好感度1人目

1



今日みえていた。

正確に言うと”これが起こってから”3日目”である。



2日目。

朝起きて現実を目の当たりにした相手は母親だった。

トイレで鉢合わせになって私は驚いた。

勿論「」という驚きではなく、

鉢合わせになった事でもなく、

母親のである。



①お母さんおはよう

②邪魔なんだけど、どいて

③(無視)




夢でも妄想でもなかった。

母親は頭上にこんなものを掲げて笑いを取るようなユーモアな持ち主では相当ない。

池野さん以外でのこの光景を、私はもう納得せざるを得なかった…というより納得すする他なかった。

必要以上に瞬きを繰り返したのち、目を閉じ、軽く息を吸った。




「…お母さん…おはよう…」


「…。……おはよう」



すれ違った後の母親の後ろ姿は、久しぶりに言葉を投げかけられたことに驚いたのか、一時停止し、そして振り向きもせずそのままキッチンへと歩きながら言葉を返した。


急になんだと、不信に思っただろうか…。

なぜ①にしたんだろうか。

いつも通りの③にすれば良かったものを。

今になって母親の好感度を気にかけてしまっているのだろうか…。



”シャララ~ン”



朝の優雅な目覚め…というのは勝手な想像なのだが…ハープのような楽器の演奏音が響き渡った。



「!?」


自分がトイレに行きたかったことも、朝の準備に遅れてしまいそうなことも忘れ、廊下でただ一人、硬直する。

なんだ、今のは。

ケータイ…は制服のスカート右ポケットに入ってある。

だが、こんな着信音設定はしていないはずだ。

もちろん廊下に音楽プレーヤーがおもむろに置いていたりもしない。

むしろ感覚としては耳で聴きとったような音ではなく、まさしく自分の頭の中だけで聴こえたような…初めての感覚だった。


その正体がまだ解明できないまま、通学に遅刻しかけたのは言うまでもなかった。


それが好感度のあがったことを示唆する正解音だと理解するのは、次の日、3日目であった。




3日目。

未だ環境に慣れず…まぁ慣れてたまるかという事態なのだが…、教室に行くまでの自分の顔は、とにかく疲れと不機嫌とが入り混じった表情で、とても人が自分と目を合わす事ができない、言わばメデューサと一緒であった。

こちらとしても目を合わせたいわけではない。いちいち事に驚きたくないのだ。

極力目を閉じる時間を多くして歩く。

下を向いて人の顔も頭上も見ないようにした。

これだと途中で人とぶつかってしまう可能性もあるが、元々まわりが私の歩く道をあけてくれているため、そういうことは一切心配いらなかった。

教室まで到着し、どかっと椅子に腰かける。

長時間の登山を終えたかのような疲労感だった。



「…はぁ…」



昨日も母親以降、何人かの頭上で事は起こった。

授業中に即興英会話をもちかける、アメリカ人の英語教師。

食堂で返却トレーを渡すときの洗い場担当のおばさん。

同じ掃除班のクラスメート。


文字にすると1日という24時間の中で、会話した人数がこれほどしかないのかと、落ち込んでしまうがそうでもないのだ。


漢文の授業にも問題解答で指名されたのだが、なにも起こらなかった。

本来通常である何もないことを、かも異常事態かのようにそのことを気にかかって睨んでいたせいか、教師を怯ませてしまい解答には答えられなかった。


よくよく考えると漢文の教師は男性、つまり異性だった。

アメリカ人教師も、食堂のおばさんも、掃除班の子も、全て女性…同性なのだ。

同性限定の選択肢…?

さらに訳がわからない。

日に日に困惑させるこのとは一体…。




そしてその疑問も解決…というより納得のいかないまま今日を迎えているのである。

そりゃ睡眠を取っているとしても疲労感も重なるだろう。

冗談話としてもいかない状況になってしまった。


今日で3日目。


最初は利用してしまおう、私の能力が覚醒したのだと、幼稚で楽観的でそして大層阿呆なことを考えていたのだが、もうそんな気持ちになることも叶わなくなってしまった。



恐怖。



いつまで続くんだろうか。

いつまで…

何年後まで…

この先、一生…?

誰かに相談しても信じてくれないだろうし、相談できる人も限られている。

姉に話して、信じてくれたとしても、何の解決にもならないだろうし、姉の負担になってしまうだろうから、こんなことは相談したくない。

一人で…訳の分からないこの状況を、いつ終えるかどうかもわからないまま、過ごさなければいけないのだろうか…。



一人で…―――。






「…橘さん…大丈夫?」



組んだ手の甲におでこを乗せ俯いていた私は、まさか自分へ投げかけられ言葉だとは信じがたい表情のままゆっくり顔をあげた。


池野さんだった。

予鈴が鳴る時間までまだ早い。

廊下も教室も着席していない生徒たちが好きなように行動している中、彼女は私の机のすぐ前で私を見下ろしていた。

私の名前…呼んでたよな…。

ってことはやっぱり声…かけられたんだよな…。

ただこっちを見ているだけだった為か、彼女の眉はさらに垂れ下がった。


「気分悪いの…?私、保健委員だから…そ、その…」


だんだん口をもごもごしながら音量も小さくなっていく彼女の顔と頭上を視界に入れながら私はようやく口を開いた。



「…ありがとう池野さん。でも大丈夫、保健室に行くほどじゃないから」



「そっそっか…。ちょ、ちょっと心配になったから…。そ、それじゃ…」



顔を赤らめて会釈しながら少し離れた自分の席に戻る彼女を目で追いかけながら、脳内にハープの音が聴こえたのを確認した。


もしかして…これは、ゲームでいう正解…なのか?

好感度があがった、ということなのだろうか。

ということは昨日母親の時に聴こえたアレは正解で、他の3名に聴こえなかったのは正解じゃなかったということか…。


正解だからなんだという話だ。

好感度がステータスかなにか目で確認できるわけでもなく、ボーナススチルも勿論発生せず。

正解を重ねてどこに向かおうとしているのかわからない…むしろゴールもエンドもないだろうが、ただ一つ。



母親に声をかけたことは、正解だったということ。

池野さんへの先ほどの返答は、正解さったということ。

好感度が上がった事に値したこと。



何故かその事実が私とって嬉しいものであった。

なんだか、ほんの少し、救われたような…。

こんな可笑しい狂った状況でも、まぁいいか、と思えてしまうような。



その時はその気持ちを無理やり隠していたのだが。


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