ドラッグストアのおとぎ話 (2)

 その後、店長会議の全体ミーティングが終了して、各地区に分かれての地区ミー

ティングの時間になった。同じ地区の店長同士で、机を合わせてミーティング形式

にすると、軍曹も着席する。これから一時間ほど、軍曹から本部からの細かい伝達事

項や、店舗運営の今後のスケジュールについての説明が行われる。


 少人数で軍曹と共に行うミーティングは結構緊張する。流石に店舗名や個人名は

皆の前では言わないが、「俺が訪店した時、ある店では○○の展開が行われて

いなかった。売れると分かってるのに何故すぐに動かないのか?」と言う指摘を厳しい口調で飛ばすこともしばしばである。


 ただ地区内では、軍曹は煙たがられる事はあっても嫌われてはいなかった。それ

は、彼が最低限の筋は通す事と、厳しいやり方を行う上司特有の『他人に厳しい分、

自分自身にも厳しい』というセオリーを徹底しているからである。確かに拷問を受

けるといたたまれない気持ちにさせられるが、言っている内容は正論であるし追い

詰めて来ても、こっちが自暴自棄になるようなラインはギリギリで回避してくる。

 だからお試し会の最中なんかに軍曹に対して呪詛を吐く事はあっても、瞬間的な

モノで『心底嫌う』という感情は持っていなかった。


 人心掌握のテクニックを持っているといってしまえばそれまでだが、軍曹が行う

施策を地区の店長が忠実に行った結果、地区の数字は前任のブロック長に比べて、

明らかに改善していた。前任の河原ブロック長が締め付けがユルく、本人は店舗指

導より、社内不正の内引き(社内の人間による万引きの事)に熱心だったから。と

いうのも理由の一つであるが、それを差し引いても数字は露骨に改善されていた。

 

 今は九月。夏物商戦も終了して風邪薬の展開や、年末売り場の話がメインだった

が、夏物商戦の結果が良好だったため、軍曹は終始ご機嫌でミーティングは進んで

行った。軍曹は、既に展開の終わった風邪薬やカイロ、ハンドクリームなどの冬物商

材の売り場に関して、修正を行う様にと細かい指示を出してきた。皆、必死でメモを

取る。ただ、ご機嫌な軍曹、ミーティングは緊迫するような場面も無く淡々と進み、

終了時刻を迎えた。


「そろそろ予定時刻になります。地区ミーティングは締めに入ってください」


司会進行をしていた総務部の人間が、壇上に上がり皆に声を掛ける。各地区は一斉

にまとめに入る。ミーティングが終わった地区は鞄に書類をしまったり、机を元に

戻し始めたりしはじめた。


「お、もう終わりか」軍曹は騒がしくなった辺りを見回しながら呟くと、こちら

に向き直り

「じゃ、最後に連絡事項があるんやけど……。二~三日後に人事部から正式発表が

あるから、店舗の人間にはそれまで伏せておくように」


ん? この言い方は異動か? 俺は瞬間的に思った。


「急な話だが、俺はこの地区を離れて、来月から隣の地区の第7地区に異動になっ

た。たった三か月だったが、みんな知っての通り、そもそもイレギュラーな人事やっ

たからな。年末商戦に向けて、本部も体制を整えたいって事らしい。みんなのお蔭で

数字も取れたし、感謝しとる。年末頑張ってな」


おお、軍曹とお別れか。前任ブロック長の解雇から数か月、色々あったがあっという間やったな。俺が少しの驚きと感傷的な気持ちで軍曹の言葉を聞いていると


「あ、あと店長にも異動がある。まず……岩倉店長」


ボールペンをいじくりながら軍曹の話を聞いていた岩倉店長が慌てて顔を上げて、

軍曹の顔を見る。


「店長は、10月から第7地区の第3平野店に異動や。あともう一人、青野店長」

俺は名前を呼ばれて、俺もまた慌てて軍曹の顔を見る。

「青野店長も10月から第8布施店に異動や。同じく第7地区やな」


第7地区...軍曹も第7地区に異動ですよね?結局一緒ですやん。俺は感傷的な気分

が吹き飛んだ。俺は岩倉店長の顔を盗み見た。彼は何とも言えないような複雑な

表情をしていた。


「まぁ、またこれから一緒に頼むわ。新しい地区で年末頼むで」軍曹は俺たちの顔

をニヤニヤ笑いながら見回すと嬉しそうに言葉をつないだ。



                  

                   ◇




「なんや、結局は何も変わらへんのな」岩倉店長が呟く。

会議のあった会場から駅まで、俺は岩倉店長と一緒に歩いた。

「軍曹が異動になるのはびっくりしたが、俺も異動になるとは」

俺は応えた。

「青野店長は、今の店何年くらいおるん?」

「ちょうど三年くらいやな。異動するのはおかしくない。岩倉店長は?」

「俺も三年半くらいやな。そう考えると不思議でもないか」

「せやな。そしてブロック長は軍曹続行かぁ」

「まぁ、今のご時世、ブロック長はみんな厳しいから誰になってもおんなじやろ」

「そうやな。全店的に数字は改善され始めているけど、改善されたらからヌルくな

 るなんて事は無いしなぁ」

「だから、俺はあんまり気にしてないで。確かに拷問はキツいけど、仕方が無い部

分もあるしな。それより青野店長、今度の店の近所に女子大あるん知ってたか?」

「いや、知らん。岩倉店長の異動先の第3平野店の近所か?」

「そうやで。あそこの女子大可愛い子多いねん。アルバイト採用はあそこの大学オ

ンリーにしたろうかと思ってるねん。」

「岩倉店長、自分、そういう所は逞しいな」

俺が苦笑しながら答えると

「それが俺の楽しみやからなぁ。軍曹がブロック長だから茶髪にうるさいのだけが

残念や。俺、女の子の茶髪好きやねん」知ってますよ。

「俺は、岩倉店長みたいな、お花畑大作戦は考えたことも無いわ」

「一回、発動してみ。世界が変わるで」


駅が近づいてきた。岩倉店長と俺は行き先が逆なので改札口で別れた。


「ほな、新しい店舗でもよろしく。一緒に頑張ろうや」


岩倉店長は、相変わらず邪気の無い、人懐っこい笑顔を俺に向けて手を挙げた。


「おう。こちらこそ頼むわ。10月からは新しい店舗で。よろしくな」


俺も、彼に笑顔を向けて手を挙げた。

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