3


「おはよー!」


「おーっす」


「ねぇねぇ、昨日の3話みたぁ?」


靴箱を開け、上履きと履き替えている間にも、軽快な挨拶が行き交う。

いつもだと、なんの感情も持たず、教室に向かい、時々強張った生徒に道を譲られ、席につく。

だが今日の私はそわそわしていた。いや、そわそわしているのは朝起きてからずっとかもしれない。

「自分から歩み寄っていない」

姉の言葉が脳裏をよぎる。

「そんなことない」

そう言い返し続けていたが、さすがに卒業まであと一年もない今となっては、後悔先に立たず、と言うのに相応しいのでないか。

馴れ合うのは嫌いだが、丁度良い距離感の人間と関わりたい。そんな条件のいい関係を理想とする私は、なんと大層良いご身分なのだろうか。それに、自分から初めのきっかけを失くしたにも関わらず、何かと理由をつけて、諦め続けていたこの人生。印象が悪くても、接し続ければお互いの内面を知り、惹かれあうこともある。

そんな少女漫画を、私は何も考えず読んでいたわけではない。そう、憧れていたのだ。


「心は乙女」

私は見かけに寄らず、少女漫画・王道な恋愛ドラマが大好きである。

白タイツとかぼちゃパンツを履き、白馬にまたがる王子様。冗談なしに憧れている時期もあった。

少女漫画の舞台はほとんどが高校生活。中学生のころは、こんな恋愛をしたいとずっと願っていた。まぁ、中学生のころも今と変わらず一匹狼だったため、中学生活での恋愛を諦めていたからではあるが…。

今の今まで、誰にもトキメなかったわけではない。

高校一年生の春、出会い目的で部活動の入部を考え、バレー部を見学していたときに目に入った、一学年上の先輩。

ゆるいパーマをかけ、鍛えられたガチガチの上腕二頭筋とは相反した天使のような笑顔。

私も一緒にバレーをしたい!そしてあわよくば…と思ったが、目が合った瞬間、体を硬直させて目をそらし、隣の部員に何やらヒソヒソと、良くはないであろう会話をしていた。そこであっけなくトキメキは去ったのだった。…というかそもそもバレー部は男女別であったのだが…。


同じく高校一年生の秋はずっと欠席だったクラスメートの森井戸もりいどくん。引きこもりのほうの欠席ではなく、今となっては稀な超不良。まず制服姿を見たものはおらず、朝から最後まで授業を受けている姿を見たものもおらず、教師が注意するよりも先に校門を出てゆく、問題児であった。

そんな森井戸くんと会ったのは学校に一番近いコンビニだった。向こうは、人の目を気にもせずタバコを買っていて、「お決まりコースだな。生徒指導に見つかったらどうするんだ」と思いながら見ていると目が合ってしまった。そして向こうが口に出した言葉が、


「お前…橘っつうんだろ」


「えっ…」


そう、クラスメートだと認識もされていないと思っていた人物に名前を呼ばれ、トキメいてしまった。

…のだが。


「お前、どこまで陣取ってんだよ」


「…へ」


「”へ”じゃねぇよ。てめぇ学校の全学年締め上げるって言い広めてんらしいじゃねぇか」


「…い、いや…それはさすがに初耳すぎる…」


「あ?馬鹿にしてんのか」


不良だって捨て猫を可愛がったり、女の子に優しい一面もあるんです…というドラマチックなシーンは一切なかった。あれは嘘だ。虚無だ。

そう悔し涙を流しながら…実際には泣いてないが、背中越しに「待てよおら!」という罵声を受けながら私は逃げ去った。



―――――――――


「はぁ」


思い返しただけでも失敗続き。いや、森井戸くんは失敗ではなく、勘違いの暴走であったのだが。

いい思い出だと言えるような片思いもろくにできていないのか、私は…。

廊下の窓にふらつくように右手をつく。すると、偶然でしかないのだが、相手からは故意だと思われても仕方がないほど、私は窓際に立っていた女子生徒に壁ドンをしてしまっていた。

あ、この子は確か同じクラス…いやいや、それより、完全に怯えてないか。

分厚いレンズをかけた校則の例通りの髪型をし、私の胸あたりしかない身長の彼女は、足元をみつめながらさらに体を小さくして震えていた。


「あ…あの…ご、ごめんなさい…」


とぎれとぎれで、かすかに聞こえる声。

ああ、完全に怖がられてしまっている。

友達を作ろうという決心が早くも音を立てて崩れていく。

どうしたものか。誤解も解きたいが、先に謝らねば、いや、声を発すると同時に逃げるかもしれない。

彼女以上に内心おろおろしていると、今の今まで見ていなかった彼女の頭上に目をやる。



「!?」


 

フォントサイズだと26くらいのゴシック体の文字が浮いていた。

いや、文字というか吹き出しと言うべきなのだろうか。左端には1から3までの番号が振り分けられている。

なんだこれは…。言葉にならない。声も出せないほど驚愕している。いや、せざるをえない。

だが、見たことがある。この経験したことのある感覚。


…これはゲームの選択肢。


そう、恋愛ゲームに必ずといっていいほど、存在する選択肢。

相手の言動のあとに、自分が選択肢にあるどの言動を選ぶかによって、好感度が上がったり、下がったり、時にはボーナススチルなんていうのも獲得できる。


それが今、現実に、見えている。

ゲームと違う箇所といえば、人の頭上にあるということだけだ。


①「ごめん、ふらついただけなんだ」

②「おはよう、池野いけのさん」

③「なんでそこに突っ立ってんの」


ご丁寧に自分が話すであろう口調である。語尾に『~だぴょん』やら『~なのだ』という痛々しいセリフはない。

これは彼女…選択肢からして池野さんなのだろうが…には見えていないのだろうか。

というか私以外見えていないのだろうか。

予鈴前でまだ友達同士で会話する生徒が廊下にはたくさんいた。

左右見回すが、誰も池野さんの頭上に注目する者はいない。

これはどういうことだろうか、ついに顔と見た目に加えて頭も悪くなってしまったのだろうか。

というか、これは選ばなくてはいけないセリフなのだろうか…。

私は未だに怯えている彼女と頭上を見比べながら、細々と声をだした。


「…ぅお、おはよう…いけ、のさ、ん」


「え…え?あ、お、おはよう橘さん…じゃ、じゃあ…」


彼女は最後まで私の顔を見ずに、そそくさと教室に入っていった。

そして私もその姿を目で追わず、ただただ一人壁ドンの体制のまま硬直していた。

今となってはハープの音も聴こえなかったこの選択肢は、好感度には反映しないものだとわかったのだが、

この時の私は、家に帰りたいという一心でしかなかった。




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