「本能は、時に人生を狂わせる」
マイノリティ受け入れの下地があったという話ではあるが、実際のところ、これこそ見た目に左右される出来事なんだろうと思う。
友人関係であれ、よしんば恋愛関係であれ。
兄の見た目は、とても綺麗だ。
それこそ一見して兄がトランスジェンダーだと分からない見た目をしている。
見た目が悪かったり、話題にだせないような雰囲気を纏っていると、それだけで腫れ物にさわるような扱いにしかならない。
ここでまた脱線というか、用語説明。
トランスジェンダー、というのは、前述したGLBTのTの部分だ。
ただこのトランスジェンダーの中にも分類があって、例えば男性を基にして説明していくと、女装するしているだけの人はトランベスタイトと呼ばれ、女性ホルモン剤を投与している人はトランスジェンダーとなり、性転換をすればトランスセクシャルとなる。
これらをひっくるめて、トランスジェンダーという。みたい。
みたい、というのは、例えば無性別を自認する人や、これらであげた呼び方では説明しきれないような人たちもいっぱいいるからだ。むずかしい。
で話を戻す。
兄は綺麗だ。
それは性転換の手術をする前から思っていたし、男だった時代から男前だった。
前に書いたようにモテていたし、弟の目線から見てもいい男だった。髪の毛は、少しテンパだった。
初めて女装した兄を見たとき、兄の状態は上でいうところのトランスジェンダーだった。服は完璧な女性のもので、胸はあった。
話を聞いたところ、女性ホルモンのみで大きくなったのだと言っていた。
「天然よ、天然」と誇らしげに言っていたけれど、女性ホルモンを打って成長している時点で天然ではなく養殖なのでは、と思ったけれど僕は言わなかった。
この女性ホルモン、というよりも、ホルモン治療というものは、結構厄介らしい。
僕は、兄がトランスジェンダーになる前も、なってからも、一貫して実家で暮らしていた。とは言ってもその頃僕は夜型の生活をしていて、両親と顔をあわす事はほとんどなかったけれど。
午前3時頃に帰宅し、母と2人目の父が仕事に出る時間は寝ていたし、2人が仕事から帰ってくるときには僕は仕事に出かけていた。
ただ小学生だった弟とはよく遊んでいた。学校の終わる時間と、僕の自由な時間が重なっていたからだ。
弟は、とても現実的な子だった。
ある時、弟はリビングのテーブルで作文を書いていた。
小学校の宿題でよくある、将来の夢の作文だった。
恥ずかしがる弟にお願いして、少し読ませてもらった。
今の僕だったらわざわざ弟にお願いせずに、書き終わってランドセルに入れられている作文を取り出して勝手に添削したりするんだけれど、この頃の僕は優しかった。
弟の夢は「サラリーマン」だった。
僕はその理由が知りたくて、なぜサラリーマンがいいのか聞いた。
「ちゃんと働かへんかったら、後で困るから」
と言う弟に、パイロットとかスポーツ選手は嫌なのか、と聞くと、
「僕、目が悪いからパイロットは無理やねん。スポーツもあんまり好きちゃうねん」
と答えてくれた。目が悪いわりには、とても現実が見えていた。
サラリーマンやったら社長にもなれるけど?との質問に対し、
少し考え、あんまり偉くなったらしんどそう。だから課長くらいが丁度いいかな。と答え、作文の中のサラリーマンとかかれた箇所を消しゴムで消して課長と書き直していた。
バイト生活をしながら舞台役者を目指していた僕よりも大人な小学生が、そこにいた。
確か、土曜日か日曜日だったと思う。
僕は14時くらいに目を覚まし、リビングに向かった。
課長を目指す弟は友達の家に遊びにいっており、2人目の父はバイトにいっていた。
母と僕だけが家にいた。
リビングでテレビを見ながらアイスコーヒーを飲んでいると、テーブルに置かれていた母の携帯電話がなった。電話の相手は兄で、携帯をわたすと母は寝室へ行き、電話をし始めた。
寝室から、大丈夫?という声が聞こえ、しばらくしてから鼻をすすりながら、ごめんね、という声がテレビの音声のすき間を通過するように聞こえてきた。電話を終えてリビングに戻ってきた母の目は、赤くなっていた。
電話、よくかかってくるん?と母に聞くと、
「月に何回かね」
と言った。続けて、
「あの子な、ホルモン打ってるねん。ホルモン剤打つとな、精神的に不安定になって体調もしんどくなるんやて」
と教えてくれた。
母に対して電話をしてくるときは、ホルモン治療を受ける周期と重なっていた。
普段は別に気にしていないようなそぶりや強がっていたりしても、ホルモンの投与とともに定期的にやってくる鬱症状は我慢ができない。みたいだった。
その度に母に電話をし、しんどい、しんどい、なんでこんな身体に産んだん。なんでこんな思いせなあかんの。と、ずっと電話で言い続けていたのだ。
たしかにこの時期、母も兄もとてもしんどかったと思う。
兄のはけ口は母しかなかったし、母はそれを受け入れるしかなかった。
その時期、母は2人目の父ともあまりうまくいっていなかった。
これは全般的に、2人目の父が悪い。いや、母もある意味では悪いのだけれども。
世の中には、無意識でダメ人間を作り上げてしまう人がいる。
我が家の母が、そういうタイプの人間だった。
母は、人一倍しっかりしている。
仕事も男並みにこなし、家事もし、子育てもしっかりする。
朝早くに起き、家族の分のお弁当を作り、その間に洗濯物をまわし、弁当を作り終えたら洗濯物を干す。それが終われば朝ご飯の用意をして仕事へと向かう。
仕事が終わると買い物をして帰宅、一息つく暇もなく、晩ご飯の用意を始める。
ご飯を食べてお風呂に入ると、あとはもう寝てしまう。
そう、母はがんばり屋なのだ。
このがんばり屋が無意識で相手を堕落させてしまう。
父は働かなくても住む場所があり、ご飯が出てくる(もちろんこれはそのときの僕にもいえることだが)。その状態で、誰がまともに働くだろう。
そうやって堕落した2人目の父も悪いが、そういう人間を作り上げてしまった意味で、母も悪い、と僕は思っている。
2人目の父と母は、食の好みから性格まで違っていた。
人間は本能的に自分と違うタイプのフェロモンに惹かれるという話はよく聞くが、
僕はその本能に対し、いやあ、いくらなんでも限度があるだろう。と思っていた。
2人目の父は結婚をする時、母にこう言ったらしい。
「どんな事があっても俺が身体を張って守るから。何をしてでも食わしていくから」
それから十数年後、母が身体を張って、家族を守っていた。
その守られている父はどうしていたかといえば何もせずにご飯を食べ、「煙草代が少ない」とぼやいていた。
このぼやきを聞いた後の弟の台詞が、母に離婚を決めさせた。
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