「イッツア・ニュー(ハーフ)・ワールド」
母が離婚を決意した後、決めなければ行けない事は沢山あった。
母は、2人目の父に離婚を考えているのがバレてしまうと確実にごねるので、まずバレないように出ていってから離婚届と手紙をだす、という手順を考えていた。
そのためにはバレないように引っ越し先を決め、引っ越し作業をしなければならない。
ちなみに、その頃の僕はどうしていたかと言えば。
真っ当に生きていくためには全うな仕事を探さなければならない、健全な魂は健全な肉体に宿るっていうしな、そのためにはちゃんとした筋道が必要だ、よっしゃ専門学校へと通おうと、ある意味で理知的な、ある意味で何も考えていない感情一直線な選択のもと、お金を貯めるためにパチンコ屋でバイトをしていた。
パチンコで無くなったお金は、パチンコで稼ぐのだ。
そんな真っ当でない僕と、未だ高校生である弟の面倒を見なければいけない母は、引っ越し先の選定に四苦八苦していた。
そこに救いの手を差し伸べたのが、他でもない兄であった。
ここで勘のいい方なら気がつくでしょうが、僕と2人目の父は意外と似ている所がある。要は両方ともダメ人間である、ということだ。
この頃僕は24歳くらいで、真っ当に生きていれば大学を卒業して就職し、新人の枠からはずれて先輩から独り立ちをし、一人で行った喫茶店の代金を会議費として経費で請求するのにも物怖じしなくなる頃である。
にも関わらずその頃の僕は役者にもなれず家族の誰かを助けられる訳でもなく、特技といえば近所のおばちゃんに気に入られておからやちらし寿司をもらうくらいしか取り柄がなかった。一応名誉の為にいっておくが、おばちゃんのおからとちらし寿司は本当においしかった。それだけは誤解されては困る。
そんな僕とずっとつき合い、結婚までしてくれた奥さんには本当に頭があがらない。下半身の頭は鋭角で上がりっ放しなのだけれど。
なぜこのタイミングで下ネタを入れるのか、と言われてもよくわからない。
言いたくなったから。それだけだ。
カートヴォネガットもこう言っている。
ーそんなもんだー
と。
とまあ、引用をした上に、それがなんの意味も持っていない時点で僕がどんな人間かわかって頂けたのではないか、と思う。
この文章をここまで読んでくれた方ならなおさらだろう。
タバコの一方の先には火があって、もう一方には愚者がいる、というのもヴォネガットだが、それと同じだ。ここまで読んでくれている人は、どこかおかしい(褒め言葉です)。
そう、兄が母に手を差し伸べた話だ。
この頃の兄は、大阪随一の歓楽街で、さらに随一と言われるお店で働いていた。
僕は2度ほどこの店に行った事がある。
一度目は兄に頼まれて漫画を店まで運んだとき、2度目は奥さんと店に招待(?)された時である。
漫画を持って初めて兄の職場の入り口を見た時、僕はこう思った。
「ここは、庶民のくる場所ではない」と。
国境の長いトンネルを抜けると雪国だった、ではないけれど、
エレベーターの扉を抜けると大人の夢の国だった。みたいな。
漫画が詰まった薄汚い紙袋をぶら下げて、大理石が敷き詰められた夢の国を歩く。
極度の緊張からか、夢の国には似つかわしくない液体が僕の脇からあふれだし、シャツの中はスプラッシュマウンテンだった。
ミッキーマウスはいなかったけれど口の中が緊張で乾いてドライマウスだったし、建物の外ではドナルドならぬ「怒鳴るど!」という声が響いていた。怒鳴っているのに怒鳴るどとはこれ如何に。やっとこさ店の前で兄の顔をミニーしてホッとした僕は持って来た漫画を渡し、これで良かったのか兄に尋ねると「イーヨー」と言ってくれたので店をデール。
建物の入り口まで見送ってくれた兄からお小遣い代わりのチップをもらい、こんな世界が本当にアリエルんだな、と思いました。
名文を引き合いに出しておいて、糞みたいな文章の見本ともいえるものが書けて幸せです。
大人の夢の国で働いている兄は、金を稼いでいた。
金をよく稼ぐということは、金をよく使うのと同じような意味を持つ。
兄の物欲に対して住んでいた部屋がもう入らない!と悲鳴を上げていたのも重なり、同居の話はとても早くまとまった。
その後、紆余曲折を経てとあるマンションに無事住居を定めたが、今度は引っ越し方法に悩む事になった。
いかんせん2人目の父にバレないように荷物を運び出さなければならない。
その時白羽の矢が立ったのが、他でもないこの僕だった。
僕は専門学校に行くと決意していた事を母には伝えていたが、2人目の父には伝えていなかった。
そこで、2人目の父に対して、専門学校に行く事は黙ったままにしておいて、就職が決まったので彼女と一緒に暮らす、という嘘をつくという暴挙に出た。
僕の引っ越し荷物の中に、母と弟の荷物を紛れ込ませるという、木を隠すなら森の中手法だ。
その頃僕がつき合っていた女の子、すなわち今の奥さんでもあるのだが、2人目の父とも面識があり同居を疑われにくかったのもある。
こうやって至る所で僕の奥さんのお世話になっているのだから、母ももっと僕の奥さん、というよりもその素敵な奥さんのハートを見事に射止めた僕に対しもっと感謝してもいいと思います。ティンクルティンクル。
その方法はとても上手くいき、2人目の父に気づかれないまま引っ越しの手はずが整った。弟はしばらくの間電車通学するようになってしまい少しめんどくさそうだったが、僕はうらやましかった。
高校で電車通学なんて、まるで少女漫画みたいじゃないか。
まあ僕が電車で通学したとしても他校の女の子に手紙を渡されるような事は一切なく、よくて痴漢に間違われるくらいだったろうけれど。
母と弟の私物が入った僕の荷物も、そこまでの量ではなかった。
家電は置きっぱなしにする予定だったし、最低限の荷物だけ選別するようにしていたからだ。なので引っ越し業者を呼ぶほどのものではなく、知り合いに車を出してもらっただけで荷物の運搬は完了した。
この話を思い出すとき、いつも2人目の父の心情を考えてしまう。
仕事が終わって家に帰ると、いつもはいるはずの奥さんも子供もいなくて、帰ればすぐに入れていたお風呂にはお湯すら溜まっていなくて、荷物が減った部屋はがらんとしている。
リビングの机の上に一通の手紙があって、離婚届が入っている。
もし僕が同じ立場になったなら、きっと泣いてしまうだろう。それこそ頭が真っ白になってしまうだろう。
父は父で何かを我慢し、いびつながらも家族というものを彼の枠組みのなかで考え、一日一日を過ごしてきたのかもしれない。母と弟と三人で京都にいったことや、家族みんなで車に乗って夜釣りにいった事や、それこそ初めて僕らが泊まりに来た時に一緒にゲームをした事を思い出したかもしれない。
それが、ある日をさかいに一挙に消えてしまう、その物悲しさは筆舌に尽くし難いだろう。
そういう事まで考えてしまうと、母のしたやり方が正しいとは思わない。
が、かといって間違っているとも思わない。
なぜならば、そういう事をされてしまうだけの事を2人目の父親はしてしまったのだ。たとえそれが無意識だったとしても。
母に、一番のストレスが何だったのか、聞いたことがある。
ひとしきり考えた後、母は言った。
「離婚のきっかけは弟の一言やったし、お金の問題もストレスはストレスやったけど、何が一番ていわれたらやっぱりご飯とちゃうか。美味しい不味い以前に、作ってもありがとうもいわへん、気に入らんおかずやったら平気で漬け物で白ご飯だけ食べてごちそうさん。そらストレス溜まるわ。ほんでそんなん気になるから煮物やら和えもんやら作られへんやろ。魚もいやがるし。だから今、毎日ご飯が美味しく食べれて幸せや」
母の思い出と、2人目の父の思い出。
同じ家で暮らし、同じ時を過ごし、同じ道を歩んできた2人。
でも最後には、異なった記憶しか残らなかった。
それもこれもすべてフェロモンのせいだ。本能は恐ろしい。
結婚が幸せか幸せじゃないかの言い争いは、酒の肴にもなりながらいつの時代も繰り広げられつづけているけれど、今現在に至ってもなお結論は出ていない。
今日もどこかの酒場で偉そうなおっさんが、若い人間をつかまえて話をしているのだろう。
結婚しない方がいいぞ。一人の方が気楽だぞ。と。
それでも僕は今結婚してとても幸せだし、奥さんも不幸せではないと思う。そう思いたい。
これだけ結婚を経験した人がやめておけ、独身のほうがいいと忠告し、離婚件数も増加の一途をたどっているのは、他人同士が一緒に暮らすのは、やはり無理があるからなのか。
その反面、そんなことに左右されずいろんな人が結婚しているのは、やはり人と人が出会うという事自体は幸せであるという証拠になりはしないか。
そんな相反する2つの事を考えながら、僕は或るものをなくしてしまった事に気がついた。もしかしたら、引越しの荷物にまぎれて新しい家に送ってしまったのかもしれない。
或るものとは「兄が姉になった話」である。
今から引っ越し先にいって、段ボールの中に紛れていないか確認しにいかなければならない。いや、忘れていた訳ではない。
断じて、ない。
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