ドラッグストアのおとぎ話 (最終話)
こうして、年末前の急な異動が発動されて、俺は新しい店に赴任となった。マニュ
アルで画一化されてるとは言え、やはり個店個店では運営の方法は少しづつ違う。
俺は新しい店舗に慣れるのと、前任の店長のやり方で改善出来る所の着手などに忙殺された。俺が以前居た大幣店でも、新しい店長が店舗の改善を行っているだろう。異動というのは、そう言った事も期待されているのだ。
更に風邪のシーズンと年末商戦も始まる。食品スーパーやホームセンター程では
無いが、ドラッグストアも年末は売り上げが伸びる時期である。そして本部は
『準備をしっかり行えば、必ず売り上げは伸び、年末商戦は成功する。入念な準備
を怠らないように!』と何度も通達して来た。ええ。ごもっとも。
軍曹も、その本部の意見には完全に同意していて、こまめに訪店してきては、事
細かに売り場の指示をしてくる。人員が不足している時は手伝ってくれたりもした。
ただ、その時は「人員配置がなっていない!」と軽い拷問つきではあったが……。
こうして、忙しい中、時間は飛ぶように過ぎて行った。当初、岡田からは「店長、
元気っすか?」と携帯にメールが入って来たりしていたが、それも段々と疎遠に
なって来た。これはそういうもんで、むしろ新しい店長と良好な関係を結べば、こ
ういうメールは送ってこなくなるのを俺は経験上知っていた。
店長会議で、大幣店の新しい店長に声を掛けたことがあるが、岡田は元気にやっ
ているらしい。そして、あのメげない性格と勤務態度を高く評価していた。
……岡田。良かったな。
年が明けたある日、俺が店舗PCで連絡事項を確認していると『二月人事異動の
お知らせ』という店舗連絡が来ていた。俺は、その連絡に添付されているPDF
ファイルを開いて眺めていると
『 岡田貴司 大幣店(担当社員) → 第6生野店(店長)【昇格】』
という一行が目に飛び込んできた。おお。知らなかった。昇格するんや。いやいや、
岡田……いや岡田店長、そういうのは連絡してきてや。そう思って店舗連絡のページ
をスクロールしていると大幣店からのメールがあった。岡田店長からだった。
『店長、お疲れ様です! なんか店長になっちゃいました! 大変なのは知ってい
ますが、これから頑張ります!なんか分からない事があったら連絡しますんで、教
えてください!』
いつもの調子だったが、やはり嬉しさが滲み出て踊りだしそうな文体だった。い
やあいつだったら倉庫で踊ってるかもしれない。想像すると自然と笑みが浮かんでき
た。
二月の店長会議。新任店長は各自壇上に呼ばれて、営業部長から名刺と社員章を
授与される行事がある。俺の会社では、担当社員は名刺はおろか、社員章さえ貰え
ないのだ。本部からしたら『店長になって一人前』という認識があるのだろうか。
実際、担当社員の時はスーツに社員章を付けて外出する機会なんて無いから、そ
の理屈は分からないでもないが(店長クラスだと時々そういう機会はある)
岡田店長は、照れくささと喜びと緊張が混じったような、でもどこか誇らしげな表
情で、名刺と社員章を受け取り、営業部長と握手を交わした。昼休みに、岡田が挨
拶に来てくれた。その襟元には、そのデザインから店長達から『セミバッチ』と
呼ばれている社員章が誇らしげに付けられていた。
◇
あっという間に時は過ぎて初夏になったある平日の休日。俺は梅田に用事があり、一人、梅田の繁華街をぶらぶら歩いていた。平日とはいえ大阪の中心。かなりの人混みだった。
(年とってくると繁華街の人混みはたまらんな)
俺が、まさにオッサン臭い事を考えながら歩いていると、前方にこちらに向かっ
てくるカップルが眼に入った。カップルの女性は、背が高く色白。遠目からでも目鼻
立ちが整っているのが分かる……。って
白川さんだ。
彼女は、優しそうな男性と一緒に歩いている。たぶん彼氏だろう。俺がいた時は
彼氏はいなかったはずなんで、俺が異動してから付き合い始めたんだろう。俺と
二人の距離が縮まる。白川さんは彼氏に顔を向けて笑顔で話をしている。
彼氏の方も、ニコニコしながら白川さんの話に応じている。俺は、白川さんが
店舗では見せないような、穏やかで楽しそうな表情をしているのに気が付き、彼女の
折角のデートを邪魔しては悪いと思い、気が付かない振りをして二人とすれ違おうと
した。
「あ、てんちょー」
すれ違おうとした時、あのブロークンな日本語が聞こえた。こっちに気が付いたらしい。
「あ、白川さん。お久しぶり。元気だった?」
「げんきですよー」
「ごめん。デート中でしょ?」
「だいじょうぶですよー。てんちょうもげんきでした?」
「うん。頑張ってるで。白川さんは学校はどう?」
「じゅんちょうですよ。ばいともつづけてますー。おかださん、てんちょうに
なりましたねー。すごーい」
いつもの白川さんの口調。少し懐かしくもあった。
「あ、じゃあそろそろ。本当、彼氏に悪いから」
少し離れたところで笑顔でこちらを見ている彼を気にして白川さんに言った。
「そんなにきをつかわなくてもいいのにー。じゃ、またみせにあそびにきてくださいね」
「わかった。皆にもよろしく伝えてね」
「わかりましたー。じゃあ」
そう言って、彼氏の方に向かいかけた彼女は、すぐに振り返ってこちらを見る。
「てんちょーてんちょー」
「ん?何?」
「てんちょー、みせにいたとき、『あめりかのしゅとはどこか?』ってしつもんし
てきたでしょう?」
「ああ、そんなことあったね」
「てんちょー、わたし、せいかいしりましたよー。からかってたんですね。ひどー
い」白川さんは笑いながら言葉を続ける。
「てんちょー、いまはばっちりですよー。しつもんしてください。せいかいはっ
ぴょうしますからっ!」
「そんな気にしてたん?ごめんな。からかって」
「いいんですよー。ちゃんとこたえますからー。しつもんどうぞっ!」
「じゃあ、質問するね。アメリカの首都は?」
白川さんは、得意げな笑顔を綺麗な顔に浮かべた。店舗で良く見せたあの表情。
彼女は自信満々の笑顔で答えた。
「ろんどん」
完
ドラッグストアのおとぎ話 あおかえる @Blue_shellfish
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