第2部

Ready,get set, go!

 流れる風はひんやりとした秋の風。

 日差しはまだ夏のようにジリジリ痛い。

 制服は長袖になった。それ以外の変化と言えば。


「佐倉サン、これ落ちてんで」

「これ、ノート取っといて」


 話す機会は増えた。増えたというよりはむしろ私はあいつのパシリ要員としか思えないのだけど。


「最近仲ええなー。付き合ってんの?」


 1日1度はサヤの口から出てくるセリフだ。


「そんなわけないやん」


 私もその度に同じセリフを繰り返す。そんなわけってどんなわけだ。


「佐倉さ、神崎のことなんとも思ってないんやったら」


 "私の気持ち伝えてくれへん?"

 そんなこと、前から予想していたことだ。


                 *


 ガコン。


「サヤはオレンジで私はー……」


 ガコン。

 まだボタンを押してないのに音がした。取り出し口に大きな手が伸びてくる。


「俺、リンゴ好きやねん」


 にっこり笑って神埼がリンゴジュースを私に差し出す。


「あんたの好みは聞ぃてない」


 もう一度小銭を入れてお茶のボタンを押した。


「5限なんやっけ?」

「数学」

「あー寝とこ」

「単位なくなんで」

「俺は誰かさんと違っていつも平均点より上やから大丈夫ー」


 廊下を歩く女の子たちが私たちの方をちらちら見ながら通り過ぎていく。

 こういうことをするから誤解されるのだ。

 同性同士なら良くて異性同士でいるのはどうしてだめなんだ。

 飄々とした性格のせいか彼に直接言う女の子は少ないが、神崎は顔がいいからモテる。そんな面倒なことになるべくなら巻き込まれたくない。


「サヤが」

「サヤ? って誰やっけ」

「宮村サヤ」

「ああ、あのちっさいこ。佐倉サンほどじゃないけどね。いたっ」


 一言多い神崎の足のすねを蹴ってやった。背が低いと足を少し上げるだけで当たるから便利だ。


「サヤ、神崎のこと好きなんやって」

「そうなんや」

「うん」


 持っていたお茶を開けて飲む。

 神崎はくいっとジュースを飲み干してくずかごに投げ入れる。


「手ぇ出して」


 何とはなしに神崎に向かって左手を開く。

 チャリ。

 小銭を手渡される。120円。


「宮村さんに放課後残っといてって伝えといて」

「わかった」


 返事の代わりに神崎は背を向けて片手を挙げた。


                  *


 放課後。できることならさっさと帰ってしまいたかった。その場にいたくない。

 でもサヤに「待っていて」と頼まれて断れない自分が嫌だ。

 そもそもの原因はなんだ。サヤの話を毎日聞いていたから?

 流された私? よくわからん神崎? いい加減にしろっちゅうねん。


           *


 教室のドアを開ける音。机の中をごそごそする物音。


「お帰り、サヤ」


 返事はない。沈黙は嫌だ。


「帰りどっか寄ろか。あ、ほらサヤの好きな……あれどこやったっけ?」


 またもや返事はなく、物音がするだけ。

 とはいえ、神崎とのことを聞くわけにもいかない。

 チッチッチッ……

 普段は気にならない秒針の音がやけに大きく聞こえる。

 この沈黙はやっぱりいい結果じゃなかったということだろう。

 こんな時に掛けてあげられる言葉を私は知らない。そもそもサヤの相談も乗っていたわけじゃなく、聞いていただけだ。

 背中に感じられる空気が怖い。


「も……あかん……っはははははははははははははっ」


 押し潰されそうな、張り詰めた空気の塊を破ったのは大きな笑い声。男の。


「何……っであんたがここにいんねんな」


 怒りを抑えつつ出す声は所々音量が大きくなる。


「いつになったら気付くんやろーって思って見ててんけど、佐倉サンやっぱおもろいわー」


 笑いが止まらず息がし辛いのか、ひーひー言っている神崎。

 この、目の前でお腹を抱えて笑ってるこの男を蹴っ飛ばしても今なら許してくれるよね、神様。


「サヤは?」

「帰っ……たで」


 この男、まだ笑っている。


「こっちは真剣に聞いてんねんけど」

「ちゃんと答えてるやん、何怒ってんの?」


 持っていた鞄を椅子に置いて神埼が机に座る。

 むかつくことに背が高いから机に座っても床に足が付く。


「何でサヤ、送っていかへんねん」

「送るほど暗くないやん」


 そうだけど、そうじゃないだろ。

 サヤを待っていたのにそれが必要がなくなった今ここにいることはない。自分も帰る用意を始める。

 と、背を向けてから神崎と教室に二人きりだということに改めて気付く。


「佐倉サン」


 このタイミングで名前を呼ぶか、お前は。

 近付いてくる気配がする。なんでこっちんねん。

 それは私のすぐ後ろで止まった。


「俺、けっこうショックやってんけど」


 ――なにが。

 そう突っ込みを入れたいのだが。


「何で好きな人に他の人からの告白聞かなあかんねやろうなぁ」


 体が固まって動かない。


「な?」


 右肩を後ろへ強く引っ張られ、振り向かざるを得ない状況になる。

 そこには今にも泣きそうな? 怒っているような? よく分からない顔の神崎。


「あんたに告白なんてされた覚えないんやけど」


 ようやく口に出せた言葉は可愛げのないもの。神崎が大きく溜息をつく。

 ほら、呆れられてる。だから嫌なんだ。

 掴まれたままの右肩を勢いよく引き寄せられ、殴られると思った瞬間。

 耳元で声が響いた。


「誰が好きでもないヤツにキスなんてすんねんな」

「うそや」


 神崎は私の耳元から離れると、すぐ後ろの机にもたれる。


「嘘ついてどうすんの」

「だって、あんたモテるし、ペン回し異様にうまいし、変な奴やし、あたしのことおもろい言うし!」

「ちょお、待って意味わからん」


 咄嗟に神崎が大きな手を私の口に当て、まだまだ続きそうな口撃を制した。

 急に口元に熱を感じた私はそれ以上喋れなくなった。その代わり神崎を精一杯睨む。……せめてもの反抗に。


「俺はずっとあんたのこと見てたの。なんやクールやと思たら次の時には笑ってるし。表情よう変わんなぁって。気付いたら目で追うようになってた。って何言わすねん」


 恥ずかしくなってどうしようもなくなったのか、神崎は私の口に当てていた手を慌てて引っ込めた。


「一人突っ込みかい」

「黙って聞けへんのか、あんたは」


 恨めしそうに神崎が私を見た。


「自分で突っ込み入れてたんやろ」

「で?」


 テンポのいい会話に戻って落ち着いていて油断した。


「でってなに?」

「返事、聞いてんねんけど」


 神崎はこっちの目をじっと見て動かない。

 冗談で返そうと思っていたのに、真剣過ぎる神崎の目に上手く言葉が出てこない。


「……なんであたしがここにいること知ってたん」

「宮村さんが教えてくれてん」


 沈黙。

 空気を動かせない。動けない。


「俺、なんも悪いことしてへんのに」

「した」

「何を」

「人を動揺させること言うな!」


 神崎の口の端が少し上がる。


「へぇ、動揺させて欲しいんか」

「は!?」


 急に腕を引き寄せられ、バランスを崩し前につんのめる。


「痛っ」


 とても骨ばった胸に抱き止められる。近くに感じる体温。

 秋に近いとはいえ、まだ夏が残る今はちょっと暑いけど。


「……動揺、した?」

「してんのはそっちやろ」


 私の鼓動も早かったけど、神崎の胸から聞こえてくる音も早い。


「うるさいわ」


 両手を神崎の背中で組み合わせる。胸の音がまた速くなる。


「好き、です」


 声が震える。人は緊張する時も息がし辛くなるのを始めて知った。


「やっと聞けたわ、あんたの声」


 背中の神崎の手の力が一層強くなった。


                  *


「で、サヤどうしてん」


 帰り道。さっきのことが恥ずかしくて右半身が落ち着かない。

 一人で帰りたかった。というかホンマ、一人にしてください。


「宮村さん、知ってたみたいやで」

「え?」

「早く教室に行ってあげてって言われた」

「サヤが?」

「佐倉サンわかりやすいもんな~」


 あんたがわかりにくいからやん。


「俺もわかりやすかったと思うで」


 言い返そうと振り向くとそこには、悪びれもせず平然とした神崎の顔。


「佐倉サンと話したくてちょっかいかけてたんやから」


 喉まで出掛かった言葉を飲み込む。こういうところがズルイ。


「で、佐倉サンは?」


 少し上がる神崎の口元。


「教えへん」


 こんなことで優位に立てるとも思えないけど。

 こいつにこの先勝てる気がしないから。


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逆転トリロジー 青依ヒイナ @hinaki_nxt

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