バチ当たり

毛賀不可思議

電車来ないねぇ



『…………人身事故の影響で、現在10分の遅れが生じております。現在、運行再開の目処は……』


「遅いっ!!!!」


 駅構内で繰り返されるアナウンスを遮るように、彼女は叫んでいた。



【遅延 10分】


「遅い遅い遅いっ!!!」


 電車の遅れを示す文字が映し出された電光掲示板の下で、彼女は憤慨していた。


 溜息が充満し、電話口で頭を下げる情けない表情たちがどんよりとした空気を作る中、彼女は息を荒げ、一際感情を剥き出しにしているように見えた。

 ところが、彼女がそこまで苛立つ理由は、『電車』の遅れによるためではなかった。


「遅いーーーっ!! 何時だと思ってんよ!!」


「ごめんごめん。いたっ」


 キャリーバッグの脚をやかましく転がしながら近寄ってきた彼に向かい、彼女は厳しく指を突きつけた。鼻先に人差し指が当たり、彼は思わずよろめく。


「あと1分遅かったら、改札抜けてたからね!? 最悪一人で空港向かってたんだから!!」


「でも、待っててくれたんだね……いたいっ」


 彼女をなだめるようにそうフォローを入れながら、彼はすれ違ったサラリーマンと肩をぶつけた。


「勘違いしないでよね!? たまたま私たちが乗る電車が遅延していたから立ち往生してただけで、本当だったらアンタなんか置いていくつもりだったんだからね!?」


「そうなんだ。いてっ」


 顔を赤らめる彼女を尻目に、彼はたまたま落ちていたバナナの皮で足を捻った。


「アンタのことなんか、全然」


「いぃっでえっ!!!!」


「なんなのよさっきから!!!」


「え?」


 滑って強打した頭を庇いながら、彼は素っ頓狂な声を上げた。


「え? じゃないわよ! いたいいたいって!! 私のキャラがイタいとでも言いたいの!? 腹立つわね!!」


「ち、ちがうんだよ。これはバチが当たってるんだ」


「は? バチ?」


「うん。俺、そういう体質なんだ」


 拾い上げたバナナの皮をゴミ箱に放り投げながら、ふうと溜息をつく。そんなけろりとした様相の彼とは裏腹に、彼女はどんどん眉間の皺を深くしていった。


「何言ってんの」


「ほら、悪いことをするとバチが当たるだろ?」


「当然のように言われても」


「俺、呪われててさ。それが人一倍起こりやすいんだ」


「もうぶっちぎりで意味わかんない。呪われてるって何よ?」


「うーんと」


 そこまで言うと、彼は記憶を辿るようにとんとんと頭を指した。


「そもそもの発端は……確か、俺が4歳の頃、ウチのじいちゃんにトドメを刺したところから始まったと家族には言われてるんだけどさ」


「おまわりさーーーーん!!!!!」


「待って!! 事故だったんだよ!!」


 暴れる彼女を羽交い締めにしながら、彼は慌てて弁明する。


「当時、じいちゃんは危篤でさ……。ずっと寝たきりだったんだ。でも、俺は両親から『おじいちゃんはお寝坊さんなんだよ』なんてはぐらかされててさ。俺もそれを信じてたんだ」


「えっと。まさかとは思うけど、それで強引な起こし方を……?」


 おずおずと彼女が尋ねると、彼は嚙みしめるようにして深く頷いてみせた。


「そのまさかさ。俺ときたら、痺れを切らしてじいちゃんの土手っ腹にヒップドロップをお見舞いしてしまったのさ……」


「危篤じゃなくても死ねるヤツそれ!!!!」


「今でも忘れらないよ……。あの時のじいちゃんの顔。そして断末魔の一言……『このバチ当たりめが……!』」


「ひいいいいいっ」


「それからだった。俺にバチが当たるようになったのは」


 そう言って溜め息をつくと、彼は額を強く抑える。そしてやがて、苦しそうに呟き始めた。


「手始めにじいちゃん殺しのバチで1日苦しめられた……。とにかく俺の頭めがけて絶え間なく物が飛んできたり落ちたりするんだ……。電球、野球ボール、つり革、看板、植木鉢……なんでもござれさ。死にはしなかったけど、殺したいほど恨んでる気持ちは伝わったよ……」


「アンタ植木鉢頭にぶつけた経験あるの……」


「アレは間一髪で避けたよ。死ぬかと思った」


 彼はそう言って身震いした。その青ざめた表情には鬼気迫るものさえあり、一見しては嘘をついているようには思えなかった。

彼女はその一連の話を聞き、彼の一連の様子を目の当たりにしながらも、一体この話をどう膨らませればいいのか、一切のビジョンが見えずにいた。


「仮にアンタの言い分を信じるとして、アンタのおじいちゃんはよく1日で許してくれたわね」


 そしてとりあえず話に乗ることにした。


「その分壮絶な1日だったけどね。雲一つない青空が一瞬にして曇天に変わるほどの怒りを買ったのは後にも先にもあの日だけだったよ」


「もはや天災なんですけど。天変地異を起こしちゃったらアンタのバチって範疇超えちゃってない?」


「それだけ怒ってるってことを伝えたかったんでしょ? やっぱ俺を懲らしめるためじゃなくて、戒めるのが目的って部分が強いんだと思うよ」


「え?」


 懲らしめるためじゃない、という言葉の意味に対して、彼女は疑問符を浮かべた。


「だってほら、俺って善悪の分別ないじゃん?」


「知らないわよ怖っ!! 人として!!」


「でも、バチが当たった時には『ああ、じゃああれはよくないことだったんだ』って思って後から反省することができる。そういった意味では、じいちゃんは呪ってるんじゃなくて見守ってくれてるのかも」


「調子のいい解釈してるわね……」


 自分を殺した相手に恨み辛みを抱かないはずはないだろう。ただ、彼に悪意があった訳ではないし、なにより血の繋がった孫であることには変わりない。だからこそ、彼に二度と同じ過ちを犯させないように、ケジメとしてバチを課すのかもしれないな。彼もその家族も、そういう風に解釈して今まで過ごしてきたんだろう。


 彼女はぼんやりとそんな深読みをしていた。


「実際、今もこうやってバチが当たってるお陰で、キミに悪いことしちゃったんだなって省みることができてるよ。本当に待たせてごめんね」


「べ、別にいいわよ……って、ちょっと待って。バチが当たってようやく私に悪いことしたと気付いたの?」


「善悪の分別がないからね」


「サイコねアンタ」


「まあ、俺のことはいいよ。とりあえず改札抜けちゃおうよ」


「そ、そうね……言っちゃ悪いけど、私としても旅行に行く前にこんな訳の分からない話を広げたくないという素直な気持ちを密に抱いていたわ」





 電車に乗ることを諦めて引き返す者。慌てて別のホームに移ろうとする者。復旧を信じホームへ歩みを進める者……。


 改札を抜けた先は更にごった返しになっていた。その人の波に乗ったり逆らったりしながら、二人は階段を降りていた。三泊分の荷物が詰め込まれたキャリーバッグを持ち上げながら、行き交う人々の肩をよろよろと躱す。


「大体、どうしてこんなに遅刻したのよ」


「色々あってさ……うぐっ」


 彼女の問いに答えながら、彼は足を踏み違え、右足首を捻った。


「あんまり来ないから、アンタの分の切符、先に買っておいたんだからね。後でお金返してよね!?」


「ICカード持ってるのに……うげっ」


 よろけた拍子に彼の右足がぐにゃりと曲がる。


「な、何よその言い草! 電車が遅延してるのが不幸中の幸いだったけど、本当だったらアンタが到着し次第ダッシュよ!? ダッシュとなった時、アンタのICカード残高すっからかんだったら果たして如何様になってたことでしょうね!?」


「あー、保険ってことか。やっぱりキミは頼りになるね。ぐえっ」


 彼は地につけた右の踵を滑らせる。


「か、勘違いしないでよね! これはアンタのためじゃなくて……」


「んぬぐうううっ!!!」


「んもおおうっ!!!!」


 彼女の渾身のローキックを最後に、彼は階段から転がり落ちた。


「なんなの!? ふざけてるの!?」


「いや、足が……!! 階段を降りるたびに足を捻るんだこれが……」


「しつこい!! アンタのバチしつこい!! 遅刻へのペナルティがしつこい!!」


 階段を駆け下りて手を差し伸べる。彼は生まれたての子鹿のように弱々しく立ち上がりつつ、うーむと唸っていた。


「いや、これはもしかして……また別の件なのかも」


「は!?」


「今までの経験上、たかが遅刻でここまでしつこくバチは当たらないんだ。精々2、3回さ」


「今たかがって言いやがった?」


「いや、実はね。ここに向かう時……遅刻しそうで急いでたから、信号無視しちゃったんだよね……。多分アレの分じゃないかな」


「結果的に遅刻してるしね」


 最早ツンデレなのか、単純にカリカリしているだけなのか分からなくなってきている彼女とは裏腹に、彼は至って呑気な声のトーンだった。


「そうだね。バチ当たり損だよ。でも結果的に信号無視はしちゃダメだよな、って思えたよ」


「思えたよじゃないわよ。アンタ今日までどんな生き方してきたの?」


「つかごめん、肩貸してくれない? 右足が壊死しそうで…………」


「んもーっ!! なんなのよこいつ!!」





 吐き出し所を失ったホームは一際、大勢の人で溢れかえっていた。依然運行再開の情報が全く入らず、進展の見えない現状が彼らの苛立ちを誘っている。そんな人々の心など御構い無しに、無神経にホーム内に差し込む日差しの眩しさはなんとも皮肉めいていたのだった。


「電車来てないね」


「遅延15分か。フライトまでに間に合うかしら…………」


 腕時計を覗き込みながら、彼女は微かに顔を曇らせた。


「多少余裕持って時間見積もっておいてよかったねぇ」


 その様子を感じ取ってか否か、彼は能天気な声をあげる。


「アンタは遅刻したけどね」


「電車が遅延してるならどの道同じさ」


「アンタ本当は反省してないでしょ?」


 侮蔑の目線を向ける彼女。


「してるしてる。冗談だって。折角の旅行なんだしイライラしないで……」


 はははと両手を振り誤魔化す彼。


「ごっほぅっ!!!」


 そしてその間にガラ空きとなったボディにエルボーを放つ、通りすがりのちびっこ。


「無理よ。私、スケジュール通りにいかないのはとても我慢ならないの。イライラするななんて言う方が無理な相談よ」


「知ってるけど、なんだか今日は特に苛立ってるようにみえるな……ふごっ」


 その辺にいた鳩が突如弾丸の如く腹部に突進する。


「な、何が言いたいのよ!」


「いや、君が今日特に苛立っているのは、なんかもっと特別な理由があるように思えて」


「は、はあああああ!? 別にっ!! アンタと旅行に行くのをっ!! 楽しみにしてた訳じゃな」


「ほげえええええっ」


「んああああああああっ!!!!!」


 コークスクリューがみぞおちに抉り込むと、彼は前のめりに倒れこんだ。


「何なの!? そのダメージの負い方なんなの!? スタンド攻撃なの!?」


「ち、違うよスタンド攻撃ではなくこれはバチが」


「いやそんなん知ってるわよ!! 今度は何だって言うの!?」


「いや……そ、それがもう覚えが…………」


 腹を庇いながら、声を震わせる。覚えがないというより、朦朧として記憶が飛びかけているようにも見えた。


「信号渡った後どうしたのよ!?」


「えーっと、踏切を渡って……あ、思い出した!」


「なによ!!」


「あそこ、開かずの踏切だからさ、サッと潜り抜けちゃったんだよね」


「あーもう絶対それ!! それしかないわ! そのペナルティはちょっと重そうだもの! うん!」


「え? なんかちょっと楽しんでる?」


 というより、彼女は大声を繰り返すうちにテンションが訳が分からなくなっていた。





「電車来ないねえ」


「もう言わないでよ……間に合わないかもとかあんまり考えたくないわ」


 無の時間。


 ただ悪戯に時だけが流れていく状態は延々続いていた。最初は空港への到着時間を神経質に気にしていた彼女も、ついには電光掲示板の表示を確認するのを避けようとする程度には、現実逃避を始めていた。


「ちょっとトイレ行ってくるね」


「いいけど……」


 彼は徐ろにそう言って背を向けた。

 人混みの奥へ紛れ込んでいくその後姿を、ただじっと目で追い続けながら、彼女はゆっくりとしゃがみこむ。

 やがて幾分か歩いた先で、風に煽られて白線の外側へ身を投げそうになったのを確認するが早いか、クラウチングスタートを決めた。




「微笑ましさを殺したドジっ子か!!!」


「どんなツッコミ!?」


「アンタ死ぬんじゃないの!? 何ディスティネーションよこれ!! ファイナルデッドプラットホーム!?!?」


「落ち着いてよ!!」


 最早、地べたに座り込んでぜえぜえと息を切らす彼女の方が、随分と滅入ってしまっているように見えた。


「何なのよもおおおおお!! 今度は何なのおおおお!?」


「うわー!! も、もう思いつかないよぉ!! 踏切抜けたらあとは駅に向かうだけだし…………」


「じゃあ、駅に入る直前にあったこと!! 踏切以上、駅未満の出来事は!?」


「友達以上恋人未満的な言い方されても……強いて挙げるなら警察に止められたくらいしかないよ」


「いやそれ!! 絶対それでしょ!! なんで止められたの!?」


「踏切潜った直後だったから……」


「そら止められる!!」


 彼女は激しくツッコんではいた……が、彼が今ここにいるということは大した騒ぎにはなっていなかったのだろう。警察と聞き一瞬ドキッとしたが、まあセーフラインだろう。そんな風に少しばかりの安堵も感じてはいたのだった。


「まあ、特にやり取りはなかったけどね。俺急いでたからさ、警察を突き飛ばして怯んだ隙に逃れてきたんだよ」


「いやアウトオオオオオオオオ!!」


「ちょ、うるさいよ……!!」


 彼女はいよいよ顔から血の気を失わせ、ただただ絶叫するしかなかった。


「は!? ええ!? 今アンタ公務執行妨害と傷害の罪で逃亡中!? え、怖っ!? ちょっと距離置いていい!?」


「だ、大丈夫だよ!! 今後気をつけますとか、急いでますからとか言って抜けてきたし、分かってくれてるよ!」


「手を出しちゃってるから!!」


「落ち着いて! 大丈夫! 完全に撒いたから!!」


「撒いちゃったからダメなの!!!!」


「は、反省するよ……」


 天然とかそういうフォローでは許容しきれなくなった事実を目の当たりにした彼女は、周囲から奇異な目で見られていることを全く気にしなくなる程度には感覚をトリップさせちまっていた。





「電車来ないね」


「さっさと来てほしいわね。言っとくけど追っ手が来た暁には私は全力で他人のフリをするからね」


「そんな」


「なんなら突き出すわ」


「やめて」


 相変わらず冗談を交わし合いながらも、二人には目に見えて疲労感が表れ始めていた。気づけば、ホームの屋根ごしに覗く青空には、灰色の雲がかかり始めている。旅行の雲行きをも怪しくさせるこの暗い雰囲気は、二人の間に漂い始めた鬱屈とした空気を呈しているかのようだった。



『…………につき、隣駅にて停車中でございます。繰り返しお客様にお知らせ致します。ただいま、30分遅れとなっております列車……』


「30分遅れ……。はあ、これ動くのかしら……」


 アナウンスを耳にすることで、遅延の状態が嫌でも情報として入ってくる。彼女は改めて溜息を漏らすしかないのだった。


「でも、隣駅に来てるってよ」


「止まってればどこにいようと同じよ」


「遅刻すれば何分遅れようが同じようにね」


「アンタ絶対後でキレてやるからね」


「ごめん………………いでっ」


「!!!」









 こいつマジか。



 この空気でそれブッコむ?










「不可抗力なんだよ……!!」


 その時の彼女は血走らせた目をただ大きく見開いていただけだったが、彼はその圧から暗黙のメッセージを確かに受信したのだった。


「はあ……もう大声出す気力もないわ」


「なんかごめんね」


「今度は何やらかしたってのよ……」


「もう完璧にお手上げだよ。警察から離れたあとはキミに会ったくらいしかない。うえっ」


 彼の頭に鳩の糞が落ちる。


「ホントでしょうね……」


「ホントだよ。もう君に会ったことが何かしらの罪だったのかとしか思えないよ。わぶっ」


 彼の頭に新聞紙が覆いかぶさる。


「此の期に及んでなんて言い分よ……」


「冗談だよ」


「最早アンタの言うことの何処までが冗談か分からなくなってくるわ……」


「うーん、だとしたら、あの時突き飛ばした場所に問題があったのかなぁ……いでっ」


 彼の頭に空き缶が飛ぶ。


「そうね……」


 彼の頭にサッカーボールがぶつかる。


「…………」


「…………」


 彼の頭上で、突如蛍光灯が破裂する。


「…………」


「…………」


「………………ねえ、今アンタ何て言った?」


 轟音を立て、彼の目と鼻の先に電光掲示板が落下する。


「電車来ないね」

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バチ当たり 毛賀不可思議 @kegafukawa

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