ様に艶かしく、手足を動かしてみるのだ。

 そんな最中、閻魔大王のモジャモジャ髭が旱魃姫の素肌に触ったりもする。くすぐったく感じた旱魃姫が思わず、フフっと笑い声を上げる。時にはアハンと艶っぽい声だって上げる。

 スキンシップに戯れるプロセスこそが、SEXの大事な要素なのだが、閻魔大王と旱魃姫の場合、

「旱魃姫! 此のタイミングで声を上げてはなりませぬぞ」

「御免なさい。閻魔大王。もう一度、遣り直しましょう」

 と言った具合で、どうしても中座してしまう。

 だが、相手の肌の温もりに心地良さを感じる事こそが真髄。前戯だけのSEXであったが、2人の愛は益々深まって行った。


 本番無しのSEXを何度も続けた頃。時間の概念が無い地獄であるが、閻魔大王が係昆山で過ごした刻限よりも更に長い刻限が経った頃。学鬼が慌てた様子で監獄に遣って来た。

「閻魔様! 至急、お目通り願いたい儀がございます」

 学鬼は監獄内にいる閻魔大王に向かって大声を上げる。

 学鬼の大声に驚いた閻魔大王は、慌てて装束を着用し、烏帽子を被る。旱魃姫が烏帽子の曲がりを正してやる。

「何事だ!」

「はい。大変でございます。三途の川の水位が徐々に下がっております」

「其れはまことか?」

「はい。何度も確かめました。残念ながら、旱魃姫の御力かと思われます」

 閻魔大王は腕組みをしてウ~ムと唸った。旱魃姫も監獄の出入り口まで姿を現し、不安そうに閻魔大王と学鬼の遣り取りを見ていた。

 閻魔大王は旱魃姫の方を振り返って言う。

「やはり、此の儘、旱魃姫を地獄にお連れしておく事は叶わぬようです」

 深刻な口調で伝える閻魔大王の言葉に、旱魃姫も俯く。

 だが、閻魔大王自身は前々から覚悟していたようで、旱魃姫を力付けるように提案した。

「旱魃姫。黄帝様にお願いに参りましょう。ワシらの結婚を許して頂くのです。

 そして、係昆山の庵を2人で暮らせるように増築の普請ふしんをお願いしようではありませんか」

 悩むまでも無い。此れが正しい手続きと言うものであった。


 一つの金斗雲の上に手を携えて乗る閻魔大王と旱魃姫。

 皇城が近付くに連れ、閻魔大王の緊張が高まって行く。相手の両親に結婚の許しを乞うと言う行為を前にしては、流石さすがの閻魔大王も緊張する。

 午門で金斗雲から降りた2人は、歩いて太和門を潜り、太和殿に登庁した。

 太和殿を行き交う仙女達の1人が、閻魔大王と旱魃姫の来訪に気付いた。旱魃姫の顔を認めるや、ハっと手を口元に遣った。旱魃姫は係昆山に居るべき天女だ。そして、黄帝の娘なのだ。

 今回は取次ぎも必要無い。仙女はニッコリと上品だが強張った笑みを浮かべ、「どうぞ、こちらへ」と言って腰を屈める。楚々とした足取りで2人を奥へと案内した。

 黄帝の鎮座する後三宮。

 今回もまた、黄帝は独りで居室に鎮座し、御簾みす越しに庭園を愛でていた。庭園の遠く向こうには崑崙山が望める。

 黄帝の居室の中を伺う遥か手前で、閻魔大王と旱魃姫の2人は両手を前で組んだ腕の輪に頭を埋める。廊下に目線を落した状態で膝立ちしたまま、黄帝の居室に歩み寄る。

「閻魔と旱魃に御座います」

 と、閻魔大王が大声でお目通りを願い出た。

「ウム。苦しゅうない、苦しゅうない。近う寄って、顔を見せてくれ」

 野太くも皺枯しわがれた声音こわねで黄帝が許しを下した。旱魃姫の姿を見て、嬉しそうである。

 閻魔大王と旱魃姫は「ハハァ」「はい」と畏まると、膝立ちしたまま更に進み出て、顔を上げた。

 閻魔大王だけは黄帝とは視線を合わせぬよう、少しだけ俯き加減だ。拝顔しない仕草が礼儀であったし、今回は特に、直ぐには目線を合わせたくない。

「旱魃、久しぶりじゃのう。元気でおったか?

 ワシが係昆山を訪ねるつもりじゃったが、此の閻魔が気を利かせてくれたのじゃな。閻魔よ、礼を言うぞ」

 閻魔大王がハハァと畏まる。閻魔大王の横で旱魃姫がモジモジしている。

「黄帝様!」

 いきなり閻魔大王が大声を上げる。

「んぁ?」

「此の度は、お願いが有って、此の閻魔と旱魃、後三宮に参上致しました」

「何じゃい? 改まって」

「はい。此の閻魔、旱魃姫と結婚しとうございます。黄帝様におかれましては、是非に、御許し頂きとうございます」

 そう一気に言うと、閻魔大王は平伏した。閻魔大王に一呼吸遅れて、旱魃姫もまた平伏する。

「其の様な目出度い事が、旱魃姫にも訪れたか・・・・・・」

 黄帝は感慨深そうに呟くと、遠く崑崙山の方に目を向けた。

「して、雲華婦人うんかふじんには、もう会ったのか?」

「いえ。未だに御座います。まずは、黄帝様に御許し頂けない事には・・・・・・」

「それでは、雲華婦人うんかふじんにも報告するが良かろう」

 明確な回答が無い事に痺れを切らした旱魃姫が、顔を上げて質問した。

「父上。私達の結婚の事、御許し頂けるのでしょうか?」

「許すも何も。子の幸せを願わぬ親なんぞ、おりはせぬ。旱魃は閻魔の事を好いておるのじゃろう?」

 コクリと頷く旱魃姫。

「そうであれば、ワシに反対する理由なんぞ、有ろうはずが無い。末長く、幸せになるんだぞ」

 旱魃姫は堪え切れずに泣き始めた。嬉し涙なので、嗚咽は漏らさない。

「何を泣いておるのじゃ。目出度い報告なんじゃから、お前の笑顔を見せておくれ」

 旱魃姫は目尻の涙を拭い、泣き濡れた頬にニッコリと笑みを浮かべた。閻魔大王も自分の緊張が一挙に解けるのを感じた。

「実は、黄帝様!」

「何じゃ?」

「もう一つ、お願いがございます」

「何じゃ?」

「2人が過ごし易くなるよう、旱魃姫の庵を増築して頂きたく思います。

 勿論、此の閻魔の役務は地獄を統べる事。係昆山の庵に入り浸る事は決して致しませぬ。ゆえに、黄帝様の御心配には及びません」

 閻魔大王の最後のセリフを聴いた黄帝は、フォ、フォ、フォっと大きな笑い声を上げた。

「閻魔は律義よのう。じゃが、知っておるぞ。

 今でも赤鬼に代役を押し付け、頻繁に現世に行っておるそうじゃな?」

 バレているとは知らず、閻魔大王は下を向いたまま目を白黒させた。

「申し訳ござらぬ! 今後は二度と役務を疎かにしません。どうか御許しを・・・・・・」

「良い、良い。全ては旱魃の為であろう? 地獄の営みが滞ったわけでも無し。ワシは気にしておらんよ」

 閻魔大王はハハァと畏まる。

「ところで、普請ふしんの奏上じゃがな。自分らで崑崙山に持参するが良い」

「崑崙山?」

「知らなんだか? 此の極楽や地獄の普請は全て、崑崙山の天女達が担っておるのじゃ」

「神様ではない?」

「普請などと詰らぬ事は、神様の預かり知る事ではない。だから、其の儘、雲華婦人うんかふじんを訪ねて行くが良い」


 後三宮を辞した閻魔大王と旱魃姫は、金斗雲に乗って崑崙山を目指した。

 旱魃姫の暮らす係昆山と違って、崑崙山の山肌は樹木で覆われている。現世の樹木とは違って、葉の色は緑ではなく、虹色をしている。見る角度に依って微妙に色合いが変化すると言う点で虹色なのだ。光合成が必要無いので、緑色である必然性も無い。

 崑崙山には植物の類が生えているが、動物の類は居ない。動物とは、滅んだ蚩尤しゆうの魂を少しでも慰める為に、天女達が蚩尤の兵を真似て現世に創造した存在なのだ。だから、極楽には必要無い。

 大きな平地が無い崑崙山には、皇城みたいに荘厳で大きな建物が無い。山肌のあちらこちらに小さな邸宅が点在しているのみである。

 散在する邸宅の中でも最も山頂近くの建物に2人は向かった。崑崙山を統べる西王母せいおうぼの屋敷だった。

 白壁の上に載る屋根には赤い瓦が重ねられている。風の無い世界なので、旱魃姫の庵と同様、壁には窓らしい穴が丸く穿たれているだけである。ただ、全ての丸窓に御簾みすが降ろされているので、邸宅の中の様子は覗えない。

 石畳に続く邸宅の正面にはアーチ状の門が構えられ、其処が玄関だと思われる。

 玄関前の石畳の上にフワリと金斗雲を着陸させると、閻魔大王と旱魃姫の2人は自分達の来訪を家人に告げた。中から、旱魃姫と同じ服装をした天女が漂って来る。皇城と違い、崑崙山では羽衣を使った浮遊が許されている。

「閻魔大王と旱魃姫にございます。西王母せいおうぼ様にお目通り願えませんか」

 崑崙山は女人の世界である。男の閻魔大王が口を開く事は憚られた。

 要件を伝えると、微笑みを浮かべた天女が「此れへ」と案内する。皇城と比べると、型式張った処が無い。

 廊下を渡って幾つかの部屋の前を通過し、最奥の大きな部屋まで案内される。旱魃姫の庵の10倍程度の広さがある。

 部屋の奥の方には極採色の入り混じった丸い茣蓙ござが敷かれ、半獣半人の西王母せいおうぼが茣蓙の上で寛いでいた。上半身は女性の姿をしているが、下半身は四本脚の豹。尻には豹の尾が生えている。

 西王母せいおうぼは綺麗な女性の顔をしているが、虎の様に鋭い歯が唇から覗いている。傍目には、温和なのか獰猛なのか、判然としない。艶々とした黒く長い髪は裸体の上半身に乱れており、乱れた黒髪に宝玉を散りばめた頭飾りを戴いている。

 西王母せいおうぼが、旱魃姫に向かって、

く来ましたね。私は、雲華婦人うんかふじんの股から貴女を取り出して上げたのですよ。憶えてはいないでしょうが」

 と、先に声を掛けた。

「どうぞ、お座りなさいな」

 西王母せいおうぼに言われて、閻魔大王は床に胡坐あぐらを掻き、羽衣を着用している旱魃姫は僅かに下がって宙空に寛いだ。

西王母せいおうぼ様。此の度は母上に会いたいと思い、係昆山に蟄居の身ではありますが、許しも得ず、こうして参上致しました」

「そうですか。何か御目出度い事かしら?」

 果たして、黄帝から知らせが届いているのか、或いは女の勘で当てずっぽうを言っているのか。2人には分からなかった。

「はい。此の旱魃、こちらの閻魔大王と祝言しゅうげんを上げとうございます。

 母上に、婚姻の報告と御許しを乞いに参りました」

「そう。其れは確かに御目出度い事ですね。

 そうであれば、此処で暇を潰していても詮無い事。直ぐにでも、雲華婦人うんかふじんを訪ねて上げなさいな」

 西王母せいおうぼへの挨拶を済ませた2人は、先程の天女の案内で雲華婦人うんかふじんの邸宅に飛んだ。

 こちらでは、実の母娘の対面。天女が中に漂って行って2人の来訪を伝えると、雲華婦人うんかふじんが急いで漂って来た。

 玄関口に立つ旱魃姫の姿を認めると、両手を上げて近付き、ひしと旱魃姫の身体を抱き締めた。

「久しぶりです。係昆山まで会いに行けず、申し訳ありませんでした。どうか私を許してくださいな」

 久方ぶりの再会を母娘は涙を流して喜び合った。再会の様子を背後で見ていた閻魔大王も、思わず鼻を啜った。

 閻魔大王の鼻水の音に気付いた雲華婦人うんかふじんが娘に尋ねる。

「旱魃。此の方は?」

「母上。私、此の閻魔大王と祝言を上げたいのです。其の御報告に参りました」

 旱魃姫の報告を聴いた雲華婦人うんかふじんは「まあ」と言ったまま、一瞬だけ棒立ちになった。

 直ぐに我に返ると、慌てて、

「こんな処で、婿殿を立たせたままにしてはいけませんわ。さ、さっ。是非、奥の部屋まで上がってくださいな」

 バタバタと手を動かしながら、閻魔大王を奥へと誘う。

 雲華婦人うんかふじんの邸宅は、西王母せいおうぼの邸宅よりも一回り小さく、大広間は無い。旱魃姫の庵の数倍程度の部屋ばかりで、其の一つに閻魔大王と旱魃姫は案内された。

 下女として仕える天女が、仙桃を乗せた皿を三つ、盆に入れて持って来た。

「母上。父上とは、お会いしているのですか?」

「ええ、偶にね。此の間もね、地獄の普請ふしんの奏上を西王母せいおうぼの処に持参した折、私の邸宅に立ち寄ってくださったのよ。

 何か用事が有ると、配下の菩薩ではなく、自分で崑崙山に来るのね。もしかして、暇なのかしらね?」

 暇みたいです、とも言えず、

「父上と母上は仲が良いのですね」

 と、愛想を言った。

「当然よ。私は素女そにょ様より直々に、殿方を籠絡するすべを授かりましたからね。黄帝様が私から離れる事は、絶対に無いわ」

 自信たっぷりの母親の発言に、旱魃姫も前のめりになる。

素女そにょ様? 殿方を籠絡するすべ?」

「そうよ。素女そにょ様はね、本当は殿方を虜にする房中術に最も長けているのよ」

「私は、てっきり、いくさで軍楽を鳴らして、天女達を動かすのが御役目かと思っておりました」

 素女そにょとは七天女の1人で、何本もの手で眼前に有る琴や竪を弾き鳴らしている。今も気が向けば楽器を鳴らし、崑崙山に住む天女達の心を慰めている。皇城で音楽を奏でて黄帝に仕える仙女達を指南したのも素女そにょである。

 ちなみに、七天女とは、西王母せいおうぼ雲華婦人うんかふじん、旱魃姫、素女そにょの他に、九天玄女きゅうてんげんにょ碧霞元君へきかげんくん后土こうどの3人を加えた7人の天女の事である。

 九天玄女きゅうてんげんにょは霊宝護符を守り、兵法に長けている。蚩尤との大戦が終わると、兵法の知識を活かして、崑崙山に仕える数多の天女達を采配していた。

 碧霞元君へきかげんくんは万能の御利益を司り、誰よりも心優しい。崑崙山を安寧と快適な状態に維持するに当っての、縁の下の力持ち的な存在だった。

 后土こうどは生育と豊饒を司り、今や生産活動の拠点となっている崑崙山で最も多忙な天女だった。

 仙桃の栽培は勿論だが、天女や仙女、産女が着る羽衣はごろも等の衣装の原料は、崑崙山に生える植物の繊維を編んで作っている。皇城で仕える菩薩が使用する筆と墨もまた崑崙山で作っている。家屋の建築材料も崑崙山で作っているのだ。

「母親として私が旱魃に教えれば良いのだけれど、やっぱり房中術は素女そにょ様から直々に教わった方が良いわ」

「実は、母上。私も現世に行って、似た様な儀式を教えて貰ったのです。

 未だ途中までなんですけど・・・・・・」

「あらっ、そうなの? でも、すべって言うのは多いに越した事は無いのだから、両方を体得しちゃいなさいよ」

「そうですね。そうします」

 そんな話を自分の目の前でされると、どう言う顔をして良いのやら当惑する閻魔大王であった。

「実は、母上。私、現世に行ってからと言うもの、悩みを一つ、抱えているのです」

 突然シンミリとする旱魃姫に、雲華婦人うんかふじんは「何?」と先を促し、閻魔大王も身を乗り出した。

「現世の人間達は、赤児を宿すのです。私だって父上と母上から生まれました。

 其の私に、赤児を産む事は出来るのでしょうか?

 産めるのであれば、どうすれば産めるのでしょう?」

 旱魃姫の問い掛けが軽い話ではないと悟り、雲華婦人うんかふじんは居住まいを正した。旱魃姫は元より居住まいを正している。

「旱魃。辛い事を言うけれど、今のままでは・・・・・・、貴女に赤児を産む事は出来ません」

 旱魃姫はしばらく絶句した挙句、「何故?」と小さな声で母親に問うた。

「赤児を産む準備が出来た女子おなごには、経血けいけつと言う現象が現れます」

経血けいけつ?」

「そう。一定の刻限ごとに股の間から血が流れるようになります。経血けいけつは怪我や病気ではなく、赤児を産む準備が整った事のしるしなのです。

 ですが、此の経血けいけつとは時を刻む意味合いも持ち始めます。時と言うものが無い雲上人の世界で、時を刻む行為は禁じ事なのです。

 それにもし、雲上人が際限なく赤児を産み始めたら、極楽と地獄の世界は雲上人で溢れ返り、収拾の付かない事態になるでしょう?」

「ならば何故、私は産まれたのですか?」

「黄帝様が神様にお願いしたのです。

 蚩尤との大戦で、私達は押されていました。兵となる天女の数も敵方に劣り、更には蚩尤の巻き起こす暴風雨の嵐に苦しめられていました。

 ですから、父上が神様にお願いしたのです。

 神様の御許しが出てから、西王母せいおうぼ様は私を黄帝様に遣わせました。

 私の身体に経血けいけつが現れると、素女そにょ様に教わった通りに黄帝様と交わり、そう遣って貴女を身籠ったのです。

 今は、私だって経血けいけつが止まっています。貴女を身籠る為だけの特別な経血けいけつだったのです。

 そんな事情が有ったから、貴女には水を干上がらせると言う特別な能力を授けました。

 授けた能力が結果的に、係昆山に蟄居ちっきょする運命を貴女に背負わせる事となりました。本当に申し訳なく思っています」

 話しながら、雲華婦人うんかふじんは頬に幾筋かの涙を流した。

「それにね、旱魃姫。

 其処に座る閻魔大王は、私達とは違って、神様が創造した存在ではありません。

 蚩尤との大戦を終え、私達が崑崙山の土をね、形作った土偶に命を与えたのです。私達に似せて創りましたから、閨房での行いを楽しむ事は出来ます。

 ですが、赤児を産めるかと言うと、閻魔大王もまた・・・・・・、神様にお願いするしかありません」

「ですが、母上。現世の人間達はどうなのですか? 彼らだって、やっぱり母上達が造られたのでしょう?

 なのに何故、赤児を産む事が出来るのでしょう?」

「現世の人間達には、限り有る命と引き換えに、赤児を産む能力を授けたのです。

 彼らの性根しょうねは極楽の私達や地獄の閻魔大王達の命と同じく永遠に続きますが、肉体には限りがあります。だから、赤児を産んで、子孫を残さねばなりません。

 彼らを創造する際に、私達は赤児を産む能力を最優先とし、他の全てを犠牲にしたのです。

 赤児を産む能力と永遠に続く肉体の双方を与える事は、私達には出来ない所作です。両方を与える事は、神様の領域なのです」

「それでは、どうしても、私には赤児を産む事が出来ないの?」

「永遠に出来ないのか?――までは、分かりません。全ては神様の思し召しですから。

 ですが、希望を胸に閻魔大王との人生を過ごせば良いでしょう。貴女達には永遠の命が有るのですから」

 旱魃姫はガックリと肩を落とした。

 閻魔大王は、そんな旱魃姫を慰めてやらねばと気が焦る一方で、雲華婦人うんかふじんから聴いた自分と世界創造の秘密に唖然とし驚いていた。


 落胆の気持ちを慰められ、心を静めた旱魃姫は早々に崑崙山を辞す事になる。何故なら、旱魃姫の能力が崑崙山の営みに支障を来し始めるからだ。崑崙山の地下には水の如き物が豊富に溜っている。

 三途の川と崑崙山とは界下水脈でつながっている。三途の川の流れを辿って最果てを探せば、崑崙山の地底湖に繋がっている。地底湖の一端から瀑布の様に流れ落ちる湖水は虚無に吸い込まれ、やがては三途の川の源流として甦る。

 界下水脈は地獄から極楽へと続く“人間の魂の大河”の下を潜っており、魂の多少に依って界下水脈の流量が調整されるのだ。

 ここまで大掛かりな仕掛けになると天女達の手に負えず、基礎構造は神様の創世物である。天女達の役務は、神様の創った創世物の細部に手を施して雲上人の世界を完成させ、維持する事であった。

 界下水脈が存在する事で崑崙山には木々が生え、豊穣の地となっている。だからこそ、旱魃姫が長居する事は出来なかったのだ。

 崑崙山を辞した旱魃姫は係昆山の庵を目指した。金斗雲の上で並び立ち、旱魃姫を労わる閻魔大王。

 其の2人の後を、1人の天女が金斗雲に乗っていて来た。素女そにょである。

 係昆山の庵に到着した一行は、まず最初に素女そにょの乗って来た金斗雲を庵の中に入れる。

素女そにょ様。何の為に金斗雲を庵の中に入れるのですか?

 これでは、茶を淹れて、素女そにょ様を持て成す事も出来ません」

「そんな事は気にしないでちょうだい。

 此の金斗雲はね、房中術を鍛錬する為の舞台よ。金斗雲の上で、私が色々な手技足技を指南して上げるから。貴女の母上に教えて以来の事だから、何だか燃えて来ちゃうわ」

 要領を得ずに立ったままの旱魃姫に向かい、素女そにょが金斗雲の上で寝そべるように指示した。

素女そにょ様? もしかして、此の金斗雲はベッドの替わりですか?」

「ベッド?」

「ええ。現世の人間達はベッドの上で愛を深める儀式をするのです」

「そうなの? 現世の人間達も賢くなったのねえ」

 金斗雲の上に登った素女そにょは、旱魃姫の横にひざまずく。

 房中術の講義を始めようとした矢先、素女そにょは戸口で棒立ちした閻魔大王の存在に気付いた。閻魔大王は女性2人の遣り取りを眺めている。

「貴方! これから旱魃姫には裸になって貰うけれど、いつまで見ているつもりなの?

 彼女の鍛錬姿は女子おなごの秘密。殿方が見て良いものではありません」

 素女そにょは少し怖い表情をして、閻魔大王にピシャリと言った。

 突然叱られ、体裁が悪くなった閻魔大王はモゴモゴと口籠る。

「それでは、旱魃姫。ワシは地獄で待っておるから」と言い残すと、独りで金斗雲に乗り込んだ。


 そう言う顛末を経て独りで地獄に戻った閻魔大王。

 久方ぶりに玉座に座る閻魔大王を、判じ場の鬼達は気持ちだけ遠巻きになり、横目で観察していた。

――旱魃姫は如何どうしたのか?

 玉座に座る閻魔大王は、今回も心此処に有らずと言う風であった。但し、これまでと違って、溜息もかず、真剣な眼差しを前方に向けて、考え事に耽っている。

 周りの鬼達には状況が伺えない。

 玉座の背凭れに腰掛けていた怠鬼が、判じ場に漂う奇妙な緊張感に耐え兼ねて、閻魔大王に確かめた。

「閻魔様」

「何だ?」

「旱魃姫は、どうされたのか?」

「今は係昆山の庵にる」

「もしかして、黄帝様に結婚を反対されたのか?」

「ん? 汝ら、何か勘違いをしておらぬか?」

 怠鬼は無言で閻魔大王の顔を見降ろしている。横に控えて聞き耳を立てていた赤鬼と黒鬼が背筋を伸ばした。

「旱魃姫との結婚については、黄帝様と雲華婦人うんかふじん様より御許しを得た。

 旱魃姫は、今、係昆山で花嫁修業をしているだけだ」

 怠鬼は相好を崩し、赤鬼と黒鬼も片足を軽く前に出して“休め”の格好をする。

「何じゃ、其れは良かったですな。閻魔様の御顔に覇気が無いので、心配しましたぞ」

 閻魔大王は、地獄に存在し始めてから初めて、自分の存在なり、自我と言うものを考えていた。

(自分には親が存在しないと心得ていたが、崑崙山の土から天女が造り出したのだとはな・・・・・・。

 ワシ等は地獄の営みの為に造られた土偶。是奴こやつらも真相を知ったら、どう思うじゃろう?)

 頬杖を付いた顔は其の儘に、目玉だけを左右に動かして、赤鬼、黒鬼、邪鬼共を一瞥する。

(いかん、いかん。此れはワシだけの胸に秘めておかねば、是奴こやつらが可哀そうだ。

 しかし、土偶として永劫に同じ事を繰り返してばかりと言うのは、やっぱり詰らんのう。折角、命を授けて貰ったからには、何かを成し遂げたいものだ)

 現世に感化されたか、図らずも、閻魔大王は瑠衣と同じ事を考え始めていた。

 そう考え始めたもう一つの理由は、雲華婦人うんかふじんに縋って「私にも赤児は産めるのか?」と質問する旱魃姫の姿であった。

 ハッキリと考えた事は無かったが、自分の心の奥底の何処かで芽生え始めた、自分と旱魃姫との赤児を望む気持ちに気付いたのだ。赤子を望めぬ事が分かった今、「ならば他に自分の存在意義を見出したい」と言う強い欲求が生まれていた。

 また、ボンヤリと眼前の亡者達の列を見遣る。

(地獄の役務は、性根の曲がり具合を判じ、曲がりを矯正して極楽に送り出す事)

(だが、そもそも、何故なにゆえ、性根は曲がるのか?)

(人間共は何を不幸と感じ、性根を曲げるのか?)

(遣るべき事は、曲がった性根を矯正する事ではなく、彼らが性根を曲げずに寿命を尽かす世を造るべきではないのか?)

(そうだ、此の地獄と現世はつながっている!)

(地獄だけを考えていては駄目なのだ。現世を正す。其れこそが世界を良くする本来の道なのだ!)

 閻魔大王の頭の中で、そう言う思考が徐々に持ち上って来たのだった。


 下巻に続く

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世直し閻魔様1 (恋愛編) 時織拓未 @showfun

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