第7話:魔石商人
レインドフ家の応接室で、アークは仕事中毒にしては珍しい微妙な顔をしていた。
何故ならば、応接室にいる依頼人は王都リヴェルアで出会った第三王位継承者エレテリカの側近であるカサネ・アザレアだったからだ。
「エレテリカ王子の側近にして策士であるカサネ・アザレアが仕事の依頼か?」
アークはカサネの相貌を隅々まで眺める。
年のころ合いは十代中ごろと思しき容姿なのに、それに似つかわしくない冷静な雰囲気をまとった黒の瞳が冷静に、獰猛に、獲物を狙い定めている。
白のファーがついた群青色のコートは脱いでおり、膝丈まである白と黒のラインが入った服の首元にはオレンジ色のリボンが巻かれていた。
「勿論。出なければ、こんな辺境の地まで足を運びませんよ」
「辺境の地って酷くないか」
「リヴェルア王国本土から離れた別の大陸にあり、王都まで船で半日。この大陸の船着き場がある街から馬車で一時間もかかる、人気のない草原が広がるだけのところに立つ、豪邸を辺境の地と言わずなんというのですかね」
「街中に住むのは好きじゃないもんで」
「始末屋が堂々と街中に居住を構えられていても困りますけど」
「だろ」
「おかげで、人目につかず依頼をしに来られるわけですしね」
「策士は自ら動かせる手駒がいないのか?」
第三王位継承者の側近が、始末屋を利用したことが公になればカサネの問題だけではなく、エレテリカの問題に発展する可能性が大いにある。
その危険性を認識していないわけでもあるまい、とベルガ・オルクスト家で出会ったその後、情報屋を使ってカサネ・アザレアについて調べておいたアークは思う。
その程度のことすら理解できない浅薄ならば、王位継承者でありながら王位につくことが絶望的だといわれていたエレテリカを、現在の誰が王位に就くかわからない状況にまで持ち上げることは不可能だ。
故に、カサネは逸脱した頭脳とそれを実行するだけの作戦能力を有している。
油断できない相手であることは間違いなかった。
「いるにはいますけれど、信頼できるかは別です」
「信頼できる人がいないなんて空しい人生ですねぇ」
茶々を入れるように、お茶を用意して応接室にやってきた執事が嫌味満載で言う。
「訂正します。私にだって一人は信頼できる人はいますよ」
「貴方のような性悪を信頼してくれる物好きがいたとは驚きです」
「せいぜい驚いていてください。別に、他人にどう思われようが構わないので」
取り合わない態度に、ヒースリアは眉をぴくりとさせたが、苦手意識があるカサネと関わりたくないのだろう。お茶を出したら早々に退室した。
「さて、依頼内容ですが、魔石商人を抹殺して頂きたい」
「魔石商人を? 何故だ」
「ベルガ・オルクスト家と同様ですよ。ただの魔石商人ではない、最近不穏な動きを見せているのです。魔石商人は、普通の魔石ではない魔石を取り扱っているそうなんですよ、ですから――放置しておきたくなくて」
にっこりと年相応の笑顔を浮かべる。それは、始末を依頼するには不釣り合いな笑顔だ。
「仕事の依頼とあれば、俺は断らないよ」
「でしょうね、流石仕事中毒。貴方とこの間、縁を持てたことは収穫でしたよ、本当に。貴方は金で動く仕事中毒だ、故に――信頼できる」
「その信頼の仕方は嬉しいな。仕事に対して信頼があるのはいいことだ」
「魔石商人は私が入手した情報によると、レフシア大陸にいます」
「レフシア大陸――王都リヴェルアから、北北東の島か。イ・ラルト帝国との領土争いを何度も繰り返した大陸。ここからだと船で二日ってとこか」
「えぇ。王都からでも二日かかる距離にあって、ホイホイと行くには面倒な場所なんですよね。ここに来るのも時間を浪費しましたけれど、それで魔石商人を潰すことができるなら無問題です」
「可愛い顔していくことえげつないよな」
「あぁ。私、こんな顔していますけれどアーク・レインドフ。貴方より年上ですよ」
「はぁ!?」
驚きで応接室のテーブルに思いっきり手を叩くと、お茶がゆらゆらと揺れた。
何処からどう見ても十代中ごろの少年にしか見えない人物――情報屋が仕入れてくれた情報には年齢不明と記されていた――が、実は今年二十三になった自分よりも年上だとは到底思えなかった。
何かの、間違いではないかと容姿を凝視するが幼い相貌は変化しない。
「一体いくつなんだよ」
「それは秘密です。まぁ二十代ということだけは教えてあげましょうか。童顔なのですよ。それからこれは関係ないことですが、一応報告をしておこうと思いまして」
「なんだ?」
「貴族ベルガ・オルクスト家に捉えられていた魔族を逃がした人物が判明しました。その人物の名前はラディカル・ハウゼン。年齢不詳、外見年齢は十代中ごろ。赤髪にオレンジ色の瞳で片目は眼帯をした少年です。魔族を助けた理由は不明ですが、時折各地で魔族のまねごとをしているようですね」
ラディカルの名前は聞き覚えがあった。以前海賊船で出会った、アークのことを“今にも死にそうなお兄さん”と呼んだ眼帯君だ。
海賊になりたい彼が何故、魔族を助けているのかはアークも知らない。
魔族のまねごと――即ち、人族にとらえられた魔族を解放しているということだ。
しかし、興味はなかった。
それは仕事と関係あることではない。
もしも、ラディカルを始末してほしいと依頼があれば、以前の出会いがなかったかのように喜々として始末するだけ。
「まぁ現状調べた限りでは、王子にあだ名す可能性は低いとして放置してあります」
「王家じゃなくて王子なんだ」
「えぇ。別に王家がどうなろうが、私はエレテリカ王子が幸せであればそれで構いませんから」
狂気的に、ただ一人のみを盲目している瞳。
「ふーん」
けれど、アークの興味を引くことではない。
「と、まぁラディカル・ハウゼンのことはおいておいて、レフシア大陸の魔石商人の始末をお願いします。依頼料は、前回はあとから支払う形にしましたが、今回は先払いになります」
懐から布袋を取り出し、それをアークに手渡す。
袋の中を開けると、始末屋に依頼する相場相応が入っていた。十分だ、と依頼料を無造作にテーブルへおく。
「依頼完了の報告は書面でお願いします。再び足を運ぶのも面倒ですからね、その時は私宛の名前を王都リヴェルアへ送ってください。貴方の名前は記入しなくて結構です。始末屋とやり取りしていると思われたら面倒ですからね。書面には念のため、殺害、死、といった物騒な言葉は一切含ませないでください」
「わかったよ」
「では、失礼します」
カサネは一例してから応接室を後にした。
アークは船で二日の移動がかかるレフシア大陸へ早々に向かおうと応接室を出る。
最短往復で四日かかるため、最初から今回はヒースリアを連れて行こうと周囲を見渡すと、箒だけ手にしてやる気は微塵も感じられないメイドのリアトリスが突っ立ってヒースリアと会話をしていた。
「あのお客さん、可愛かったですねー。あんな小さい子が来るなんて珍しいです」
「俺よりも年上らしいぞ」
アークは会話に割り込む。
「ほわわ!? 童顔過ぎませんか! 魔族でもあるまいに、年齢詐称をするとは、美容には気を付けているのですかね!」
口調とは裏腹に興味がなさそうにリアトリスは言う。
「で、一体どこの誰さんだったのです?」
「第三王位継承者の側近、策士カサネ・アザレア」
「あぁーこの間、主が情報屋を使って調べさせていた人でしたか。なるほど納得です。可愛い見た目とは裏腹に、残酷そうでしたもんねー」
「まぁな」
「それにしても王族の側近が、レインドフ家に頼らなきゃいけないなんて世も末です」
「全くですよねぇ」
「おい、サディスト二人組。どんだけレインドフ悪徳業者なんだよ」
アークがツッコミを入れると、二人してはて、と首を傾げる。
「レインドフが悪徳業者じゃなければ、世の中の悪徳業者は存在しないでしょう」
「ですよー。始末屋って看板掲げている時点でまっとうじゃないじゃないですかー。清廉潔白だなんて笑わせますです」
「そこまでは言ってない! 別に白を気取るつもりはない!」
主の主張を全く聞く耳を持たない執事とメイドであった。
「ヒース。レフシア大陸へ向かうぞ、そこに依頼のターゲットがいる」
「わかりましたよ。私の貴重な時間を割かせるのですから、光栄だと跪いて感謝しなさい」
「一瞬でも崇めたら二度とこの地を歩けなさそうだ」
「寂寥な男ですこと」
肩をすくめるヒースリアに、はぁとアークはため息をついた。
そのうち、ため息が癖になりそうだなと思いつつ――もう手遅れな気しかしなくなったのでそれ以上の思考はやめた。
二日後リヴェルア王国の北北東に存在する大陸レフシアへ到着したアークとヒースリアは、今晩の宿を探して街をうろつく。
「主、あの宿は高級そうですね」
「確かに、料理がうまそうだ」
金に糸目をつけないアークは、レフシアで高級宿と有名な場所に宿泊することにした。
振る舞われたディナーはどれも絶品で、口の中で肉がとろけていく感触に思わず追加を注文する。
「太りますよ、主」
「運動するから問題ない」
「もう探し人は仕事していないと思いますよ」
「あ……明日運動するから問題ない」
「全く、後先考えない馬鹿ですねぇ」
言い返せない失言だったと思いながらも、追加で出てきた料理に舌鼓を打つ。
ふと、このテーブルへ視線を感じて横目で見ると女性客の数名がヒースリアへ熱い視線を送っていた。
「性格最悪だけど、顔いいから相変わらずモテるな」
当然ヒースリアも視線には気付いているので、内心ではなく声に出していう。
「私の何処が性格最悪なのかはおいておいて、寂しい野郎同士の食事なのに、主への熱い視線がないのが哀れでなりません」
「お前を褒めてやったのに、どうして俺がけなされるんだよ」
「事実じゃないですか」
にっこりとヒースリアが邪悪に微笑む。
熱い視線を送っているだろう女性たちの方へ今の邪悪な微笑みをヒースリアが向けてやれば、邪悪なオーラなど読み取ることができず微笑んだという事実に卒倒しそうだなとアークは思う。
夕食後はヒースリアと別れて部屋のベッドへ横になる。
流石高級宿、というべきかベッドはふかふかで横になるだけで眠気がやってきて、ほどなくして眺める景色を堪能することもなく眠りについた。
翌朝、朝食をとってからカサネ・アザレアの情報により魔石商人が商売をするのに顔を出しているという酒場を訪ねると、歳の頃合い三十代前半で、色の髪と黒い瞳、ローブ状の服に身を包み、手振り口巧みに魔石の魅力や効果を伝えている人物がいた。
魔石商人だ。風呂敷を広げて、売り出している魔石の数はかなりの個数があり上質なものから安価の魔石まで様々な種類があった。
「確かに、一商人が扱うにしては魔石の数が膨大すぎますね。何か裏があると考えるのが正解でしょう」
「だな。じゃあちょっと購入してみるか」
「そうですね。ここでは人目が多いです。狙撃するなら別ですが」
「狙撃は嫌いだからやらん」
「戦闘狂である主は、肉を絶つ感触がないの好きじゃないですものね、感心するほど悪趣味です」
ツッコミを入れていたらきりがないと、会話を打ち切り魔石商人へ近づく。
身なりが整っているアークが、魔石商人の元へ近づくことは不自然ではない。
「一つ、頂けるかな?」
「えぇ。どれを購入されますか」
魔石商人の視線は目ざとくアークの身なりを失礼にならない時間で見極めたようで、へりくだった笑顔を見せてきた。
「今なら、これとかがオススメですね」
手袋をした手で、魔石商人が扱っている魔石の中で二番目に高価なものを持ち出したのが、アークにはわかった。
魔導を好まないが、魔石の質を見抜く鑑識眼はあった。
故に、さらに上等なものを求められれば上を出し、難色を示せば高いけれど少しだけ安いのを提示するつもりだろう。商売上手だ、と内心で褒める。
策士カサネが言っていた普通ではない魔石とは、普通の流通では一般的に手に入らない上質な魔石のことだろうと判断する。
「へぇ。確かに質がいいな。ここにあるものは、大体どれも上質だ。一体ここまでの魔石、どうやって仕入れているんだ? 俺の知っている魔石商人でもここまでの物は見たことがない」
さりげなく探りを入れると、気付かれた様子もなく胸を張って魔石商人は答えた。
「とある秘密のルートで魔石を譲ってくれる方がいるんですよ。だから、他の商人にはできないことができるのです」
「凄いな、それは」
「えぇ。その方のおかげで、私は魔石をこうして皆さまに提供することができるのです」
「折角だ、一番上質な魔石をくれ」
「有難うございます」
魔石商人が商売笑顔で嬉しそうに微笑んだ。
緋色の魔石を購入したアークは、ヒースリアと共に酒場を後にする。
外に出てから建物の屋根へと飛び移り、屋根を椅子の代わりにして座る。
「主、わざわざ金に物を言わせて一番高級なのを選ぶ必要はなかったのではないですか? 別に魔石を武器として扱うわけじゃないのですから」
「まーな。けど、どうせなら一番綺麗な魔石がいいだろ」
緋色の魔石を指と指に挟み眺めると、太陽の光を受けて緋色の魔石は妖艶な輝きを見せる。
「それは否定しませんけどね。宝の持ち腐れで魔石が可哀想だと思ったのです」
「なら、魔石いるか?」
魔石商人が提示した値段は、魔石の上質さから考えれば妥当な値段だが、それでも普通は購入を躊躇するだけの金額だった。
その魔石を、石ころのように軽く投げてヒースリアへ渡す。
「主からの貢ぎ物だと思うと鳥肌が立つのでいりません」
「普段給料ぼったくって、さらに金よこせといってくるやつが何を言っている」
「あれはお金だからいいのであって、物だと気味が悪いじゃないですか」
「どんなだよ……」
「まぁ主からの貢ぎ物は気持ち悪いのは当然として」
「何が当然なんだよ」
「私はいりません。これ、ネックレスにでも加工したら綺麗でしょうから、リアトリスかカトレアにでもあげたらどうですか?」
「そうするわ」
「まぁリアトリスの方は『主からの貢ぎ物なんて気持ち悪いですー』っていいそうですけど」
「ありありと場面が浮かぶからカトレア用にするわ」
はぁとアークはため息をついてから、ヒースリアがアーク同様石ころのような扱いで魔石を投げ貸したのを受け取り、懐へしまった。
うっかり武器として使わないように、取りにくい位置へ入れておく。
魔石商人が、一通り商売を終えたのだろう太陽の光が正面に上るころ合いになって酒場から出てきた。
「やっと出てきましたか、全く。これで日焼けでもしたら誰に責任を取ってもらえばいいのでしょう」
「誰にも責任追及するな」
一番上等な魔石が売れたからか、魔石商人の顔は上機嫌で、今にも踊りながら歩き出しそうだ。
屋根を伝って後を追いかけると、やがて街の外へ出て行った。飛び降り地面へ着地して、ゆったりとした足取りで尾行をする。
街道ではちらほらと商人を見かけたがやがて街道から外れ、森の中へと進んでいく。
「なんだ? まさか森の中に家があるのか? 魔物にでも襲われるぞ」
「……さぁ、どうなんでしょうかね」
鬱蒼と生い茂る木々の間をぬって進む。障害物が多い場所の方が尾行はしやすかった。
魔石商人が尾行の気配に気づく様子もない。唐突に、魔石商人の歩みが止まったので、木々にアークとヒースリアは隠れる。
魔石商人は胸ポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認しているようだった。
「誰かと、取引ですかね」
「だとしたら、魔石を用意してくれる奴か」
「二人来たら両方殺すのですか?」
「いや、魔石商人が一人のところで殺す」
「……そういえば、何故尾行したのですか? さっさと殺せばいいじゃないですか」
「殺すよ。ただ、まぁ一応人気のない場所でって思ったらどんどん奥地へ行くから何があるのかなって思っただけだ」
「成程。野次馬根性というやつですね」
「お前はホント、俺を貶さないと気が済まない素敵な性格しているよな」
「お褒め頂き反吐が出ます」
「なんでだよ!」
小声で会話をしていると、森の木々が揺れた。
一陣の風が待ったかと思うと、緑の空間に白が生まれた。儚い白は、幻のようだが実体がある人物のようだ。
白のローブで素性を隠しているため、顔立ちや性別も不明。
魔石商人と白のローブの人物は会話をしているようだが、アークとヒースリアの距離からは聞こえてこない。
周囲に存在がなくとも、気を付けているということだろう。
「やましいことありそうな闇取引の香りがしますね」
「そうだな」
会話を聞ける距離まで近づいてもいいが、魔石商人はともかく白のローブの人物には十中八九気付かれるため、安全な距離を保った。
程なくして、白のローブを被った人物は、魔石商人の横を通ってアークとヒースリア近くの道を歩いて行った――刹那だけ、視線がアークとヒースリアがいる木々の方を向いた。
偶々か、気付いたのか、されど興味がなかったので襲ってこないなら支障はないと判断し気に留めなかった。
取引は目撃したが、収穫はなくアークはもういいかと判断し魔石商人の前に姿を見せる。
疾風のように現れたアークに、魔石商人は目を見開いて驚いた。悲鳴を上げなかっただけましか、と物陰からのぞくヒースリアは思った。
「……先ほどの方。一体何用ですか」
魔石商人の視線は鋭く細められ、警戒を怠っていない。
「魔石商人。俺に殺されろ」
横暴とも理不尽ともとれる言葉を告げられ、魔石商人は唾をのみこんだが、すぐに笑みを浮かべて笑った。
「ははっ! なんですか貴方。もしかして私の魔石を奪いに来たのですか? だったら、私より彼から奪った方が確実だとは思いますけどね!」
彼、とは白のローブの人物だろう。彼と呼んでいるため、性別は恐らく男だなと興味なく思う。
「違うよ。魔石になんて興味はない」
「興味はない? でしたら何故一番高級な魔石を、酒のつまみを頼むような感じで購入されたのですか」
「折角買うなら一番高い奴が良かったからだ」
「……そうですか。では言葉を変えます。貴方は誰で何者だ」
「俺はアーク・レインドフ」
「――レインドフ!?」
魔石商人の顔色が変わる。笑みが消え去り一遍して恐怖に歪む。
「そう、俺はレインドフ家の当主だ」
「始末屋レインドフ家……誰に依頼された」
「答えるわけないだろ。例え、お前が死者になっても問いかけてこようと答えないよ」
アークは一歩踏み込む。その動作が魔石商人の瞳を釘づける。
静寂が訪れたかのように周囲から音が消え去る錯覚に陥る。アークの姿がぼんやりと歪み、黒い影が死をまとった存在のように思え、逃げ出したいのに足がすくむ。
魔石商人は始末屋レインドフの存在を知っていた。
知っていたからこそ、恐れた。恐れがなければ、魔石商人は今まで魔石を狙った不埒な輩に対してとった防衛攻撃にも移れたが、今回は不可能だった。
脳は動けと命じるのに、身体が拒絶する。
始末屋は、依頼があればどんな仕事でも引き受ける存在。その実力は確かで、どんな依頼をもこなしてしまう仕事中毒にして戦闘狂が営んでいる。
「――くそ!」
身体が動かずに逃げられないのならば、攻撃するだけとまだ踏み込んだままで武器を所持していない始末屋に向かって魔導を放とうと震える指先を無理やり動かした瞬間、手首が下から無くなり痛みより先に驚愕が襲い驚愕より先に死が訪れた。
地面を赤く染める魔石商人と、悠然と立つ始末屋の元に、銀髪の執事がゆったりとした足取りで近づく。
「魔石商人ももろいものです。まぁ主に目をつけられた時点で、彼の運は尽きていたのですから当然ですか」
「それにしても、魔石商人は魔導師でもあったとはな」
「そうなのですか?」
ヒースリアの赤い――魔石商人から購入した緋色の魔石より美しい――瞳が、アークの視線と重なる。
「最期に魔導を使って攻撃してこうようとしていたよ。しかも、魔石を体内へ入れていた」
「それはそれは。なら元々は生粋の魔導師だったのかもしれませんね」
ヒースリアが死体を見下ろすと、とめどなく流れていた血は、色を徐々に失い消えていき、身体は粉々に砕けたガラス細工のように壊れ、風に乗って空を躍るように消えていく。
やがて、死体の痕跡は消えた。
人族は、魔法と似て非なる魔導を行使する際、魔石を用いらなければならない。
故に、魔石が無くなることは魔導師にとって死を意味する。
魔石を手放したり、破壊されれば魔導は使えなくなる、それを恐れる魔導師の一部は、体内へ魔石を入れてしまうのだ。
体内へ入れれば、よほどのことがない限り魔石を失うことは――死ぬ以外にはあり得ない。
ただし、当然のことのように力には、有利には代償がある。
「魔石を体内へ入れたものは、死体が残らない末路が待っている。死そのものが失われたかのように、生そのものの事実が否定されたかのように、死体は消え去り、残るのは衣服など身に着けていたものだけ」
地面に転がった、魔石商人の身体を包んでいた服や、荷物だけが主人の死から取り残され、おいていかれる。
「さて、依頼も終了したし帰るか」
「そうですね。主と一分一秒たりとも一緒にいたくありませんし」
「おいて帰るぞ」
「船代を自腹とか、絶対嫌ですのでお供します」
「手のひら返すのは早いな! おい!」
緊張感のないやり取りをしながら、船着き場がある街まで歩き、そのまま船には乗らず街で緋色の魔石は、ネックレスへと加工してメイドのカトレアへのお土産へ変え、リアトリスに何もないと文句を言われてしまうと道中で焼き菓子を買った。ヒースリアへも、わざわざ主に付き添ったのだからとお土産を要求され買わされるアークであった。
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