2070年のコンピューターおばあちゃん

枕目

2070年のコンピューターおばあちゃん

 「ウワーッ! 仏壇から内臓が!」 

 僕が仏壇を開けると、中から新鮮な内臓がモリモリこぼれ落ちてきた。

 腸やら腎臓やら、ちょっと名前のわからない臓器やら、とにかく内臓がワンセット出てきた。胆のうはお供えのバナナの上に落ちたし、腸は数珠やロウソクをひっかけながら、べちゃべちゃとほぐれて広がった。

 「だめじゃない! おばあちゃんの内臓をこんなに散らかして!」

 お母さんはかん高い声をあげながら駆け寄ってきて、散らばった内臓を拾い集めた。仏壇の中には小さな仏像があって、体液でヌルヌル光っている。

 「片づけるの大変なんだから」

 お母さんは手にした腸を、その菩薩像に巻き付けるようにして、器用に盛りつけていく。次に肺を乗せ、肝臓と心臓を隙間に押し込む。大きな臓器からしまっていくのがコツだ。僕も手伝わされる。

 「どっちが右の腎臓かわかんなくなっちゃったよ」

 「そんなのどっちでもいいでしょ」

 お母さんは毒づいて、肺の上に腎臓をおしこんだ。腎臓にくっついてきた膀胱は、心臓のとなりにおさまった。その位置は間違いなく間違っている。さらにお母さんはお供えのバナナも腸のわきに押し込んで、腸がこぼれてこないためのストッパーがわりにした。そして仏壇の扉を閉めた。

 「おばあちゃんにも困ったものよねえ」

 絨毯にしみこんだ内臓の汁をウェットティッシュでふき取りながら、お母さんはグチる。


 うちのおばあちゃんが機械の体を手に入れてから、半年になる。

 老人介護の問題の何割かは、老人の体が原因だ。そして残りの問題は、老人の脳が原因だ。老人の脳を機械の肉体に移植する技術と、老化で萎縮した脳の機能を量子メモリで補完する技術が実用化されたとき、はじめそれはゆるやかに、そして爆発的に普及していった。

 今やサイボーグ化された不死身の老人たちが街にあふれている。

 うちのおばあちゃんは、それらサイボーグ老人たちの第四世代に属する。サイボーグ老人の四割強を占める世代であり、量子メモリの容量制限と倫理プロトコルがまだ不完全な世代だ。

 「サチコさん! 私の後脚部スレイブユニットの定期メンテナンスはまだなのかい!」

 おばあちゃんが、なめらかな合成音声で嫁をいびりながら、仏間に入り込んできた。

 八つの体節に分かれた銀色の体をくねらせつつ、十六対の歩脚を波打たせて。仏間の中心にとぐろを巻いて、全身の液晶を赤く染め、怒りを表現した。キールの太陽電池が青黒くきらめいている。

 おばあちゃんの肉体のうち、生体を維持しているのはごくわずかだ。おばあちゃんが持って生まれてきた器官でいまも機能を果たしているのは、脳と頭蓋骨、眼球とその周辺の皮膚、下あごと首の途中までの脊椎、およびそれに張り付いた粘膜ぐらいのものだ。それとタングステン製の義歯の奥で蛭のようにうねっている舌だけ。

 それ以外の部分は、すべて機械だ。

 おばあちゃんの体は、大きく三つの部分に分かれている。

 ひとつは頭部、おばあちゃんの頭は生まれながらの組織をベースにして、量子メモリの維持システムおよび思考検閲ユニットが装備されている。そのため頭部はトンボの複眼みたいに大きくもりあがっていて、人間の表情筋をまねた外装ユニットがそれらの表面を覆っている。これは昔の広告写真みたいなわざとらしい笑顔を作り出す。

 首から下はすべて機械だ。胴体の外装はアルミニウムとチタンをベースにした軽合金でできている。複数の特殊塗料は耐水・絶縁・対磨耗・ステルス効果が付与されて、この世のあらゆる災厄をはじき返す。

 その内側には血液循環装置、それと脳に酸素とブドウ糖を送り込み、微量成分をコントロールするための生化学カクテルバーがある。さらに、下半身の動きを主に制御するサブ制御ユニットも搭載されている、長い進化の果て、人類はティラノサウルスのように脳をふたつ持つ形態への逆戻りを選んだわけだ。

 そして下半身はムカデのように複数の歩行ユニットが連なった形をしている。これらはおばあちゃんが先ほど言ったようにスレイブユニットで、交換することを前提とした設計になっている。強化プラスチックとアルミニウムでできていて、必要性に応じて太陽電池パネルなどのいろいろなパーツがとりつけられる。まあ高級マウンテンバイクみたいなものだ。

 「サチコさん! サチコさん! サジゴザアアア!」

 おばあちゃんはその長い胴体でお母さんをぐるりととりまく。

 お母さんは顔に浮かぶ恐怖の色を隠そうと必死だった。これが2070年の嫁いびりのありかただ。

 僕は仏壇の方をちらりと見た。

 おばあちゃんの臓物は、仏壇にしまわれている。機械の身体があるのだからもう臓物はいらないし、捨ててもいいはずだけど、おばあちゃんは臓物を捨てることを許さなかった。おばあちゃんの臓物の所有権はおばあちゃんにあるので、勝手に捨てるわけにもいかない。だからしかたなく仏壇に入れているというわけだ。

 もともとおばあちゃんはもったいながりで、スーパーの袋などを山ほどとっておく癖があったから、内臓ももったいないと思ったらしい。おばあちゃんの内臓は、仏壇に設置された血流装置で血を巡らせ、人造体液を供給され、ナノマシンによってつねに修復されつづけて生きている。

 こういう行動をする老人は珍しくない。どういうわけか、機械の老人たちは、みんなそろって肉にこだわる。肉体にこだわるのだ。


 お母さんのからだをとりまいて震え上がらせていたおばあちゃんは、ふと頭をもちあげた。部屋の隅に動くものがいるのに気がついたのだ。

 「おや、こんなところにゴキブリがいるねえ!」

 おばあちゃんはフリスビーを追いかける犬のように、嬉々としてゴキブリに這い寄る。そしてゴキブリに頭部をたたきつけた。ゴキブリは最初の一撃を避けて、必死に壁を登って逃げたが、二撃目はよけられなかった。胴体がつぶれたゴキブリは床に落ちてもがいた。

 おばあちゃんはそれにかぶりついて、チューインガムを噛むようにくちくちと丹念にかみ殺した。そして、自慢げに口を開いて僕に見せた。

 おばあちゃんのタングステン人工歯に褐色の羽の破片が張り付いている。舌の上に哀れな犠牲者の小さな頭部が乗っていて、きょろりとこちらを見ていた。

 そのとき、ピンポーン、と間抜けなチャイムの音が鳴った。やれやれ。

 「おや、お客さんがきたようだねえええ!」

 おばあちゃんが嬉しそうに玄関に這っていく。僕も追いかける。ドアを開けると、二人組の青年が立っていた。二人ともスーツを着た白人で、小さな電子書籍を携えていた。

 「少しお話しさせていただけると嬉しいのですが」

 流暢な日本語で彼らは言う。落ち着いたふるまいと純朴そうな顔立ち。モルモン教徒だ。

 「いいとも」

 おばあちゃんが残忍な笑みを浮かべると、二人の宗教家は喜んだ。きっとこれまで冷たくあしらわれてきたのだろう。その教義によって布教が義務づけられたモルモン教徒たちは、この2070年になっても足で歩いて布教している。

 「直接的な言い方をしますが、あなたは神を信じますか?」

 「これが答えさ!」

 おばあちゃんはモルモン教徒の一人に飛びかかり、その十六対の足で彼をはがいじめにした。黒いスーツがばりばりと裂ける音がして、若い悲鳴がこだまする。

 「ノー! ノオオオオオオオ!」

 「神を信じなければ地獄に落ちるだって? だからあんたら耶蘇教は甘ちゃんなんだよ!」

 うちのおばあちゃんはキリスト教もモルモン教も全部ヤソ教と呼ぶ。

 「地獄はここさ! 地獄はわたしさ!」

 おばあちゃんはモルモン教徒を血祭りにあげ始めた。強化プラスチックの爪は、皮膚と肉を桃みたいに切り裂く。ムカデのような身体は、力強く青年の骨をへし折る。血と尿のにおいがあたりにたちこめた。二人とも失禁していた。

 機械の体になった老人たちは。体の部品はいくらでもとり替えがきくし、脳だって再生措置がほどこされている。ほとんど不死身と言っていい。そんな不死身の彼等が、共通してもつ感情がある。

 生命への憎悪だ。

 永遠の命を手に入れられたおばあちゃんにとって、生命は底なしの憎しみの対象みたいだった。その呪恨は、孫である僕にもほとんど変わらず向けられている。自分の遺伝子を引き継ぐ子孫の存在など、不死を手に入れたおばあちゃんにはなんの救いにもならないらしい。

 「サミュエル! サミュエル! ノー! オーマイファッキンゴッド!」

 モルモン教徒の片方はすでに絶命していた。おばあちゃんに頭をつぶされて、高層ビルから落としたトマトみたいになった。

 もう一人は神を呪う言葉を叫びながら、床に散らばった相棒の脳や体液をかき集めはじめた。おばあちゃんは彼の頭にかぶりつくと、耳を食いちぎり、そこを足がかりに皮を剥ぎ始めた。全身から皮膚がすっかりはぎ取られるまで、彼は生かされた。

 おばあちゃんは一時間にわたって彼らの死体をもてあそんだ。

 彼らの死体を僕とお母さんがすっかり掃除するのには、さらに二時間を要した。

 殺戮に満足したらしいおばあちゃんは、僕たちに掃除をまかせておいて、居間で眠っていた。血に濡れた身体を洗いもせず、身体を車輪のように丸めて、ぼんやりと宙を眺めている。やがておばあちゃんは、ぼそぼそ独り言をつぶやき始めた。

 「眠いねえ。ああ、おじいさんはどこにいるんだい? おじいさん、おじいさん? 朝顔が枯れちゃったねえ。ランドセルが、ああ、おじいさんだよ。この孫が、わたしこんなに鉄の身体になっちゃって。私はそのときスイッチを」

 おばあちゃんはよくこうして独り言をいう。内容はほとんどが昔の記憶、それもひどく混線した記憶だ。もはや主語すら統一されていない。

 パラレルワールドボケ、といわれている症状だった。独り言がつづくにつれて、その混濁はますますひどいものになっていく。

 「点滴が夕日に光っててきれいだったんだよ。口から泡が、この子が碁石を呑み込んだときはどうしようかと思ったよ、必死で逆さ吊りにしてね腹を割いて内臓を取り出してやったんだよ。飴は好きかい。いやだいやだ、お母さんのスイッチを切るのはこれで何度めなんだろう」

 「また始まった、量子ボケね。どんどん悪化してる」

 お母さんがため息をつく。


 量子ボケ、という症状がある。

 老人が記憶に障害を負っていくことはよく知られている。

 いわゆる老人性痴呆症において、脳の記憶をつかさどるシステムの劣化が重要な原因になることは、2000年代初頭にはすでによく知られていた。しかし、それを治療する方法は長らくなかった。

 人工海馬が開発されたことで、すべてが変わった。

 臓器を人工物で代替することがどのぐらい難しいかは、その臓器の複雑さよりも、むしろ機能に大きく依存する。人工心臓や人工透析は比較的早いうちに開発が進んだが、人工小腸や人工肝臓が医療の舞台に登るのはずっと後になったという歴史的事実が、それを示していた。機能がより機械的で他の機能から分離されているほど、つまりモジュール的であるほど、代替はしやすい。

 この法則は脳にも当てはまる。

 人工脳の開発の初期段階では、脳の中でも、とくに海馬と呼ばれる部分に焦点が当たった。記憶をつかさどるこの重要な部位は、とくに専門的に分離された脳機能であり、それゆえにモジュール化しやすかった。ゆえに早期に量子メモリによるサポートの技術が開発され得た。

 海馬に接続された量子メモリは、その膨大な計算資源を利用して高次元の仮想記憶空間を形成し、本物の神経細胞と電気信号を交換しながら、そのパターンを学習し、やがて持ち主の海馬をサポートするように自律進化する。

 奇跡と言っていい技術だった。発明者は異例の速さでノーベル賞を獲得した。

 しかし、その技術の欠点はやがて明らかになっていく。その過程は、悪名高いロボトミー手術の歴史によく似ていた。人は同じことをくり返すのだ。


 海馬を補助していた量子メモリは、最初こそおとなしくその役割に従事するものの、やがて主人たる海馬を乗っ取る。より正確にいえば、海馬が勝手に衰退していく過程で必然的にそうなる。

 そして海馬を乗っ取った量子メモリは、その膨大な演算能力によって、記憶を増幅し始める。持ち主の記憶をもとにして、量子演算のなかで、あり得たかも知れない別の過去世界をシミュレートし始める。そのシミュレーションは、やがて存在しない別の現在、そして別の未来へと向かっていく。ひとつの記憶に無数の可能性の枝を生やしていくのだ。人工海馬は記憶の金庫番であることをやめて、反応炉になる。無限に記憶を生成し、その記憶がさらに別の記憶を分岐させていく。

 可能性の思考、それ自体はいわば白昼夢のようなものだ。生身の脳にもある正常な機能だ。だが夢はいつか醒めるのに対し、量子メモリの夢は醒めない。

 なぜなら人間の夢は現実に吹き飛ばされてしまうが、量子メモリの巨大な夢は逆に現実を吹き飛ばしてしまうからだ。生身の脳は量子メモリの生成する膨大な偽記憶におぼれて、過去にいるか未来にいるのかすらわからなくなる。

 対策はないわけではない。アンチメモライザや現実感ジェネレータなどと呼ばれるソフトウェアによって、量子メモリをメタ的に監視して発症を遅らせることができた。しかし、時間の問題だ。

 遅かれ早かれ、老人たちは、無限に分岐した可能性の中で道に迷う。「現実にあったこと」と「現実にあり得たこと」はもはや区別がつかない。平行世界のどれに自分がいるのかわからなくなると、老人の意識は複数の現実のなかへ同時多発的に住み着くようになる。自我の発散だ。

 その症状は、皮肉にも、老人性痴呆症に酷似していた。

 これこそ、俗に言うパラレルワールドボケ。あるいは量子ボケ。正式名称でいえば量子性痴呆症あるいはエヴェレット症候群である。


 「私はどこにいるのかね? 今はいつだい。ここはどこの星だい、さっきから私を見ているのはだれだ? 怖い怖い怖い怖い」

 おばあちゃんは答えのない問いを連発しながら、びくびく痙攣して、無数の足をざわつかせている。

 「おお、こんなに大きくなって! あれ? あんた誰だい? あらおじいさん、ずいぶん若くなっちゃって」

 せん妄状態のおばあちゃんの記憶は、いつも吸い寄せられるように同じ地点にたどり着く。雨水が海に集まるように、ある一つの記憶に。

 「わしの生命のスイッチじゃないか、何をする気だい? 分かってるよ、恨みはしないさ。ああ、殺してやる! 呪ってやる呪ってやるごめんなさいお母さん、もうこうするしかないのだまってろお前は黙ってろああ死にたくない死にたくない死にたくないようおかあさん死ぬのはいやだよう」

 おばあちゃんは、かつて自分の母親、つまり僕のひいおばあちゃんにあたる人物を殺した。彼女の生命維持装置を切ったのだ。そのときの記憶が、おばあちゃんのなかにこびりついているらしい。

 「ああ、心臓がとまる。死にたくない。産みの親を殺してこの罰当たりが! でもあたし生んでくれなんてたのんでないよたのんでないよたのんでないよたのんでないのに」

 おばあちゃんは、もう自分が何者なのかすら分かっていない。自分がいったい殺す側なのか、殺される側なのか、娘なのか母親なのか子供なのか老人なのか、なにも分からない。

 僕はおばあちゃんが大嫌いだけど、この瞬間だけ、少しだけ哀れだなと思う。

 けっきょく、医学のしたことといえば、寝たきりのボケ老人をベッドから引きずり出して、輝く身体を持つ殺人マシーンのボケ老人に作り替えただけだったのだ。


 僕はもう一度仏壇に戻って、仏壇の開き戸を開けた。バナナのストッパーもむなしく、内臓はまた僕の足下にベチャベチャとこぼれおちる。

 僕は足にからまった腸を蹴って、手を伸ばし、仏壇の奥に安置されていた菩薩像をとりだした。

 ずしりと重たい仏像はおばあちゃんの体液で濡れていて、あやうく手が滑りそうになった。ぬらぬら光る真鍮の肌は、まるで本物の金みたいだ。

 それは弥勒菩薩像だった。

 弥勒菩薩は、釈迦の入滅後、五十六億七千万年後に現れ、人々を救済するとされる未来仏だ。

 五十六億七千万年。

 バカバカしい、まるで星の寿命じゃないか、昔の人はどうしてそんな気の遠くなるような未来のことを考えたんだろう? この膨大な年数から、失望以外のなんの感情が生まれるって言うんだろう。僕はもちろん神様なんて信じていない、信じる気持ちもわからない。

 僕は仏像をかかえて、居間に歩いていく。おばあちゃんは、居間の中央ですやすやと眠っている。

 いつも憎悪と苦痛を表情に張りつかせているおばあちゃんだけど、眠っている顔は、いつも、とても安らかだ。おばあちゃんの暴走した記憶回路の中には、もしかしたら五十六億七千万年先の未来も、その先の救済もちゃんと存在しているのかもしれない。

 僕は太陽を拝むような姿勢で、仏像を高く高くかかげ持った。そして、それを思い切りおばあちゃんの頭に叩きつけた。

 おやすみ。

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