第11話 狩人の鉄則 その九 03
ブラックペッパー。
クミン。
コリアンダー。
フライドガーリック。
ナーネ。
プルビベル。
等々の各種香辛料を、ワインビネガーへ投入し、しっかりと混ぜる。
二瘤羊の
一晩じっくりとタレ壺の中で熟成させた肉は、赤みを帯びた茶褐色へと変化する。
それを垂直に立てた巨大な串に、一枚ずつ突き刺していくのだ。
薄い肉を一枚刺すと、次は同じくスライスした脂身を突き刺す。
白い脂身の上にヨーグルトをすりこみ、また肉を刺す。
これを根気よく繰り返すと、20kgを超える巨大な肉の塊が出来上がる。
それを冷暗所に置き、さらに丸一日寝かせる。
ビネガーと香辛料から角を取り、肉をさらに熟成させるためだ。
そうして完全に層が一体化した串刺しの肉塊は、火力を落とした焚き火であぶられ、外からゆっくりと火を通されていく。
肉・脂身・ヨーグルト。この三層を繰り返したのは、長時間加熱することによってパサついてしまう肉にジューシーさを加えるためだ。
肉塊は焚き火の上ではなく、少し離れた場所に串ごと横にして置台に乗せ、ハンドルを付けてゆっくりと回す。
薪の火が直接当たらないように、回転させて熱を徐々に肉へ伝えていく。
その役目を仰せつかったのはまだ五歳になったばかりの少年だ。
重たい肉の塊を、愚痴一つこぼさずに一定の速度で回し続けている。
脂身が熱で溶け、肉塊の表面が照りついた美味しそうな光沢を放っている。
染み出た肉汁がジュウジュウと音を立ててしたたり落ちた。
ヨーグルトによって臭みが抜けた肉の香りは甘く、香辛料との相乗効果で深い薫香となって食欲を誘う。
「焼けてきた?」
「うん!」
答えたのは同じくらいの年頃の少女だ。
回転する肉塊の動きに合わせて、手に持った鋭利なナイフで、撫でるように肉を
そうして集めた肉はまた違うポジションの少年へ渡され、次の料理に使われるのだ。
「野菜全部切れたー」
そう言って、てんこ盛りになった野菜のみじん切りから顔をのぞかせたのもまた幼い少女だった。
細かく刻まれたトマト・キュウリ・玉ねぎ・キャベツ。
これらは大きなボウルで一つにされ、ガーリックとパプリカペーストが加わり、オイル・塩コショウとレモンであえると完成する。
前菜として食べてもいいし、ケバブを挟むパンの具材にも使える。
小さな子供でも食べられるお手軽なペーストサラダだ。
「葡萄の葉が足りないよう」
「こっちにまだあるよー」
四人の少年少女が向かい合わせになって、塩で下味をつけた銀葡萄の葉を広げ、固めの
一口サイズの小さな葉巻は隣の鍋に敷き詰められ、重しを載せて水分が飛ぶまで蒸し焼きにされる。
その後は粗熱をとってしっかりと冷やせば、葉ごと食べられる
「いっぱいこねこねするんだよー」
「しってるよー」
平らな木の板の上で、こちらも子どもたちがパン生地を捏ねている。ラヴァシュと呼ばれる無発酵の薄いパンだ。
千切りにした野菜と削ぎ落とした
生地に白ごまを加える事で食感と香りにさらなる深みが増し、その味は誰もがやみつきになるだろう。
周囲を見渡せばすぐに気づく。
肉を焼くのも、野菜を切るのも、パンを捏ねるのも、みんな子供だ。
全員が十歳にも届かない、小さな子どもたちだった。
「はい、みんな! あとちょっとだよ! 頑張って狩りをしてきたみんなを迎えてあげようね!」
中心となってそれぞれの料理を手伝っていた女性が、周りへ呼びかける。
「「「は~~~い!!」」」
周囲の子どもたちは元気よく答え、女性はうんうんと頷くと、一番の手際で料理を仕上げていく。
小さな子どもたちの中にあって、彼女だけが大人だった。
いや、大人と呼ぶにはまだ若い。猫のように挑戦的な大きな瞳には少女のあどけなさが残っていた。
彼女が大鍋で煮こむのは、
青唐辛子やジャガイモと一緒に、トマトベースのスープの中を泳ぐ大きな肉団子は丸々と柔らかそうで、見る者の空腹を煽ってくる。
「ねえ、サザ姐ぇ。僕も手伝うよ」
百人は座れるであろう大きな長絨毯に、ただ一人ぽつんと座るニトが、少女──サザラに声をかける。
「いいから。狩人の仕事は獲物を狩ることでしょ。うちのことはあたしらに任せなさいって」
鍋のトマトスープをひとさじ掬い、味を見て、サザラは『よしっ』と内側に軽く拳を作る。
「そうじゃなくて。お腹が空きすぎて何かして気を紛らわせてないと、おかしくなっちゃいそうなんだよ」
ニトと一緒に帰ってきた少年たちは、表を駆けまわって遊んでいる。長距離の移動で疲れているだろうに、元気なことだ。
ニトは自分もついて行けばよかったと後悔していた。
「あははっ。空腹が一番のスパイスってね。がまんがまん」
「ううう……。いい匂いだなぁ……」
ごろりと絨毯に横になり、ニトはキュルキュルと空腹を訴える腹を押さえた。
† † †
それからナグロら狩猟団が帰って来たのは、一時間が経ってからだった。
中身を全て売り払ってカラになった車両を孤児院の脇に止め、中庭に全員が集まる。
長い絨毯の中央には、沢山の料理が所せましと並んでいた。
何十人者少年少女がそれを取り囲む。
「我らを創りたもうし神よ。我らをお守りくださる黒龍よ。今日の日を与えてくれた獣たちよ。血と肉と命を喫せねば生きられぬ、罪深き我らをお許し下さい」
絨毯に座った少年少女たちが隣の者と手をつなぎ合わせ、サザラが祈りの言葉を口にする。
「ハイヤ・アラル・ファラーウ」
「「「ハイヤ・アラル・ファラーウ!!」」」
声を揃えて、祈りを終える。
誰も意味を知らない感謝の言葉。
だが、不思議と心にストンと落ちる響きがあった。
「おら食ええええええ!」
「うおおおおおおおおお!!」
そこからは、戦場さながらの食事風景だった。
サラマスを頬張り、ヤフニを飲み干し、ケバブにかぶりつく。
これほど豪勢な食事が出るのは、狩りに成功した時だけだ。
成長期の子供たちは食欲が導くままに、大量の食事をあっという間に平らげていく。
「ったく、落ち着いて食えよ……」
ルシアドが
「あははっ。いいじゃないさ。男の子はあれぐらい元気よくないとね」
少年たちはあの有様だが、少女たちはサザラを見習って行儀よくラヴァシュを手でちぎって食べている。
しかし、その速度はなかなかに早い。
「そうだな。ニトとルシアドも行って来い」
「いやだよ。せっかくみんなが作ってくれたのに、味わって食べたいし」
ニトはごま入りのラヴァシュで包んだケバブを一口ほおばる。
香辛料のきいたタレに漬け込んだ肉は、ヨーグルトと脂身の層によって、噛むほどに旨味の乗った肉汁が溢れ出る。
たっぷりとかかった甘辛いチリソースがこれによく合うのだ。
練りこまれたごまの香ばしい風味が鼻に抜けて、次の一口を誘惑してくる。
「俺も断る。だけどニトはもっと食え。龍血の恩恵受けられないんだから、せめてウェイト増やしとかないとな」
自分も軽量なのを棚において、ルシアドがニヤリとする。
「えー……」
「これをやろう」
げんなりとうめくニトの皿に、ナグロが勝手に肉を置く。
子羊の肋肉を半日マリネして焼いたナグロの好物だ。
付け合せのジャガイモがホクホクと湯気を放ち、上に乗ったバターがじんわりと溶けていく。
「ニトはもう十五か」
「ちょ、もういいってば、食べきれないって! ……え、あ、うん。そうだね」
増やされた肉を仕方なく噛みちぎりながら、ニトは肯定する。
身は赤いがしっかり火は通っていて柔らかい。骨から出た旨味が肉汁といっしよに口内に広がる。
「今が真紅の月の、青銅の日だから。あと一週間かな」
十五歳ともなれば大人の仲間入りだ。やることにも責任が生まれてくる。
チビたちがまともな戦力になるまでは、一線で狩人として生きるつもりだ。
しかし、龍血を飲んでも効果が出ない自分では、いずれ彼らの闘いについていけなくなるだろう。
チビ達が自分と同じ年になる頃には、引退して次の職を探そうと思っていた。
「ふむ、そうか」
ナグロは感慨深げにうなずいた。
「ならば連れて行ってやらねばならんな。どこの店が良いか……」
あごを撫でて、ナグロは思案にふける。
「? 店ってどこへ?」
「娼館だ」
きょとんと尋ねるニトに、ナグロは平然と答えた。
「しょっ……?!」
肉がのどに詰まる。ニトは混乱しながらも、果実水でそれを胃へ流しこんだ。
「またあんたは! いろんな事忘れてるくせに、そういうことだけは覚えてて!」
サザラが柳眉を逆立てて、ナグロの耳を引っ張る。
当のナグロはまるでこたえていない。
砂と太陽に鍛えられた皮膚と発達した背筋は、サザラが全体重をかけてぶら下がってもびくともしないだろう。
「狩人は十五になれば大人扱いだ。狩人の鉄則にもこうある。『狩りが終われば、酒と女を愛し、たっぷりと休め』とな」
「そういうのは、好きになった相手とすればいいの! ニトにはまだ早い!」
「何故だ。好いた女を優しく抱いてやるためには数をこなさねばならん。狩りと一緒だ。経験豊富な先達に教えてもらうのが道理だろう」
「ぐぬぬ、いつもは大してしゃべらないくせに、こういう時だけ饒舌に……!」
「じゃあ俺もついていこっかなー」
「あんたにゃ、なおさら早い!」
頭の後ろで手を組んで便乗しようとしたルシアドの頭にげんこつが落ちる。
「エル、ナグロは何を言ってるの?」
「知ってるよ、イル。ナグロとサザ姐えがいつも夜に──」
「わーっ! わーっ!」
双子の口を押さえ、サザラが鬼の形相でナグロたちを睨む。
男たちはわざとらしく視線を逸らした。
狩人たちの夕餉は、こうして騒がしく続くのだった。
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