第12話 狩人の鉄則 その十 01
龍骸の腰部。鍛冶師たちが集まる職人街。
小さな工房は、その端にひっそりと居を構えていた。
「そう、指は固定したまま、肩の力を抜くんじゃ。羽毛で撫でるが如く、少しずつ刃を研ぎおろす」
短刀の刃が濡らした砥石の上で前後する。
刃が細かい粒子となって削りだされ、同じく削れた砥石の粉と混ざって、黒い泥が砥石の表面に浮き始める。
「その泥が良い刃を付けてくれるんじゃ。刃と砥石の間に泥が挟まるように意識しながら優しく刃を滑らせい。あまり力を入れて研ぐと、上手く泥が纏わりつかんでな。
「はい」
ニトは指先を泥まみれにしながら、淡々と同じ動作で短刀を研ぐ。
その隣で指導する老人が、たっぷりと蓄えた白ひげを撫でた。
「お前さんは本当に筋がええ。曲線を研ぐときも角度が変わっておらんし、力加減も一定じゃ。狩りなんぞの荒仕事より、うちで職人やっとるほうが向いとる」
ガンドウは龍骸都市で鍛冶場を営む老鍛冶師だ。
名工と称されるほどの腕を持ちながら、まともに弟子も取らず、小さな武器屋で細々と鉄を打つ偏屈な老人。周りからはそう思われている。
それは彼のことをよく知らない者の言葉で、ガンドウという老人がニトたちに与える印象はまるで違う。
冗談は言うし、よく笑うし、下品な話も大好きだ。
仕事には独自の美学を持ち、さりとてそれを人に押し付けたりはしない。
優しく、人情に熱く、豪気な爺様だった。
三年前の大侵攻で親を失った自分たちを色々と援助してくれたし、身寄りの無いニトをこうして弟子に取ろうともしてくれる。
感謝してもし尽くせない恩があった。
「ありがとう、ガンじぃ。でも、もう少し……」
ニトは返事を濁した。
チビたちが狩人として立派に育つまでは、自分に出来る限りのサポートしてやりたい。
龍血のおかげで大人との身体的なハンデは少ないが、本職の狩人と比べればまだまだ未熟だ。
安定して大型を狩れているのも、装備や罠に金を惜しまず、徹底したチームワークで戦っているからにすぎない。
いつだって狩りは命懸けだ。
そしてその要となっているのが、ナグロとニトの二人だった。
ニトは三年前まで、両親に狩猟の技術をみっちり仕込まれている。
ナグロは年の離れた兄弟子だった。
大侵攻の際にナグロは両親とともに竜種と戦い、その時に負った重傷と龍血のオーバードゥースで力の大半を失い、記憶があちこち跳んでしまった。
狩人の知識をしっかりと持っているのはニトだけだ。
ルシアドは持ち前の頭の良さで、ニトの技をどんどん吸収しているが、全てを伝えきるにはまだまだかかるだろう。
年若い彼にリーダー役をまかせたりしているのも、早く一人前になってもらうためだ。
彼にはナグロとニトが引退したあと、
身寄りのない孤児がこの厳しい土地で生きていくには、狩人という危険な職に身をおくしか無いのだ。
ナグロは廃人同様で、ニトは龍血の恩恵に
数年後には大型相手の狩りは厳しいものになっているだろう。
だからそれまでにチビたちを一端の狩人に育て上げる。
最低でもそれまでは狩猟団を離れるつもりはなかった。
ガンドウは孤児たち全員を引き取っても構わない腹づもりでいるようだが、そこまで迷惑をかけられない。
自分たちもまた砂漠で生きる狩人の子なのだ。
大侵攻によって父を母を失ったが、偉大な狩人たちの血はいまだ自分たちの中に遺っている。
狩人は狩りにて生きよと、その身に流れる血が奥深くから囁くのだ。
「よいよい。お前さんの好きにしたらいい。いつでも待っとるでな」
ガンドウは目尻の皺を増やして微笑み、短刀を研ぐニトを見守った。
「うん、ありがとう、ガンじい」
今ニトが研いでいるのは、ガンドウに依頼して鍛えてもらった短刀だ。
手入れ方法を教わるついでに、仕上げを手伝わせてもらった。
しゃんしゃんと鈴のように高い音を立てて、砥石を滑る刃を見つめながら、ニトは老鍛冶師が行っていた鍛造を思い出す。
火と油と鉄を操る、見事な達人の
硬岩蜥蜴の柔らかく薄い真鱗。
翡翠色に透けるそれを三層重ねて炉で熱したあと、叩いて融着と成形を行う。
この際、鱗との間に接着剤代わりとなる高剛性の鉱石を挟んでおく。
合計二種五枚の層が交互に重なった刀身は非常にしなやかで折れにくく、曲がっても時間経過で元に戻るようになる。
折り返し──半分に折って重ねて叩いて伸ばし、また折って重ねる──という作業をすれば、その層を薄く何千倍にも増やせるのだが、処理前の真鱗の脆弱な性質と費用の面から今回はそれは行っていない。
鍛造が終われば、炉にもう一度剣を焚べ、1200度まで加熱する。
赤々と緋色に焼けた刀身を、氷点下まで冷やした不凍油へ投入し、一気に冷却する。
サブゼロと呼ばれる強力な
ひとつ判断を間違えれば刀身が歪んだり折れたりする難しい技だが、上手くやれば恐ろしく硬い剣が出来上がる。
油で一瞬のうちに冷却された短刀が、金属の膜を突き破るような甲高い音を立てる。
刀身内の結晶粒が変異し、ミクロ単位で不安定だった刀身がぎゅっと引き締まったのだ。
油から取り出した刀身が虹色に鈍く輝く。
まだ刃が付いていないにも関わらず、その輝きは素晴らしい切れ味を予感させた。
作業はまだ終わりではない、再び短刀は炉に戻され、500度付近まで再加熱される。
焼戻しと呼ばれる軟化処理で、焼入れによって硬くなったが脆くもなった刀身に粘り強さを与えるためだ。
そしてまた冷却し、再加熱。それを五回繰り返して、ようやく短刀の原型が出来上がる。
焼戻しで黒く煤けた刀身は、回転する研削盤で削られ、荒々しくも美しい輝きを再び取り戻す。
金槌で叩いてミクロ単位の歪みを正し、また少し削る。
それを繰り返して剣は出来上がっていくのだ。
だが、ここまで繊細かつ複雑な鍛造を行っているのは、ガンドウの鍛冶場だけだ。
ただでさえ小さな工房だ。質は良いが大量生産には向いておらず、値段もべらぼうに高い。
ここで武器を買えるようになるのは、一流の狩人であるというステータスでもあった。
その一流の狩人たちも三年前の大侵攻で、大半がいなくなってしまった。
心身を引き換えに竜を討ち取ったナグロを除く、全員の死亡。
今いる狩人は、大侵攻の闘いに参加できなかった負傷者や未熟な者たちだ。
または我先に龍骸都市に引きこもった臆病者か。
「…………っ」
知らず、ニトは奥歯を噛みしめていた。
「(いけないいけない。脱力脱力……)」
ニトはもやもやとした感情を頭から追い出した。
刃を裏返し、反対側を研ぐ。
表裏の研磨を何度も繰り返し、少しずつ刃を仕上げていく。
泥から水分が抜け、固く粘るようになったら、刃を少し持ち上げて鈍角に研ぐ。
こうすることで刃の先端が衝撃に強くなるのだ。
本来なら複数の砥石を変えて仕上げていくのだが、ニトが習ったのは狩場でも使える研ぎの技術だ。
狩場に幾つもの砥石は持っていけない。
あまり細かい粒度の砥石でなくとも、泥を詰まらせれば同じような細かい刃をつけることも出来る。
「できた、かな」
丹念に研ぎあげたおかげで、刃についた細かな剥離金属もすべて取れたはずだ。
桶に張った水で、泥を洗い落とす。
灰色に濁った泥の中から現れたのは、深緑の葉々のように葉脈を透かせる美しい刀身だった。
「見せてみい」
ガンドウはニトから渡された短刀を光にかざし、刃の具合を確認する。
「どうかな」
「うむ。上出来じゃ」
基本の刃はガンドウが付けており、ニトがやったのは最後の中仕上げからだけだ。
狩りに出掛けている間の手入れなら、これで十分な切れ味が出せる。
「待っとれ。柄紐と鞘も用意してやるでな」
完成したのは握りと刃が一体になっている半月型の短刀だ。
グリップは柄紐を括りつけるだけでいい、非常に簡素な作りになっている。
紐の巻き方で握りも自在に変えられ、紐を解いて棒などにくくりつければ即席の槍にもなる。
グリップが傷めば新しい紐に変えるだけでいい。
極限まで無駄を排しながら、応用性を高めている。
頑丈でメンテナンス性に優れた作業用ナイフが出来上がった。
「銘はどうするんじゃ?」
素早い手つきで柄紐を交差巻きしながらガンドウが問うてくる。
「うーん。……そのまま『翡翠』でいいや」
「つまらん名前じゃのう。もっと格好いいのはないんかい。超森羅万象剣スーパージャスパーシャムシールみたいな」
「いや、そういうのはちょっと……」
ガンドウは最高の鍛冶師だが、ネーミングセンスだけは最悪だった。
ニトの脚甲やナグロの大剣にも銘があるのだが、その名は誰にも明かしていない。
ナグロの方は本当に忘れている節すらあって、ニトは心底それを羨ましく思っていた。
刀身の色そのままに、『翡翠』と名付けられた短刀がニトの腰に収まる。
「軽いし動きの邪魔にもならない。うん、凄くいい。使うのが今から楽しみだよ」
「なあに。お前さんたちが狩ってきた素材あってこそよ」
肩を金槌でトントンとほぐしながら、ガンドウが笑む。
「最近はいい素材を持ち込む狩人もめっきり減っちまったからなぁ。ワシの腕が錆びつかん程度にまた仕事を持ってこい」
「うん、頑張るよ」
「程々にな。命あっての物種じゃわい」
ガンドウに見送られ、ニトは小さな工房をあとにした。
ドラゴンハウル -龍骸都市の狩人たち- 犬魔人 @inumajin
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