第5話:領域の代償

◇◇◇

 同時刻

 オルクスト家には別の侵入者がいた。昏倒された使用人たちの姿を見て首を傾げながらも、この機会を逃してはおけないと地下への扉から階段を下っていく。

 手にはランプを持ち、薄暗い階段をひたすら下ると厳重な扉があった。開けようと手を伸ばすが、鍵がかかっており開かない。


「仕方ないっすね」


 扉を無理やり破壊して強行突破する。破壊音で誰か駆けつけてくるかと身構えたが、気配はない。

 誰か先に侵入した何者かが、使用人たちを昏倒させてくれた御かげで此方へ意識を向けることがないのだろう。

 部屋二部屋分くらいの広さがある地下室の先には、やせ細った一人の少年が鎖に拘束されながら、かろうじて存命していた。

 生きているのが不思議な程衰弱しており、身体には無数の痛ましい傷跡が目立つ。

 暗く沈んだ瞳は――金色。


「オルクスト家が魔物を使役しているって噂を耳にして、魔族が関与しているんじゃないかと思っていたけどやっぱ事実っすか」


 侵入者は燃えるような赤毛にオレンジ色の瞳を持ち右目には黒の眼帯を付けた少年ラディカルだった。表情を暗く沈める。

 魔物の姿は見当たらないが、別の場所で魔族を人質に無理やり使役されているのだろう。

 非道な扱いを受けた少年を思うと、心が痛んだ。


「大丈夫っすか」


 ラディカルが声をかけると恐怖に歪んだ少年は、逃げられないのに後ずさりしようと身体を動かす。


「俺は、君に害をなすつもりはないっすよ。信じられないかもしれないけど、信じて」


 ラディカルは怯える少年に近づいて、その頬に手を伸ばす。

 殴られると思った少年は反射的に瞳を閉じるが、暖かい手のひらが頬を優しくなでるだけだった。

 恐るおそる瞳を開くと、オレンジの瞳をしたラディカルは優しい色をしていた。

 今までの、傷つけるだけの人族とは全く異なる優しいぬくもり。

 人族からは与えられたことのない暖かさだった。

 同時に疑問が浮かび上がる。

 どうして人族が魔族である自分の頬を撫でるのか、優しい瞳を向けるのかが理解できない。


「鎖、断ち切るから」


 少年が怖がらないように先にいってから、大ぶりのナイフを取り出し鎖に突き立てて破壊する。

 久方ぶりに自由となった少年は自分の手と手を見つめる。


「……何が、もく……てき?」


 かすれた声で、少年は問いかける。


「目的なんてないよ。ただ、魔族が捉えられているって噂を耳にしたから、来ただけっす。助けたのは俺の自己満足、だから君は気にしなくていいっすよ。ただ、俺の自己満足に付き合って助けられてくれたら嬉しい」

「……」

「少年。名前は?」

「……ルキ」

「そっか、いい名前っすね。俺はラディカル。ラディカル・ハウゼン。俺が安全な場所まで逃がしてやりたい。おいで」


 手を差し伸ばしたが、魔族の少年ルキは自分の手を握りしめてどうすればいいのか判断に迷って怯えている。


「心配になる気持ちはわかるよ、俺が信用できないのも。突然助けられてくれっていわれたって困るだけっすよね。けど、このまま地下室で朽ち果てることは――いやだろ?」


 金の瞳を持たないラディカルが何故、自分を助けようとしてくれるのか、何が目的なのか――目的はないといったが、流石に信用はできない――謎だらけの現状で、手を取ったところで未来が好転するかはわからない。

 さらなる地獄が待っている可能性だって大いにある。

 けれども、此処で何もしなくて自体が好転することはない。悪夢から悪夢へ、続くだけ。


「俺には、これくらいのことしかできないから。だから傲慢だけれどもルキ、君を助けさせて。ルキが助かる手伝いをさせて」


 ラディカルの瞳が寂しい、とルキは直感で思った。

 意味がわからない、理解ができない。

 何故彼が悲しみ、何故彼が助けようとするのか。

 けれども、ルキはラディカルの手を取る道を選んだ。

 恐怖が全身を包み込み、身体が無意識に震えるけれども手をこまねいていたとしても自体は変わらない。悪夢から覚めることはできない。ならば、一筋の希望に縋ってみようと思ったのだ。

 優しく頬を撫でてくれたぬくもりを、信じてみようと思った。

 裏切られたって、絶望は散々味わった。なら心は痛まない。またか、と安堵するだけだ。


「よし、逃げよう。あぁ、その前にルキ。魔物を使役させられているんだよな?」

「うん」

「どうする?」

「……一緒に、逃げる。彼らは、僕の友達だから」


 弱弱しいながらも、はっきりと意思を告げる。


「わかった。じゃあ、魔物に――意思を伝えて」

「うん」


 ルキは頷き、自分のために人族の命令を聞いている友達の魔物へ魔法を用いて思いを届ける。


『もう、僕のために戦わなくていいよ、ごめんね。有難う』




 ルキが魔物へ意思を伝える少し前に時は戻る。

 魔物が侵入者であるアークを殺害しようと鋭利な牙で襲い掛かるが、巧みにかわして廊下からとってきていた絵画を投げつける。胴体に当たって絵画は割れる。魔物は後退して苦悶の咆哮を上げる。


「あ、やべ。武器なくなった」


 アークは空になった手元を見る。投げる予定ではなく叩きつける予定だったのに、思わず投擲してしまったのだ。


「じゃあこれ貸してあげますよ」


 あきれ果てながらカサネが鎖付きのナイフを投げると、片手を伸ばしてアークは手に取る。


「別に渡さなくても主は服の中に山ほど武器を隠していますよ」

「え? ならば何故……それを使わないのですか」


 ヒースリアの言葉に、てっきり武器を持ち合わせていないものだと思っていたカサネは理解できないと眉を顰める。苦手な相手のその表情が楽しくて、ヒースリアは愉悦に浸る。


「主は自分の武器は滅多に使いませんよ。それこそ――強い相手でもない限りはね」


 それは、人外の魔物を相手にするにもしても余裕だということだ。

 実際アークの表情は笑っている。否、例えピンチに陥っていても戦闘狂は笑っているだろうから、笑みは基準にならない。

 魔物を鎖付きナイフで切り裂こうと、手を振るったが――それは空振りする。


「あれ?」


 アークは魔物を不思議そうに見る。何故ならば、魔物が急に方向を変えて位置がずれたのだ。


「主が無様に空振りするなんて、腕が鈍ったのですか? 情けないですね……日頃の鍛錬を行わないから、肝心な時にミスをするのですよ。見苦しくてかないません」

「実は敵。ごちゃごちゃ煩いぞ!」

「私は的確なアドバイスを差し上げているのに、酷いです」

「どの辺に的確さがあるんだよ。悪意しかないだろ」

「的確な悪意です」

「性質悪い!」


 下らないやり取りをしているアークとヒースリアを無視して、カサネは突如方向転換をした魔物へ視線を向ける。

 侵入者を排除しようとしていた殺意は、別の方向へ向いているのをカサネは実感していた。


「――どうしたのですか、魔物ごときへ真剣な視線をやって。実は愛しているのですか?」


 ヒースリアがカサネの表情の変化に反応して問いかけるが、返答はない。


「おいおいどうした、さっさと殺せ」


 突如牙をしまった魔物へいら立ったようにベルガ・オルクストは命じる。


「早くしろ! あの小僧がどうなってもいいのか!」


 怒気をはらんで叫ぶ。

 しかし、魔物は反応しない。

 何故だ、とベルガ・オルクストは疑問を抱くのと同時に――その身体を魔物の牙が襲い掛かった。

 肉と骨が粉々に引きちぎられ砕ける。

 魔物の反逆をカサネは薄笑いして眺める。

 アークは何が起きたのかわからず、ひとまず矛を魔物へ向けるのはやめると、自分たちになど興味がないといわんばかりに窓を突き破って空へ羽ばたいて魔物はその場から立ち去った。


「何が起きたんだ……?」

「それは恐らくベルガ・オルクストも同様でしょうね」


 驚愕の表情をしたまま、絶望へと追いやられたベルガ・オルクストの死体を冷徹にヒースリアは眺める。


「それよりも――俺の出番取られた」

「始末屋として仕事を奪われた哀れな主が滑稽で見ものですね」

「くそ、魔物を追って殺したところでベルガを殺害する依頼をこなしたことにはならねぇし……始末屋としての実績が……」

「いえ、結果としては問題ないので、依頼は達成したことで構いませんよ」


 仕事に拘るアークに、微笑しながらカサネは答える。

 誰がベルガ・オルクストを殺害しようとも、殺害ができれば王子に仇名す可能性はついえる。

 潰えさえすれば、誰が殺害したかなど些細な問題でしかない。


「仮に魔物を追いかけるとしても、空を飛んで行ったものをどうやって追うのですか」

「ヒースかカサネが飛ぶ」

「無理言わないでください」

「無理ですし、仮にできたとしても魔物に用はありませんよ」


 冷たくあしらわれたアークは肩を落とす。


「さて、もう少しついてきてもらいますよ」

「ベルガ・オルクストは死んだのだからもう用はないんじゃないのか?」

「魔物を使役している魔族を探し出すんですよ」

「成程。わかった」


 ベルガ・オルクストを殺害する依頼は終わったが、仕事の範疇だと判断したアークは素直に従う。

 使用人は既に全員昏倒させてあるので、来た道を悠々たる足取りで戻り、一階に到着したところでカサネが地下室を探そうと部屋を開けては移動する。


「何故地下室なんだ?」

「魔族を秘密裏にとらえておくなら、秘密の地下室があっても不思議じゃないし一番隠しておくのに最適でしょう」

「ま、そりゃそうか」


 程なくして地下室への階段を見つけたが、不自然な程人が入った痕跡が残っている。


「……誰か、侵入者がいたのですかね」


 カサネは鋭く目を細める。もしかしたら、魔族を助けるために魔族の同胞がやってきた可能性もある。

 魔族が中にいれば、殺し合いに発展する可能性は濃厚だ。

 その場合、始末屋が此方にいることは非常に都合が良かった。

 腕に覚えがないわけではないが、始末屋といった戦うことを家業としているような輩と比べれば劣る。

 無骨な階段を慎重に降りていくと、鍵が無理やり破壊されて開きっぱなしだった扉がある。

 中へ入ると、誰もいなかった。


「……既に、助け出された後」


 カサネが呟く。薄気味悪い地下室というなの牢屋は、魔族を捉えていただろう鎖が破壊された痕跡が残っている。

 此処に魔族がいたのは明白だ。しかし姿はない。


「魔族が一足先に助けたのでしょうかね?」

「いいえ違います。助けたのは人族です」


 カサネは答えながら思考する。


「人族? 何故わかるんですか」

「簡単ですよ。魔族が魔族の同胞を助けたのに、未だ人族が生きているからです。魔族ならば、人族を皆殺しにしてから立ち去るでしょう。最初は、助け出すことを優先して一目を忍んで侵入したとしても助け出してしまえば、関係ない」

「確かにそうですね」

「だから、人族が魔族を助けたと考える方が道理に合います。しかし、疑問が一つ。どうして人族が魔族を解放するのか、それが理解できませんね」

「誰か物好きがいたんじゃないのか? 魔族が好きな人族がいたって不思議じゃないだろ」


 アークは両手を後ろへ回していう。投げやりな言葉には人族が助けようが、魔族が助けようが興味がないという感情が如実に伝わってくる。


「……まぁ、その可能性は否定しませんよ」


 可能性は低くとも零ではない。

 だからこそカサネは魔族が人目を忍んで侵入し、人族を殺さないで脱出したという可能性よりも、人族が魔族を助けた可能性の方が高いと判断したのだ。

 人族と魔族という大雑把なくくりで纏めれば、敵対しているが個人個人で分けた場合、必ずしも敵対しているとは限らない。魔族よりもさらに数が少なく、生まれる確率も低いが、魔族と人族の間に生まれた混血も世の中には存在している。


「さて、依頼完了です。有難うございました。報酬はあとでレインドフ家に直接送らせます、問題ありませんか?」

「いいよ」

「……あっさりしていますね。ばっくれられるとは思わないのですか?」

「思わないよ」


 信頼とは違う。

 アークは、カサネを信頼しているわけではない。けれども、依頼料を支払わないとは思っていない。

 不思議な感覚をカサネは読み取ったが、此方に不都合はないので黙っていた。

 それに、カサネにとって収穫があった。

 ベルガ・オルクストを殺害するよりも、始末屋と直接接点が持てたことが、何よりの利益。

 始末屋アーク・レインドフ。

 彼は、仕事として依頼すれば、どんな依頼ですら喜々として引き受けてくれる仕事中毒の戦闘狂。

 ――今後も、利用させて頂きますよ。

 ――それにしても、ベルガ・オルクストは一体どこで魔物を使役しようなんて思考回路に至ったのか、それが気になりますね。

 カサネは思案する。ベルガ・オルクストは元々野心があったものの、小心者で安全ではない実験などする人物ではなかった。

 故に、到底王家に害をなせる貴族ではなかった。

 それが、突如貴族街から郊外へ引っ越しをして一歩間違えれば自分が餌になって殺されるというのに魔物を使役し始めた。

 そばに、魔族もおかず魔族は捉えたまま、魔物と一緒にいた。護衛もつけず。

 小心者のベルガでは本来できることではない。

 故に、誰かの入れ知恵があった可能性が高い。

 ならば――入れ知恵をした人物を探し出す必要があった。

 ――エレテリカに害なすものは、全て排除させてもらいますよ。



◇◇◇

 アークたちが地下室で会話をしている頃、ラディカルとルキは王都リヴェルアから離れ森の中で身を隠すように移動していた。

 一目がない場所にたどり着いたラディカルは、握っていたルキの手を放す。

 ルキは地面に座り込んで荒い息を整える。


「ルキ。行くあてはある?」

「……うん。魔族の村がある」

「そうか。なら大丈夫っすね。俺はそこに行けないけれど、近くまでなら送ってやるっすよ、あぁでも、近くまで送ってもらうのも不安か?」


 正直にルキは頷く。


「だよなー。万が一、俺のせいで魔族の村が襲われたら困るもんな。なら、自力で此処からいけるか?」

「……大丈夫」


 ルキが空を見上げたので、それにつられてラディカルも上を見上げると、魔物が空を飛んでいた。


「そっか。友達、か」

「うん。一緒に行くから大丈夫」

「なら良かった」


 ラディカルは優しく微笑んでルキの頭を優しくなでた。


「……有難う」


 ルキは風にかき消されそうなほど小さな声でお礼を言った。

 ラディカルの耳にはしっかりと届き満面の笑顔を浮かべる。


「どーいたしまして。俺の方こそ、助けられてくれてありがとう、ルキ。じゃーな」


 ラディカルはルキから背を向けて、街の方向へ歩き出す。

 その背中を見送ってからルキは魔物の背中に乗り、魔族の村を目指した。



◇◇◇

 始末屋アークと執事のヒースリアがレインドフ邸に戻ると、双子のメイドが出迎えた。


「主、おかりなさいですー!」

「リアトリス。その手はなんだ?」


 双子の姉であるリアトリスは、肩で切りそろえた太陽のような金髪に、カチューシャをしており左右は一部だけ三つ編みにした髪が飛び跳ねるごとに揺れる。緑色の瞳がキラキラとお土産を要求していた。


「お土産ないとは言わせないです! 二人で旅行をしてきたのですから! まぁ主と二人っきりの旅行なんて最悪で行きたくもありませんが」

「お土産渡さないぞ! あと旅行じゃなくて仕事!」

「旅行も仕事も同じようなホリックが何をいっているんですかねー」

「そこだけは言い返せないな」


 アークはガラス細工のお土産をリアトリスの手に載せる。


「ほわわ、可愛いですー」


 リアトリスの視線が、ガラス細工のお土産にくぎ付けとなる。


「ほい、カトレアにも」

「有難う」


 双子の妹カトレアは、遠慮がちにお土産を受け取る。姉よりも長く、腰まである金髪はおさげで結んである。元気が底なし沼のように明るいリアトリスと比べると、顔立ちは一緒だがカトレアは控えめで大人しい性格をしていた。


「グラジオラスの花……のガラス細工綺麗」

「ほへ? グラジオラス? なんですかそれ」

「この花の名前」


 ガラス細工は、グラジオラスの花を形どっていた。

 リアトリスは何かの花程度の認識だったが、花が好きなカトレアは一目でそれがグラジオラスの花だと認識した。それから微笑んだ。


「有難う、アーク」

「どういたしまして」

「むむう、カトレアの笑顔を主に挙げるなんてもったいないですよ! カトレアの笑顔は私だけのものです」

「あ、ずるいですね。私にも下さいよ」

「顔だけ執事に挙げる笑顔はありませーん」

「顔だけって酷くないですか!」

「よし。飯にしよう」


 アークが程よいところで切り上げて、夕飯何がいいかを尋ねる。


「カトレア、何が食べたい?」

「……シチューがいいな」


 視線を少し下げてカトレアが答えたので、夕飯はアーク特性シチューとなった。


「やっぱ、そろそろ料理人欲しいよな」


 夕食をレインドフ邸にいる全員――主のアークと、執事のヒース、メイドのリアトリスとカトレアの四人で食べるには広すぎるダイニングテーブルで取っているとき、ポツリとアークが雇いたい存在を口にする。


「そうですねー。前に雇った料理人は、料理に毒を盛るような馬鹿だったわけですし」

「主の料理も悪くはありませんが、舌鼓を打つような料理も食べたいものです」

「俺が全部の料理を担当しているような言い方やめろ。交代制だろ」

「えぇ。主主主、私、主主主、リアトリス、主主主、カトレアの順番で」

「ものすごくツッコミ入れたい料理当番制だよな」

「主の料理が一番おいしいのだから当然だと思いますよ」


 当然のように言われ、返答に困るアークだった。

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